断崖ヒーロー──⑥




「…………雨が降って来たね。残念だな、綺麗に桜が咲いていたのに…………これじゃ直ぐに散ってしまう」


 花時雨・・・が落ち始めた中で、白髪の少女は物憂げに呟いた。


「ほーれ、黄昏てる場合じゃないっしょー。はよ現場向かいましょーや」


「うだうだと準備に手間取ってたのはキミの方でしょ」


「ひっどー⁉ いやそれはそうだけどあんたが山のように荷物押し付けるからっしょ! 毎度毎度!」


「それが一番効率が良いんだから仕方ない。私と肩を並べて活躍できるようになったら『荷物持ち』から『相方』に昇進させたげるよ――御呉ミクレ


「いっやあ…………それつまり一生荷物持ちしてろってことじゃん…………」


 白髪の少女が無感動な声色で発する言葉に、糸目の少年――薙座ナグザ 御呉ミクレは嘆息した。


「あーもー、だからこういう会話してる場合じゃないんですってば。一分一秒が人命を左右する状況だってわかってます?」


「一分一秒、人命、ね…………」


 少しずつ雨脚を強くする春の空を見上げながらに、少女は言う。




「──一分一秒程度で左右されるような命に、価値ってあるのかな」




「…………いや、あるっしょ」


「あるかー」


「ありありっす」


「あるよねー」






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 ――「蛇に睨まれた蛙」、ということわざがある。

 『強敵に見据えられ、身動き出来ずに立ち尽くしている様』――転じて『恐怖で何も出来なくなったもの』の喩えとして使用される言葉である。

 が、最新の研究で蛇に睨まれた蛙は何も恐怖で動けなくなったワケではなく、生き残る為に確固たる自身の意思で『動かない』のだということが判明したそうだ。

 なんでも、蛙と蛇はどちらも一度動くと方向転換することが出来ず、それ故に先に動いた側がどうしようもなく不利な状況になってしまう――蛇は蛙に逃げられかねないし、蛙は蛇に食べられかねないとのこと。

 つまり、こちらが深淵を覗く時深淵もこちらを覗いているように、蛇が蛙を睨むときは蛙もまた蛇を睨んでいる――自らの生死を賭して蛇の一挙手一投足を見逃すまいと構えいるわけだ。

 『先に動いた方が負ける』、と。

 そう、さながら西部劇のガンマン――或いは時代劇の剣豪の如くに。

 何の話かと言えば。

 今回第五隊ファレノプシスの面々が直面した事態は、そのことわざの状況などよりも余程逼迫しており。

 双方の彼我の力差は、蛇と蛙などよりも余程遥かに、長大に断絶されていた──というお話。


「避けッッッ――!」


「【獄門ごくもん投獄とうごく】」


 ジャララララ、という鎖がかき鳴らす音色と共に黒き死神、【無限監獄ジェイルロックマンション】に投擲された分銅――瞬時にソレから死の気配を感じ取った陽汐ひしおが、射線上にいたゆらを反射的に突き飛ばした。


「へえ」


 感心したような声が一つ、零れる。

 それと同時に、投擲された分銅を中心として空間が歪み――黒きが開かれる。


 ガシャン‼


 という閉鎖音が即座に轟き。

 ゆらを突き飛ばした陽汐ひしおの片腕が、纏った生装リヴァースごと削ぎ抉られた。


「あ、が」


陽汐ひしおっっっ!」


「まだだが?」


 間髪入れずに腕を振るう【無限監獄ジェイルロックマンション】――その手に握られた死鎌デスサイズの形状は、俗に言う鎖鎌くさりがま。長い鎖で繋がれた分銅は真球に近い形状をしており、分銅というよりは鉄球と形容すべきにも思えた。

 その鎖鉄球が。

 生きた蛇の如くに陽汐ひしおの首に絡み巻き付く。


「かはっ――」


「へし折れろ」


 そうして【無限監獄ジェイルロックマンション】は、手中の鎖を捻る――


「駄目っっっ! 【冥月みょうげつ】!」


 ゆらの悲鳴じみた声と共に白き直剣【真白ましろ】が黒く煌めき、陽汐ひしおを締め上げる鎖を一刀の下に絶ち斬る。

 が。


「無駄だ。もう――【獄門ごくもん入獄にゅうごく】」


「お前ら逃げ




 ガシャン




 鎖鉄球を中心に、虚空が歪んで開かれたその牢獄の門は、まるで魔性の顎門アギトのようで──

 そしてそれはあっさりと、唐珠からたま 陽汐ひしおの上半身を呑み喰らった。


「  」


 それを見て、頭尾須ずびす あがなは何を言ったのか。

 声にならない悲鳴だったかもしれないし、明確な言葉だったかもしれない。

 何にせよ。

 その言葉が響いて失せる頃には、陽汐ひしおの両腕と下半身だけが石畳の上に転がっていた。


「まず、一人と」


 黒衣の死神は鉄のような固く冷たい無表情でそう呟く。

 その手に再精製した死鎌デスサイズを取り、風切り音を立てて鎖で繋がれた黒鉄の珠を振り回していた。


「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ──ふうぅぅぅぅ…………」


 蒼白になった顔で、それでも太白神たいはくしん ゆらは必死に呼吸を整える。

 そして、考える。

 自分に、何が出来るか。

 隊長として何を成せるのか──


「──あがな。その子連れて、逃げなさい」


 ゆっくりした口調で、そう言った。

 震えが声に出ないよう、必死に抑えていた。


「っ、何言って」


「隊長命令。意見は訊いてない。行け、頭尾須隊員・・・・・


「ふ、ふざけんなよ! おれが残れば──」


「優先すべきはその子の命でしょ。防戦に関しちゃ私のが上手くやれる。最善を考えなさい」


「……………っ!」


 ギリ、と音を立ててあがなは歯噛みする。

 理屈は、解る。

 納得は、出来ない。

 なら、どうする?

 ブォン、ブォン、ブォン――と。

 【無限監獄ジェイルロックマンション】が手繰る鎖鎌による風切り音が増してゆく。

 時間は、ない。


「行ってっっっ! あがな!!!!」


「おれ、は――‼!」




 ぎゅ。




 と。

 その時、弱々しくあがなの手が握られる。


「――――」


 その手の先にある、少女の顔に浮かんでいた感情は。


「う…………うぅ」


 恐怖と、切望。それだけ。

 それを見て。

 あがなは。


「――大丈夫だ、助けるよ」


 この上なくぎこちない笑みを浮かべながら、あがなはポン、と少女の――音奈ねなの頭に手を置いた後。

 片腕でその小さな身体を抱え、ゆらに背を向けて。

 振り返らずに、駆け出した。


「…………はあ。最後の最期で、大人にしちゃったな」


 降りしきる雨の下で、俯きながらにゆらは独り言ちた。


「ゴメンね。あがな…………」


 そのままゆらは静かに自らの武器を正眼に構える。


「――待っててくれてたの? 優しいんだ、案外」


「別に、死神グリムも同情ぐらいはする」


 ニコリともしないまま、ただただ【無限監獄ジェイルロックマンション】は冷淡に告げた。


「――容赦はせんがな」


「知ってるよ」


 問答はそこまで。

 灰祓アルバ死神グリムは、当たり前の様に互いの存在を否定し合う。

 鎖の音が鳴り響き、黒鉄クロガネが無軌道に飛び回ってゆらの命を狙う。

 対するゆらは、一つの反撃も行おうとしない。

 ひたすらに回避、防御に徹し続け、勝ち目などない絶望の戦場に一秒でも長く留まろうとしがみつく。


(あー…………、こないだのデートで、もうちょっと大胆なことしちゃえば良かったかな?)


 無慈悲な死神の猛威に晒され続け――そんな中でゆらが思うのは、呆れる程の他愛のない事。


(が来るかも、ってことはわかってたから、お互い変に一線引いてたもんなぁ…………あ、そういえば――一回も、はっきり言ってないや。好きだ、って)


 パックリと口を空けて歪んだ空間が牙を剝き、ゆらの脇腹を抉る。

 零れ落ちそうになる内蔵を抑え、なお走る。


(大丈夫かなぁ、あがな。ちゃんと立ち直れるかなあ…………私、酷い事してるよね。ごめんね。ごめんね)


 鎖に繋がれた死鎌デスサイズによる一薙ぎが、遂にゆらの両脚を刎ね飛ばした。

 支えを失った身体は、音を立てて地面へと落ちて倒れる。


「終わりだな」


 と、その声はもうゆらへは届いていない。


(私が…………『みんなのヒーロー』って呼んだら、あがな、いつも怒ってたよね。でも、ゴメン…………あれ、嘘なんだ。本当は――)


 【無限監獄ジェイルロックマンション】は静かに倒れ伏すゆらに手を翳し。

 目前の命に、引導を渡す。


「――【獄門ごくもん入獄にゅうごく】」


(…………『私のヒーロー』って、ずっと言いたかったんだよ?)




              ガシャン。






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「いやー。何というか予想以上だったなー。にっしゃんってばホントに真面目で勤勉だねぇ。わざわざ私が起きるのを出待ちスタンバってくれてたんだ?」


「我ら死神グリムは余さず皆貴女の指先のようなもの。当然の事かと思うのですが」


「まーねー。けどまあ私としては指遊びじゃつまんなかったから今こんな感じになっちゃってるわけだけどー。えへへ」


 太白神たいはくしん家邸宅、庭園。

 春の花々を無粋に散らしゆく驟雨を眺めながらに、幼い少女と女性が二人で会話を交わしていた。


「まーそうは言っても、まだ本格的に動くにはちょーっと早いのよねぇ。だからまあ今日は挨拶ってことでいいよ」


「そうですか──近頃都内でにわかに巨大な気配が動いていましたが」


「あー、その案件に関しては多分今日中に片がつくからにっしゃんは気にしなくていいよ」


「そうなのですか? 出来ることがあるならば私も──」


。これ以上聞きたい?」


「──いえ。差し出がましいことを口にしました。御許しを」


 赤衣の死神グリム──【処刑者パニッシャー】は即座に謝罪する。


「はーい。許す許す。じゃ、今日の所はこの辺でね、にっしゃん。このあとちょっと服を見繕っておきたいんだ」


「了解いたしました…………服、ですか?」


「うん、喪服」


 そう言って少女は──太白神たいはくしん イザナは、雨空を見上げながらににこやかに呟いた。


「ごっめんねー、♡」






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「はっ、はっ、はっ、は──」


「…………大丈夫か」


「はいっ…………わたしは、だいじょうぶ、です、けどっ…………!」


 少女──音奈ねなを背負いながら、あがなは霊園からの脱出を目指していた。

 当初の目標でもあった、霊園内に跋扈していた筈の低位の死神グリム達は、幸いにも見当たらない。

 だが。

 その道行きには、数えきれない程の遺体があちこちに転がっていた。


(…………いつから来てたんだ、あいつっ…………!)


 内心に戦慄を収めながら、あがな音奈ねなへと声をかける。


「もう少しだ…………もう少しで…………」


 霊園の外へ、出られる。

 逃れられる。

 救える──






『【獄門ごくもん出獄しゅつごく】』





 ギギギギギギギギ。

 と、地獄の釜の蓋が開く。

 桜並木の元。

 降り注ぎ舞い散る桜時雨の最中、囚獄を統べる死神は無情にもあがなの目前へと姿を現した。


「…………随分と遠くまで来てたな。逃げ足は速いらしい」


 コキ、と首を鳴らし、あがなを睨みながらに【無限監獄ジェイルロックマンション】は言う。


「あ…………あぁ」


 あがなの背中で。

 幼い少女が、声にならない声を絞り出す。

 恐ろしい相手に先回りされた絶望、などではなく。

 黒き死神が、その手に、提げていたのは。






           とある少女の

             腰から上半分。






「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 あがなは。

 何も言わないまま、ソレ・・をただ見つめていた。


「抵抗は自由だ。動かなければ即座に脳天を砕いてやるが?」


「………………」


 手に取ったモノ・・を静かに石畳の上に横たえ、宣告する【無限監獄ジェイルロックマンション】。

 それと相対するあがな音奈ねなを背負ったままに、じり、と後ずさる。


「闘る気は無し、か? 諦めたか──或いは諦めてないからこそか。どれだけどこまで逃げても無駄だってことは教えてやった筈だが」


 ジャリリリリ、と鎖の音が鳴り渡る。

 あがなは腰を落とし、瞬時に駆け出せるように構えた。


「逃げられないなら、やることは決まってると思うがな。じゃあ終わらせよう──」


 そして【無限監獄ジェイルロックマンション】の鎖鎌が、唸りを上げてあがなへと襲いかかる──






「賛成」






 ドシュッ。






「………………あ"?」


 その声は、【無限監獄ジェイルロックマンション】のもの。

 目は驚愕に見開かれ。

 口からは血が溢れ出ている。


「逃げられないなら、そりゃ、倒すしかないよね。うん」


 黒衣の死神、その背後より。




 ──純白に瞬く、少女が飛来し、その背を刺し貫いていた。


「お"、前────誰だ」


 血反吐でくぐもりながらに、【無限監獄ジェイルロックマンション】が問いかける。

 その少女は、目前の死神を穿つ剣から手を離すことなく、どうでもよさげな口調で答えて見せた。




「無所属。時雨峰しうみね れい。忘れないでね、死ぬまでは」



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