第59話あの時の鶏の様に

 ローゼが駆動する刃と共に敵の虐殺を繰り広げているその頭上。

 大聖堂の十字架に体を預け、中の様子を伺う影があった。

「ねぇ、私。なんかすごい事になってるよ。

 うん。流石に私もびっくりしてる」

 月明かりに映える銀髪をしきりに撫でながら、彼女は自分自身と話す。

 チェイサー。イスキー邸で亜利奈たちを監視していた少女だ。

 イスキー邸の時のメイド服とは違い、今は平民服を着ていた。

「ほらぁ。言ったでしょ。

 祐樹のドライ・カウンティ―が中途半端だからダメなんだよ。

 だって祐樹に近づけないもん。亜利奈と、ローゼと、ミストが居るし。

 亜利奈は怖いね。ローゼ姫の方が怖いよ。

 えー。絶対亜利奈の方が怖いよ。

 でもどうしてドライ・カウンティ―があんなにあっさり……、」


「――ッ!!」


 下の様子に気を取られていたチェイサーは、危険に反応して顔をしかめる。

 彼女の背中に影の翼が現れ、飛来してきたナイフを弾いた。

「あのチェーンソー、ああ見えて私の世界の神様から拝借した武器だから」

 屋根に別の少女が降り立つ。

 亜利奈だ。

 ローゼに暴れさせ、その隙にこちらの位置を探ってきたのだ。

「これだけの事をしてくれたんだから、どんな奴かと思ったら。

 独り言ブツブツ言うネクラ女が犯人?」

 亜利奈は見下した目で、


「気持ち悪い」


 と鼻で笑った。

 チェイサーの眉がぴくりと動いた。

「今、私を嗤ったな……!」

 漆黒の翼が拡張し、剣のように亜利奈めがけて放たれる。

「私の好きな人をバカにしたッ!」

「ちょっと、意味わかんないんだけど」

 亜利奈は難なくそれを避けるが、チェイサーの怒りには少し意外そうな顔をした。

「この……避けるなッ!!

 ――まってッ!!」

 次の一撃を放とうとするチェイサーは、自分の右手に制止された。

「落ち着こう。今亜利奈をやっつけたら、私達の夢が叶わなくなるよ。

 でも、でもあいつ私をバカにしたんだ……私が私と一緒なのをバカにしたんだッ!

 うん、私も怒ってる。でも、今は我慢しようよ。

 私の事誰も理解してくれないのもう知ってるでしょ?」

 自分で自分を説得するその様を、亜利奈はうーんと観察していた。

「昔のヨーロッパに多重人格の令嬢が居たのは知ってるけど……。

 あれとはちょっと違うみたいね」

「私は私だもん。他の誰でもない」

「ま、どうでもいいわ」

 亜利奈は肩をすくめる。

 と、今度は見る者を底冷えさせる瞳で言った。


「ユウ君の偽物なんてふざけた真似をした罪を償わせてやる。

 ――そんなに自分が好きなら同じ墓にでも入りなさいッ!!」


 亜利奈の拳から紫電がほとばしり、チェイサーの身体を狙う。

 寸でのところでチェイサーは空に逃げた。

「亜利奈の相手は私じゃないわ。わかってる……ッ!」

「逃がすか二口女ッ!! ……きゃあッ!?」

 追撃に飛び立とうとした亜利奈が、不意打ちに悲鳴を上げた。

 誰かが彼女の脚に纏わりついたのだ。

「この、離しなさい……ッ!!」

 亜利奈が顔面に一撃を見舞うと、相手は「ギャッ」と鶏の悲鳴に似た声を上げて脚を解放した。その隙にチェイサーは空を駆けていく。

 一瞥し、取り逃がしたと判断した亜利奈は、舌打ちして新しい敵を警戒する。


「行っちゃ嫌よ、亜利奈……」


 ぼたぼたと鼻から血を垂らし、相手はゆっくり立ち上がる。

 相手を確認して、亜利奈は目を丸くした。

「えーっと。〝先輩〟じゃないですか」

 イスキー邸で亜利奈がメイドを演じた際、先輩として接した少女だ。

 そして鶏を〆るよう亜利奈に指示し、その手法に驚嘆し気絶した被害者でもある。

「名前はトレートよ。覚えといて」

 意外な人物の登場にますます困惑した亜利奈だったが、今はそれどころではない。

「感動の再会と行きたいところですが、忙しいんで。

 ……これ以上邪魔するなら命の保証はしかねます」

「嫌よ、置いていかないでッ!」

 いよいよ気に触れているのか、トレートは亜利奈に追いすがろうとした。

 亜利奈は冷めた目で、


「警告はしましたから」


 上半身を輝く刃で貫き、空に投げ捨てた。

 鮮血が月明かりに舞った。

 亜利奈はうっとおしそうに

「ったく」

 と、言うとすぐに気に留めなくなりチェイサーの後を……、


「――ステキ」


 はたと立ち止った。

 振り返る。たった今投げ捨てた個体とは別の〝トレート〟が立っている。

 両手で自分の頬を覆い、どこかうっとりとした表情で、

「血を浴びる亜利奈、私の命を冷たい目で投げ捨てる亜利奈。

 月光に照らされて、とてもとても綺麗――っ。

 さあ、次は私を……グゥッ!!」

 異形の腕がトレートの下腹部を抉る。

 トレートは絶命した。


 が、


「うふふっ、やっぱり亜利奈はステキ」

「私の事簡単に殺してくれる」

「あの鶏みたいに」

「でも次は直接殺してほしいかな?」

「人殺しする亜利奈、癖になるほど綺麗よ……」

 わらわらと現れたトレート達は、亜利奈を取り囲むようにして、そして恍惚とした表情で亜利奈の殺害を褒め称え、次は自分を殺せ殺せとせがむ。

 その光景に流石の亜利奈も、少し怯えた表情を見せた。

「ドライ・カウンティって奴ね」

 そういうと、トレートのうち一人が頷いた。


「そうよ。私、殺されたらもう終わりだけど、これなら、たくさんたくさんたっっっくさん殺されても、殺してくれる亜利奈を見られるでしょ♪」







 ※数時間前。


 イスキー邸で働いていたトレートは、あの事件の後、他のメイド達が去っていくのを機に屋敷を辞めた。あの屋敷に居ると、亜利奈から受けた恐怖がぶり返り、時として身動きすら取れなくなってしまうからだ。


 元々身寄りのなかった彼女は、取りあえず城下町で職を探した。

 そしてすぐ、住み込みの仕事として倉庫番の手伝いに就いた。

 だが、そこはギャング団、ドッブ・ロック兄弟のアジトだったのだ。

 そうとも知らずやってきたトレートを彼らは乱暴な態度で迎えた。

 一応の雇用条件は守るらしく、直接的な暴力こそ振われる事は無かったが、しかし使用人としての仕事は劣悪を極めた。奴らの食べかすを片づけ、そこら中に散らかるゴミを回収し、性的な暴言を浴びながら食事の支度をする。

 こんな事ならイスキー邸で大人しくしていればよかった。


 ……いや、あそこにはもう居られない。

 あんな場所で悪夢に苛んで生きていく自信が無かった。


 亜利奈。鶏を引き千切った亜利奈。その血を浴びせた亜利奈。言う通りにしないと次にこうなるのはお前だと脅迫した亜利奈。鶏のように私の首を引き千切った亜利奈。私の頭を持ち上げて嘲笑う亜利奈。ありな、ありな、ありな……。


「オイ、どうした」


 ギャングの一人に声をかけられ、ハッとなる。

 トラウマに気を取られ、いつの間にか立ち尽くしていたらしい。

 額から汗がにじむ。血の中で微笑む亜利奈の顔が消えない。

「ひっでぇ顔だな。誰だよこいつにクスリ渡した奴!」

「いや出来たんじゃねぇの? おいレ※プはするなって言っただろ」

「バッカ、カエルじゃあるめえしそんなにすぐ孕むかよ」

 そんなデリカシーの無い声で男たちが笑う。


 ――コンコン。


「お?」

 そこで来客があった。額を拭き、使用人として応対しようとすると、

「いや、すっこんでろ」

 と一人が奥へ行くよう指示をした。

 よくわからないが、トレートでは来客の応対ができないのだろう。

 そういうものだと納得して、奥の部屋へ移った。


 断末魔が聞こえたのはその直後だった。

 振り返る彼女がみたのは、天井にごんっと打ち付けられる男の頭だ。

「う、……ウソでしょ……」

 そんなはずがない。彼女が来るはずがない。

 トレートはそう自分に言い聞かせ、扉を閉め、そして隙間から目を見張った。


 悪夢は長剣を振り回しながら乱入してきた。


『さあ、廃棄物処理のお時間ですよー。

 ゴミ袋は沢山用意してきましたから安心して死んでくださいね♪』


 そう言って亜利奈は飛びかかる男をねじ伏せ、殺す。

 逃げる男を捕え、殺す。

 あの時の鶏と全く変わらなく、亜利奈は微塵の躊躇も見せずに、それどころかその作業を愉しむようにして次々と虐殺を繰り返した。

 トレートは恐怖で高鳴る心臓を抑え、気付かれないようにその様を見ながら……。


「――綺麗――」


 ぽつりと呟いて、気付いた。トレートは恐怖に苛む一方で、どこかでその恐怖に激しい興味を抱いてしまっていた。未知への衝撃と、そして危険への不思議な期待だ。


 屈強な男達を殺害し続ける亜利奈は美しかった。


 名工の打った剣は妖しい美しさを持つという。そんな、危うい可憐さだ。

 亜利奈への恐怖が消えたわけではない。いやむしろ真逆で、亜利奈への畏怖は雪だるま式に膨らんでいく。その恐怖に覆いつくされ鈍った思考の向こうにトレートは確かに興奮していた。

 頬が緩む。息が荒い。額に汗がにじむ。

 もっと殺して。亜利奈、もっと血を見せて。

 トレートはそう呟いて、隙間から食い入るように、少しでも近く、惨劇をまるで性的な現場に出くわした傍観者のような心持ちで鑑賞していた。

「今出て行ったら、わ、わた、私も……。

 はぁ、はぁ……っ。えへへっ。

 ま、ま、混ぜてもらえるかなぁ……?」

 それを想像すると胸が弾む。だらしなく開いた口から涎が零れ、裾で拭う。

 自分の人生の末路が、亜利奈の手によって芸術へと変わるのだ。

 ああ、でもダメだ。怖い。それで終わってしまうのが恐ろしい。

 意気地のない自分に嘆きながら、トレートは亜利奈のショーを最後まで愉しんだ。







「あの後チェイサーが現れて、亜利奈が捨てたギャング達の死体袋を回収したの。

 ドライ・カウンティの材料にするんだって」

 トレートの一人は意気揚々と経緯を話し、亜利奈に熱い視線を向けた。

「私、すぐに飛びついたわ……」

「だって私がこんなにたくさんっ!」

「亜利奈に何度でも殺してもらえるんだもの」

「ねぇ、御託はもういいでしょ?」

「もう、もう我慢できないの……早く次の私を殺してッ!」

「あの時の鶏の様に」「あの時の鶏の様に」

「あの時の鶏の様に」「あの時の鶏の様に」


 狂乱したトレート達は、ナイフを亜利奈に向け、息を上げてこう言った。


「「「私を殺す理由なら」」」

「「「いくらでもあげるからぁッ!!」」」


「……うぅ……」

 亜利奈は大量の……いや一人の熱狂的ファンを目の前にして怖気た。

「こいつ、ちょっと、怖いかも……」


 皮肉な話だ。

 亜利奈からの恐怖を渇望するトレート達が、亜利奈を誰よりも怯えさせたのだ。

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