第9話夫人の奸計
イスキー邸の客間は正面から左手に位置するが、屋敷の主たちの自室はその対、右手に存在してる。
ウェルシュ夫人の部屋は客間よりはるかに広く、そしてキラキラと眩い宝石を散りばめた、贅沢な装飾を施していた。
何事にも限度があるとは思うが、彼女の寝床を彩る鉱物は慎みを知らず、まるで彼女自身の悪辣さを数で示しているかのようだ。
その度を過ぎた部屋の主人は苛立ちを隠す様子もなく、こう言った。
「気に入らないわ」
そして側でし仕えていたメイドを呼び寄せると、
「なによあの小娘っ! 腹立たしいッ!!」
と、なんの前触れもなくメイドのほおっつらに平手打ちを叩き込んだ。
若いメイドは身構えもせず、黙してそれを顔面で受ける。
この酷い仕打ちに、もうずいぶん慣れてしまっているらしい。
「王家の親戚かなんだか知らないけれど、
グレンが姫と結婚すればメリー大公と同格……いいえ、我が家の方が格上になるのよ。
それを理解していないわあの小娘!」
ぱんっ! と、もう一発平手が翻る。
「まったく。あなたもそう思うでしょ?」
そして事もあろうに、八つ当たりの相手に同意を求めたのだ。
「……はい。
ウェルシュ夫人のおっしゃる通りです」
「そうよね、そうに決まってるわ」
夫人は頷き、そしてメイドに向かって、
「……酷い顔ね。
その見苦しい腫れが引くまでは、客の前に出ないようにしなさい。あんなのでも大事なお客様なんだから」
この理不尽に、メイドは眉一つ動かすことなく「かしこまりました」と答える。
「……もう下がっていいわよ」
解放されたメイドは、しかし喜ぶ顔も見せずに行儀よく一礼し、退室をしていった。
「不愛想な子だわ。気味悪い」
それが我慢強く耐えた召使に対する夫人の評価だった。
どうやら夫人は、自分の暴挙を客観的に見る力を完全に失っているようだ。
そしてさらに、彼女の傲慢さはこの部屋の輝きのように限度を知らない。
彼女は気に入らない客人、すなわちドゥミ嬢に何とかして痛い目合わせてやろうと思案を始めたのだ。
そして数分して、ふっと笑う。
「……そうだ、いい事思いついた」
彼女はドレッサーから呼び鈴を出すと、それを二、三回叩いた。
だが金属の音は出ない。
当然だ。
これは他者に音が漏れないように細工された魔法仕掛けの呼び鈴なのだ。
この世界でこの呼び鈴は、ほとんどの場合〝暗殺者〟を召喚するために使用される。
『……お呼びでしょうか?』
ちょっとの間もなく、男性の声が部屋に響く。だが姿は見えない。
そんな事は夫人にはどうでもよかった。
「ドゥミ嬢の側に付き人がいるわ。
生意気にも男よ。
でもその情夫はすぐに〝事故〟にあって命を落とすと思うわ。
……そうでしょ?」
『かしこまりました』
この回りくどい発注に男の声は二つ返事で答えた。
「ふふふ……っ。
小娘、思い知るがいいわ」
夫人がドゥミ嬢を嘲笑う。
……だが彼女は、そして夫人子飼いの暗殺者ですら、この部屋のテラスに、〝新人〟のメイドが息を潜めているとは想像すらしていなかったのである。
※
枕で一分弱うーあー唸っていたドゥミ嬢が突然静かになり、一呼吸おいてからがばっと起き上がる。
そして何事もなかったかのようにベットの端に腰かけ、平然とした顔で、
「失礼。少し取り乱してしまいました」
「オンとオフのギャップ凄いな!」
「体面保つのもお仕事なんです。
王族が俗っぽいのは好まれません」
「俺はすぐにボロの出るローゼ姫のキャラけっこう好きだけどなぁ」
そういうとドゥミ嬢はまたくるりとひっくり返ると枕に顔を埋めてしまった。
「手加減してっ!
祐樹さん、手加減してっ!!
死んじゃうっ!」
「さっきからなんなのその反応はっ!?
俺そんなに変な事言ってる!?」
反論すると、姫はまた一呼吸置いてからむくりと起き上がり、乱れた髪を手櫛で直しながら、
「……伝聞によれば、ローゼ姫は花束のように美しく、純粋無垢で清らかな乙女なんだそうです」
などと他人事のように語り始めた。
「ええ、そりゃあもちろん、背びれも尾ひれもつけて吹聴されてますよ。
生まれた家柄、そうなるよう厳しく躾けられて来ましたが生来の性格までは曲げられません。
幼いころはタチの悪いイタズラをしてじいやをよく困らせました」
「えーっと、この話長い?」
「でもみなさんそんな逸話しりません。
国民の皆さんは勝手なプロパガンダを鵜呑みにして私を聖女扱いしているんです。
居間の壁に私の肖像画が飾ってあるんですよ? 信じられます?」
「……いや、そういわれても」
「だって私お姫様なんです。
肖像画に飾られるような国民の象徴たる聖女を心掛けなきゃいけないんです。
清らかな乙女なんです。
いいですか?
清らかなっ! お と め です!」
終いにはすごい剣幕でそう言うと、姫はまた枕に頭を埋めて、
「男性経験無いのよっ!
もうちょっとぐらいは手加減してくれてもいいでしょうっ!?」
とくぐもった声で怒鳴った。
「……つまり、さっきのはやりすぎだったっていいたいのね」
「そりゃあ祐樹さんは亜利奈さんが居るからいいですよっ! 手慣れてるしっ!」
姫の枕越しの抗議が続く。
「別にあいつとはそういう仲じゃ……」
「でも私は男の子とは隔離されて生きてきたんですよっ!
さっきのあれを受け止める器はございませんっ!
こ、殺す気ですか!?
女の子を悶え殺す気ですかっ!?」
「あれ。でも婚約者はいるじゃん」
すると姫はがばっと頭を上げて、
「あいつはノーカンッ!!」
「あ、やっぱり?」
「あのナル男にさっきみたいな台詞を言われた日には……ううっ、鳥肌が……」
婚約者にここまで言われるとは……なんだか、グレンが可哀想になってきたぞ。
「わかった。
とにかくさっきのは不味かったんだな。
ごめん、良かれと思ってやり過ぎた」
そう謝ると、姫は数秒沈黙し、
「いいえ。
むしろ大成功です」
あーも。どっちなんだよ。
「要は私の心構えが足りてないんです。
そう、私はドゥミ嬢。
〝きれいな〟ローゼとは別人。
道中惚れた男性を召上げるような貴族にあるまじき好色のお嬢様」
なにやら姫は自己暗示でもかけるかのように設定を反復し、
「よし」
っと頷いてベットを降りた。
「……?」
何のつもりかと当惑していると、
「そこに座っていなさい」
とドゥミ嬢の口調で命令を下される。
言われた通りベットに腰かけたままじっとしていると、なんとお嬢様ともあろう方が絨毯の上に座り、そして俺の膝に体重を乗せてきたのだ。
「ちょ……っ!
これはさすがにまずいって!」
「あら、どうして?」
「こ、股間に近い……じゃなくてっ!
これ上下関係が逆転してるでしょっ!?」
「そうね……下剋上っていうのかしら?
二人っきりの時は、あなたが主よ」
騎士達に見られたらぶっ殺されるぞっ。
……いや奴らが自我崩壊して自決するのが先かもしれない。
「二人っきりなら〝演技〟しなくていいじゃないかっ!
っていうかなんでこんなシチュエーションになっちゃうの!?」
「わからない男ねっ!」
いきなりドゥミ嬢は声を上げる。
「私があなたの雇主よ?
私が主になれって言ったら、あなたは命令通りご主人様してればいいのよっ!」
あれ、これ俺の頭が悪いの!?
言ってる事が超次元すぎて分からんっ!
さっぱりわからんっ!!
どうしたらいいのかわからなくて固まっていると、彼女が今度はローゼ姫に戻って、
「リードしてくれる男性が必要なんです。
私一人ではドゥミ嬢を演じきれません」
そして上目遣いの潤んだ瞳で、
「……お願い」
出たよ。
姫の十八番〝お願いEYE's〟。
ちきしょう、こいつには抗えねぇ……。
「あー、あーもー」
俺は観念した。
ままよ、後は野となれ山となれ、だ。
「おーけー、わかった。
ジゴロキャラやってみる。
……でも俺も経験豊富ってわけじゃないんだから、行き過ぎたらストップかけてよ」
すると彼女はにやーっと笑み、
「つまり、私がストップかけるまではやりたいようにするってことね」
これはもう、ローゼ姫なのかドゥミ嬢なのか判別付かない。
「まあ……。
そ、そういう事になる……かなぁ」
「歯切れの悪いご主人様ね。
でもいいわ、少しづつ慣れましょう。
――とりあえず、頭を撫でて欲しいわ」
言われるままに髪を撫でる。
そりゃ、亜利奈にせがまれて頭を撫でる事は何度かあったけど。
いいのかなぁ。
この人お姫様なんだけどなぁ。
イイノカナー……。
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