86.怪斑




 「飛蝗バッタ」。

 バッタ目直翅目バッタ亜目Caelifera に分類される昆虫の総称。

 「蝗」を読んで字の如く、「虫」の「皇」帝とさえ称される。

 一説によるとその語源は、古代中国における三大災害の一つに数えられるが皇帝の命をも左右すると言われたことからであるとの事。

 「蝗害こうがい」は飛蝗が起こす災害を指し、その猛威は聖書やコーランにも記されている。爆発的に繁殖した飛蝗の群れがありとあらゆる農作物を喰い尽くしてゆく、人智を越えた天災である。

 なお、混合されがちな飛蝗バッタイナゴであるが、その区別もまた読んで字の如くである。はねで飛行するのが飛蝗バッタであり、イナゴの方は英名の「Grasshopperグラスホッパー」が示すとおり跳躍は出来ても飛行は出来ない。

 対する飛蝗バッタの英名は「Locustローカスト」。




 その由来はラテン語の──「焼野原」だ。






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「ウ、ぶゥ、ぉォゲェロロロロロロゥヴェェェェアアアァァあ"っ!!!!」


「な"ぇーーーーーー!?」


 悍ましい嘔吐音と共に、悪魔と謳われた昆虫が次々と【奈落食堂ストマックフォール】の口腔から這い出してくる。

 その様子を目撃した【狩り手ハンター】は、らしくもなく悲鳴を上げた。


「ちょいちょいちょいちょーーーーいっ! おれも大概色物イロモノの自覚はあるけどさぁ! ここまでいっちゃったらそりゃ色物通り越して下手物ゲテモノでしょーがいっ!」


 お前も十二分に下手物ゲテモノだ、などとツッこむ者は当然この場にはいない。


「【射殺す狩り手デア・フライシュッツ】! 迎撃かーいし!」


 その手に現した二挺拳銃を駆使し、自らに襲来する飛蝗達を【狩り手ハンター】は迎撃し始めた。

 BANGバンBANGバンと銃声が響き渡り、猟弾が飛び交う飛蝗バッタ達を正確に射貫き、バラバラにしていく。


「ヴぅえ"っ! べェっ! ケェっ!」


 その間も【奈落食堂ストマックフォール】は絶えず飛蝗達を吐き出し続けている。

 撃ち落とした端から次々と増えていくその有り様を目にし、しかし【狩り手ハンター】は愉しげに嗤った。


「あっひゃっひゃ! こりゃ厄介! ちっこい頃よく飛蝗の脚捥いで遊んでたけど、この分じゃ虫けらを潰し続けてたら日が暮れたって終わんないにゃあ! んなら──本体を叩くのみっ!」


 【死業デスグラシア】を解除し【死鎌デスサイズ】に持ち換え、【狩り手ハンター】は一気に【奈落食堂ストマックフォール】との距離を詰めにかかる。

 自分より二回りは小さい【奈落食堂ストマックフォール】を切り刻まんと、紫苑の死刃を振りかぶる【狩り手ハンター】──


 ガジ、ガジ、ガジ。


 けたたましい音が歪んで響く。


「んなっ……!?」


 絶句する【狩り手ハンター】の目に映った光景とは。


「デ、死鎌デスサイズを、咬みちぎって、喰っとる…………?」


「べっ」


 流石に嚥下することはなく、喰い破った刃を吐き捨てる【奈落食堂ストマックフォール】。

 その光景に目を見張る【狩り手ハンター】であったが、かといって呆然とするほどの可愛げがあるワケでもない。驚きながらもそれはそれとして再生成した死鎌デスサイズで切りかかる──


「ぶ──ふぅゲぇぁっ」


「うわっちょ、危なっ!」


 ほぼゼロ距離で更なる蟲を追加する【奈落食堂ストマックフォール】。

 【狩り手ハンター】は死鎌デスサイズを振るって舞い翔ぶ飛蝗達を斬り落としていくが、気づけばその数は容易く百を越えていた。


「あーもう! 本体の方の基礎スペックも中々じゃんさぁ、蟲ゲロお嬢ちゃん! すばしっこい上に強度も高い。かといって追わなきゃ虫が増えてくだけだし、ねぇ! 厭悪カニャッツォ!」


「ヴぉげェぇアっ!!」


 猟犬の如くに敵を追い続ける追尾弾厭悪カニャッツォ

 しかし、それに対抗するように飛蝗の群れが厭悪カニャッツォの弾丸へと殺到する。

 厭悪カニャッツォは次々と飛蝗バッタ達を撃ち抜き、しかしその度に威力は衰えていき──やがて消失した。


悪業弾罪マレブランケが相殺された、ってーことはやはりあの飛蝗むしけらどもにゃあ【死因デスペア】が付与されて──」


「ぶゥ、バぁああああがァ!」


「いや、それしか知らないのかあんたわー!」


 言いながらに、内心で【狩り手ハンター】は風向きの悪さを感じていた。

 幼ささえ感じる外見をした目前の少女死神グリムが一回毎に吐き出す飛蝗群は、徐々にその数を増してきている。

 このまま増殖を続ければ──


「っと、言ってる側からぁ! うっわタカってキタタカってキタぁ!」


 数匹の飛蝗が【狩り手ハンター】の身体に取りつき、その頑強な顎で齧りつく。

 次の瞬間。


「ん、に"、あ"? む、ぐぐくぐぅ…………力が、抜け、こんのっ!」


 一瞬身体が脱力しそうになるも、すぐさま奮い立たせて取りついた飛蝗達を剥がして握り潰す。


「ふぃー。ったく、やっぱ一匹一匹に【死因デスペア】込められてんのね。それをこれだけポンポン出すとは、相当なもんじゃんさー。今の虚脱感…………【衰弱死すいじゃくし】、なんていうパッとしないもんじゃないね。まああんたちゃんの様子や飛蝗ってモチーフから察するに、ズバリ──



 ──【餓死がし】の【死因デスペア】だにー?」






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「現在【奈落食堂ストマックフォール】と【狩り手ハンター】が戦闘中。戦況は膠着状態といっていいだろうな」


 自身の監獄内の様子を監獄の長たる【無限監獄ジェイルロックマンション】は同輩達へと告げる。


「膠着状態ぃ? っちゅー事はもうて事ですやん」


「まあ、そうなるな」


「かぁー! 役に立たん狩人かりゅうどもいたもんやわ。散々邪魔しくさってからに最後くらいこっちの都合に合わせろっちゅーねん」


 忌々しげな表情を隠そうともせずに【処女メイデン】が毒づく。


「ほなら、我等が最強ちゃんに意見を聞こかな。【少女無双ヴァルキリアス】ちゃん、あのトリガーハッピーは【奈落食堂ストマックフォール】ちゃんを止めてくれると思う?」


 流石にもうメンタルを立て直せたのか、いつもの平静な態度で【少女無双ヴァルキリアス】は答える。


「さて、彼女の【死業デスグラシア】は二挺拳銃でしたか。言うまでもなく拳銃とは人間を対象にするためのものですので、虫の駆除には向いていません。過去蝗害に対して大砲などの重火器を対処に用いることはあったようですが、結果は芳しくなかったそうです。まあ大砲が火炎放射器であろうとクラスター爆弾だろうと蝗害を解決するには至らないでしょうが」


「そうなん? 火炎放射器とか結構いけそうやけど」


「固い表皮や外殻を持つ昆虫は少々炎を浴びせられても死にはしませんし、死ぬとしても完全に燃えるまでしばらく動けます。オーブンでチンしても生きていたゴキブリの話、聞いたことありませんか?」


「聞きたくもないわんなもん」


「そして、先程お二人が言っていたように蝗害の対処は初動が勝負です。【奈落食堂ストマックフォール】に限って言えば、初手で確実に仕留めるのが最善ですが…………残念ながら戦闘は一進一退の攻防だそうです」


 ふう、と息を吐く【少女無双ヴァルキリアス】。


「【奈落食堂ストマックフォール】が次の段階フェーズへ移行するのに、そう時間はかからないでしょう」






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 「相変異そうへんい」。

 飛蝗バッタイナゴの二種の間に横たわる、決定的な差異がこの生態だ。

 通常の飛蝗バッタは一般のイメージ通りに緑色の体色を持ち、おとなしい気性でお互いを避けるようにまだらに生息する。この状態を「孤独相こどくそう」と呼ぶ。

 だが。

 周囲に多くの同種がいる高密度下で発育した個体はホルモンの変化により徐々にその姿形を変えてゆく。体色は黄色や黒の目立つものへと変色し、体格は巨大化、外殻は硬質化。翅もまた長距離飛行に適した長大なものへと変質し、風に乗れるよう体重は軽くなる。そして何より──毒草や紙に綿など、本来食べない植物由来の代物を片っ端から食い荒らす程にする。

 この状態を「群生相ぐんせいそう」と呼ぶ。

 その変貌ぶりは1921年にロシアの昆虫学者ウバロフが「相変異そうへんい」を発見するまで、「孤独相こどくそう」と「群生相ぐんせいそう」の飛蝗バッタはそれぞれ別種だと考えられていた程であり、「群生相ぐんせいそう」の飛蝗バッタは通常の飛蝗バッタのイメージからはかけはなれた「黒い悪魔」と化す。

 数百億、数千億という感覚の狂う程の数に群れ、それらは比喩抜きに天地を覆いつくし、風に乗ることで日に100km以上の距離を移動しながら緑という緑を喰らい尽くしていく──それは到底人の力など及びもつかない、正真正銘のである。






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 ──ガチ。

 ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。ガチ。

 異様な咀嚼音が響き渡る。


「ひゃーっ、ひゃーっ、ひゃー…………どれだけゲロるってのさ。底無しかい? あーもー疲れたー。いや腹減ったのかこれ。あっひゃっひゃ、飢餓感なんて久々だねぇ」


 相変わらずの軽口を叩く【狩り手ハンター】だったが、現状それは虚勢にしか見えないだろう。


 「相変異そうへんい」を起こした黒々しい飛蝗バッタの群れ、最早その数は千を優に越し万に届こうとしている。既に周囲は飛蝗バッタまみれだ。


「う、ゲェェぇえぇエェぇっ! …………おなか、すいた。ねぇ、みんなも、おなかすいたよねぇ」


 戦闘中は延々と飛蝗バッタ達を吐瀉し続けて来た【奈落食堂ストマックフォール】が、今ようやくまともな言葉を喋った。


「あっひゃ! そんだけゲロゲロすりゃー腹も減るでしょーともさ! もうちょい落ち着きというものを持った方がいいんじゃないかにゃあ!? 大人の淑女レディからのアドバイスー!」


「おねえさん、回帰早いねぇ。齧っても齧っても、食べても食べても、喰っても喰っても元に戻るんだねぇ。なら──」


 お互いに会話が成立していない事など気にも止めないまま捲し立てる。そんな中、無表情を貫いていた【奈落食堂ストマックフォール】が、ようやく、笑った。


じゃん」


 その言葉が引き金となり、夥しい飛蝗バッタの軍勢が一斉に【狩りハンター】めがけて殺到する。

 その数は【狩り手ハンター】の死鎌デスサイズでも【死業デスグラシア】でも到底捌き切れない大群であり──




「──あひゃ♡」




「ぇあ?」


 【奈落食堂ストマックフォール】の間抜けな声。


「あーーーーっひゃっひゃっひゃーーーー! ざーんねーんでーしたー! じ~か~んぎれ~~~~! あひゃーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! 時間稼ぎしてたのは自分だと思ってた!? お互い様だっつーのぉゲーローチービー!」


 呵呵大笑する【狩り手ハンター】の飛びかかろうとした飛蝗バッタ達が、【狩り手ハンター】に触れる前にボトボトと地面に落ちて行く。


「なに、したの?」


「相手の【死因デスペア】ぐらい頭に入れとけつーのー。ま、みた感じ初心者ニュービーっぽいしそもそもノータリンくさいし、しゃーないなー。おねぇさんが教えてあげよう。今使った弾は性悪ファルファレルロっつってねー、神経ガスの毒を込めた弾丸なんだけど…………今撃ったヤツの中身を詳しく言うと、有機リン系の神経剤──クロルピリホス、つってもわかんないかぁ。もーっと分かりやすく言ったげようかぁ?」


 ニタリ。

 と、得意満面の顔で【狩り手ハンター】は告げる。




♡」




「!!」


 そこで【奈落食堂ストマックフォール】も顔を強張らせる。


「あっひゃっひゃっひゃー! もちろん殺虫剤っつってもキン●ョールみたいな身体に優しい代物じゃぁないよー!? ヨーロッパじゃ禁止されたバリバリ人体にも有毒なヤツさぁ! でなけりゃおれの【死因デスペア】で使えないし──」


「あっそ」


 次の瞬間、【奈落食堂ストマックフォール】の姿が【狩り手ハンター】の視界から消える。


「!」


 反射的に【狩り手ハンター】は死鎌デスサイズを振るった──その山勘は見事に辺り猛然とこちらに飛びかかってきた【奈落食堂ストマックフォール】の喉元を捉える。

 しかし。

 死鎌デスサイズの刃の方が、へし折れた。


「んなっ──!?」


 ガヂ、と咀嚼音が一つ。

 【奈落食堂ストマックフォール】の顎門アギトが【狩り手ハンター】の片腕を根本から喰いちぎった。


「──相変異そうへんい、は飛蝗バッタ達だけじゃなくあんた自身も適用されるっつーワケね。偏在駆動も偏在強度も、さっきまでとは桁が違うっ……! あひゃ! いーじゃんいーじゃん、アガってきたじゃないのよっ!」


 【狩り手ハンター】は更に笑い、片腕の返礼をするべく一歩踏み出す──




「お、おええええぇぇぇぇぇぇ!?」




 ──前に。

 【奈落食堂ストマックフォール】が、を盛大に吐いた。


「…………はひ?」


「おぇっ! うぇっ! ぶえ! ま、まままっま、ままっままっま──不味マズぅぅぅぅぅうううう!! こんな不味マズいの初めて食べたぁぁぁぁ!!」


 涙目になって絶叫する【奈落食堂ストマックフォール】だった。


「ひ、ヒック、ひんっ! ぅ、う"ぅっ! も、も、もうやだーーーー!! かえるーーーーーーーー!!!!」


 泣き喚きながら、【奈落食堂ストマックフォール】はいずこかに逃げていった。

 そして、ポツンと取り残された死神グリムが一人。




「…………………………いや、酷くない?」






 無所属。

 【狩り手ハンター】。


 対。


 【十と六の涙モルスファルクス】所属。

 十の十、【奈落食堂ストマックフォール】。


 不決着けっちゃくつかず




謝死屍祭グリムフェス】二日目、終了。



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