断崖ヒーロー──⑧




 くらき剣閃により分断わかたれた黒き死神グリム、【無限監獄ジェイルロックマンション】の斬り飛ばされた上半身諸共に、頭尾須ずびす あがなは後方のウロへと落下していった。

 恐るべきは【無限監獄ジェイルロックマンション】のその力か――桜並木を根こそぎに巻き込んで穿たれた地面の深さは相当だったようで、穴の底へと墜落したあがなの身体は衝撃と共に跳ねる。


「うっ、ぐ…………!」


 標的を縫い留める為に全霊を込めていたのが裏目に出て受け身をとるのが遅れた。

 とは言え元々目立った外傷も無かったあがなは直ぐに顔を上げ、少々距離が出来た宿敵へと視線を遣る。


「まだ…………消え失せてない。最後の、とどめをっ…………!」


 言うまでもなく【無限監獄ジェイルロックマンション】の傷は致命傷だった――まともな原型さえ碌に保てていないのだ。それも【冥月みょうげつ】を――死神グリム否定まっしょうする絶対の御業をあそこまで徹底的に叩き込まれたのである。並の死神グリムならとうの昔に跡形もなく消滅している筈。

 無論、あの黒衣の死神グリムは並の死神グリムなど到底及びもつかない強大な力を誇っていたが…………それにだって、いくらなんでも限度というものがある。

 ほぼ間違いなく、あのまま放っておくだけでも消滅は免れないだろう。

 しかし。


「眺めとくだけなんて…………できるかよ」


 黒刀を構えつつあがなは【無限監獄ジェイルロックマンション】へと歩み寄る。

 目前の死神グリムへと、引導を渡す為に――


「ああ、それは困りますな」


 厭に耳ざわりのいい、深みのある声が聞こえた次の瞬間にあがなは後方へと吹き飛ばされる。


「がッ…………⁉」


 半ば直感に任せてその腹部への一撃は防御したが、再び【無限監獄ジェイルロックマンション】とは引き離されてしまった。


「…………いやはや。俄かには信じられませんな。貴殿程の死神グリムが、灰祓にんげん相手にこれほどの深手を…………」


 品格の漂うスーツを着こなしているその老人は、硬い表情で【無限監獄ジェイルロックマンション】へと歩み寄る。


「貴殿ともあろうかたがこんなところで退場というのは【醜母グリムヒルド】も耐え難いでしょう――急ぎ、御目覚めを」


 言いながらその老死神グリムは――【時限式隠者クロックワークス】は横たわる同士へと向かって手を翳す。

 すると、見るも無残だった【無限監獄ジェイルロックマンション】の姿がみるみるうちに復元――回帰していく。


「っっっ! 止めろテメェ――!」


 【裂黒ざくろ】を構え、踊りかかるあがなだったが――

 愛刀によるその一太刀は虚しく空を斬る。


「なっ…………」


 背筋を走る悪寒を頼りにして咄嗟に振り返る。

 するとあがなから遥か後方の位置に、外見上は元通りになった【無限監獄ジェイルロックマンション】と、それに並んで立つ老死神の姿があった。

 【無限監獄ジェイルロックマンション】の回帰も。いつの間にやら目前から背後へと回り込んだ動きも。


はや、すぎる…………」


 そんなあがなの呻きをよそに、【時限式隠者クロックワークス】は側に立つ同胞へと声をかけた。


「仔細ありませんかな? 【無限監獄ジェイルロックマンション】」


「…………ああ問題ない――矜持プライド以外は、な」


「心中お察ししますが…………私の方こそ動揺を隠せませんよ。いくら【死業デスグラシア】の解放を禁じられていたとはいえ――貴殿ともあろうかたが油断もありますまいに」


「気遣いのつもりなら逆効果だな。いっそ嘲笑された方が気が紛れる」


 重々しい感情の籠った声を吐露しながらに、【無限監獄ジェイルロックマンション】は立ち上がり──あがなの目を真正面から強く見据える。


「…………お前の名は訊いていなかったな。名乗れ」


「…………頭尾須ずびす頭尾須ずびすあがなだ」


「覚えておく。そして――死ぬなよ。俺が再び目の前に現れる、その時までな…………」


 後ろ手で【獄門ごくもん】を開きながらに、【無限監獄ジェイルロックマンション】は言う。

 そして、静かにその門をくぐり、その姿を消していった。


「待ちやがれ…………っ」


 その背を追おうとしたあがなの道を塞ぐようにして、【時限式隠者クロックワークス】はその前に立つ。


「申し訳ありませんが、今回はここでお開きにさせていただきましょう――どの道貴方単独で何が出来るというわけでもありますまい」


「うるせえよ…………だからって、何もせず呆けて見てられるか」


「…………フフ」


 あがなを眺め、含み笑いを漏らす【時限式隠者クロックワークス】。

 しかしその笑いは嘲笑でも皮肉でもなく――どこか、喜ばしそうに見えた。


「怒り、恨み――それらを確かに抱いたその上で、それを上回る正義感、使命感を以って歩を進めますか。我ら死神グリムからすれば、些か眩しすぎますなあ…………貴方は。【無限監獄ジェイルロックマンション】のあの振る舞いもむべなるかな、というわけですかな」


「…………何が言いたい」


「我々のような化物が討ち果たされるならば、その時は――貴方のような人間の手によるものであるべきなのでしょうと、そう思ったまでですよ」


 そして【時限式隠者クロックワークス】は【無限監獄ジェイルロックマンション】に続いて【獄門ごくもん】へと身を躍らせながら――振り向かず、その一言を発した。


「貴方のような、英雄にね」


 その言葉を最後に、【獄門ごくもん】は鎖される。

 後に残されたのは――ただ一人。


「…………ふざけんな」


 ガリ、と音を立て、血が滲む程強くにあがなは地面を掻き毟る。


「ふざけんなよ……………………ひ、しお…………ゆらっ…………! おれ、は…………おれは…………」


 涙など流れない。

 そこにあるのはただ、血を吐くような慟哭のみ。


「あ――ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!!!」




 ……………………かくして。


 ヒーローは断崖に墜ちた。







▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

△△△△△△△△△△△△△△△△







 ――計三名。


 それが、三日前の騒動に参戦した【聖生賛歌隊マクロビオテス】の生存者だそうだ。

 第四隊ミモザ第五隊ファレノプシス第六隊モンクスフード第九隊ラベンダー――全てが壊滅。

 第六隊モンクスフードを除く全ての隊長が死亡し、第九隊ラベンダーに至っては掛け値なしの全滅と相成った。


「……………………」


 その三名の生存者の内の一人――頭尾須ずびす あがなは、【死神災害対策局アルバトロス】東京本局の屋上にて静かに佇んでいた。

 午前の春の陽射しは呆れるほど穏やかで、空は嫌味ったらしいぐらいに青く碧く澄み切っている。

 やがて、あがなの待ち人は車椅子に乗って姿を現した。


「おはようございます、頭尾須ずびすさん」


 片脚を除いた四肢をギプスでぐるぐる巻きにした時雨峰しうみね れいは、相方であるらしい少年、薙座ナグザ 御呉ミクレに車椅子を押されながらに、抑揚のない声で挨拶する。

 その有様を見たあがなは何とも言えない表情でれいに訊ねた。


「…………何で、そんなズタボロなんだ? なんの反撃も喰らってなかったろ」


「あ"ー…………超過偏在オーバーロード使っちゃいましたので…………あれ半分自爆技なんです。攻撃二回で両腕と、範囲攻撃から逃れるのに片脚に使って、全部粉砕骨折です。不甲斐ない」


「…………まあ、その程度であれだけ闘えるならむしろ安い代償なのかもな」


「酷い言いぐさ──でもないですね。仰る通りかと。当然ですけど、あいつも【死囚獄モリスアダムス】襲撃したヤツも偏在率測定不能だったそうです」


「現状の測定機器じゃ高位の死神グリムが出てきたら途端に測定値が振りきれて使い物にならなくなるからな…………さっさと機能向上してもらいたいもんだ」


「あのチャンスに倒しときたかったんですけどね。あいつ全力だしてないみたいでしたし。本気ではあったみたいですが」


「全力と本気は違うのか?」


「似て非なるものだと思います。…………というかちょっと御呉ミクレ、いつまで立ち聞きしてんの趣味悪い」


「いや同伴してるだけですけど!? その腕じゃ車椅子も動かせないだろうし!」


「プライバシー侵害。二人きりで話したいから消えて」


「僕の人権は侵害されてもいいんですかね…………わかりましたよー」


 トボトボとした足取りで退場する薙座ナグザに哀れみの視線を遣りつつ、あがなは改めてれいと向き合う。


「で…………世間話しにきたわけじゃないんだろう?」


「まあ、はい、そうですね。…………取り敢えず」


 車椅子の上で、れいはゆっくりとあがなを見据えた。


「えっと、無神経な物言いになるかもですけど、あんな結果になって残念でした」


「…………お前が気を遣う事じゃない。むしろ、お前がいなけりゃおれもあの女の子も間違いなく死んでたんだ。改めて礼を言わせてくれ…………ありがとう」


「いや、私だって、その他の皆さんを救えなかったわけですし」


「救えなかったのはおれだろ」


「…………それは、否定しません。けど、あの女の子を救ったのは頭尾須ずびすさんでしょう」


「…………なんでだよ。結局おれは何一つ出来なかった。救ったのはゆらと…………そして、お前だろ」


「それは違います」


 普段のれいの口調とは違う、キッパリとした声だった。


「私は最後に手を貸しただけですし、それだって頭尾須ずびすさんが居ての事で、私一人だと普通に死んでました。そこは履き違えないで下さい。あがなさんが救った命は確かにあります。ゆらさんだって──そう信じてた筈です」


「…………そうか。…………そうだといいな」


 あがなは天を仰ぎながらにそう答える。

 その視界に映るのはただただ、雲一つない一面の空──


「…………その。私、上手い事言えませんが」


「励ましなら気持ちだけ受け取っとく。…………この仕事してる以上覚悟はしてたし、犠牲者が出るのは当たり前──いや、違うな。それは、欺瞞だな」


「はい?」


「…………覚悟なんてしたこと、一度もなかった。おれがした覚悟はいつだって投げやりな『自分が死ぬ』覚悟で──『誰かが死ぬ』覚悟なんて、一度だってしてこなかった。…………笑えねぇよな。自分勝手に無鉄砲かまして…………自分の命の重さはいつだって他の人間に押しつけてきたんだ」


「そんなことは…………」


「そうなんだよ。あいつらがずっと背負ってくれてたんだ、無茶をやらかすおれの命の責任を──『自分の命を守る』っていう覚悟の、おれの分を。そんで、自分の命の事なんて碌に考えちゃいなかったおれが生き残って、おれの命を案じてくれてたあいつらが死んじまった」


 ゆっくりと、自分の眼前を手で覆い隠すあがな






「なんで生きてんだろうな、おれ…………」






「…………それでも、自分以外の誰かの為に闘ってきた頭尾須ずびすさんが間違っていたとは思いませんし──頭尾須ずびすさんに救われた人は確かにいると思います」


「………………」


「質問を質問で返して大変恐縮ですが──ねぇ頭尾須ずびすさん」


 れいは何の感情にも染まっていないような、まっさらな表情であがなに訊ねる。


「生きる意味って何だと思いますか? 命の価値って何だと思いますか?」


「……………………」


頭尾須ずびすさんはこれまで何の為に生きてきて──これから何の為に生きていくんですか?」


「………………知らねぇよっ……………!」


「ですよね。私も知りませんし」


 れいもまた空を見上げ、独り言のように呟く。


「けど、理由とか、価値とか、意味とかって必要なんですかね?」


「…………要るだろ」


「そうですかね。けどええと、壮大な話になっちゃうんですが──結局、すべていつかは終わるんですよ」


「…………終わる?」


「ええ、はい、終わります」


 抑揚のないれいの声は、不思議なくらいに屋上に響いた。


「植物も動物も、生き残る為、子孫を残すために色々進化したりしてるじゃないですか。人間だって文明を築いて、発明して、協力しあってここまで来ましたし、これからもそうしていくんでしょう──けど、いつか必ず終わるんですよね。当たり前ですけどね。えーっと、核戦争とか隕石とかAIの反乱とか抜きにしても、確か太陽が進化? 膨張? 爆発? したりして、いつか地球が滅びるのはほぼ間違いないらしいですし」


「………………」


「仮に滅びずにすんだり宇宙船で脱出出来たりしたとしても、それでも宇宙だっていつかかは滅びるんでしょう? ブラックサンダーみたいな名前の現象で」


「ビッグクランチだ」


「それでした。まあ何にせよ終わりは確定してるわけです。何千億年先かは知りませんけど、どれだけ人類が、あらゆる生命体が発展しようが、最後の最後には滅びるわけですね。…………なら、なんで生命いのちはんて産まれたんでしょうか」


「…………なんか無闇に壮大な話になってきたな」


「けど、そう思いません?」


「…………そうだな」


 人は死ぬ。

 人類は滅びる。

 地球は壊れるし宇宙だって終わる。

 なら。

 どうして、生命いのちは産まれ、少しでも永く生きようとするのだろう?


「詳しくは全然解明されてないみたいですけど──何十億年前に塵やガスが固まって地球が生まれて、それでどうして生命いのちが産まれる事になったんでしょう? なんでもない物質モノから、どうして生命体なんてものが発生しちゃったんでしょう? 普通に考えて非科学的ですよね、物に生命が宿るなんて。ファンタジーです」


「…………そうだな。どうして、なんだろうな」


「不思議ですよね、ホントに。だから私はこう思ってます」


 そこでようやく。

 時雨峰しうみね れいは薄い笑みをその顔に浮かべて、言った。






「きっと、この宇宙せかいが『生きたい』って思ったから。だから生命いのちは産まれたんですよ」






「………………」


「きっと、この世の総ては、みんな生きたいと思ってるんです。何もないなら、何も思ってなかったら、きっと何も産まれないままでした。石も、土も、水も、海も、風も、空も。みんなみんな、生きたいと思ったから、思ってるから──だから今、この宇宙せかいの片隅に私達は生きてるんだって、そう思います」


「──みんな、生きたい、のか」


「はい、きっと。だから、だからこそ──生きる事に、意味も価値も、理由だって必要無いんです。この世の全ての生命いのちは、ただ生きたかったから産まれただけなんだから」


「………………」


「…………だから、生きてる事に悩むことなんてないと思いますよ」


「…………そうかな」


「そうですよ」


 会話はそこで打ち切られ、沈黙が降りる。


「………………わりぃ。一人に、してくれるか」


「…………はい。お節介言っちゃってすみません。あと──これを」


 れいは懐から手紙を一通取り出し、あがなへと差し出した。

 両腕は使えないので、口で。


はいふぁいどうぞふぉうふぉ


「…………ど、ども」


 引きながらにあがなはそれを受け取った。

 

「私の用件はそれだけです。…………御呉ミクレえええぇぇ! ボーッとしてないで早く来て車椅子押して!」


 れいが大声で叫んでからしばらくして、再び薙座ナグザがやってくる。


「………………はいはいはい、大声出して呼ぶくらいなら同席させてくれればいいでしょうに」


「文句言うな。早く押して。頭尾須ずびすさん一人になりたいらしいから」


「はいはーい…………じゃあ頭尾須ずびすさん、色々と頑張ってくださいね」


 そうして、屋上にはあがな一人が取り残される。

 春風の吹く中で、あがなは手紙を開けた。


 送り主の名前、そして内容は────































「────ん」


「あ、起こしてしまいましたか、隊長。ごめんなさい」


 第五隊サイプレス隊長、頭尾須ずびす あがなはゆっくりとその眼を開く。


「ああ──悪い、寝てたな。準備しなきゃ…………」


「もう少し寝てても大丈夫ですよ。ここまで一人で運転手を買って出てくれてたんですから…………バーベキューの準備は私達がやってますから」


 時節は三月末。

 【死神災害対策局アルバトロス】東北支局のある仙台からはそれなりに離れたキャンプ場にて、第五隊サイプレスの面々は憩いの時間を過ごしていた。


「いや、俺もやるさ…………あいつの──むすびの一人立ちを祝おうって言い出したのは俺だしな」


「けど、それをむすびちゃん本人には伝えてないんでしょう? だだ甘なのに変に硬派ぶるんですから」


 やれやれと首を振る煙瀧えんだき 音奈ねなにバツの悪そうな顔をしながら、あがなは青空の下で食事の準備にかかる部下達の元へと歩を進めるのだった。


「あ、隊長起きたんすかー? 今炭に火ぃ着けるんで待っててくださーい」


 陽気な声と共に笑う、唐珠からたま 深玄みくろ


「…………バーナーで炙るだけじゃそうそう着かない。着火材を使えよ、深玄みくろ


 無表情のままに、粛々と準備を進める公橋きみはし 辰人たつと


「あ、ししょー! こっちきてお皿並べてくださいよ!」


 輝くような笑顔であがなを招く弖岸てぎし むすび


「………………」


 在りし日の憧憬は、断崖に墜ちた。

 取り返しのつかないものを失い続け──それでも、かけがえのないものは、未だこの手の中に。


「さ、隊長」


 あがなの背を、優しく押す音奈ねなの掌。


 歩を進めながら、あがなの口から漏れる言葉は──何の捻りもない、一言だった。




「お前ら──




           ──ありがとな」






 ──【断崖だんがいヒーロー】、終幕。



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