第6話 隣人、目撃す

ズシン!


お昼前、何の変哲もなかった住宅街の片隅で大地を震わす衝撃が住民を襲った。その震源地は、四階建て築30年のマンションである事を周辺住民は知るはずもない。


「恐らく地震だろう」と、ガスを止めたり窓を開ける主婦がちらほらと居ただけで、その他には何も変わらない日常風景が広がっていた。そう……震源地となったマンションを除いては。


この時、203号室の佐々木信夫(63歳)は、202号室に住む隣人がいつも通りうるさかった為、空手八段の実力を活かして、正拳突きを壁に喰らわせていた。


「フンッ!フンッ!」


鉄筋コンクリートのマンションにも関わらず、ドンガラガッシャンとけたたましい音を響かせる隣人に負けじと、全身全霊の力を込めて放たれる正拳突き。エアコンの効いた部屋にも関わらず、吹き出て流れ落ちる滝のごとき汗。やがて信夫は、ステテコのみを纏った半裸の姿で、陶酔状態となり、自身の拳と隣人の騒音のハーモニーに身を任せていた。


バッコン!


その時、大きな音と共に信夫の目の前で壁にヒビが入った。


(しまった!)


吹き出る汗は、冷や汗へと変わる。大家とは長い付き合いとはいえ、賃貸契約上この壁のヒビはまずい。ホームセンターで傷隠しクリームを買ってこなければってうわあああああ!?信夫が見ている目の前で、壁のヒビは天井から床にまで放射線状に広がっていった。


(こんな力を、このワシが持っていたとは……。)


黙って右手の拳を見つめる信夫。その間にも壁全面に広がっていくヒビ。ますます青ざめる彼をよそに、ズドン!と衝撃が部屋全体に走ると、信夫の立っている床にまで亀裂が走っていく。


「うわああああああ、違うんじゃー!隣の奴が悪いんじゃー!」


誰に言うでもない言い訳を、一歩二歩と壁から下がりながら叫ぶ信夫。もはや立っていられない程の振動がマンション全体をぐわらぐわらと揺らしていた。まさか自分の正拳突きでマンションが一つ倒壊してしまうのか、そんな恐怖と後悔と罪悪感でいっぱいになった信夫の頬には、本人も気づかぬ内に涙の川が流れていた。


ドドドドドドド!!!!


すると突然、信夫の目の前の壁が割れた!

剥がれるクロス!軋む鉄骨!倒れる信夫の本棚!


「ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


そして壁の向こうから現れた、未知なる巨大な化け物の姿!!!


「あんぎゃーーーーーーー!?!?!?!?!?」


信夫はそのまま尻餅をついた。壁の亀裂から姿を見せた得体のしれない化け物は、窮屈そうに身体をあちこちにぶつけ、その黒くて巨大な身体にいくつも生えた、細かいトゲ付きの足をばたつかせているオエエエエエエエエエエエ!!!!明らかな異常を目の前にして、奥歯をガチガチと震わせる信夫がステテコをじゅんじゅん濡らしている間も、化け物はぐんぐんと巨大な身体を更に膨張させていき、信夫の部屋のフローリングにまで、その巨大な足が侵入したと同時、ノーモーションで、既に半壊している壁を、大型トラック程もあるだろう黒光りする巨体で突き破り、外へと飛び出していった。その後ろを、人間大の大きさの同じような化け物が何体も、目にも止まらぬスピードで追いかけていく。


そんな理解の範疇を超えた出来事を目撃し、じょんじょろじょんじょろとフローリングの上に今朝方飲んだ麦茶分を撒き散らす信夫。その放心した目線の先は、今やただの空洞と化した202号室に向けられていた。


そこには瓦礫と剥き出しの鉄骨の向こう側に、同じように202号室の壁を向こう側から叩いていたであろう金髪の若者が、信夫と同じ表情でぽかんと佇んでいる様子が見えた。


初めて顔を合わせた壁ドン仲間の二人は、放心状態のまま会釈を交わした。

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