school-11 父親
うちの女性陣はわかりやすい。
ここ数日、杏奈さんと萌の様子がぎこちない。口も聞いているし普通に接しているけれど、互いに気まずそうな……そんな風に見える。
「パパ、おやすみなさい」
店の後片付けをしていると後ろからそう声を掛けられた。
「ああ、お休み」
振り向いた僕に息子は目で訴える。
『ママとお姉ちゃん、まだ変』
深い瞬きと立てた親指で返事をする。
『大丈夫、任せとけ』
息子はすぐに笑顔になり「ママ絵本読んで」と彼女を寝室へ誘った。
階段を上がる後ろ姿に目をやると、息子は背中に回した手でピースサインを作る。
それは『ママのことは任せて』という僕へのメッセージで。なんとも頼もしい幼稚園児だと嬉しくなった。
――トントン
「萌、なにか飲まないかい?」
部屋の中に声をかけると静かだが萌がドアに近付くのがわかった。
――カチャリ
「……アイス食べたい」
「じゃあ一緒に買いにいこっか」
支度しておいで、と階段を下りる。
――アイスなら店の冷凍庫にあるんじゃないかって?
勿論。バニラにチョコレート、シャーベットまでデザート用の特別美味しいのがそれなりに。
でも萌がねだるアイスは昔からたった一つなんです。
街灯が並ぶコンビニまでの遊歩道。
並んで歩くのは久しぶりだった。
もうすぐ夏がくるというのに、まだ涼しい夜風のせいで二人とも背中が少し丸まった。
「ごめんね、パパ……ママに嫌なこと言っちゃったの」
「どんな?」
「幼稚園の時のこと覚えてないもんって……ママはさぁ、自分のせいだと思ったよね、きっと」
「思ったかもしれないね」
「……」
外からでもその眩しさが分かるほど、天井一面にLEDライトが並ぶコンビニのドアを開けアイスケースまで真っ直ぐに進む。
街灯のぼんやりした明るさに慣れていた目が急に覚醒するような店内にはあまり長居はしたくないと、同じものを二つ買ってすぐに退散した。
「食べてっちゃおうか」
昼間は賑やかな公園も今は静かな時間を過ごしているようで、かつて彼女と並んで座った懐かしいあのベンチに娘と並ぶのもいいかもしれないとふと思った。
二人同時に白い
示し合わせたかのように同じ仕草を取る娘に思わず顔が綻んだ。
「なんでこれだってわかったの?」
口の横についた最中の粉を払いながら、美味しそうに笑う娘にそう聞かれる。
「北海道のお祖父ちゃんにね、教えてもらったんだ」
「おじいちゃん?」
「そう。萌は寂しいとこれを食べたがるよって」
「へぇ」
僕は思い出す。
一面に広がる緑色の波。
広い畑の真ん中にいた義父は帽子を目深に被っていたから、すぐ目の前まで近付いた時ですら表情はあまり読みとれなかった。
『滝沢……です』
深々と頭を下げたけれど、名前を告げたあとは何も出てこない。
極限まで緊張していたんだと思う。
『雪さん、待ってたよ』
『どうして……僕の名前?』
『なぁに、簡単だよ』
驚く僕を見てニカッと笑った義父。
買い物から帰ってきた杏奈さんが泣き崩れ、慌てて駆け寄ってきた萌が目の前で転んだ。
それはまるで昨日のことのように鮮やかに再生出来るから、もう7年も前だなんて信じられない。
僕の膝で眠ってしまった萌を抱いて席を外した杏奈さんの後ろ姿を見た義父は、一旦台所に立つと冷凍庫からそれを一つ取り出してきて僕に見せた。
『いつもねぇ萌と食べるんだ、これ』
『……雪モナカ?』
『そう。いつだったかな、杏奈に頼んだんだ。買ってきてくれーって』
『……』
『そしたら萌が、これ雪っていう字なの!?雪先生と一緒!!って嬉しそうになぁ』
手渡された『雪モナカ』というアイスは僕が日本にいた時にはなかったと思う。
初めて手にしたそれは、他のと特別変わらない普通の白い
プリントされた銀色の帯と雪の結晶。
真ん中に堂々と書かれた『雪モナカ』の字。
――その日から、萌のお気に入りだよ。
――特に寂しい時とか辛い時に食べたがる。
――君を思い出してたのかもしれないな。
離れていた時間を埋めてくれたその話。
寂しい想いをした萌には悪いけれど、嬉しいと思ったあの日の気持ちを忘れられない。
喉の奥が熱くなり、冷たいアイスでもそれを抑えることは出来なかった。
――雪さん、杏奈は本当に辛い時には何にも言ってこない。我慢するんだ。
――萌も似てるから。
――二人を頼みます。
僕に頭を深く下げた義父の肩が震えているのを一生忘れちゃいけないと思った。
「なにか辛いことがあるならいつでも聞くからね」
ごみになった外装を受け取りコンビニの袋にしまう。帰りの合図の代わりに娘の頭を幼い頃にしたようにクシャクシャと撫でた。
「……パパ」
歩き出してからほんの僅か。
「イチとどうやって喋ったらいいかわかんなくなっちゃった!」
振り向くと、目に涙を溜めて立ち尽くす萌がいて。その姿の半分は、小さかった昔と同じに見えたけど……もう半分は見たことない女の人の表情だったから。
父親になった嬉しさと、父親だから感じる寂しさを僕は同時に味わっていた。
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