第37話巨大な拳


 目の前で死なれたにも関わらず、ローゼにはグレンの死因は分からなかった。

 舌を噛み切ったのか、夢中になっていたローゼが襟を閉めてしまったのか、頭を揺らし過ぎたのか後頭部をぶつけたのか、はたまた罵りに耐えられず精神が死を選んだのか。

 そしてローゼにとってはこの男がなぜ死んだのかなど、どうでも良かった。




「グレン――さまぁ――ッ!!」

 ニッカが冷たくなっていくグレンに縋り付く。

 彼女の悲痛な呼び声は、むしろそちらが断末魔に思えた。

「あー、面白かった」

 見世物はもう終わり、と言った調子で亜利奈はぱちぱちと手を叩いた。

「ローゼ姫、〝もう暗示は解除していいわよ〟」

「――っ!」

 ローゼは再び僅かに痙攣し、正気を取り戻す。


 ずいぶんとわけのわからない事を喚いてしまった。

 いろいろなしがらみを捨てきった本音や願望とはそういうものなのだろう。

 グレンの亡骸を見下ろしながら、ローゼは言った。

「……人を殺めるのは、もっと動揺するものと思っていました」

 ローゼは自分が起因になったであろうグレンの死を、正気になった今でもなお、まるで他人事のように受け止めていた。そんな自分に驚いたぐらいだ。

「どんなに憎い敵兵でも、初めて殺めるときは心が揺らぐと聞いていましたが……。

 これも亜利奈さんの影響ですか?」

「なんでも亜利奈のせいにしないでよね」

 亜利奈は研究所の資料を眺めながら言った。

 この未来からやってきた侵略者は、ローゼがグレンを罵倒する様を哄笑しながら見物していたくせに、今はまるで興味の無さそうな様子だった。

「簡単よ。姫はそいつの事人間とは思ってなかっただけ。

 害虫かなにかを殺したつもりなんでしょ?

 あー、怖い怖い」

「なるほど」

 疑問がすっと解消した。

 自分はグレンの事を、いよいよ一人の人格者として見ていなかったという事か。

 そうでなくては〝祐樹になれ〟などと無理難題をぶつけたりしないだろう。

「ふざけないで――ッ!! この人殺しッ!!」

 グレンに縋り付いていたニッカが叫んだ。

「天罰が下るといいわッ!!」

「その言葉、そのままお返しします。

 シスター・ニッカ」

 ローゼは動じずに対応する。

「あなたがグレンと共に犯した罪は、法に照らされ裁かれます。

 ――亜利奈さん、こんどは余計な手は加えないでくださいね」

 釘をさすと、亜利奈は、

「でもこいつもユウ君を侮辱したのよ。

 普通に殺すだけじゃ足らない」

「グレンの死を見せつけるだけで十分でしょう?

 あとは生き続ける事が彼女を苛むはずです」

「うーん。……ま。いっか」

 と、他ごとに意識を向けてしまった。

「その男の死を悼むことは結構ですが、巻き込まれたメイド達への謝罪の言葉は考えておいてください」

「……許さない……、絶対許さない……」

 こちらの話をまるで聞かず、ニッカは魔物の様な顔で恨み言を唱える。

「元々はあなたがグレン様を壊したのよ……。

 返してよ、英雄を目指してた頃のグレン様を……。

 あなたの夫に相応しくあろうと努力していたグレン様を……。

 私が憧れていたグレン様を……」

「あのさぁ、そいつもう多分ダメだよ?」

「………………」

 言葉が出ない。どうしてそこまでグレンを敬愛することができるのか、ローゼには全く分からなかった。ただ彼女の大切な物を奪ってしまったのは本当の事だ。

 こちらも一言ぐらい謝ってやろうかと思ったその時

「何とか言いなさい、この人殺しッ!!」

 ニッカが拘束された体でローゼに飛びかかろうとする。

「ローゼ姫、危ないわ」

 そして亜利奈が不可思議な力でローゼの身体を研究室に引き込んだ。

 危険とはニッカの事を言っているのかと思ったが、違った。




 グワシャァン!!




 天井が崩落し、研究所前の廊下が瓦礫に埋まる。

 巨大な拳が大地を穿ち、ニッカの頭上に降り注いだのだ。

 拳が天へと返っていく。

 何事か、と天井の大穴から覗くと、なんと祐樹とばったり目が合った。

「ろ、ローゼ姫っ! そんなとこに居たのか……っ!

 怪我は無いか!?」

 何らかの巨大な魔物と戦っているのだろう。

 ミストとかいうメイドの声も聞こえる。

「…………えっと」

 ニッカとグレンが潰されたと、動揺した脳味噌で報告しようと思ったが、

「…………いいえ。

 誰も怪我していません」

 彼に無用なストレスを与える意味は無い事に気付いて、そう答えた。

「そっか、良かった。

 ……待ってろよ、あいつやっつけて必ず助けに行くからなッ!!」

 祐樹はそう叫んで、どこかに行ってしまった。

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