第25回【恋愛】金木犀の甘い香りは告白を誘う
縺れた鎖――というには大袈裟かもしれない。でも、DNAは鎖みたいなものなのだから、運命の人に出会った瞬間ってのは、鎖が絡み合うのに似てるような気がする。
これはあたしの一目惚れ。いつものように近道をして講堂に向かおうと、校内にある中庭を抜けたときに彼に出会った。
落ち葉が敷き詰められた通り、そこにちょこんと置いてあった古びたベンチに彼はいた。文庫本を片手に持ったまま、すやすやと気持ちよさそうに眠って。小春日和だったから、この暖かな陽射しとともにやってきた睡魔の誘惑に勝てなかったのだろう。
――絵になるなぁ。
暖かそうなセーターはどこぞのブランド品だったと思う。雑誌に載っていたはずだ。今年のイチ押しアイテムだとかなんとか書いてあったような気がする。そのモデルさんよりも、彼の方がずっと魅力的に感じられた。清潔そうで、スマートで。洒落た雰囲気のメガネも、浮くことはなく彼に似合っている。
――ほうっておいたら、風邪ひいちゃうよね。だけど……。
あまりにも心地良さそうに眠っていたので声を掛けにくくて。だからあたし、自分がしていたバーバリーのマフラーをあげることにした。自分の元に返ることはないかもしれないが、それはそれ。自己満足のための行動なんだから、気にしないでおこう。
あたしは彼を起こさないようにマフラーを首に巻いてあげると、落ち葉のカサカサ鳴る音をできるだけ立てないようにしながら早足で講堂を目指した。
そんな出来事があってから、あとひと月も経てば一年になる。
彼の名前は
約一年も片思いをしてそれだけの情報を集めたが、まだちゃんと会話をしたことはなかった。
――だって、格好良いんだもん……。
気持ちを伝えようと何度も思えど、彼を見掛けるたびに緊張してしまって言葉が出なくなる。今日こそは、今日こそはと何度思ったことだろう。
――それに、いきなり告られても困るでしょうし。
告白当日――その単語が自然に合うまでには時間がかかりそうだと、半ば諦めていた頃にチャンスが来た。
金木犀の香りが風に乗って辺りを甘い芳香で満たしている。その香りで花が咲いたことに気付くのだから、香りって大事だ。
そんなことを考えながら、いつものように講堂への近道になっている中庭を歩いていると、貴臣さんを見つけた。しかも、今日は両目を閉じて眠っている。
――あぁ、もうそんな気候なのか。
真夏の灼けるような陽射しは去り、身体を程よく暖めるようにいつの間にかなっていたらしい。
あたしは自然と彼に引きつけられた。そっと近づくと、何故か彼の手元には読みかけらしい文庫本と――。
――バーバリーのマフラー?
もう見ることはないだろうと思っていたマフラーがそこにあった。
――いやいや、まさかね。
それが自分の物だと思ってしまうなんて、なんて図々しいのだろう。
――もう行こう。
授業の時間までまだまだ余裕があったが、ここで彼を眺めていても心が悲鳴をあげるだけだ。
――だけど、その前に一言だけ。
あたしは大きく息を吸う。
そして。
「……好き、です」
ありったけの気持ちを込めた言葉は、かすれてしまって呟きにしかならなかったけど。
――告白、できたよね?
その事実が急に現実味を帯びて、あたしは恥ずかしくなった。心臓がバクバクして、慌てて踵を返す。
一歩踏み出した、そのとき。
「――待って」
その声と同時に後ろから抱き締められた。
「行かないで」
寝ぼけているのだろうか。彼も、あたしも。
心臓の音がうるさい。
彼の鼻先があたしの首筋に当たる。
「やっぱり君だ。バーバリーのマフラーに残っていた金木犀の香りがする」
バーバリーのマフラーは金木犀のポプリと一緒にいつも閉まっていた。だから香りが移っていてもおかしくはないのだけど。
「あの……でも、今は金木犀の時季だから、それだけじゃ証拠にならないのでは……?」
嬉しかったのに、口先は冷静にそんなことを告げる。
「告白、聞いてたよ。それに、君がマフラーを貸してくれる前から、僕はずっと君を探していたんだ」
「え?」
彼は抱き締めていた腕を緩め、向き合う位置に立った。
「入学式のとき、君を見掛けて一目惚れしたんだ。そのときからずっと、会いたいと思っていた。この講堂までの道を利用しているのを知って、君と接点を持とうとしたんだよ。だけど待ち構えているのも変だから、寝たふりをした」
はにかむ様子で、貴臣さんは告げる。
「君はそんなこととも知らずにマフラーを貸してくれたよね。すごく嬉しかった。ずっと返そうって思っていたんだ。ごめん」
言って、彼はあたしの首にマフラーを巻く。
「告白、ありがとう。僕と、付き合ってくれませんか?」
あたしは、どんな顔をしていただろう。
黙って、頷いて、にっこりと笑む。
「喜んで」
《了》
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