第五章 サイレントブルー&ヴァイオレンスレッド PART2
2.
受付で神山に見て貰いたいというと、予約が必要だといわれて断わられた。いつもなら丁寧に対応してくれるはずなのだが、火蓮の姿とあって強くはいえない。
気は進まないが、こういう時はコネクションを使うしかないだろう。美月に電話を掛け相談すると、彼女はすでにコンサートホールにいるようだった。
「急にどうしたの? 火蓮」
電話越しに様々な楽器の音が漏れている、きっとホールで練習していたに違いない。
「いきなりで申し訳ないんだが、今日先生に診察して貰えるように頼んでくれないか?」
「それはもちろんいいけど。まさか心臓が痛いの? 大丈夫?」
「いや、大したことじゃないんだ。こないだ借りたアメフトのDVDを返そうと思ってね」
神山もアメリカンフットボールをよく見ることを火蓮から聞いていた。もちろん借りてなどいない。
「それくらいなら私から返すわよ。それに今日、休みでしょ? ホールに来たらいいじゃない。その時に私が預かるわ」
もちろん美月がそう述べることも予測している。
「内容について話がしたいんだ。先生の診察はいつも予約でいっぱいだろう? ゆっくり話がしたい時は雑談でもいいから、美月に連絡を入れてくれといわれている」
電話越しにピアノの音が聴こえてくる。まだ表現は浅く拙い感じだ。学生のピアノだろう。
しかし今の自分よりは遥かに上手いのは確かだ。急激に嫉妬が体を渦巻いていく。
「……わかったわ、話してみる。その代わり条件をつけていい?」
「ああ、オレにできることならな」
一瞬の間が空いた後、美月はいった。
「今日のコンサートに必ず来て」
「なんだ、そんなことか。いいぜ、たまには学生の演奏も悪くない」
「絶対だからね。じゃあ、今からお父様には連絡しとく」
「嘘はつかないよ。じゃあまた後でな」
再び美月からの着信が来た所、時間外で見て貰えることになった。
水樹は悩みを抱えたまま、ふたたび病院に向かった。
◆◆◆
「どうしたのかね? 火蓮君。この間来たばっかりだったじゃないか。何か問題があったのかね」
「いえ、そうではないんです。今日は相談に参りました。実は事故に会う前の記憶が少しずつ蘇って来たんです」
「そうか、それは素晴らしい。どんな記憶なんだい?」
具体的に話し過ぎると美月に話される危険性がある。できれば神山に話を進めて貰えるように策を練らなければ ならない。
「事故の時の記憶です。先生はオレ達が事故に遭って、この病院に来るよう誘導してくれたんですよね? その話を訊かせてもらえませんか。オレから話すと、記憶が混同する恐れがありますから、先生から話を伺いたいんです」
「いいのかね? 辛い記憶にしかならないが」
「ええ、覚悟はできています」
よろしい、と神山はいって話し始めた。
「君の家族は車でドライブをしている所、トラックにぶつかったんだ。もちろんそれはトラック側に非があった。トラックは車の前面に衝突し助手席、君のお母さん側に大きくぶつかったんだ。お母さんとお父さんは即死だったと聞いている」
記憶にはないが、彼らの気持ちを思うと胸が痛む。今でも両親の顔を思い出せない自分が歯がゆい。
「トラックの運転手はどうなったんですか?」
「残念ながら病院に搬送された後、亡くなった。一度彼の奥さんとその娘さんが見舞いに来たが、風花君が断わっていたよ」
「そうですか……」
トラックの方に非があったと聞いても、悲しみの感情が心を揺さぶった。誰であろうと命を失うということは聞きたくない。
「君達には奇跡的に外傷は少なかった。君の場合でいえば背中に窓ガラスが少し刺さったくらいで、水樹君には左耳から出血しただけだ。もちろんそれは完治している。
問題は内面の方にあったんだ。二人とも心臓の動脈の血が止まっていた。簡単にいえば、心不全を起こしており危険な状態だったわけだ。速やかに手術が行われなかったら、命の保障はできていなかった」
神山の説明には一つ嘘が混じっていた。今は火蓮の体で来ているため、水樹の耳のことについては治っていると、わざと嘘をついてくれたのだろう。自分との約束を守ってくれているのだ。
「なぜオレ達には外傷がなかったんでしょうか? ただ運がよかっただけなんですか」
「君達が身構えていなかったかららしい。水樹君の場合は車の中で音楽を聴くためにイヤホンをしていて、君の場合は本を読んでいたらしい」
一瞬、頭に電流が走った。イヤホンと聞いて今までの疑惑が確信に変わる。
「どうしたんだ、火蓮君? 顔色があまりよくないね。ここまでにしておこうか」
「……大丈夫です。是非聞かせて下さい」
「そうか。苦しくなったら、正直にいうんだよ」
神山は顔色を伺いながら続けた。
「君の両親のことは前から知っていた。美月がヴァイオリンに夢中になっていたから、私も色々とクラシックは聞いたんだ。コレクションの中に君のお父さん、
神山は思い出すように遠くを見つめた。
「本当にいい曲ばっかりだった。お父さんが指揮する曲はどれも気持ちのいい静寂を感じるものばかりだった。名前の通り、本当に海の中にいるような感じだ。もちろん、君の指揮も迫力があり素晴らしいものだ」
いつもの神山ならこんな話はしない。それは記憶が戻ったことに対して嬉しくて饒舌になってしまっているからだろう。
「そこでだ。君達の名前を聞いた時に私はすぐにうちに来るように命じた。手術室も入院できる部屋も空いていたからね。必ず君達を助けようと心に誓った。そして手術は無事に成功した」
「その時にですか? 水樹の耳の突発性難聴が起こるようになったのは」
「……君に隠し事は難しそうだね」
神山は唸りながら白状した。
「君の耳は本当にいいから、余計にわかってしまうのかもしれないな。水樹君から口止めされていたんだ、すまない」
神山は優しい口調で水樹に諭すようにいった。
「左耳のイヤホンが原因らしい。トラックの衝突で鼓膜の先までイヤホンが入り込んでしまったみたいだ」
心臓を抉られるような感じを覚える。わかっていることなのに、こうはっきりといわれると辛かった。
「やはりそうだったんですね」
神山は深々と頭を下げた。大きく息を吐いて、水樹の顔を見つめてきた。
「……ああ。耳の手術、心臓の手術。どちらかを選択しなければいけなかった。しかし私は迷うことなく心臓の手術を行なったよ。水樹君が音楽家になりたいという夢も知っての上でだ」
神山は瞳を潤ませながら続けた。
「その選択が正しかったかは今でもわからない。もしかしたら両方とも助ける方法があったかもしれないからね。音楽家として彼が生きていけなくなるのであれば、その時は私を恨んでくれたらいいと思っていた」
神山先生の気持ちは痛いほどわかる。定期健診に行く度に彼は自分のことをわが子のように心配していたからだ。
少しでも体に不安を覚えると親身になって相談に乗ってくれた。特に耳のことを話す時には、先生自身が身を切られるような思いで話を聞いてくれていた。
「水樹もわかっていると思います。神山先生にはいつもお世話になっているといっていますから」
「そうだったらいいんだがね」
「ええ、大丈夫ですよ」
こほんと神山は一つ咳をして、火蓮の背中の傷について話し始めた。
「君の場合も大変だったんだ。命に別状はないが、出血がひどく大きく跡が残る手術だったからね」
「運がよかったんですね」
「運がいいというか……やはり血の繋がりというのは凄いなと思ったよ。咄嗟の判断で君は水樹君を守ったんだから」
「え? 身構えていないから二人とも傷が浅かったんじゃないんですか」
「それはトラックがぶつかった時だ。その後、ガードレールにぶつかっている。その直前、君が水樹君を庇ったんだ。水樹君を覆うようにしてね」
再び事故の記憶を彷徨う。
そして車は横転し近くのガードレールに叩きつけられた。その時に火蓮の体は水樹の体を覆ったままの状態でいたため、水樹の左耳を潰したのだ。
「そんな……オレが、あいつの……」
「……いいかい、火蓮君」
神山は水樹の肩を掴んで諭すようにいった。
「鼓膜を潰したのは君のせいかもしれない。だけど今の水樹君があるのは君がいたからなんだよ。彼のピアノが聴けるのは君がいるからなんだ。どちらの方が大事かと聞かれると間違いなく命だ。その命を守ったんだ、胸を張っていい」
「……ありがとうございます。でも……この話は水樹にはしないでくれませんか?」
「大丈夫だ。この間も約束したばかりじゃないか」
「え?」
再び耳を疑う。約束とは何のことだろう。火蓮はこの間、記憶のことは何も話していない。
「すいません、この間の約束というのは……」
質問すると、神山先生は再び笑って答えた。
「もちろん、定期検診の後に来た時の約束だよ。水樹君の前でできない話があるといってその後、また来たじゃないか」
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