アイシテル、ミスト

「ごめん、ミスト。

 俺は、お前とは付き合えない」


 俺がそう告げると、ミストは笑顔で固まってしまった。

 二人で沈黙したまま、時間が過ぎる。

 胸が痛い。二人の時間まで凍てついたようで、苦しい。

「えぇっと。あれ? ……おかしいなぁ」

 ミストは乾いた笑顔で、半ば焦りを見せながら、

「私、幼馴染みだから、ユウ君の事一番よく知ってるつもりだったんだけど。

 私じゃダメな理由、教えてほしいな」


「――幼馴染みのまま流されるのは、違うと思うんだ。

 俺はミストに甘えっぱなしなのに、ミストの恋人になる資格は無いよ」


「……シカク……?」

 反復する様に呟くミストに、俺はゆっくり頷く。

「ミストはずっと俺の事ばかり見ててくれたから――それは嬉しいんだ。

 でもお前には、俺より相応しい人がいるかもしれないだろ」

「フサワシイ……ヒト?」


 俺達はずっとお互いを見てきた。

 だけどそれって、単に視野を狭めてしまっただけじゃないのか?


 ――いや。きっと俺は怖いんだ。

 ミストに頼りっきりの自分じゃ、この子を不幸にしてしまうかもしれない。

 それがすごく怖くて、その向こうの関係に踏み出せないんだ。

「だから、俺達は一度離れたほうがいい。

 それからでも……、」


「私には資格は無くて、相応しくない――そう言いたいの?」


 俺の説得を遮るように、ミストが言った。

 冷え切った金属を想像する、冷めた声だった。

「ち、違う、誤解するなよ!

 そうじゃなくて、俺は……ええっと……」

 自分の気持ちをうまく説明できなくてどもっていると、




 バキッ。




 何かが折れる音がした。

 耳元で枝をへし折ったような、鮮明で大きな音だった。

 びっくりして振り返るが、周りにはそんな音が鳴るような物は何もない。

 空耳か? それにしては妙にクリアな音だったけど……。


「うん、わかったよ♪」

 俺が不審音に気を取られている最中に、ミストがそう言った。

 ……何故だろう。ミストは笑っていた。

 てっきり泣かせてしまうかと思ったのに、ミストは笑顔を見せたのだ。

「そうだよねっ。

 えへへ、ごめんね、急に告白なんてしちゃってびっくりしたよね」

「う、うん?」

 なんだかわからないけど、うまく収めてくれたみたいだ。

 でもここでミストが謝るのは違うだろう。

「俺の方こそ、ごめん」

 そういうと、ミストは首を左右に振って、

「ううん、ユウ君は悪くないよ。

 混乱しちゃって、ちょっと間違った返事をしたんだね」

「ん?」

 間違った返事? 何を言ってるんだ?


「じゃあ〝おまじない〟で、ちゃんとしたユウ君に治してあげようね♪」


「ちょっとまて、ミスト、お前なんか変だぞ」

 ミストは唇に指をあてて、しーっと言った。




「〝ミストを愛してる。この子さえいれば何もいらない〟」







 俺は学校の屋上でベンチに座っていた。

 隣にはミストが座っている。ミストは可愛い。

 屋上から眺める景色は広大だったけど、それよりも俺はミストに夢中だった。

 ミストが傍に居るだけで、世界が輝く。

 ミストは俺を愛してるって言った。俺もミストを愛してる。

 すごくすごく幸せだった。


「いっぱい回り道をしちゃったね、私達」


 ミストの愛くるしい瞳が俺を映す。

 ミストが可愛い、艶のある髪も、白い肌も、全部全部が愛おしい。

「やっとこうして一緒に居られるね」

 ミストの事が好きで、気持ちを伝えたくて、

「ア……イシテル、ミス……ト」

 あれ? なんでだろう、言葉がうまく出ない。

 伝えたい言葉があるのに、それをなんて言えばいいのか声に出せない。

「私もだよ、ユウ君」

 でもいいや、ミストが手を握り返してくれた。

 胸の中からたくさん幸せな気持ちが溢れ出す。

 二人で見つめ合っていると、屋上にチャイムが鳴り響いた。

「昼休み、終わっちゃったね」

「…………」

「ユウ君、ほら。授業に戻らないと」


 嫌だ。ミストと離れたくない。


「イ……ヤ……、ハナレ……ナイ」

 ミストが居なくなるなんて絶対に嫌だ。

 ミストが居ないと生きていけない。

 俺にはミストが全てなんだ。

「もう、ユウ君はしょうがないなぁ」

 ミストは苦笑いを浮かべて、

「じゃあ授業、サボっちゃおうか」

 そうだ、そうしよう。ミストと一緒がいい。

「ここだと先生に見つかっちゃうから、外に行こうか」

 うん。それがいい。そうしよう。

 ミストは立ち上がって、俺に手を伸ばし、

「ほら、行こう」

 うん、いくよ、ちょっとまってね……力が上手く入らないんだ。

 おかしいな、身体がふわふわする。

 俺が手を取ってようやく立ち上がると、ミストはハンカチを取り出して、俺の口元を拭く。よだれが垂れていたみたいだ。ごめんね、迷惑かけて。

 あれ。ミストが少しだけ悲しそうな顔をした気がする。

 でもすぐにいつもの可愛い笑顔に戻った。

「さぁ、行こっ、ユウ君」

「ウ……ン……」




 屋上の階段を降って、玄関へ向かう。

 靴を履き替えて、外へ。

 ミストとデートだ……嬉しいな。

 誰も居ない校庭を二人で――、


 あれ?


「ミ……スト?」

 ミストが居ない。

 なんでだ、さっきまで、あれ、ミストが居ない、さっきまで一緒に、あれ? ミストが居ない、どうして居ないんだ? ミストが居ない、ミスト、俺を置いてどこに行ったんだ? ミスト、どこに……?


 俺はあたりを見まわした。


 晴れていたはずの空はいつの間にかどんより曇っていて、学校が少しづつ薄暗くなっていく。視界が悪いなと思った時には、校舎は霧に包まれていた。

 なんてこった。これじゃミストが探せない。

 ミスト、どこに行ったんだ。俺を置いて行かないでくれ。

 俺はミストを求めて校舎に沿うように歩いていくと、やがて霧が晴れて、空も晴天に戻った。晴天どころかじりじりと熱い日差しが照っている。

 俺は汗を拭った。セミが鳴いている。

 まるで夏だ。もうわけがわからなかった。


 とにかく、ミストを探さないと……うっ!


 今度は酷いシンナーの匂いが鼻を突いた。

 校舎に据え付けるように設置された、簡易の小屋に辿り着いた。

 クレーンで持ち運べる、焦げ茶色の四角い仮設小屋だ。

 シンナーの匂いはそこから立ち込めている。


 これはモルタルや塗料を仮保管しとく左官小屋みたいだけど……。


 あれ。なんでだろう。俺、この小屋を知ってるぞ。

 すごく胸が痛い。シンナーの香りのせいだろうか?


 ――いいや、違う。


 この中に、なにかとても見たくないものがあるんだ。

 でも俺はそれを失うわけにはいかないはずだ。

 どういうわけかすごくそう思う。

 スライド式の戸に手をかける。がちゃりとカギが俺を遮った。

「……カギを手に入れないと」

 そう呟いた時。


『……うぅ』

 薄い戸の向こうで何か聞こえた。

『うぅ……うぅー……』

 苦しい、呻くような声――中に誰かいる。

 そうだ、この中に閉じ込められているんだ。助けを求めて、ずっと、ずっとこの厚い中、この揮発したシンナー空気を吸い続けて――、


 カギを探してなんていられない。俺は渾身の体当たりで、戸をぶち破った。


 まだ小学生だった頃の彼女はそこにいた。

 おさげの髪は荒れ、皮膚は赤く爛れ、助けを乞い、うー、うーっとうわ言のようにうめき声を上げ続けて……。


 俺が駆け寄ると、その子は薄らと目を開いて、こう言った。

 あの時裏切った俺に向かって、同じようにこう言った。


『必ず来てくれるって信じてた』


 そうだ。俺の幼馴染みの亜利奈だ。

 もう二度と裏切らないと誓った亜利奈がそこにいた。




 そして。




「どうして――」

 それを思い出した俺の背後には、

「どうしてそいつが、ここに居るの?」


 ミストが立っていた。

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