涼宮ハルヒコの退屈(キョン子シリーズPart3)
佐久間不安定
笹の葉レクイエム
(1)「キョン子、勉強する気あるの?」
七月初めの放課後。
「……キョン子、どうしたの?」
聞きなれたクラスメイトの声に、私は我に返る。
それとともに、初夏の匂いがおしよせてくる。窓からは太陽が、午後四時をすぎても、得意げに肌の敵を放っている。そういえば、今日で梅雨が明けたとか、朝のニュースで言ってた気がする。
教室に残っている生徒は半分を切ったぐらいで、のんきにおしゃべりをしている子は誰もいない。いつもより静かな放課後のざわめき。
「むずかしい顔してたけど、もしかしてキョン子ったら、放課後になったことに気づいてなかったりとか?」
「そんなことないって、クニ」
そう答えながら、私は彼女の方を向く。
クニ、というあだ名は、彼女の名字『国木田』からきている。幼い顔立ちの彼女にその名字は立派すぎたのか、みんな、クニちゃん、と呼ぶようになった。私もそれに便乗しただけである。
クニと親しい仲になったのは中三のときで、高校に入ってからもそれは続いていた。
でも、いつも二人で一緒にいるわけではなくて。
「グッチがさ、今日、用事があるからって、先に帰っちゃったんだよね」
そう言いながら、クニはため息をつく。
グッチというのは、クニの親友のことだ。それが、とあるブランド名と同じなのは偶然ではなく、彼女が流行ものに目がなくて、移り気な性格だからである。もともと皮肉の意味でつけられたニックネームだと思うが、本人はいたく気に入っていて、わざわざ最初にそう呼んでくれと指定されたぐらいだ。
そんなグッチの口うるささに、私は時々ゲンナリするけど、だからこそ、聞き上手なクニは彼女とコンビを組んでいるのだと思う。
私だって、グッチの話をふんふんと聞き流しているだけで、世間の流行についていってる気になれるし。
「だから、今日はキョン子と一緒に勉強したかったんだよ」
「うん、期末テスト、もうすぐだからね」
私たちの高校は三学期制で、来週から一学期期末テストが始まる。高校生になってから初めての成績表が決まる重要イベントである。放課後に、むむぅと考えごとをしている場合ではないのだ。
「じゃあクニ、図書室に行く? 放課後もエアコンきいてたよね、あそこ」
「まさか。今の時期なんて、常連でいっぱいだよ。今日は特に暑いから、新参おことわりって感じじゃないかな」
「そ、そんな厳しいところなんだ」
この北高に入ってから三ヶ月あまり。まだまだ私の知らない世界があるようだ。
「それに図書室って、声を出すとすぐに怒られちゃうから、落ち着いて勉強できないんだよね」
「グッチなんか連れて行ったら殺されるんじゃない?」
「ははは、いないからってひどいこと言っちゃダメだよ、キョン子」
「じゃあ、クニたちはいつもここで勉強してるの?」
「うん。でも、キョン子だって、部室で勉強してるんだよね?」
「そんなことない!」
私は力強く否定する。それは、勉強してないアピールではなく、私の属している部活とそのメンバーがどれだけ異常であるかを強調しているだけだ。
そもそも、部活と呼んでいいのか怪しい組織だけど。
「へえ、せっかく成績のいい人がいるっていうのに」
そう言いながら、クニは視線を動かす。
空白の我らが団長の席だ。
なぜ、部長ではなく団長なのか。高一なのに、団長を自称しているのはなぜか。イチから説明するのがとてもメンドくさい男子である。
「でも、あいつ、人に教えるのヘタだよ」
「たしかにそうかも。天才タイプだもんね、涼宮くんは」
「いやいや、努力してないわけじゃないよ、あいつだって」
「ははは。涼宮くんのことになると、すぐにムキになるね、キョン子は」
「だから、ちがうって」
クニやグッチの脳内では、私と涼宮ハルヒコは恋人に限りなく近い関係という設定らしいが、冗談じゃないと言いたい。
そんな甘ったるい仲ならば、この大事な時期に私が一人で思い悩んでいるはずがないじゃないか。
「で、どうする? キョン子、わたしと一緒に勉強する?」
「そうねえ」
本来ならば、クニの誘いは願ってもないことだ。
昨日のように、部室で不毛な時間をすごして、帰宅してもやる気をなくし、数日前にたてたテスト勉強計画を消化できない苦しみに悶えながら『もう終わりだー、私はサイテー女子だー』とベッドで転がり回るようなあやまちは、二度とくりかえしてはならないはずなのだ。
だから、今日は部室に寄らないと我らが団長に伝えようと思ったが、私が立ち上がる前に彼はさっさと教室から去ってしまった。
そのせいで、私は悩んでいたのだ。いったい、なにが彼を突き動かしたのかと。
しかし、期末テストは刻々とせまっている。テスト勉強をする時間は、どんどん限られてゆく状況であるわけで。
「……数学やるなら、一緒にやる」
「そう言うと思ってたよ、キョン子は」
私の提案に、クニは会心の笑みを浮かべながら、カバンを取りだす。
涼宮ハルヒコのことで思いわずらうのは、もうやめよう。せっかく、絶好のパートナーと勉強できる機会なのだから。
クニと私は高校受験戦争をともに闘った戦友である。だから、クニは私の苦手科目について百も承知なのだ。私は典型的な文系人間で、クニはどの科目も平均している。つまり、私が文系科目を教えて、クニから理系科目を教わればうまくいくのだ。
「じゃあクニ、ノート見せて」
「はいはい」
私が不良学生のように差しだした手に、クニはやれやれという顔つきで、自分のノートを置く。
「うわー、あいかわらずキレイだね、クニのノート」
「ありがとう。でも、キョン子はもっと、ちゃんとまとめないとダメだよ」
「う……」
クニのノートは読むだけでも勉強した気になれるスゴいものだ。家に帰ってからも、復習がわりに蛍光マーカーで色づけしたりして、きちんとまとめている。
いっぽうの私のノートは、要点と同じぐらい目立つところに、先生のおもしろかった雑談を書いたりしているので、テスト勉強にはあまり役に立たないのだ。
「……そういえば、涼宮くんって、あまりノートとらないよね?」
忘れようとしてたのに、クニは再びあいつの名前を出す。
「ああ、あいつは自分だけがわかればいいとわりきってるから、殴り書きみたいなノートなんだよね。一度、見せてもらったことがあるけど、暗号みたいでわけわからなかったし」
「でも、わたしたちよりずっと成績がいいからなあ」
そうなのだ。団長と名のって好き勝手やってるくせに、あいつの成績は一ケタ台なのである。それゆえに、彼の奇行は大目に見られているのだ。
「うらやましいなあ。わたしも涼宮くんみたいに頭良かったら、家でもっと遊べるのに」
「ダメよ!」
私はクニの弱音を力強く否定する。
「クニのマジメなノートを待ち望んでいる人は、世界中にいるのよ。グッチとか、私とか!」
「じゃあ、わたしはグッチやキョン子のために、ノートをまとめてるってわけ?」
「ま、まあ、結果的にそうなってるだけで、自分のためにも友達のためにもなるから、一石二鳥じゃん」
「そういわれると、やる気なくすんだけど」
クニは苦笑する。どうせ、私が何を言ったところで、クニはノートをまとめることをやめたりはしないだろう。そんな彼女の几帳面な性格は、いつか必ず役に立つときがあると思う。たぶん。
「それに、ハルヒコみたいな頭になったら、ロクなことがないよ。宇宙人とか、そういうのを信じるようになるから」
「それって、涼宮くんが成績いいのと関係あるの?」
「うん、あいつは頭の構造がフツーとちがうんだよ。だから、そのやり方を参考にしちゃダメだからね」
「なるほど、頭いいだけじゃなくて、全部ひっくるめて、涼宮くんのことが好きなんだね、キョン子は」
「だ、だから、ちがうって」
どうして、あいつの話をすると、すぐに恋愛話になってしまうのだろうか。
入学当初は涼宮ハルヒコのことをみんな変人扱いしてたくせに、今では『キョン子とまんざらな仲でない男子』という普通のポジションになっている。
その認識がいかにまちがってるか、私は何度も説明したのだが、理解されることはない。
「そんなことより、テスト勉強よ、テスト勉強」
私は自分に言い聞かせる。涼宮ハルヒコのような頭の持ち主でない私は、ただ地道な努力あるのみなのだ。千里の道も一歩から。継続は力なり。そう頭で唱えながら、私はクニのノートとにらめっこする。
しかし、私の天敵である数学の公式は、クニのノートをもってしても、なかなか頭に入ってこない。
「……ねえキョン子、勉強する気あるの?」
「いや、ちゃんとノート見てるけど」
「でも、心ここにあらずって感じだし」
「そう?」
「やっぱり、涼宮くんのこと、考えてるんだ」
「ま、まあ。だけどクニが思ってるようなことじゃないけどね」
私はため息をつく。
この放課後、クニに声をかけられるまで、私が考えこんでいたのは、心の危険予知警報が鳴り響いていたからだ。
涼宮ハルヒコと私は同じクラスで同じ部活に入っている。となると、放課後は仲良く部室に行っていると思われるかもしれないが、そんなことはない。それは、私と肩を並んで歩く姿が学校のウワサになったら困るというような甘ったるいものではなく、彼が自分の衝動のおもむくがままに行動しているだけにすぎない。
だから、たいていは彼が先に行く。話がある場合は、私のところに来る。彼が席についたまま動かないと、私が「部活はどうすんの?」と声をかけるときがあるものの、本当にマレなことだ。
今日はちょっと特殊だ。彼は終業ベルと同時に、一目散に教室から出ていった。小学生男子にも劣らないガキっぽさである。こういうたくらみがあるときは、私に一声かけても良さそうなものだが、今日はそうではない。
だから、私には関係ないはずだ。私に彼のようなオカルト趣味はないから、ハルヒコにとって重要なことでも、私にはあくびがでるほど退屈なものだったりする。それなのに、イヤな予感がするのである。
「たぶんね、九割ぐらいは私に関係ないことだと思うんだよ。でも、残り一割が気になるんだよね」
「たとえば、どんな?」
身をのりだしてくるクニに、私はしどろもどろに答えた。
「うーん、呪いのワラ人形を見つけちゃったり、とか」
「ははは。キョン子って、そういうの信じるようになったの?」
「信じてないよ。ただ、そうなると、真っ先に標的になるのは、みつる先輩なんだよね」
「朝比奈先輩って、そういう実験台にされたりするの?」
朝比奈みつる先輩は、我が部唯一の上級生である。小柄な身長を愛嬌に変え、女子の人気は非常に高い。ファンクラブも結成されているぐらいだから、我が北高のアイドルといっていい。
それなのに、部室でのポジションはもっとも低いのだ。主に、ハルヒコ団長のせいで。
「でも、みつる先輩は口がうまいから、なんとか逃げきるんだよね。で、次の標的になるのは、たぶん、私」
「大変じゃない! キョン子」
「ま、まあ、たとえ話だから」
私はそんなものを信じていない。しかし、あのハルヒコの張りきりぶりからして、何かをしようとしているのはまちがいなく、それが悪いものである場合、十中八九私がターゲットになってしまうのだ。
それを止めるには、私自身が部室に行かなければならないわけで。
「キョン子、部活に行ったほうがいいよ。今日、休みじゃないんだよね」
「まあ、基本フリーだから、行っても行かなくてもいいんだよね。それより期末テストが」
「でもキョン子、勉強する気ないみたいだし」
「う……」
クニの指摘どおりだ。心の不安を無視しようとしても、数学の公式はいつまでたっても頭に入ってこない。
「わかった。部室に行く」
「うん、それがいいよ」
微笑みながら答えるクニを見て、私は中学時代の放課後を思いだす。
そうそう、中三のとき、いつも一人きりで残って勉強しているクニを見て、私は声をかけたんだっけ。
几帳面なノートを見せてもらって、それをほめたら、はにかみながら笑ってくれたクニ。そんな秋の夕焼け色に染まった教室が、私の心によみがえってくる。
それでも、ハルヒコ警報が止まることはなかった。この三ヶ月、涼宮ハルヒコ対策委員長をつとめてきた経験が、それを鳴らしているのだ。
まったく困ったヤツだ。人がマジメに勉強しようとしているのに。
「クニ、ごめんね。せっかくさそってくれたのに」
「いいって。それよりもキョン子、涼宮くんと進展があったら、わたしたちに教えてね」
「だから、そんなことないって」
そういう幻想が持てる相手だったら、どんなに楽だっただろう。しかし、涼宮ハルヒコは涼宮ハルヒコであり、涼宮ハルヒコでしかないのだ。
私を意を決して、教室を出て、旧校舎にある部室に向かう。あの魑魅魍魎が巣食う部室へと。
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