幻想狂詩曲

皐月芽依

第1話目覚め

「………おい! 」

(何だよ…)

「……おい! 」

(うるさいな…)

「…おい!しっかりしろ!! 」

(…!? )



 ―――聞き覚えのある声に目を開けると、その声とは裏腹に見覚えが無い顔が目の前にあった。―――



 目の前にいた男は、聞き覚えのある声の主と異なり、無精髭を蓄えていかにも軍人といった顔でスポーツタイプのサングラスに似たゴーグルにヘルメットを被った戦闘服姿で、自分が目を開けた事からか安堵の表情を浮かべていた。

 意識がはっきりしていくにつれ、段々と状況が判明してくる。

 そこは銃声や砲撃音に包まれ、断末魔の叫びと怒号が響き渡り、大量の銃弾が飛び交う戦場だった。

 目線を自分の身体に向けると、自身も戦闘服に身を包み小銃を抱えており、どうやら崩れかけたコンクリート壁にもたれかかっていた様だ。

「やっと気が付いたか!?作戦参謀本部から戦略的撤退命令が出た、これだけの弾幕の中で気絶してたら犬死だ。亮二!早く退くぞ! 」

「退くってどこに!? 」

「とにかく着いて来い!一先ずは安全な場所に退く!話はそれからだ! 」

 銃声や砲撃音にかき消されぬ様に大声で話すがそもそもこの男が敵か味方かどうかさえわからない現状で、素直に着いていってよいものか甚だ疑問だ。

 だが自身を守っているコンクリートの壁もいつ崩れるかも解らぬ状況ではどう動いても被弾するのは時間の問題であるし、そうなると捕虜になるか最悪の場合、死あるのみだ。

 ならば今は僅かでも生存の可能性がある事に賭けてみるしかない。

とにかく目の前の男に着いていく他は無さそうだ。

「立てるか? 」

 立ち上がろうとすると全身に激痛が走った。

 だが、それでも全く動けないわけではない。

「…っ。何とか動けそうだが、足手まといになるなら身捨てろ」

「そんな事出来るか!肩を貸すからとにかく退くぞ! 」

 言うが早いか動くが早いか、俺を引き起こして肩を組むと、壊れた塀や瓦礫を盾にして、飛び交う銃弾を避けながら後退していく。

 彼は自分より少し体格は良いが、自分に肩を貸した状態でもかなり上手く立ち振る舞うあたりを見るにそれなりに力強いとみえる。

 いくら軍人として訓練を受けたであろうとは言え、自身の装備とは別に、小銃を背負った人間を抱えてここまで動けるのは驚きだ。

 そして、しばらく行くと廃墟と化した街中で迷路の様に入り組んだ路地に入りこむ。

 ここなら車両は入ってこられないし、周囲を建物で囲まれている為、被弾する心配も無いだろう。

「とりあえず一旦、休憩だ」

 そう言うと彼は俺を地面に下ろし壁に寄り掛からせる。

 そして、横に座りおもむろにポケットから煙草を取り出して火を着けた。

 普段の交友関係で喫煙者は多いし、煙に不慣れな訳ではないが煙草は吸わないから煙たくないと言えば嘘になる。

「お前も水筒の中身を飲んでおいたほうがいいぞ。俺が見つけた時、酷く汗を掻いていたからな」

「了解」

 混乱していて気にならなかったが、こうやって落ち着いてみると酷く喉が渇いている事に気付く。

 腰にぶら下がっていた1リットルは入っていそうな水筒を手にして口をつけると、その味は明らかに経口補水液のそれに他ならず、お世辞にも旨いとは言えない。

 水筒の中身はまだまだ充分にあるが、この先の事を考えてあまり飲み過ぎない方がいいかもしれない。

「それにしてもこの状況はキツイな」

銜え煙草で唐突に彼は言った。

 確かにそうだ。

 いくらここが車両の入って来られない様な狭い路地で、周囲を廃墟に囲まれているとはいっても二人きりだし、自分は怪我人だ。

 もし、今敵軍の兵に追いつかれたらそれこそ多勢に無勢、それこそ言ってしまえば“死亡フラグ”だ。

「ところでお前は傷とか大丈夫か?一見した所だと目立った外傷こそ殆どないが、榴弾砲の爆風で吹き飛ばされて気絶していた様だけどな」



 ―――吹き飛ばされて気絶していた―――



 そうは言われても、自分自身の記憶では昨夜は友人と居酒屋で飲んでから帰宅してシャワーを浴びてから布団に入り、目覚めたらこの状況に置かれているという事でこれは悪い夢だとしか思えない。

  むしろこれが悪い夢ならば早く目覚めてしまいたいというのが本音だ。

「それ以前に何で俺は戦場にいるんだか、そっちの方が疑問だ。これが夢なら早く覚めてしまいたいね」

 夢か現実かはさておき、どうしても本音が出てしまう。

 「ふっ…。どうやら頭を強く打って記憶が混濁している様だな。自分が誰なのか知りたいなら首からぶら下げてる認識票を見てみな」

 この男からすると記憶喪失した兵士を見るのは慣れているのだろう。

 全く動じていない。

 人間という生き物は危険な状況に瀕した時に五感を外部からシャットアウトする事があると、どこかで聞いた気がするが、目覚めたら戦場のド真ん中にいたというこの状況はそれとは全く違う。

 言われた様に首からかけているペンダントに付けられた金属製の板に目を向けるとそこには“JAPAN SODF”という見慣れない名称の様な物、自身の名と姓、謎の英数字の羅列に血液型がアルファベット表記で刻印されていた。

 恐らくこれが認識票なのだろう。

 戦場にいる事からしても自身がいわゆる“兵隊”である事に疑いは無いし、姓名や血液型に間違いは無いし、謎の英数字の羅列は恐らく識別番号なのだろうと思うのだが“JAPAN SODF”という見慣れない名称の様な物に関しては所属なのだろうということ以外は全く見当がつかない。

 俺が知る限り、自衛隊の略称は英訳のJapan Self Defense Forceの頭文字からJSDFと表記されるし、もしも陸上自衛隊の所属であるなら“JAPAN GSDF”という表記が公式的な略称である。

 つまりいくら戦場にいたとしても“JAPAN SODF”というものは何の事か見当がつかなかった。

「思い出したか? 」

 煙草の煙を吐き出しながら男は問いかけてくる。

「名前や血液型は合ってるし、この英数字の羅列は識別番号だろうけど、この“JAPAN SODF”というのは? 」

「それも忘れてるとなると、幼馴染の俺の事も忘れちまったか? 」

「すまないのだがその通りで、その声に聞き覚えはあるが、見た目がだいぶ違っているし、何よりも起こされる直前の記憶はアパートの部屋で眠りに就いたところだ」

「こいつは相当重症だな。とにかく、お前の記憶障害は後で軍医に診てもらうにしても何か気にして警戒が疎かになるのはまずいな。とりあえず俺が答えられる範囲で答えるが、“JAPAN SODF”ってのは“JAPAN Special Operations Defense Force”要するに“日本国 特殊作戦国防軍”の略称だ。どっかの平和ボケした馬鹿総理がやった法改正で日本は、なし崩し的に“戦争出来る国”になったのを良い事に、悪乗りが過ぎた馬鹿な政治屋共が何の考えも無しに“集団的自衛権”を行使しまくった結果がこのザマさ。“NATO”やら何やらを中心にした多国籍軍に参加してドンパチやってたら退くに引けなくなって気付いたら兵員不足から徴兵制度も見事に復活して、どっかの土人国家よろしく俺らも赤紙召集されて中東の最前線の真っ只中って事さ。まぁ何かの間違いか解らんが肩の階級章を見ての通りに俺らはいきなり伍長とかいう下士官待遇だったのは救われたがな」

「階級とか解らんが偉いのか? 」

「まぁ一応は兵卒より上だが、下士官の中では一番下っ端だ。一階級昇進してようやく軍曹だ」

「なるほど…」

「で?落ち着いたか? 」

「あぁ。なんとかな。ただ、逆に身体中が痛い」

「そうか。腰のポーチを開けてみな。中に鎮痛剤があるはずだからな」

 言われるがままポーチを開けると中には絆創膏にガーゼや包帯、消毒薬に折り畳み式の小さなハサミといった簡単な応急処置キットの他に数種類の錠剤のシート数枚が入れられていた。

 恐らく用途に応じて使い分けるのだろう。

「銀のシートの奴をとりあえず飲んでおけ。鎮痛剤は銀、金、赤の順で強い物になってる。用量は頓服で1錠だ」

「了解」

 言われた通りに錠剤を取り出し、水筒の経口補水液で飲み込む。

 正直な話をすると、この際、井戸水でも構わないので普通の水が欲しい。

 だが、ここは中東の乾燥地帯で水は貴重な物だろうし、ましてや最前線ではその様な贅沢は言っていられない。

「とりあえず、撤退命令で聞いたところだと、ここからさらに30km北上した場所の前線基地まで行けば何とかなるだろう。そこが無事ならの話だが。」

「30km!?かなりあるな…」

「フルマラソンが42.195kmなのに比べたらたいした事ないだろ?初心者でも6時間あればフルマラソンは完走出来るからな。休み休みで行っても日没前頃には到着出来るんじゃないか? 」

 そう言われて初めて時計を見たのだが、やはりといった具合に見事に壊れており、ガラスは砕けていて、針は曲がって飛び出していた。

「今の時間は? 」

「まだ10時前だ。大体8~9時間あれば何とかなるだろ? 」

「確かにな…」

 一般的な人間の歩行速度は概ね分速80mと言われていて、案内看板などで見かける“駅から徒歩何分”という表示はそれを元に算出されている事からしても、彼の言う通り30kmなら普通に進めば7時間も掛からないだろうし、ゆっくり進んだとしてもそのくらいの時間で到着出来るだろう。

 ただしそれは、何も無ければの話になるのだが。

 とりあえず鎮痛剤が効いてきたのか、何とか起き上がれる様になったので彼の肩を借りながら再び前進する。

 廃墟と化したこの街は、目覚めた場所とは打って変わって全てが静まり返り本当に不気味な静寂が辺り一帯を支配している。

 それどころか虫一匹見当たらない。

 いくら廃墟とはいえ、中東ならばサソリの一匹もいそうなものだ。

 ただ、ここまで静まり返っていると逆に敵の存在には気付きやすそうで、万が一の時も何とかなりそうだし、姿を隠す為に建物の影を進んでいるので直射日光は浴びないため、気温が高い割に暑苦しさはいくらか軽減されているが、とにかく今は無事に辿りつける事を祈るばかりだ。

 それにしても、敵軍はもとより友軍と接触する気配が無い事が異常で、その事がまた不気味さを醸し出していた。

 だが今はその様な事を考えるより先に進む方が先決だろう。

 第一、このまま二人でいたところで、何か変わるとは考えられないし、発見されれば捕虜になるか殺されるかというネガティブな思考しか思い浮かばない。

 なにはともあれ、時折休憩をとりながら何とか廃墟の中を進む。

 目が覚めてからどの位時間が経っただろうか。

 壊れた時計では時間は解らないのだが、太陽の傾きから大方の時間は何となく把握出来るのだが、はっきりとした時間は一緒にいるこの男に聞かない限りは不明である。

 とにかく今は先に進む事が先決であるが、夜間になればより危険性は増すし、それより早く的確な治療を受けたいのが本音だ。

 体感的な時間はかなりのものになっているが、空はまだまだ明るく気温も高い。

 日本とは気候が異なるものであるということを考えても体感時間と太陽の傾きから見たおおよその時間に大幅にズレが出ている。

 とはいえ、行動しているからか腹は減る。

 だが、ここは廃墟と化した市街地の中であり、草の根一本生えていない。

 まして、こういった気候においては空腹を紛らわす為に水を飲めばかえって脱塩による熱中症を引き起こしかねない為にそれもはばかられる。

 何にせよ基地が無事であればそこに着けば食料や飲料水は何とかなるだろうから、とにかく今は辛抱するしかなさそうだ。

「このペースなら間違いなく日没までに到着出来そうだな」

 不格好な端末を見ながら男は言う。

 どうやらGPSで現在地を割り出している様だ。

「あとどの位だ? 」

「おおよそだが、大体10kmちょっとと言った感じか?4時間でここまで来れれば心配は無いだろう。仮に基地がやられてたとしても、最悪何かしらの補給物資は手に入ると思うからな」

 彼の言う通り“あと10kmちょっと”だという事が本当の事であれば肉体的に問題が無い状態なら軽くジョギングして90分もあれば到達できる距離だろう。

 だが、今は全身を強く打っており鎮痛剤で痛みを誤魔化しながら何とか前進している状態に他ならない。

 恐らくはその倍以上の時間は要するだろう。

 だが、そこまで近づいたのなら敵軍に遭遇する確率は大幅に低下する。

 もちろんそれは基地が無事であった事を前提とした話になる。

 もし、本当に基地が無事であったならそろそろ友軍の人間とも合流できる確率も増えてくる。

 そうなった場合、あわよくば輸送車などに乗る事も不可能ではないだろう。

「少し希望が見えてきたな…」

 安心感からかそんな言葉が不意に口を突いて出た。

「あぁ。もう少しの辛抱だ」

 再び立ち上がり、二人で基地を目指す。

 相変わらず中東特有の気候と砂埃には悩まされるのだが、基地まで大幅に近づいたことを知った安心感からか先ほどより気分的にマシだ。

 とにかく今は先を急いで早くマトモな食事と適切な治療にありつきたい。

 前線基地の設備がどの程度の物かは想像できないのだが、俺が知っている自衛隊は災害時に被災者に臨時設営型の簡易浴場を提供していたし、移動式の炊事設備も保有しているはずなので、それなりのモノは期待できる。

 それに、ここが戦地であることを鑑みても、最悪の場合で缶詰やレトルト食品くらいはある筈だし、万が一基地が壊滅していても備蓄設備さえ無事ならば、水とカンパン程度のものくらいは手に入る筈だ。

 昔から“腹が減っては戦は出来ぬ”とはよくもまあ言ったもので、今の状況はまさしくそれだ。

 怪我の程度も素人目で見たレベルでは全身打撲と言った具合の様だが、実際問題どの程度か不明で鎮痛剤で誤魔化しているのが現状だ。

 ただ、人の肩を借りていると言え、それでもここまで歩けた事を考えたら俺の怪我の具合は四肢の骨折は特に無さそうだ。

 旧大日本帝国陸軍には瀕死の重傷を負いながらも単身で敵地に攻撃を仕掛け、捕虜となった際も負傷したまま収容施設を抜け出しては弾薬庫を爆破するなど戦果を挙げて終戦まで生き延び“生きている英霊”とか“不死身の分隊長”と呼ばれたバケモノがいたし、同時代のフィンランドにはスコープを外したボルトアクションライフルだけで短期間に500人以上を狙撃し“白い死神”と呼ばれて恐れられ、顎を撃ち抜かれて顔の半分を失う程の重傷を負っても終戦まで生き延びた敏腕スナイパーがいたし、ナチスドイツには航空機で戦闘中に被弾して、片足を失っても飛行場まで帰還し、手術後は軍医の言う事をシカトして急造品の義足を着けては書類の粉飾を繰り返し、訓練飛行と称しては再出撃を繰り返して異常な戦果を叩きだした事で敵対していた旧ソ連からは“ソ連人民最大の敵”と呼ばれ、乗機であった急降下爆撃機スツーカとその階級から“スツーカ大佐”と呼ばれた空の魔王もいた様だが、彼らは普通の人間とは比較する方がおかしいレベルの話だ。

 それより、現状でこれだけの痛みがある時点で俺もあばら骨の2、3本ぐらいは折れていてもおかしくは無いかもしれない。

 まぁ、先述の空の魔王の歴代の相棒の一人もあばら骨骨折の重傷を負っていても、有無を言わせず魔王の手により無理矢理後部座席に放り込まれた災難にあった者もいたと公式文書に残されているのだが。

 ただ、それもまた魔王の相棒が務まるに値する様な人物だったのだろうからそれも比較対象にならない。

 とにもかくにも今は二人で先を急ぐ事にした。

 出来る事なら小銃や弾薬などの重量物は捨ててしまいたいのが本音であるし、俺のせいでこの男の足を引っ張る様な真似はしたくないので見捨てて欲しいが、この状況であってはいつ会敵するか解らないという問題もあるし、そうなった場合丸腰では間違いなく殺られるし、白旗上げたところで捕虜として扱われる保証も無い。

 そうなってくると今のところは使っていない武器弾薬も捨てる事はできない。

 さらに、この男は自らも疲労が蓄積しているのは一目瞭然であるのにも拘らず俺を見捨てて単独で前線基地に帰還したり、白旗かざして敵軍に投降して捕虜になったりする気は甚だ無いと見てとれる。

 そもそもこの男が言う様に俺が彼の“幼馴染”だったとしても、この極限状態にあっては〈見捨てろ〉と言って見捨てられても恨みはしないし、見捨てた事でどうなろうが、それは本人の意思を尊重しての事であるから見捨てた相手が戦死するという“最悪の結末”を迎えたとしてもそれは非難されるいわれのない事で、仮に俺が彼の立場で“最悪の結末”を迎えたならばどんな手段を講じてでもその相手の“弔い合戦”を勝ち抜いて生き永らえ、戦後はその者が果たせなかった“夢”や“目標”を代わりに果たして墓前に手向けるだろう。

 まぁ今はそれ以前に“敵”が何なのかを俺は知らないという問題も存在している…。

 “敵”の正体が一つの“国家”であれば捕虜となっても国際条約によって保護されるが、いわゆる“大規模国際武装組織”だった場合、人質として扱われ、国に高額な身代金が要求された揚句、殺害されるという描写は戦争映画などで度々描かれる。

 故に“敵”の正体が“大規模国際武装組織”であったなら彼が俺を見捨てない事にも合点がいく。

 考え事をしながらであるが、途中途中に休憩をはさみつつ先を目指してしばらく行くと基地がある方角から定期的に緑色の彩煙弾が打ち上げられているのを目視出来た。

「“緑色”って事は基地が無事だって事だな」

「そうなのか? 」

「あぁ。彩煙弾の色は解りやすい様に基本は道路の信号と同じ3色の煙で状況を伝える事になってる。天候にもよるんだが、カタログ上は彩煙弾の最大視認可能距離はおおよそ3,000~4,000mだからそれ以下の距離まで来れたって事は確実だから到着まであと少しだ」

 彼から基地が無事である事とおおよその距離を聞いた所で、かなり基地に近づいた事を実感し、安心した。

 あとはこのまま無事に基地に辿りつける事を祈るばかりだ。

 だが、一向に友軍らしき部隊の人間と遭遇しない謎が不安感を拭えないでいる。

 しかし、そんな事を考えていても仕方ないし、そんな事を考えている暇は無い。

 彼が俺を見捨てるという考えが無い以上、とにかく今は彼と二人で無事に生還する事を第一に考えて進む他に選択肢は無いのだ。



―――どの位時間が経っただろうか?―――



 基地から4,000m以内に近づいたという情報は、それだけで会敵のリスクが大幅に低下したと言える事は全くの素人でも把握出来る。

 希望が持てた事もあってか、心なしか身が軽く感じた。

 その為、気付くと今までと全く異なった風景が目の前に広がっていた。

 そこは、基地の出入り口なのだろうか、ゲートの代わりか土塁が高く築かれており、その上部には重機関銃や小型の大砲や個人携行ミサイルといった重火器が備え付けられ、その付近には、自動小銃を持った兵士がうろついていた。

 兵士の一人がこちらに気付いて銃口を向けたのを見てか彼は大声で叫んだ。

「日本国 国防軍 特殊作戦軍 第3軍団 第22特務大隊 第8小隊所属!“一条総司”伍長並びに同第7小隊所属!“真田亮二”伍長!撤退命令に従い只今、到着せり! 」

 一瞬自分の耳を疑った…。

 彼が名乗った“一条総司”という名はまさしく俺が苦楽を共にして同じ釜の飯を食って育った幼馴染で俺が知っていたその声の主と一致している。

 だが、今ここでその名を名乗ったこの男は体格こそ似ているが、戦闘で泥まみれな上にかなりの無精髭で俺が知る幼馴染の“一条総司”とはまるで別人だ。

 だが、俺の本名を確かにハッキリと声に出していた。

 確認の為に、自動小銃を構えながら兵士が数名、ゆっくりと近づいてくる。

 いつ撃たれてもおかしくない状況であるからか、一秒一秒が非常に長く感じられた。

 銃口を向けられながら認識票や肩や襟に縫いつけられた部隊章や階級章など様々な物を確認される。

 撤収の混乱に乗じて敵兵の侵入を許してはせっかく耐えた基地もやられてしまうことは素人でも解る事であるから慎重に確認される事はやぶさかではないにしても、せめて小銃を一斉にこちらに向けるのはやめてもらいたいものだ。

 とても長い時間に感じたが、一通りの確認が済んだ事を確認作業に当たっていた兵士が合図を出すと一斉に銃を降ろし、先ほどとは打って変わって一斉に敬礼してきた。

「確認作業完了しました!ご協力感謝します! 」

 この様子や口調で判断する限り彼らは俺たちより下の階級なのだろう。

 安心した俺を横目に一条も彼らに対して普通に話を始めた。

「とりあえず真田伍長は見ての通りだ。早く軍医に診てもらう必要がありそうだから車を手配してもらえないか?ダメならそこのサイドカー付きバイクと誰か一人借りたいからここの班長以上の人間と話がしたいが構わないかな? 」

「もちろんです伍長殿。司令部からの通達で帰還兵は確認次第、階級に関わらず基地内に運ぶよう指示されていますので、私がサイドカーでお送り致します。では部隊長に報告次第、出発しましょう」

「じゃあお言葉に甘えて貴殿が報告に行ってる間に彼をサイドカーに乗せておく事にさせてもらうよ」

「了解です」

 報告に向かった兵士以外の兵士にも手伝われる形でサイドカーの座席に座りこむ。

 足早に先ほどの兵士が戻ってバイクに乗るとその後部に一条が乗り込み移動を始めた。

 サイドカーから見る景色では先ほどと同じ様な土塁が交互に築かれ動線はまるで“あみだくじ”の様だ。

 恐らく、この様に配置する事で敵軍が攻めてきた際に少しでも時間稼ぎが出来るように考えられての事なのだろう。

 安心した事も手伝ってか眠気に誘われる。

 だが、度々発せられる発煙弾の発射音が近づいてきた事もあって眠りそうになるとその音で起こされてしまう。

 そうこうしているうちに最終ゲートを潜り、基地内に入った。

 そして、そこからしばらく行くと診療所の様な建物に横付けされた。

「ここが基地の病院施設になります」

「わかった。真田伍長は俺が後は面倒見るから貴殿は配置に戻ってくれ。ここまで送ってくれた事に感謝する」

「了解です。では私はこれにて失礼します」

 サイドカーの座席から降りると、再び一条の肩を借りる形で病院施設内に入る。

 中に入ると赤十字の腕章を着けた衛生兵が駆け寄ってきた。

「御無事で何よりです」

「衛生兵殿。軍医殿は今お忙しいでしょうか?私はこの通りかすり傷だけだからシャワーを浴びて適当に絆創膏でも貼れば事足りそうだが、真田伍長は見ての有様でおまけに記憶喪失と来た。そういうわけで出来ればすぐに診て頂きたいのですが。」

「了解です。ではここからは私たちにお任せ下さい。早急に軍医殿に診断して頂ける様に手配します」

「では、お願いいたします。では私は色々と手続きして、シャワーを浴びさせて貰う事にします。あと、応急処置キットの様な物はありましたら頂きたいのですが」

「手続きの類は全て向かい側の建物でお願いします。他の案内などもそちらで受けられますので。それからこれをどうぞ。傷薬と各種絆創膏、包帯、ガーゼが入っています」

「感謝します」

 一条は、ティッシュペーパーの箱より少しばかり小さい箱を衛生兵から受け取り、敬礼を交わすと、俺を近くの長椅子に下ろした。

「そういう事だから、俺は一旦離れる。後は衛生兵殿の指示に従ってくれ」

 そう言い残して一条はそそくさとその場を離れたのだが、今は負傷者や軍病院施設関係者以外に周りに自分より階級の上な人間がいないと見たか、出入り口外のスタンド灰皿の前で立ち止まるとまた煙草に火点けていた。

 俺が知る一条総司という男もヘビースモーカーで本人曰く“酒も煙草も安くて強い奴でないと満足出来ない”という理由からリトルシガーというフィルター付き葉巻や旧三級品と呼ばれる税金が低く抑えられている物か、自宅の灰皿から回収した吸殻をほぐして安物のパイプで吸うか、たまに気まぐれで不思議な匂いのする変わり種の煙草しか吸わない。

 全く吸わない俺からするとそのお陰で変な煙草の知識は付いたが、吸殻をほぐしてパイプで吸っているあたり単に煙草代をケチっている様にしか見えないのだが。

 そのあたりを考えて目線の先にいる“一条総司”を名乗る男は俺の鼻に間違いが無ければいわゆる“普通の煙草”を吸っていた。

 ここが戦場で、彼が好む“強い煙草”とやらが手に入らないのであるとして、俺が知る“一条総司”ならフィルターをちぎるなどして吸うはずだ。

 以前、二人で居酒屋で飲んでいたときに販促キャンペーンでもらったサンプルの煙草のフィルターをちぎって吸っていた姿が印象的だったので間違いない。

 まぁ、彼が本当に俺の知る“一条総司”と同一人物ならば彼が言っていた“手続き”とやらを行えばすぐにわかる事だろう。

 とにかく今は衛生兵の指示に従って軍医に傷の具合を診てもらう方が先決だ。

 そんな事を考えていると唐突に衛生兵から話しかけられる。

「とりあえず伍長殿、軍医殿が来るまでに私の方で問診させて頂いても宜しいですか? 」

 先に出て行った一条を名乗る男が敬語口調で話していた所を見ると階級が上なのか、戦場という環境下では衛生兵や軍医は他の兵士とは階級が関係ない特権階級なのかもしれない。

 常識的に考えても、軍医や衛生兵が他の兵士と階級で立ち位置が変わってしまうと傷病者の治療やその他の衛生環境の整備に支障をきたすし、それで様々な問題が起こっては戦線が維持出来なくなってしまう為、特別待遇にした方が良いだろう。

 とりあえずここは一条に倣っておいた方が無難だろう。

「えぇ。勿論です」

 俺の返事を聞くと衛生兵は何やら液晶端末を操作しながら色々と質問してくる。

 質問内容自体は特に特別変わった物ではなく、一般的な整形外科などと殆ど同じだ。

 丁寧に一問一答に答えて行くが“負傷時の状況”は全くわからないので答えようがない。

 とにかくありのままを話さないと状況は好転しないだろう。

「負傷時の状況はもとより、私は“一条伍長”に発見され、起こされる前の記憶がありません。正確な事を言うとシャワーを浴びて布団に入り、目覚めたらそこが戦場で、正直な話かなり混乱しています」

「なるほど…。では、脳神経外科を特に専門としていた軍医殿に任せた方が良さそうですね」

 日本の医師免許は全科目共通のものである為、極端な話をすると耳鼻科医でも設備さえあれば一応のところ盲腸などの手術も出来るのだが、やはり専門科目を重点的にやるため専門分野の医師と比べてしまうと微妙に優劣が付いてしまう。

 脳神経外科医という事であれば外科手術も行うし、精神的な物にも対応出来る。

 そう考えると、この衛生兵はかなり合理的で優秀なのだろう。

 問診結果と俺の話から対応出来る軍医をすぐに選び出し、端末から問診票を送信した様だった。

「伍長殿。あなたは運が良い。丁度今、対応出来る軍医殿の手が空いている様ですぐに診て頂けるとの事です」

「それはありがたいです。しかしながらもう、立ち上がる気力が…」

「ご安心ください。装備品はこちらで預かりますし、すぐに別の者がストレッチャーを持って来ますから、背中の自動小銃等を含めた装備全般を外してストレッチャーに乗る事さえ頑張って頂けたら後は眠って頂いても構いません」

「了解です…」

 問診を行った衛生兵の介助を受けながら、襷掛けにしていた小銃の肩掛けベルトを緩め、小銃を降ろす。

 どうやらいつの間にか一条が締め上げていたと思われるのだが、ついでに言うと小銃の安全装置もしっかりと掛けてあり、戦闘になった時には彼一人で戦う覚悟を決めていたのだろう。

 とにかく色々と着けていた装備品も衛生兵の介助を受けながら外し、認識票と迷彩服だけになった。

 そうこうしているところにストレッチャーを押して別の衛生兵が数名現れた。

 促されるまま俺はそこに横たわった。

 そこからは見知らぬ天井と廊下の両脇に備え付けられた蛍光灯、ストレッチャーを押す衛生兵の人影しか見えず、どこをどの方向に進んだのか覚えていない。

 緊張の糸が切れたのか、そこで意識が徐々に遠のき再び気を失った。

 しばらくすると機械の騒音で意識が引き戻される。

 どうやらMRI検査機の中にいるらしく、全身が器具で固定されている。

 元々痛みから動くつもりは無いのだが、検査の為とは言え、こうやって身体を固定されているのはあまり気分が良い物ではない。

 自身の身体を覆ってゆっくりと動くその筒状の機械は騒音も酷いが、前線基地の病院施設に導入されている事もあってなのか、恐らく旧式の中古品の様でよく見ると使い込まれているのが素人目にもよく解る。

この機械での検査があとどのくらいかかるのか全く解らないが、少なくともこの酷い痛みの原因はここで見つかるだろう。

 そういった面で言えばここは安心して流れに任せていいだろう。

 しばらくすると機械が外れ、軍医と思しき男が室内に入ってきた。

 そして、器具で固定されている俺の顔を覗き込み、目を開けている事を確認するなり、固定器具を外しながら話し始めた。

「目が覚めたかな?真田伍長」

「機械の騒音で叩き起こされましたよ…」

「まぁ。よくある事だ」

 まだ、頭は器具で固定されている為に顔を動かして表情を見る事は出来ないのだが、声色からみてさほど重傷では無かった様に思える。

「それで、自分はどうなんですか? 」

「一通り機械で診た限りじゃあ全身打撲といった感じだな。骨折や内蔵破裂はないから暫く休んで腫れと痛みがひけば肉体的にはすぐに復帰出来るだろう。問題は記憶喪失だが…。」

 とりあえず固定器具から解放されたので、痛みを堪えながら上半身だけ起き上がり、改めて軍医の方向に顔を向けた。

「聞いているとは思いますが、記憶喪失も何も、寝て起きたら戦場にいて、しかも爆弾で吹き飛ばされて全身打撲していたというのが自分の認識です」

「こういう仕事柄、君の様に戦闘でダメージを受けて記憶喪失や混濁を起こした兵士は散々診ているし、珍しくない症状だというのが医者としての見解だが、個人的には復帰前に色々とやった方が良さそうだからその辺も考慮して書類は作成しておくよ。一先ずは抗炎症剤と鎮痛剤で様子見ってところになるし、その他心理療法も並行するからそのつもりでいてくれ。とりあえず今は痛みの方はどうだ」

「かなりキツイというのが本音です」

「それならここは“コイツ”で一先ず抑えておこうか」

 そう言うと軍医はおもむろに注射器の様な何かを取り出し首筋に当ててきた。

 プシュッという音が聞こえたかと思った刹那、意識が遠のく。

 そして、気付くと病室のベッドに寝かされていた。

 よく映画などで首筋に特殊な注射を打って気絶させる描写が存在するが、恐らく先ほど打たれたのはそれと同じものか鎮静剤か何かの一種だろう。

 灯りは消されていたが、窓から入ってくる月明かりのおかげで多少周囲の状況を見る事が出来た。

 その視界には二種類の点滴のパックが見え、心なしか痛みは落ち着いている様に感じた。

 腕を上げて見ると検査着に着替えさせられており、刺さっている点滴のチューブを辿って行くと途中で二股に分かれてそれぞれのパックに繋がっていた。

 鎮痛剤と抗炎症剤は一般的な大衆薬でも大体は一まとめにされているから一方は恐らく栄養剤だろう。

 とにかく病室に運ばれたという事からして安心感はあった。

 今が何時かは解らないが灯りが消されている事からして消灯時間は過ぎているのだろう。

 状況が把握できた安心感と昼間の疲れからか今度は急な睡魔に襲われる。

 空腹感は否めないが栄養剤の点滴を受けているし、そのあたりは我慢して今は睡魔に導かれるまま眠りに就く事にしよう。

 起きていて何か状況が変わるとは到底思えないし、この状況で何か出来る事も無さそうだから。

 どちらにしても次に目覚めるのは元の世界でも、この世界でも朝食の時間だろう。

 そう考えると、次に起きたら何かしら口に出来ることは間違いない。

 とにかく今は眠りに就こう。


 

 ―――どの位時間が経ったのだろうか?―――


 

 いかにも機械的な電子音のアラームで目を覚ます。

 そこはいつものワンルームアパートの一室の布団の上では無くやはりというか何というか目を開けるとそこには無機質な天井があり、見渡すといかにも病室の大部屋の物であるとしか形容できないカーテンで仕切られた部屋の窓際のベッドの上であった。

 眠りに就く前に月明かりが差し込んでいた窓からは朝日が差し込み、その光には眩しささえ感じる。

 空調が効いているからか否かは不明であるのだが、日差しの割にこの部屋は過ごしやすい。

 幼馴染の“一条総司”を名乗る男に戦場で叩き起こされるまで、普段生活していたワンルームアパートの一室であれば、窓を全て開けて風通しをよくしていてもこの様な日差しであれば、夏場は摂氏30度を下回る事は殆ど無く、空調がタイマーで切れると熱中症になりかけて目覚めるのが常だ。

 ましてここが中東ならばこの日差しはそうとうに気温が高いだろうし、そうなると室温もかなり高温になるだろう。

 そう言う面からみても空調はかなりしっかりしていそうだ。

 まだ痛みは消えていないが、痛みを堪えて上半身を起こす。

 改めて周囲を見渡すと、ベッド周りは本当に最低限の設備だけであり、病室の大部屋というよりは学校の保健室と形容した方が適当かもしれない。

 電子音のアラームはどうやら備え付けのスピーカーから流れていた様で暫くすると鳴り止みすぐに静かになった。

 所々からカーテンを開ける音が聞こえ出し同じ様に入院している負傷兵同士の会話が遠巻きに断片的に聞こえてきた。

 やはり、戦場で負傷してここに入院している者が大半であるからなのか、カーテン越しに断片的に聞こえてきた会話から察するにここは下士官用の部屋の様で、ここにいる者たちは戦線復帰を願う士気の高い様にも感じた。

 一度最前線に出ると思考回路が変わってしまうのか“生きるか死ぬか”の状況でも自身の身体や生命よりも故郷に残してきた家族や恋人の事を皆、心配している様だった。

 もっとも、最前線で戦う兵士になったのであれば大義名分が無ければ精神が持たない。

 民主国家であれば政治的な思想で最前線に飛び出したがる人間は職業軍人位なものだし、近代戦では職業軍人でなければコストが膨大に膨れ上がる上に、付け焼刃の教育しか受けていない素人を戦場に投げ込んでも役に立たないだけだ。

 もし、俺が本当に徴兵令で兵役に就いていたと仮定しても、徴兵されてきた人間はそれこそ“何か守るもの”の為で無ければ戦えない。

 たとえ相手からは“もう死んだもの”として扱われていたとしても“自分が戦う事で愛する者が守れるのならば”と考えていなければ戦線復帰よりも負傷を理由にした除隊処分を望む者の方が多くなるはずだ。

 今の俺は目覚めたら戦場にいて、右も左も解らない状態だった事が幸いしてか否か不明であるが、そういうところでは本当に客観的に状況判断が出来てしまう様だ。

 それはそうと、昨日俺を戦場からここまで運んできた一条を名乗る男の事がふと、気になった。

 ヘルメットを被りゴーグルをかけ、泥まみれで髭も伸び放題だった為に俺が知ってる幼馴染の一条総司には思えなかったが、その声にしても独特なイントネーションの話し方にしてもそれは一条総司の他にあり得なかったからだ。

 俺が知っている一条総司という人間は母方の祖父母が地元とは全く別の地方から移住してきた人間であることや、俺と出会う以前は親の仕事の都合から地元を離れ、数年の間に何度も引っ越した事、俺と出会ってから彼が入門していた道場の師範が別の地方の出身者で、その師弟関係から方言がうつってしまった事により5、6種類の方言が混ざったかなり独特なイントネーションと言い回しの話し方をしているし、ここ数年に限ると彼の元婚約者も方言が強い地方の人間だったという事でその影響からか、ただでさえ独特だった話し方に拍車がかかりさらに特徴を強めていた。

 それ故に彼の様な独特な話し方をする人間はそうはいない。

 むしろ独特すぎてそれが彼の一つのアイデンティティーにもなっていると言って過言ではないかもしれない。

 それ故に真似しようとして真似出来る様な物ではないのだ。

 小学校からずっと付き合いがある俺でも模倣するのは困難だし、俺と同じく彼と何かしらの関係をもつ者たちは声さえ聞けば“一条総司”だと認識出来る。

 話し方やイントネーションはかなり独特であるが、他人に不快感は与えないし、師範からは武術だけでなく礼儀作法までをも徹底的に叩き込まれていたため、むしろ縦社会においてはトップから好かれていた様だが。

 そんな事を考えていると、突然カーテンが開けられ、朝食が運ばれてきた。

 金属製のプレートに乗せられたそれはやはり前線基地での物であるからか一度に大量に作れる事があるからなのか、仕切りの中身の大半が煮込み料理で占めており、申し訳程度に白米が盛られていた。

 湯せんで温めただけの缶入り戦闘糧食でも出てくるのかと考えていた分、ちゃんと調理されたものが出てきただけまだよかったのだが、正直な話をすれば街中にあるオンボロ食堂の安い定食の方がまだマシな味だが、贅沢は言っていられない。

 食事を済ませると、トレーを回収しに来た病院付き衛生兵が仕切りになっていた残りのカーテンを全て開けて行った。

 食事のトレーの回収が終わると隣のベッドの男が話しかけてきた。

 腕にギブスをはめて頭に包帯を巻いたその男は見た限り同年代に見えるが口調はかなり丁寧だった。

「すいません。私は陸軍 第3軍団 第11小隊所属で伍長の坂崎俊彦と申します。宜しければお名前と所属と階級を教えていただきたいのですが構いませんか? 」

 坂崎が自己紹介を始めると同室の人間の目が一斉にこちらに向けられる。

 恐らく新入りとして同室の人間に自己紹介を求めての事だろうから全員に聞こえる様に返答した。

「もちろんです。私は特殊作軍 第3軍団 第22特務大隊 第7小隊所属で同じく伍長の真田亮二と申します」

「そうですか。この部屋で特殊作戦軍所属はあなたで4人目ですよ。あと、この部屋には私たちを含め今は伍長だけですから。先日まで私の部隊の上官の曹長が2名いましたが、戦線復帰されましてね。所属は違えども階級が同じなので同じ部屋の者同士、今は皆気を使わずにいます」

 軽く見渡してみた感じではこの部屋は8人収容出来る様だが、埋まっているのは6人分の様だがそのうち7割弱が“特殊作戦軍”の所属ということの様だ。

「要するにここは現状“伍長専用室”といった所ですか? 」

「そういう事です。皆同じ階級ですし、同室になったのも何かの縁だから堅苦しくせず、気楽に行こうと皆で決めたのでお互い楽にいきましょう」

 今いる部屋にいる人間は俺と同じ階級でそれより上の人間がいないという事は幾分か気が楽だ。

 警察なども含めて、こういった縦社会の組織においては年齢や在年数よりも階級で上下関係が決まってしまう。

 それ故に年齢や在年数が短くても階級が上の人間には畏まった態度を取らねばならないし、上の言う事は絶対であり、反抗すればそれなりの始末を受けさせられる。

 現在所属している“国防軍”とやらの体制がどの様になっているかは不明なのだが、俺が知っている“自衛隊”は陸・海・空の3編成で“情報保全隊”や“指揮通信システム隊”はあくまで共同の部隊であるし、特殊部隊である“特殊作戦群”も陸自のみである。

 その為、SF映画等のフィクションにおいてもそれにもれず、怪獣などとの戦闘に特化した部隊は概ね“陸上自衛隊○○部隊”とか“陸上自衛隊○○フォース”などと表現されていた。

 今、この場で把握している情報から察するに“日本国国防軍”はアメリカ軍の陸・海・空・海兵隊・沿岸警備隊で編成された5軍と特殊作戦軍・戦略軍・輸送軍といった機能別の3つの統合軍を模倣して編成を変えたと考えるのが妥当だろう。

 もっとも、俺が知る限り日本はアメリカと異なりアメリカ軍の沿岸警備隊に相当する組織は防衛省ではなく国土交通省傘下の海上保安庁が管轄しており、既得権益等の問題から見ても海上保安庁が防衛省傘下になるとは考えづらいため、恐らくは7編成と言ったところだろう。

 そんな事を考えていると坂崎が再び口を開いた。

「おい、みんな聞いてただろう?とりあえず階級省いて時計回りに真田伍長に自己紹介しようか。」

 先ほどの丁寧な口調とはうって変わってだいぶフランクだが、坂崎がそういうと向かい側のベッドで足を吊るされ首にコルセットを巻いているプロレスラーの様な風貌の男から自己紹介を始めた。

「陸軍 第5軍団 第2大隊 第2小隊所属の真壁真也だ。よろしく頼む」

 向かい側のベッドの男はそう名乗ると軽く敬礼してきたので、こちらも返礼する。

 軍隊式の敬礼は旧大日本帝国陸軍で砲兵をしていた曾祖父の写真で見た記憶もあったのだが、その記憶と向かい側のベッドの男の敬礼を照らし合わせて見よう見まねでと言った感じではあるが。

 それからまた順に皆がそれぞれ自己紹介をしてきた。

 部屋の配置をまとめていくと、出入り口付近の2床は空きで、俺から見て向かい側から時計回りに真壁真也、その隣に橋本正洋、武藤恵一という人物が並んでおり、武藤の向かい側から順に、棚橋学、右隣の坂崎俊彦の順に並んでいる様だ。

 坂崎の言葉通りで真壁と坂崎以外の入院患者は俺を含めて全員が特殊作戦軍の所属で先の作戦で名誉の負傷を負ったということだった。

 同室の人間達の話から推測するに先の作戦は制空権確保の為に対空設備の無力化を狙ったもので特殊作戦軍が正面から攻め込み、そこに横から陸軍の機動部隊による急襲をかける作戦だった様だが、敵軍の反撃は想定外の物で、その防衛力もさることながら、両軍を巻き込んだ多弾頭型の超長射程ミサイルによる広域攻撃によって大打撃を受けてしまったのだそうだ。

 彼らの話からすると多弾頭ミサイルという物はクラスター爆弾をミサイルに搭載して大量の爆発物をばら撒く様な物で“面”による制圧が目的であるため、交戦中の場所に撃ち込むのは自軍への打撃にもなりかねないものである為、敵軍からしても余程の激戦であった様だ。

 それに加えて陣地からの攻撃も並行して行われていたとなるとかなりの打撃力があった為に“戦略的撤退”を強いられたのだろう。

 それだけの激戦に俺自身が巻き込まれていたという事を聞かされると記憶に無くとも冷や汗が出た。

 これが夢であったと仮定しても、今ここでこうして生きている事はここまで運んでくれた一条総司に感謝すべきだろう。

 ここに来るまでの記憶では俺が持っていたのは自動小銃と拳銃等の最低限の装備品のみであってそれで最前線の激戦地にいたとしたら相当危険だったといえる。

 もっとも、仮に吹き飛ばされた弾みで無くしていた装備があるなら話は別であるのだが。

 この世界での俺自身にどれだけの能力があったかは不明だが、アクション映画やゲーム等で描かれるステレオタイプのワンマンアーミーはベルト給弾式の重機関銃や四連装ロケットランチャーなどの大型重火器を装備し、サイドウェポンとしてマシンピストルをホルスターに差して戦場を駆け巡り、それこそ一騎当千の大暴れをしているし、リアリティーを持たせた戦争映画でも個人兵装はそれなりのものを装備して、分隊規模では迫撃砲や大型の重火器を扱っていることから考えても最低限の装備しかなかったが生き延びられたのは一条の助けがあったからなのだろう。

 もっとも今置かれているこの状況が夢である事を祈っているのは言うまでもないが…。

 はっきり言っていわゆる“夢落ち”であればそういった最低限の装備品しか無かった事にも合点が行くし、時間経過の早さも納得出来る。

 しかし、この身体にくる痛みはまるで夢とは形容しがたい物があるし、正直な話をすると感覚的に夢とは思いがたいのだが。

 だが、そんな事を考えていても埒があかない。

 とにかく今はこの状況に嫌でも適応せざるを得ないだろう。

 同室内の者達と暫く雑談に興じていると、一条が俺のもとを訪ねてきた。

 病室に置かれていた丸椅子に腰かけた彼は基地の設備で身嗜みを整えてきたのか、その姿は俺が知っている“一条総司”その人に限りなく近い風貌に変わっていた。

 俺がよく知っている彼は柔道と剣道をそれぞれ6年やっていた他に建築現場でのアルバイト経験があった事で確かに体格は良かったのだが、今目の前にいる“一条総司”と異なり筋骨隆々というよりはプロレスラーの様な体型と言った方が解りやすい姿をしていた。

 相変わらず煙草臭い事とその顔は完全に俺が知る“一条総司”その人なのだが。

「昨日の今日で何だが、調子はどうだ? 」

「色々と検査して見立てを聞いた限りじゃあ全身打撲と記憶喪失って事らしい。今は鎮痛剤や抗炎症剤が効いているお陰なのか昨日に比べたらだいぶマシだが、いたる所が痛くてかなわない…」

「そいつは余程だな。俺が把握している情報だけで話をするが、先の戦闘で大打撃を被った事から現在の部隊を再編する事になるらしい。他のところは知らないが、作戦の立て直しで俺たち特殊作戦軍就きには暫くはこの基地で待機命令が出ている。詳しい話はこの封筒の中に書いてあるからお前はその封筒の中身と軍医殿の指示に従うしかないみたいだ。」

「なるほどね。で、お前はそれを届けに来たって事か? 」

「そういう事だな。まぁ、直属の上官で大隊長の古谷秀一大佐は俺たちが古い付き合いだって事をデータで見てこの指令書を俺に持って来させたんだろう。あの人はそういうところまで気を使ってくれる人だからな」

「なるほどね…」

「あの混乱で俺たちを含めて殆どの人間はこの基地までバラバラに帰還した様だが、第22特務大隊は全員生還出来たと大佐から聞いている。まぁお前を含めて重傷者がかなりいるって話だが」

「他のところは? 」

「それなんだが、全体の被害状況は大佐も把握しきれていないという話でな。この基地に帰還した人間のリストで第22特務大隊所属の人間が全員生還出来た事とそれぞれの負傷状況やら何やらをやっと把握できたらしい」

「なるほどね…」

「まぁ。他より人数が少ない特務大隊とはいえ1500人規模の人数を全て把握するのはいくらデータ化されているとはいっても一晩じゃ無理だからな」

「それもそうか…」

「まぁ運が良いのか敵さんは深追いしてこなかった様で防衛ラインは無事だったらしく膠着状態で落ち着いているらしい。参謀本部からの指令を含めて現状は何も出来そうにないってのが大佐の見解だ。そういうわけだから今は余計な事は考えずに治療に専念してくれ。」

「そうは言っても、封筒の中身次第じゃないのか? 」

「まぁそうだが、内容は俺が貰っている奴と同じだろ?とりあえず俺は命令通りに指令所の封筒を届けたから失礼させてもらう」

「あぁ。命令とはいえわざわざすまなかったね」

「気にするな」

 そう言うと彼は立ち上がりながら丸椅子を片づけそそくさと部屋から出て行く。

 部屋の全員に向け敬礼し出て行くのを確認したので封筒の口を破いて中の“指令書”を取り出し内容に目を通す。

 指令書と言うと堅苦しい文言が並んでいるかと想像していたが、一般的な通知文書と同じ文体で簡潔に解りやすく書かれていた。

 その内容をさらに簡潔にまとめると大体は次の様な感じになる。



 ―――


・この戦域に配備されている統合軍就きは大隊内で再編される。

・負傷兵は軍医の指導の下、治療に専念し、軍医の判断にて戦線復帰となる。

・再編に伴い役職は一度外され、再編時に新たものと置き換わる。

・所属変更に伴う指揮管制体制の変更通達は適宜行われる。

・再編計画が完了するまで、帰還兵は全員この基地で待機。


 ―――



 ざっと見て要点はこの様な感じだが、再編となると所属部隊と兵科は変更される可能性が高い。

 意識が目覚めたとき、俺は被爆して吹き飛ばされていた様だし自動小銃等で武装していたという事から考えると、恐らく配備されていた小隊は砲科か歩兵科と言ったとこだろう。

 そういう所であれば記憶が無かろうがとりあえずは何とかなると思えるのだが、戦車部隊等の配属となった場合はそれなりの知識やスキルが要求される。

 ハッキリ言って、できれば遠慮したいのが本音だ。

 どちらにしても軍医の判断で決まるのは確定事項であるようだから流れに任せる他にはなさそうだ。

 指令書に目を通していると、軍医が回診に回ってきた。

 それぞれの負傷者の傷の具合や精神状態などを診断し、電子端末に書き込んでいく。

 一般的な病院でも電子カルテ化が進んでいたのだが、ここまででは無かった様に記憶している。

 俺の場合は、記憶喪失に加えて所々のかすり傷と全身打撲だったことから記憶喪失さえ無ければ、痛みと炎症が治まり次第、退院出来たというのが軍医の見立ての様だが、記憶喪失も何も寝て起きたら戦場にいて、しかもそれなりのダメージを受けていたとあっては、そのあたりも含めてかなり錯乱している。

 仮にこれが夢だったとしたら再び眠りに就くか“戦死”した時に元の日常に戻れるのではないかとさえ考えてしまう。

 だが、本当に記憶喪失でこの状況が現実だったとしたら?

 その場合“戦死”という選択肢はそれこそ最悪の結末に他ならないだろう。

 仮にこれが現実ならそれはそれで上等だ。

 今ここで生きている俺は他の誰でもないし、目覚める前の俺にも失う物は何一つ無かったわけで、この世界でもそのままなら万が一“戦死”したところで本気で悲しむ人間はごく一部限られている。

 ならば、兵士として職務を全うして終わりにしよう。

 ここでの記憶が無いのなら今ある記憶をベースに新しく作っていけばいいだけだ。

 そう考えると、軍医には申し訳ないのだが、嘘をついてでも戦線復帰した方が良さそうだ。

 その日は他に何事も無く時間が経過し、消灯時間を迎えた。

 一条が帰った後は食事の時と定期回診の時間以外は殆どの時間を同室の面々と談笑して過ごしていたし、それで何か思い出したりするような事も無く一日が終わった。

 それから数日は同じ様に日々が経過し、負傷度合いが低い者から退院し、一先ずは再編前の部隊に戻っていった。

 俺の負傷具合は軽度の方だったのだが、記憶障害を理由になかなか復員の許可が下りなかった他、様々な検査でも記憶障害が顕著に見られたらしく、同室の人間達との談笑時に知り得た情報を元に問診で嘘をついてまで記憶障害とされた症状を誤魔化そうと画策したのだが、さすがに機械は騙せなかった様だ。

 そのせいかどうかは不明だが一度別病棟の個室に移動となった。

 個室とは言っても隔離病棟の様なものではなく、ここが軍の前線基地にある病院である事を除けば一般的な病院の個室と変わらない。

 相部屋と異なりトイレや洗面台も室内に配置されているため、喫煙者でもない限り外部に出る必要は全くない為、鍵こそ掛けられていないが事実上隔離状態ではある。

 そのためか、かなり退屈だ。

 それを察してか否かは不明ではあるのだが、訓練教本や主要装備の説明書などの資料が室内の本棚に所狭しに置かれていた。

 痛みと炎症は殆ど落ち着いた為、検査などがなく部屋で過ごす時は退屈しのぎにそれに目を通していた。

 教本や武器の取り扱い説明書はイラスト付きで解説されており、内容も解り易く書かれていて、全くの素人が読んでも内容は理解できるだろう。

 そのお陰か知識の上でならいつでも戦線復帰出来そうではあるが、能力は恐らく一兵卒以下だろう。

 現状ここは敵部隊からの攻撃もなく、再編についての新しい指令書も届かない為、完全に軍医の指揮下に置かれていると言って差し支えない。

 先に一条から渡された指令書にも負傷兵は軍医の指導の下養生し、回復の診断を受け次第、元の部隊に復帰とあった事からしても今は全てが軍医次第といえる。

 肉体的な傷は、もう完全に回復しているから問題は無い。

 だがしかし、ここでの俺は記憶喪失扱いだ。

 それに、元の世界の俺は何の訓練も受けていない素人に他ならない事からも、今ここで教本やマニュアルの類を頭に叩き込んだ所で、実際に身体がその通りに動くとは到底考えられない。

 とにかくこれが夢であるなら、早く目覚めて元の平穏な日常に戻る方法を模索する事が優先されるし、現実だったとしたら一刻も早く適応してこの“戦争”を生き延びる他ない。

 生きて帰国さえすれば、何かしらの謎は解ける筈だ。

 そう考えつつ教本やら何やらを頭に叩き込んでいると、また何日か退屈に日々が経過していた。

 戦争中だというのに、この基地が攻撃を受けずにいるのは少々不気味さすら覚えていたのだが、そのお陰で軍医から色々と聞き現在の状況を把握する事が出来た。

 先の大規模な戦闘で双方共に甚大な被害を受けてしまい、トップ会談で一時的に停戦合意がなされたという事らしい。

 停戦合意とは言っても完全な物ではなく、形骸的なもので本当に一時的な“停戦合意”で、それこそ互いに利害が一致した時間稼ぎの為のものと言って差し支えない様なレベルの“停戦合意”だそうだ。

 それ故、いつ一方的に合意が破棄され再び戦闘が開始されるか解らない状況であり、兵力の撤収は行えないどころか、出来る限り増強せざるを得ない故、肉体的に復帰出来そうな者はその場で待機となっているらしい。

 そうなるとまた厄介で下手をしたら俺は記憶喪失扱いのまままた再び戦線復帰となるだろう。

 だが、贅沢な事は言っていられない。

 この際、戦線復帰するならするでまた違った角度からのアプローチをすれば良いだけの話でもあるのだから。

 実際、自分でも現状への適応能力には驚いているくらい状況に適応出来ていると思う。

 その為か否かは不明確であるが、実際問題この状況下で尚、気分的には落ち着いている。

 極端な話、目覚めた時が爆風で飛ばされて気絶していた状態だった事から考えて同じ状況に陥れば恐らくは元の状況に戻れる可能性が高い。

 むしろ、SF映画やコンピューターゲームで描かれるパラレルワールドから帰還する方法の大半が“死を前にした転生”だったり“極限状態に置かれた時に何者かの力によって別の世界に導かれそこで任務を果たすと再び元の世界に帰還出来る”といったシナリオがお約束になっている事からして、そういう類の空想怪奇伝を初めて書いた者はそういう経験をしたと考えても違和感は無い。

 そう考えたらいわゆる“お約束パターン”に準じて再び戦場に出るのもまた一つの方法と言えるのかもしれない。

 しかし、そこで本当に元通りになるという確証は無い。

 だが、それでも可能性が1%でもあるならそれに賭けてみる他ない。

 もしも、その選択が間違っていたとしても、この状況下では他に選択肢は無いだろうし、だからと言ってそれで悔むことは無い。

 とにかく今はこの状況下で出来る事をやる以外に手は無い。

 不思議な事に、考え方を変えてみると周りの状況の見え方も変わってくるもので、さらに数日経過すると、この状況がまるでゲームの中にいるだけの様に感じてきた。

 その為かどうか不明だが、部屋に置かれていた教則本や弾薬の取り扱い説明書といった類の書物がまるでゲームの攻略本の様な感覚で読めてしまう。

 そうなって来ると不思議なもので、今までは理解し難く感じた装備品のカタログスペックや操作方法、その用途や特殊な使い方などがスラスラと頭に入っていった。

 とはいっても所詮それは知識だけの話に他ならず、実戦で使えるかどうかという話は別問題だ。

 点滴や飲み薬、絆創膏などの邪魔な付属物が無くなった事から書物に目を通す傍らで、腹筋や腕立て伏せなどの簡単な筋力トレーニングを並行して身体を鍛え、いつ戦場送りにされても大丈夫な様に準備を行った。

 それを知ってか知らずか軍医からは相変わらず“記憶喪失扱い”であるものの、復帰に向けたプログラムが言い渡された。

 その内容としては軍の医療関係者と指導教官経験者主導で、他の負傷兵がリハビリで行っている戦闘訓練に参加して兵士としての錬度を上げ、最低限一兵卒以上のものとし、その傍らで様々な心理療法を並行して受け、戦闘部隊に復帰出来る様にするというものであった。

 その訓練は初歩的な射撃訓練から銃剣道、ナイフ戦闘術に徒手格闘といったものから建築現場の足場の様な簡易的な櫓からワイヤーに吊るされて飛び降りる疑似降下訓練など多岐に渡るものであったが、いわゆる詰め込み教育でそれぞれの訓練時間は凝縮されたものになっており、日数的にはさほどかかるものでは無かった。

 実際に訓練を受け始めてみると不思議なもので、いくら説明書が頭に入っているとはいえ、初めて手にする銃火器であるはずなのにまるで使い慣れたかの様に扱えた。

 いくら訓練とは言え、それなりに熟練した腕の人間でも拳銃で動く標的のど真ん中に命中させるのは至難の業であるのに、俺は無意識にそれを容易くやってしまった。

 それどころか、本来は狙撃には向かない自動小銃で50m先の標的のど真ん中にスコープ無しで何度となく命中させるなど通常ではあり得ない事が起きてしまった。

 何十発も撃ったうちの一発や二発が標的の中心を捉える事は偶然でもあり得る話だし、教本から得た知識だが、使用した自動小銃がドイツのヘッケラーアンドコッホ社製のG3自動小銃の様に口径が大きく命中精度にある程度の定評があり、派生形に狙撃銃が存在している物であれば、素人でもある程度の命中精度は期待出来る。

 だが、俺が使った物はそれとは全く違う。

 俺が使っていた自動小銃は教官の話では、日本国内の銃器メーカーである豊和工業製の89式5.56mm小銃で、自衛隊時代から正式採用されていた自動小銃らしく、世界の主要な自動小銃と比較した中では命中精度が高いものではあるが、狙撃向きではないらしい。

 さらにG3の7.62mmと比較して口径が小さく、それ故に弾体の重量が軽い為に精密射撃には向かない。

 元から、狙撃銃として作られていない事からして当然なのだが、狙撃銃や狙撃手と一般歩兵の中間に位置する選抜射手が使うマークスマンライフルと比較してもそこまで精度が良いわけではないのだそうだ。

 視力や反応速度自体には長年サッカーやフットサルをしてきた経験から、かなり自信があったものの、その様な銃でそれだけの命中精度が出せる事自体が異常だという認識は取扱説明書のカタログスペックが頭にあったために容易く理解出来た。

 だが、正直な話をしてしまうと身体が勝手にそうなる様に仕向けたと言って過言ではない。

 むしろ訓練であったため、指示を受けた通りに的を撃っただけに過ぎないのだ。

 何日にも渡って訓練は行われた訳で、そのうち一日だけその命中精度が出せたというのなら偶然使った銃が精度の高い個体で、俺が撃った時の風向きが安定していたとか外的な要因による“偶然”に“偶然”が積み重なって起こった“偶然”で片づけられたかもしれない。

 しかしながら、時間、天候、使用した銃火器など全ての条件は毎回全く異なっていて、それでいて尚、同じだけの精度を繰り返し出せていた。

 軍医から聞いていた話では俺は元々の所属でも狙撃手や選抜射手ではなかったものの、射撃の腕はかなりの物とされていた他、戦車や自走砲の砲手としても有能であった為に歴任していたそうだ。

 理屈だけで考えると口径の差はあれ、大砲も銃も火薬の燃焼によって生じたガスの圧力で筒の中から弾を押し出し、目標に向けて投射するものであるため、同じと言えなくもない。

 だが、素人目に考えてそれだけの能力を持った人間を“狙撃手”ではなく“砲手”として任務に当たらせるのは見当違いな様に思えてしまう。

 まぁ、俺より腕が立つ、それこそ歴史に名を刻む程の怪物的なスコアを出した名スナイパーと肩を並べる人間がいたとしたら話は別だが。

 歴史上の名スナイパーとなると数々の逸話と“白い死神”の渾名で知られるフィンランドの“シモ・ヘイへ”やスターリングラード攻防戦での活躍や様々な称号を得た事から映画の題材になった事でも知られる旧ソ連の“ヴァシリ・ザイツェフ”などが有名であるが、彼らの戦果は『凄過ぎて参考にならない』の典型例である。

 それこそ人間ではない。

 言ってしまえばまさしく“怪物”そのものなのである。

 いくら訓練とはいえ、そんな“怪物”に匹敵しかねないスコアをはじき出している事実に関して周りはもとより、俺自身が一番困惑している。



―――どうしたらそんなスコアが出せるのか?―――



 いくらそのスコアが事実であるとはいっても甚だ疑問しか残らない。

 俺自身が何故出せたのか解らない結果を聞かれても答えに困るだけだ。

“白い死神”と呼ばれて恐れられた怪物スナイパーの“シモ・ヘイへ”が射撃のコツを問われた際にただ一言

「練習だ」

と答えたという話があるらしいが、彼は元々猟師であったし、スキーもオリンピックレベルの腕前だった事から第2次世界大戦の影響で中止となったオリンピックのノルディック複合の選手に内定していたという部分でも解る様に浮世離れしている部分が多いからそうなったという話を聞いた記憶がある。

 まぁこれらの話は元の世界でよく一条から聞かされていた話しで、こういった状況下では、古い友人の一条総司という男がこういったマニアックな軍事知識を持っていた事とその話をしていた事に感謝して良いだろう。

 実際問題、今の俺もシモ・ヘイへと同じ問いかけをされているが彼と同じ答えをする事で何とか切り抜けられたのだと言うより他ない。

 それ以前にそういう答えしか答えようがないと言った方がむしろ正しいのかもしれない。

 いくら一条からマニアックな軍事知識を吹き込まれていたとは言ってもそれは他人の受け売りに他ならず、俺自身が自分で調べて得た知識とは異なる。

 言ってしまえば付け焼刃の知識に他ならず、表面的なもの以外ではボロが出るに違いないだろう。

 ただ、運が良いのか悪いのかは置いといて、記憶喪失扱いであるおかげで深い事は聞かれないで済んでいるし、それに付随してかどうか不明であるのだが

 「わからない…」

 という答え方でもある程度は見逃された。

 実際に俺自身が何も解っていないのである程度見逃してもらわないと困るのだが。

 それにしてもこの現状を打開出来る方法はなかなか見つからない。

 外傷の類はもう全て完治したし、訓練のお陰で武器、弾薬の扱いも身に付いた。

 だが、その扱いは“記憶喪失者”であるために病棟とやっつけ仕事で作られた訓練場の往復だけの毎日だ。

 これでは元の世界に戻るきっかけは全く掴めないし、それ以前に元いた世界がここで言うところの“夢”なのか、今いるこの世界が“現実”なのかさえ判断しかねる。

 いくら頭の中では今いる状況を受け入れて今できる事をやる他に選択肢が無いという事を理解していても、元々いた世界が“現実”だったのか今の世界が“夢”なのかを判断出来ない事からしてどうしても引っかかるものが胸の内にある。

 一条に発見されて目を覚ました時の光景はまさに“地獄絵図”そのものだったし、こんな中東の地にいる事など正直考えたくないのが本音だ。

 元いた世界の日本も世間知らずの馬鹿な総理大臣や国会が両院共に与党過半数の議席を得た事によって事実上の独裁政治が始まり、だいぶおかしな国になっていたのは事実であったし、様々な問題を背景に世界的にも自殺率が非常に高く



 ―――“中東はいつも戦争していて危険なイメージがあるが、中東で起こっている戦争で毎年出る死者よりも、日本国内で自殺に追い込まれる人数の方が余程多く、それは日本人同士が殺し合いをしている様な物で、やたら戦争していて危険なイメージがある中東よりもっと危険だ。”―――



 などという皮肉が言われる様な状態だった。

 だが、それでも安保法制に限って言えば殆どの学者が“集団的自衛権の行使は違憲である”という見解を表明していたために“憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認”は出来ずにいたため、一条から聞かされた“憲法解釈の変更から戦争できる国になった”という話は本当に信じ難かった。

 こういう類の話は工業大学出身で機械工学専攻だった俺よりも総合大学の法学部で国際法を専攻していた一条の方が詳しいし、テレビ局の解説員よりも解り易く説明できるのだが、それは俺が元いた世界の一条総司だったらという前提論になる。

 こっちの世界の一条総司が俺の知る一条総司と何処まで同じなのか解らないが、元いた世界の一条総司は本人曰く“無趣味で生きがいが無い根なし草だから自分が馬鹿な事が露呈しない様に無駄な知識を蓄えている”との事だったが、俺からしたら多趣味にも程があり、何をもって無趣味と言っているのか解らない程にその知識や造詣の範囲は幅が広く、法律に関わる知識として史学の知識は持っていて違和感が無いのだが、独学とはいえ物理学の知識から刃物の研ぎ直し、水道の修理などのDIYに留まらず、商業的に行う為には国家資格が必要とされる時計の修理やガス溶接などの事を専用の道具など使わずに100円ショップの工具やターボライターなどの何処にでもあるような簡単な物だけを使い、個人の趣味の範囲内と言いながらそれらの国家資格レベルの事を無資格で容易くやってのけてしまったり、暇つぶしで唐突にドーナツやクッキーなどを大量に作っては俺にもよこしてきたりするレベルの変人である。

 ただ、専門外の人間であるはずの一条が機械工学などを語るのは専攻していた人間からすると何故そんな事まで知っているのかという疑問が出てしまう。

 それでいて、その変人レベルの知識量のお陰で色々と得をする事も多かったし、一条を含め気の知れた仲間達と夜通し飲み歩き、始発まで時間がある時はコンビニで材料を買い込んでは一条のアパートに向かい彼の手料理を〆にするという事が一時期慣習化していた。

 もっとも、俺が一条のアパートから二駅程の場所に引っ越した事や他の仲間が実家に戻ったりした事でその慣習は自然消滅したのだが。

 そう言う事もあってか一条と出掛ける頻度は引っ越す前より増えた為にマニアックな知識を意図せずに植えつけられていた。

 とどのつまり、俺が知る一条総司とこの世界の一条総司が同じならば軍医や教官から話を聞くより、彼に会って今俺が持っている様々な疑問について聞いた方が話は早いし、SF映画などで主人公が今の俺の様に異なる世界に飛ばされるといった内容の話では、タイムマシーンや次元転移装置など、必ずと言っていいほど物理学が鍵になっている。

 中には魔法や宇宙人などの非現実的な要素を含む物もあるが、リアルさを追求した物は“理論上は可能だが、様々な障壁により実現してない技術”をその障壁を架空の合金や素粒子などの発見により無くしている。

 つまり今俺がいるこの状況を打開するヒントになる事を一条ならば発見出来るかもしれない。

 ただし、それは“俺が知っている幼馴染の一条総司”と“この世界の一条総司”が持つ知識が同じレベルであることが前提条件になってしまうのだが…。

 指令書を届けに来て以来、彼とは顔を合わせていないので何処までが同じで何処からが異なるのかは全く解らないため、その前提条件は希望的な感情も含まれているのだが。

 それに、そういった創作においてはだいたいの話で何かのヒントを与える役割をするのが今の俺からした一条の様な立ち位置のキャラクターであるのが常だ。

 だが、もしも仮にそうだったとしてもこの現状では一条と接する事もままならない為にそういった所では八方塞がりでもある。

 そうなって来るといくら身体が勝手に銃器の扱いを覚えていても実際の戦場では何の役にも立たないだろう。

 それこそ“案山子”でも立てておいた方がまだ役に立つのではないかとさえ勘ぐってしまう。

 三世紀頃の古い話の一節に案山子を乗せた船を大河に浮かべて敵から矢を大量に奪ったという話があるが、その話の様に案山子を立てて置いたほうが今の俺が復帰するよりも余程役に立ちそうだとさえ素人目に思えてしまう。

 しかしながら現状はなかなかそうも行きそうになさそうだ。

 こうしている間にも先に攻略失敗した敵軍基地はそれなりに修繕しているだろうし、先の攻略戦でこちらが敗退した事からしても、より一層防衛能力の強化がなされている事は日を見るより明らかだ。

 そうなって来ると余計に始末が悪い。

 現状は記憶喪失により戦線復帰は認められていないが、状況柄その事実さえ疑われている。

 いくら訓練で身体が勝手に動いたとは言っても様々な銃器を使いこなせているし、ゴム製のナイフを使ったナイフ格闘術や徒手格闘訓練で好成績を出している。

 そうなると士官や周りの兵士から見て、基地の病院の機械や軍医による診断に疑念が出てきてしまう。

 つまり、記憶喪失であるという事が疑われて、それは俺自身に対してだけでなく、軍医の評価や設備の故障などといった事にも波及していってしまうという事だ。

 だが、だからと言って手抜きをすればそれはそれでまた問題視されるし、手抜きがばれれば尚更、疑いを持たれてしまう。

 そうなると、どちらに転んでも戦線復帰は難しくなるだろうし、今以上に一条に接触する事が難しくなってしまう。

 この状況下で何とかして一条に接触出来る方法を第一に考えて何か出来る事は無いか模索していく事しか現状は出来る事が無い。

 そうこうしながら数日が過ぎたとき、転機は何の脈略も無く訪れた。

 そう、突然一条の方から俺のもとに訪ねてきたのだ。

 おかげで色々な手間は省けたのだが、呼んでもいない人間が訪ねてくるということは何かしら理由があるのが普通の話だ。

 そう、やはりこちらの予想通り彼は俺のもとを訪ねて来るなり懐から封筒を取り出して渡してきた。

「やはり指令書か? 」

「あぁ。その通りだ。俺はコイツの中身は見てないからお前さんに対してどういった内容の指令が出ているかは知らないが、俺が今度配属になった“第12特務戦隊”は特殊作戦軍 第3軍団 第22特務大隊に新設された特務部隊で名簿を見るとお前さんの名前もあったから恐らく内容は同じだと思うぞ? 」

「そうか。で、新設された部隊って事だし、名前からしてかなりの精鋭を集めた部隊の様に思えるが、そこんところはどうなんだ? 」

「まだ俺も詳しい事は知らされていないし、部隊の特性も解らない。だが、とりあえずの話、新兵器の運用を目的にした部隊だという事らしいから幾分かやり易いんじゃないのか? 」

「確かに新兵器の運用部隊って事なら最新の装備が回されて来るって事だろうが、それは逆に開発時には解らなかった不具合に遭遇するって可能性もあるってことだろ?」

「まぁ。そうとも捉えられるが、俺が聞かされてる話しだとなんだかまたそれとは違う新兵器を扱うって話だ」

「その言い回しって、お前から聞かされた話の“旧大日本帝国海軍が特攻兵器の志願者を募った時に上層部が言った話”と似通ってるな…」

「まぁ。さすがに現代の新兵器となると誘導装置があるから特攻って事はさすがに考えられないがな。それこそ無人機に爆弾乗せて突っ込ませれば誘導ミサイルと変わらないしな。」

「だとしてもどんな最新兵器が回されてくるんだ? 」

「それは、俺もまだ聞かされていない」

「だったら仕方ないか…」

「それ以前に統合軍っていう性質上、新兵器が機関銃なのか個人携行ミサイルなのかはてまた新開発の車両なのか見当もつかないのが実情だ」

「まぁ。どうあれこの前みたいに吹き飛ばされるのは勘弁してほしいよ」

「とりあえずその封筒の中身がお前さんに対する上からの指令だからとりあえずそいつに従ってくれ」

「あぁ。そうするよ。命令とはいえわざわざご苦労だったな」

 念願叶って一条と接触出来たのだが、命令で指令書を持ってきたという事はあまり下手な事を聞くわけにもいかず事務的な会話しか出来なかった。

 だが、新設された部隊への配置換えと彼と同じ部隊に配属になったという事は良い知らせと悪い知らせが同時に来たと言って過言ではない。

 彼と同じ部隊に配属とあってはタイミングを見て情報を得る事が可能になったと言える事だし、何かあれば助けを請う事も可能だと言える。

 だが、その一方で新設された部隊でなお、新兵器の運用部隊となると色々と危険が伴ってくる。

 開発段階で様々なテストを繰り返し行っているとはいえ、運用テストも兼ねた実戦運用の部隊ともなるとそれなりの危険が伴ってくる事など想像に容易い。

 とにかく一条から渡された封筒を開けて中身に目を通す事にした。

 内容的には前回の指令書と大差のない内容であったのだが、四つばかり変更点があった。



 ―――

 一つ目は記憶障害の診断は無視して復帰する事。

 二つ目に一条から聞かされていた特務部隊に配置換えされるという事。

 三つ目に新兵器の配備の発表に合わせて強制退院となる事。

 そして最後に、新しい個人の装備品を退院時に支給される為、旧来の装備品は回収される。

 ―――



 という四点の変更だった。

 戦闘服や制服などの衣類は入院時に使い回しで使われている物が支給されていたし、その他の装備品は病院に預けてそこで管理されているから特に気にする様な事ではないだろう。

 問題なのは軍医の診断は無視して強制退院させられる事や新兵器に関する情報が一切書かれていない事にある。

 昔、一条から聞かされていた話しでは戦闘機の取り扱い説明書は紙に印刷すると、その重量は機体の本体重量と同じくらいになり、ミサイルなどの説明書を合わせたら相当な物でとても一人で読み切れる分量ではない物らしい。

 目覚めた時の状況から察するに俺は特殊作戦軍という統合軍の中でもどちらかと言うと陸軍の側の人間のはずだろうから航空機に乗せられるという事は考えづらいが。

 むしろいくら航空機のライセンスが機種毎になっていて機体が更新される都度、機種転換訓練が課されるとはいえ、記憶喪失の人間を航空機に乗せるという危険極まりない判断は余程の事が無い限り考えられないが、今回の再編に伴って新兵器を扱う部隊に転属となった事は異常だ。

 何にしてもその新兵器の正体は発表されるまで極秘事項の様で目を皿の様にして指令書を隅々まで事細かに読んでも、俺が新兵器を扱う事になるという事以外は一切記述が無い。

 だがそれ故に、旧大日本帝国海軍で運用された特攻兵器“人間魚雷 回天”の存在が脳裏に過った。

 ただ、現状ここは内陸であるし、特攻するなら一条の弁にある通り人間が乗った物で行うより無人偵察機に爆弾を乗せて突っ込ませた方が確実だし資源の節約にもつながる。

 そう考えてみればそう言った無謀な任務にあてがわれる事はないだろう。

 指令書に書かれていた強制退院までの数日間はリハビリ名目の訓練と座学で色々なことを叩き込まれていた事もあってか“新兵器”の事など考えている暇などなく、その日を迎えるくだりとなった。

 強制退院当日、看護兵に連れられるがままハンヴィー車両に乗せられ倉庫の様な建物に案内された。

 元々私物はポケットの中あった十得ナイフや神社のお守り程度の物しかなく、それこそ無いに等しかった為、荷物で手が塞がる様な事にはならなかったのだが。

 倉庫に入ると訓練で使っていた物とはまた異なる新しい制服や戦闘服、その他個人装備品が倉庫を担当している兵士が台車で運んできた。

 とりあえず現在着ているものから制服を着替える様促されたので倉庫の隅で着替える事にした。

 真新しい制服は新品の衣類特有の匂いがしていたのだが、サイズもぴったりで驚いた。

 訓練時に使用した戦闘服や制服は多少採寸したが、洗濯こそされていたが、使い回しの様で大雑把なサイズだった事もあってブーツインすると建築業の職人が履いているニッカポッカの様になっていた事から考えてちゃんとしたサイズの物は非常に動き易く感じた。

 着替えてから戦闘服や銃火器を除いた個人携行装備の類を渡されたボストンバッグに詰め込んでいると、先ほどの兵士がまた別の台車で拳銃等の最低限の武器を運んできた。

 使用弾薬は同じでも、訓練で使っていた拳銃とはまた違って安全装置の他にセレクターや折り畳み式のフォアグリップが付いている等、見た目はまるで要人警護の人間が持つマシンピストルの様な見た目をしていた他、ダブルカラムの30発用ロングマガジンが標準になっていた。

 教本の情報では、大昔にカービン銃の代用としてストック付きのマシンピストルもあったという話を聞いた事があったがそれは特殊な例でストックがホルスターとしても機能しているという代物で、塹壕戦での使用を前提に作られた物だ。

 とりあえずはそのマシンピストルの取り扱い方法の説明を口頭で受け、マガジンを差し込むと安全装置が掛かっている事を確認し、制服のベルトに通した専用のホルスターに収納した。

 正直な話、このマシンピストルの発射速度や反動を確認する目的で試射をしたいのが本音だが、矢継ぎ早に常時装備する装備品を渡されるのでそういった話をしたくても出来ずに話が進んでいく。

 とりあえず一通りの個人携行装備を受け取ると案内役の看護兵の指示で再びハンヴィーに乗せられて移動する。

 やはり前線基地と言うだけあってか飛行場等もある為、隣接している建物を除くと、とても徒歩で移動というわけにはいかないようだ。

 このハンヴィーの運転手はどういう教育を受けてきたのか知らないが基地の敷地内だというのにかなり飛ばしているし如何せん運転が荒いようにも感じた。

 この様な運転では車載されている小型のガトリング砲が宝の持ち腐れになってしまいそうで心配だ。

 まぁこれも教本で得た知識だが、ガトリング砲の様に短時間で大量の弾丸の雨を降らせる様な銃火器はどちらかと言うと面による制圧を目的としている為、命中精度はあまり関係が無い話かもしれないが。

 しばらく進むと、学校位の大きさの建物の前で停車し、降りる様に促された。

 荒っぽい運転と硬いシートのせいで尻が痛い。

 長時間正座して足が痺れるのと同じで一時的な物なので気にしない事にするが、痔にでもなるのではないかと心配になってしまう。

 だが、そんな事はお構いなしに建物内に誘導された。

 建物の入り口で認識票の登録や入館手続きの書類にサインをしていると、引き継ぎなのか一条が現れた。

「書類の記入は終わったか?ここからは常時、俺がサポート役になる事になってる。というか、お前さんの記憶障害の事で俺がお前さんのサポート役を任命されたんだがな」

「命令とはいえお守役とは。なんだか申し訳ないな…」

「気にするな。古い付き合いなんだしな。何でも聞いてくれ」

「そいつはありがたい。いきなりで悪いが、今回配属になった新設部隊ってどんな様子だ?」

「それなんだが、俺も顔見知りはお前さんだけで、部隊長もまだ発表されていない。とりあえず配属になった部隊に割り当てられてる部屋は下士官が同階級2人で一部屋になってる。荷物を部屋に置いたらとりあえず挨拶回りに行くぞ」

「わかった…」

「あ。言い忘れていたが、現状だと下士官は各階級6人ずつといった具合で指揮官を含め少尉より上の階級の人間はまだ配属されてない。兵卒はそこそこいる様で部隊規模は数百人程度って所だろ? 」

「って事はあまり大きい部隊じゃないって事か? 」

「そうだな。駆逐艦や潜水艦一隻の乗務員レベルの部隊編成規模って感じだっていうと解りやすいか? 」

「艦艇の規模からして何となくは想像出来るが、そんな小さい規模の部隊で新兵器の実戦試験を行うって事か? 」

「そうなるな。さっきも言ったが、詳しい話は先に配属された俺でも聞かされてない。部屋に行く前にそこで今のお前さんの状態を聞かせてくれ」

「あぁ。構わない」

「とりあえず何か飲むか?自販機の飲み物は全部無料だ。ただし、煙草と菓子類の自販機は有料で認識票を読み取り機に二枚かざせば免税価格で給料から天引きで出せる。他に何か必要な物は基地内に数ヵ所設置された売店でなら同じ様に認識票で買い物が出来る様になってる」

 自動販売機の飲み物が無料というのはインターネットカフェやマンガ喫茶でもよくある光景だが、嗜好品の自販機や売店での買い物が認識票で管理されているというのは意外であった。

 大型プールやスーパー銭湯などのレジャー施設では管内での食事や物品の購入にリストバンドのバーコードを読み取らせて管理し、退館時にまとめて清算するシステムを採用している所もあるのだが、認識票にバーコードの記載は見受けられない。

 認識票はその性質上、戦闘で破損する事は容易に想像が付くし、そうなるとバーコードの記載やICチップの内蔵は難しいだろうから恐らくは刻印された識別番号を読み取って判断しているのだろう。

 認識票が二枚組になっているのは戦死した際に一枚を回収し、もう一枚を体に残して戦死者の死体の管理に使う為だという事を昔、一条から聞いていたが、戦死者の識別票を悪用する不届き者に対する対策と生存確認の意味も込めて自販機でも二枚読み込ませるのだろうか?

 まぁ菓子や煙草等の嗜好品の購入は給料から天引きされるとは言ってもこういった場所ではそれ以外に金銭を使う場所は無いし、悪用した所でたかが知れている。

 ましてや免税価格ならば尚更だ。

 とりあえず一条に促されるまま背の高いテーブルと椅子が置かれている場所に荷物を置き自販機からコーラを出した。

 一条は隣の自販機で煙草を購入してからコーヒーを出してそれぞれ椅子に座った。

 角が丸く削られた長方形の四人掛けのテーブルはよく見ると中心からテーブルの形に合わせて三角柱を横に寝かせた様な形のネットが張り出しており、その両端部には灰皿が組み込まれていた。

 缶を開け、中身に口をつけていると横で一条がいつもの様に断りも無く煙草に火を点けた。

 彼が使っているオイルライターは私物では無く、喫煙の有無に関わらず兵士に支給されている物で、オイルの補充はいつでも行えるようになっている他、消耗品故に紛失してもすぐに再支給される物であるらく、俺も例に漏れず持っていた。

 戦場という場所ではライター等は必要となる事が多い故の措置なのだろう。

 テーブルに置かれた煙草は青い横開きの珍しい箱に入っており、缶コーヒーと共に置かれたその存在はここが軍の基地では無いように錯覚させた。

 一条が火を点けたと同時に掃除機の様な音が小さく鳴り響き、三角柱を寝かせた様な形のネットに煙が吸い込まれていく。

 どうやらこの机自体が空気清浄機となっている様で、周囲を見渡すと同じ様な机がいくつもあり、このエントランスは喫煙所でもある様だ。

「銘柄変えたのか? 」

「あぁ。フランス産の奴でな。モータースポーツのスポンサーやってる所のだからこのロゴはどこかで見た事あるだろ? 」

「いや。知らんよ」

「というか、俺の煙草の銘柄は覚えてたんだな」

「まぁ。昔から珍しい銘柄しか吸って無かったから記憶飛んでも覚えていたんだろう」

「それを言われたら身も蓋もない話しになるが、否定は出来ない事実だな。こっちに来るまでは値段の関係でリトルシガーか三級品しか吸わなかったから当然と言えば当然か」

「この間吸ってた奴はやたら臭かったが、こいつはそうでもないな」

「あれか?お前さんを見つける前に後輪が大破して乗り捨てられたハンヴィーの座席に使えそうな弾薬とかないか調べていたら未開封の奴を偶然見つけたから失敬してきたんだよ。あの銘柄もモータースポーツのスポンサーで宣伝してるから結構定番どころなんだが、匂いがキツクて好みが両極端に分かれるから臭いって言う人間も多い」

「そうか…」

「俺の煙草以外で何か覚えてる事はあるか? 」

 この質問の意図として考えると俺が軍人になってから“覚えている事”を聞いているのだという事は理解できるが、今目の前にいる“一条総司”が俺の知っている“一条総司”と同一人物であるかどうかを確かめるのにはちょうどいい質問だ。

 そう考えるとその意図は無視してその辺の話を出すのが手っ取り早い。

「そうだな。お前が剣道の有段者だって事とか、お前が大学出た後はブラック企業を転々として、辞める度に労基署動かして法律を盾に賠償金貰って企業ゴロみたいな事してた話とか、やたらとマニアックな知識を持ってる事位か?あとは、飲みに行くとテキーラばっかり飲んでた事だな…」

「その答えはその通りだから間違ってはいないが、俺に関する事じゃなくて、お前さん自身の周りに関する記憶だよ」

「そうは言われてもな。その辺の記憶は全くないって言うのが現状だ」

「そうか。そうしたらコイツを見てくれ」

 そう言うと彼はポケットから小型のタブレット端末を取り出してデータファイルを見せてきた。

 その液晶画面には俺の経歴と今まで転属してきた部隊、参加した作戦等の情報が事細かに記されていた。

 そのデータによって、俺たちは入隊してからまだ一年半程度しか経っていない事、3ヵ月の新人訓練課程を終えてすぐに補給などの後方支援部隊に配属された事、そして前線に飛ばされた事が大まかに把握出来た。

 そこから今まで、戦況に応じて配置換えがされており、だいたい3ヵ月に一度のペースで部隊を転々としていた様だ。

 経歴によると狙撃班や砲科といった所が殆どで、この新設部隊に配属されるまで、つまり、目覚める直前は単独の哨戒任務に就いていた様だ。

 そう言う事であれば負傷者多数といえ、大隊の人間が無事に全員帰還したのに俺が独りで倒れていた事にも合点がいく。

 一条の説明によると、各小隊から単身での戦闘能力が高い者数名が単独での哨戒任務にあてがわれており、彼も同じく単独での哨戒任務中に俺を発見したらしい。

 その話が本当だとしたらリハビリを兼ねた訓練で身体が勝手に的の真ん中を打ち抜いた事や格闘術の訓練での対戦成績が良かった事にも納得がいく。

 要するにこの場での俺の肉体が記憶している戦闘能力は高く、脳の持つ記憶とは異なっていて“身体が覚えている”状態なのである。

 記憶障害があっても新兵器の運用部隊に転属となったのは恐らく戦闘能力を買われてのことと、その新兵器を戦闘経験が皆無の新兵が扱えるかという実験に記憶障害の俺が向いていたと考えていいのかもしれない。

 だが、だとしたら俺は“実験用のモルモット”と同じ扱いになる。

 それは正直不満であるのだが、先の作戦失敗で被った被害や一刻も早くこの“戦争”を終わらせる為には一発逆転を狙って“新兵器”の早期全面投入が求められるのは至極当然の話になる。

 画面を見ながら考えを巡らせていると唐突に一条が口火を切った。

「俺は医者じゃないが、こんなん見ても思い出せる事なんか殆ど無いだろうし、解らない事だらけで混乱してる事くらい解ってる。だがな、これも上からの指示でな。とりあえず大隊長の古谷秀一少佐が気を利かせてくれたのか俺たちがコンビでこれから行動することになってるから俺のそばにいる限り何かあっても俺が対応するから安心してくれ」

「そうは言ってもな…」

「まぁ。ゼロからの出発って事にして気楽にいこうぜ」

「そうだな。色々と世話になるよ…」

「さて。そうとなったらまずは割り当てられた部屋に行くぞ。それから挨拶回りだ」

「了解…」

 空き缶などを片づけて部屋に向かう。

 この建物は外から見ると一般的な学校の校舎の様な無骨な作りであるが中は一般的なマンションや公営団地の様になっており、移動中に聞いた話では兵卒は4人一部屋で下士官から2人部屋で上級士官部屋は1人部屋となっている様だ。

 共同設備として食堂やトイレ、大浴場が設けられている一方で、下士官以上の階級の人間の部屋には簡易シャワーとトイレが備えられているらしい。

 こういう話を聞かされると下士官でよかった様にも思える。

 2人部屋とはいえ、簡易シャワーやトイレが備え付けられているという事はそこに籠っている間は完全に周囲から孤立出来る。

 入院中も大部屋だった時は事故防止の為の監視カメラ以外にも常に他人の目があり、あまり気が休まらなかった。

 もっとも、他人に見られて困るやましい事は一切していないし、同室の人間と何かしている時以外は用意してもらった文庫本を読んでいただけだったが。

 それでもプライバシーが一切ない状況というのはいくら軍属とはいっても気が休まらずあまり良い気がしないもので、一人部屋に移った時は非常に安心した。

 その一方で孤立していた分、暇を持て余していたのもまた事実だった。

 まぁ、暇を持て余していた事で教本や取扱説明書にじっくりと目を通す事が出来たのもまた事実なのだが。

 とりあえず同室の人間が一条であった事も幸いである。

 俺が知る彼の性格なら彼は自由奔放で社交的である一方、上っ面だけの付き合いや過度な干渉をする事もされる事も嫌いで、彼と深く付き合っている人間は必ずと言っていいほど“ヤマアラシのジレンマ”を地で経験するハメになっていた。

 俺もまた例にもれず色々と経験してお互いに丁度いい距離感を掴んでいた。

 その為、たとえ喧嘩してもお互いに言いたい事を言い終わると喧嘩した理由などどうでもよくなっており、最終的に何故喧嘩したかで二人して悩むという本末転倒なことが常だった。

 そういった関係もあってか酒癖の悪さと煙草臭い事さえ除けば一条総司という人間は一緒にいて一番楽な相手だった。

 まぁ、酒癖が悪いとは言っても暴れたりするようないわゆる酒乱ではなく、延々と学問的な話やら愚痴やらを話し続けるだけなので街頭演説の様に聞き流してしまえば人畜無害なのだが。

 ここが最前線の基地である事を考えたら危機管理の観点で飲酒は出来ないからそういう面倒事は無いだろうし、喫煙可能エリアがエントランスや各フロアに設置された喫煙所に限られる事を考えるとあまり気にならないだろう。

 そうこう考えているうちに一条の案内で割り当てられた部屋に到着した。

「部屋の鍵は認識票になってて、ここに読み込ませると鍵が開く様になってる。で、出入りするときには毎回読み込ませる仕組みだ」

 部屋の扉わきには“第12特務戦隊 一条総司伍長・真田亮二伍長”と書かれた表札の様なものがあり、どの部屋に誰がいるのか解る様になっていた他、一条が認識票を読み込ませると名前の上のランプが赤から青に変わった、どうやらそのランプで不在の判断が出来る様になっている様だ。

「見ての通りで名前の上のランプの色で部屋にいるかどうかが一目で解る様になってるからな」

 ドアには郵便受け以外に洗濯済みの着替え等の届け物を入れる宅配ボックスの様なものが付いていた。

 中に入るとそこは一般的なアパートやマンションのワンルームタイプの部屋と似通った作りで、入るとすぐの場所にトイレとシャワールームの扉がありその横にランドリーシューターの扉があった。

 ここでは洗濯物は名前の書かれた専用の袋に入れてランドリーシューターから落とすと洗濯に回されて部屋に届けられる仕組みになっているらしい。

 その先は居住スペースになっており、壁にはこの建物の見取り図が貼られていた他、カプセルホテルの様な簡単な仕切りがついたベッドが部屋の両脇にあった。

「とりあえず先に部屋を使ってた都合で左のベッドを俺が使ってるがこのままで構わないか?嫌ならじゃんけんで決め直しても構わないが」

「お気づかいありがとな。どっちだろうと俺は構わないからそのままで大丈夫だ」

 荷物の入ったボストンバッグをベッド脇に置き、荷物の整理にかかろうとすると一条から声がかかる。

「悪いが荷物の整理は後にしてもらえるか?時間的に今から他の隊員の部屋を回って食事の時間に間に合うかどうか少し微妙かもしれないんでな。部屋に行ったら食堂に行ってたとなるとまた面倒だ」

「そうか。それじゃあ仕方が無いな…」

 部隊長の発表などはまだだという事だが、一条に連れられるまま俺たちより階級が高い人間の部屋から順に着任の挨拶回りに向かう。

 運が良いのか着任していた人間はどの部屋に向かっても部屋にいたお陰で想定した時間より早く回る事ができた。

「今の時間が俺の時計で17:30だから食事の時間まで30分ってとこだな。」

「じゃあ荷物を片づける時間はありそうだな」

「あぁ。部屋から食堂までの道順は部屋の見取り図見れば解るだろうが必ずエントランスを通ってく事になるから17:55までにエントランスに来てくれ。俺は一服して待ってる事にするよ」

「了解だ。支給された俺の時計の時間も同じだから17:50に部屋を出れば余裕だな。」

「食堂でも説明あるから遅れるなよ相棒」

 そういうと一条は俺の肩をポンと叩き、足早にエントランスに向かっていった。

 一条から聞かされた通り、認識票の読み込みを行い再度部屋に入る。

 改めて部屋を見渡すと本当に簡易的なもの以外は何も無い。

 とりあえずベッドに備え付けられた棚や引き出しに荷物をしまい込む。

 荷物と言っても着替え等の簡単な身の回りの物しか無いのでさほど時間をかけずに整理出来た。

 ふと、一条のベッドの方に目をやると彼もまた荷物が無い為かなにも無い。

 ただ、窓際には彼が暇つぶしで作ったのか煙草のパッケージで作られた折り紙が並べられていた。

 まぁ、確かに任務の指令や部隊の指揮官が不在とあっては特に出来る事は無いだろう。

 そうなって来ると暇を持て余してしまうのは当然の事だろう。

 特に、彼の場合は中途半端に両効きだったり変な所で小器用だったりする為、折り紙でもして時間を潰していたのかもしれない。

 もとが煙草の空き箱という事もあり、その折り紙は単一色では無く、とてもカラフルで所々に銘柄の文字が入っているものだった。

「新設の部隊とは言ってもまだ任務についてないんじゃあやる事もないのか…」

 ふと、こころの声が漏れてしまったが、そんなものだと思うのは当然と言えば当然だ。

 部屋の壁に貼られた建物の見取り図を頭に入れ、エントランスに向かう。

 どうせ一条の事だから、のんびり煙草を吸っているだろうし、さほど急ぐような時間でも無かったが、足早にエントランスを目指した。

 エントランスに着くと予想通りに一条は煙草を吸いながら支給品ではないバタフライナイフをくるくると回して、開いたり閉じたりして遊んでいた。

 恐らく持ちこんだ私物の物なのだろう。

 何処で手に入れたのか不明な代物だが、刃渡りは15cm以上あるだろうか?

 一般的に販売されている物より二回りほど長い。

 よく素人が刃渡り5cm程度のバタフライナイフで遊んでいて怪我をすると言う話は聞いた事があるし、練習用に刃を付けないで先端を丸くした物をネットの通販サイトで見かけた事はあったが、彼の手の中でくるくると回りながら変化を繰り返すそれは、手入れがしっかりなされているからか照明の光を眩く反射し、キラキラとした輝きを放っていて、まるで生きているかのような美しさすら感じた。

「思ったより早かったじゃんか? 」

 俺の存在に気付くと彼は、煙草の火を消して先ほどまで手の中で躍らせていたナイフをポケットにしまいながらこちらに向かってくる。

「あぁ。荷物と言っても着替えくらいしか無かったからな」

「それもそうか。とりあえずちと早いが食堂に行くとしよう」

「あぁ…」

 エントランスからはいくつかの通路があるのだが、食堂までの通路は一つしかないというのは部屋の壁にあった建物の見取り図で把握していたが、その通路は幅がかなり広くとられていた。

 恐らくは搬入用の通路も兼ねているのだろう。

 広い通路をただ、そのまままっすぐ進むと突然視界が開けてかなり広い部屋が目の前に現れた。

 規模としては一般的な大学の学食と同程度かそれ以上といった所か。

「ここが食堂だ。見ての通りの規模で席は自由だが、日替わりメニューのみしか出てこない。ついでに言っとくと、統合軍って性質上、海軍の慣習に合わせて金曜日はカレー縛りになってる」

「今日は何曜だ? 」

「月曜だよ。日本との時差は6時間遅れてるから、日本はもうすぐ火曜日って感じだな」

「そうか…」

 そんな話をしていると建物内に学校のチャイムの様な電子音が響き渡る。

「この音が聞こえたら食事の時間の合図だ。毎日07:00、12:00、18:00に鳴るからこれに合わせてくればいいが、あまり遅いと食堂は閉まっちまうから気をつけてこいよ」

「わかった…」

「とりあえず飯を貰う事にしよう。そこに積んであるトレー持って配膳台回れば渡されるシステムだ」

 話をしている最中に他の兵士が中に入って行き並んでいたのでそのあとに続く形で並ぶ。

 流れに任せて進んでいくと金属製のトレーに次から次に色々と乗せられ、端から端まで行くとそこそこの物になっていた。

 食事の時間は病院と同じであったが、そこでで出されていたものと比べるとかなりのいい物だった。

 やはりいくら軍の前線基地の病院とは言ってもそこは病院であり食事も変えられていたのかもしれない。

 食事を終えると、一条は食後の一服と言わんばかりにエントランスに向かった為、彼を置いて先に部屋に戻った。

 部屋の郵便受けを見ると封筒が2通入っていて、それぞれの宛名に加えて“指令書”と“親展”と言う文字が赤字で印字してあった。

 とりあえず一条の分は彼のベッドに置き、自分の分に目を通す。

 相変わらず堅苦しい文章ではあるのだが、その内容には驚きが隠せなくなるものだった。

 そこに書かれていたのは明日の13:00に到着予定の大型輸送機に今までベールに包まれていた“新兵器”が搭載されて来るという事で、15:00より航空機ハンガーでその発表会と配備が順次行われるといったものだった。

 それに伴い部隊長の発表等も行われる様だが“新兵器”はその存在自体が機密事項故に、大隊の人間以外は一切の立ち入りを禁じられる他、厳重な警備下に置かれる様だ。

 指令書を読んでいると一条が部屋に戻ってきたのでベッドの上に放置した封筒を読むように促した。

 当然の事ながら書いてある内容は殆ど同じと言っても過言でない様だったが、彼の場合俺の見張り役の様な部分もある様で、余計に一枚同封されていた様だ。

「どうやら明日の発表会は俺とお前さんで常に行動を共にしないといけないらしい。別にいつもと変わらない話だが、はぐれないでくれよ? 」

「わかってる。お前こそ俺を置いてどっか行かないでくれ」

「じゃあお互いに監視するって話でいいな? 」

「そう言う話になるが仕方ないか…」

 翌日の予定や支給されているタブレット端末の使い方の確認などを行い着替えを持って大浴場に向かった。

 大浴場に向かうのにもエントランスは必ず通らないと向かえない様になっていた。

 大浴場とは言っても街中にある少し大きめな銭湯の様な作りで同じ配属の者同士が文字通り“裸の付き合い”を出来る様になっている様だった。

 服を脱ぎ、鍵付きのロッカーにしまう。

 タオルなどは脱衣所に備え付けられており、使用後は専用のボックスに入れる仕組みらしい。

 中は湯けむりで真っ白だったが、すぐに慣れた。

 周囲を見渡すと夕食前に着任の挨拶回りで会った面々を見かける。

 軍属というこの境遇からか裸を見ると皆そろいもそろって筋肉の塊の様な体つきをしている。

 とりあえず一条と並んで空いている洗い場で身体を流し、湯に浸かる。

 少々熱いが、入院中はシャワーのみだった事もあってか非常に心地が良い

 この地域でこれだけ水が使えるという事や湯を沸かすエネルギー源に若干の謎は覚えるのだが、海水や河川の泥水から真水を作る技術は何年も前に実用化されていたし、太陽光発電で得た電力を備蓄する事は一般家庭にも普及していたのでそうした設備を組み合わせれば中東の砂漠地帯でも不可能ではないだろう。

 風呂から出て着替えを済ませ、大浴場を後にする。

 部屋に戻ると洗濯物をランドリーシューターに放り込み、ベッドに横になる。

 消灯時間は22:00という事でまだ時間があったのでその間、横になりながら支給品の端末でインターネットにアクセスし、日本の現在の状況をニュース記事などから読み取る事にした。

 時間の関係であまり深くは検索出来なかったのだが、そこで見たのはまるでどこかの共産主義国の様に事実上の一党独裁政権となり、権力者の横暴としか言いようが無い状況で俺が生まれ育ったその国だとは思いたくない様な状況になっていた。

 むしろ、夢であるというか、別の世界であるという認識が尚の事強くなった様にすら思える。

 そう、別の世界なのだ。

 もしもこれが、別の世界でここにいる俺自身が別の俺だとしたら?

 この世界での過去の記憶が無い事にも頷ける。

 だとしたら何故俺は別の世界に飛ばされたのか?

 その疑問だけが自分の中に渦巻いてしまう。

 だが、今さらそんな事を考えた所で状況は変わらないだろう。

 それどころか悪化しかねない。

 とにかく今はこの状況に身を任せて明日の発表会に備える事にしよう。

 端末にロックをかけて充電器にセットし、眠る準備に入る。

 ふと、一条の方を見ると既に寝息を立てていたので起こさない様にそっと電気のスイッチを切った。

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