第50話偽のローゼ印

 姫は自分の印が押された借用書を手に、真っ青になって立ち尽くしている。

 理不尽な借金で苦しむ庶民を救おうとしたところで自分に繋がっちゃったんだからしょうがない。

「いや、でも時系列的におかしいだろ?

 なんで十年前の借用書に姫の印が押されてるんだよ。

 ローゼ姫は俺とそう変わらない歳だぜ」

 いくらお姫様でも、子供の頃から承認能力を認められるってことはないだろう。

 すると姫、いや今はドゥミお嬢様が、

「これは最近の物です。

 ここで認められているのは、借用そのものじゃありません。

 亡くなったお父様の借金を、家族に肩代わりさせる権利です。

 ……利子を遡って計算した上で被せる事も認めてます」

「え、マジ? そんなのアリ?」

「商人同士の大きな金額では稀に。

 難破を装い品物を横流しした船長に適応されたケースがあります。

 確かに判例として存在する以上、適応すると判断する貴族もいるでしょう」

 そこはイワン王国はまだまだ人治政治時代。

 誰かの胸三寸で物事が決まってしまう。

「し、しかし、これを私、いえ、ローゼ姫が認めるなんてあり得ません!

 姫が直接借用書の相談など受ける事は無いです!」

 本人がそう言うんだから間違いないだろう。

「仮に話があったとしても、支払い能力ぐらい鑑みますよ!」

 ドゥミ嬢がそう声を荒くして言うと、マールは静かに首を振った。


「姫様は、私達がどんな生活をしているのか知らないんですよ」

「――っ!」


 まさか目の前にいるのがローゼ姫だとは思ってないんだろう。

 マールの胸にたまっている叫び声を聞かされ、姫は下唇を噛んだ。

「この紙一枚で、私からお店も、お母さんも、みんな取り上げてしまうなんて。

 お姫様にはわからなかったんです、きっと」

 マールは俯いて少し笑った。

「印を押すのはすごく簡単な事だったんでしょうね」

「そ、そんなことありません――っ!

 ひ、姫は、イワンの国と民を率いる重みを、ずっと考えて……っ!」

「――だって、そうじゃなきゃ、ダメじゃないですか。

 優しいローゼ姫がこうなることをわかってて印を押したなんて。

 そんなわけ、ないじゃないですか」

 ドゥミ嬢の顔が真っ赤に染まる。

 前に、姫が言ってたっけ?

『ローゼ姫は花束のように美しく、純粋無垢で清らかな乙女なんだそうです』

『国民の皆さんは勝手なプロパガンダを鵜呑みにして私を聖女扱いしているんです』

『だって私お姫様なんです』

『肖像画に飾られるような国民の象徴たる聖女を心掛けなきゃいけないんです』


 マールはそのお姫様が自分達をここまで追い詰めた理由を探し続けた。

 それが今の結論なんだろうな……。


「に、に……偽物です、この印は……っ!

 姫は、決して民を裏切る様な事をしません!」

 ああ、マズイ。

 ドゥミ嬢がパニックを起こしかけてる。

 フォローに入らないとヤバいぞ。

 姫は普段は毅然と振る舞っているが、焦るとすぐ感情を爆発させる悪い癖がある。

 ついでに、そうなったら些細なミスで大ダメージを受けるオマケ付きだ。

「そうだな。なんかの間違いに決まってる。

 どっかの悪い奴が姫の印を偽造してるんだ」

 俺が割って入った。

「でも、もし偽物だとしても。

 その証拠を見つけないと、どうする事もできないですよ……」

「なーに、姫に直接聞きに行くさ。

〝本当に印を押しましたか?〟って」

 マールはぎょっとした顔をして、

「そ、そ、そんなことできるんですかっ!?

 裁判所でも突き返されたのに……!」

「ああ。任せとけ。

 こう見えて俺達、ローゼ姫の友達なんだぜ。

 ……な、ドゥミお嬢様?」

 お嬢様は深く息をつくと、気持ちを落ち着け、

「もう一度、姫殿下を信じてください。

 彼女はあなた方を見捨てません」



 住居区を二人で北に進む。

 目指す先はイワン城だ。道に迷うことは無いだろう。


「ごめんなさい。こんなことになってしまって」

 ローゼ姫が苦笑いをする。

「なんだか、また祐樹さんを巻き込んじゃいましたね。

 ケトルも結局買えませんでしたし。

 本当は勇者バッカスについて、一緒に調べるつもりだったんですけど」

「あー、約束してたもんなぁ」

 亜利奈のお父さんかもしれない勇者の話だ。

 イスキー邸の礼拝堂での話を、ちゃんと覚えておいてくれたみたいだ。

 それでドゥミ嬢の格好で出てきたのか……。

「あれ、そういやどうやって変装してるの?」

 ローゼ姫の変装にはけっこう高度な魔法が必要なはずだ。

 私用のために城の魔術師が魔法を掛けてくれるとは思えないけど……。

 すると姫は自分の指輪を見せて、

「亜利奈さんにお願いして、いつでも変身できるアイテムを造ってもらいました」

「え。いつの間に。

 あいつはそんな便利キャラだったっけ?」

「あー、それは祐樹さんが鈍感なだけじゃ……」

「?」

「いいえ、なんでもありません」

 なんかごにょごにょ言っていたローゼ姫だったが、

「でも、今日は急ぎの用事ができちゃいました」

「ああ、そうだな」

 一刻も早く、偽の印を取り消さなくてはならない。

 マールの家族を元の幸せな家庭に戻してあげないと。

「私、もっと皆さんのお役に立っていると思ってました。

 国家の象徴たる姫君として、やがて国を率いる王家として。

 努力を重ねてるつもりでした」

「姫はよくやってるよ。

 今日の王座の間でも、すごい威厳だったぜ」

「でも、ケトルの買い方も、お茶の値段も、私の名前で虐げられている人がいる事も。なにも知りませんでした。それじゃ偉そうにふんぞり返っているだけですよ。

 マールさんの言葉は、辛辣でしたが、真実です」

 姫は唇を噛んで、


「――ちょっと、悔しいです」


 と、言って俯いた。

 軽く言っているけど、けっこう堪えてるんだろうな……。

「ローゼ姫なら、今からでも取り戻せるよ」

 なんの根拠もないし、無責任かもしれないけど、俺にはそう慰めるしかない。

「祐樹さんにそう言ってもらえると、すごく力が湧いてきます」

 姫は大きく頷いた。

「うん、これも経験! 祐樹さんと一緒に街を歩いたからわかったこと!」

 そう変に持ち上げられると照れるけど、良かった。

 前向きに受け止めてくれたみたいだ。

「――なんだかんだ、今日は楽しかったです

 私、これから王族としてローゼに戻らないといけませんが、

 ……その……」

「?」

 姫は少し頬を赤くして、こう言った。




「ときどきは、こうして、

 あ、……〝あなた〟のドゥミになりたいです。

 よろしいでしょうか――?」




「……それさ、ダメって言ったら?」

「もちろん牢屋にぶち込みます♪」

 選択肢ねーじゃんか…………。

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