如月に謳え──⑥




 漆黒の剣閃が異形の体躯を両断してゆく。


『ウボアアアアアアアアアァァ!!』


 上半身と下半身が遊離したその化生は、空間を揺るがすような断末魔をあげた。


「やった…………」


 宙空にて弖岸てぎし むすびがそう溢した瞬間。


 ギョロリ。


 と、異形上半身に浮かぶ目玉が煌めき。


 シュゾゾゾゾゾ。


 と、蛇の下半身がむすびの体を絡め捕える。


むすびちゃん!!」


 煙瀧えんだき 音奈ねなのその言葉が耳に届くより早く──弖岸てぎし むすびの意識は闇に溶け往く。




       「テン




       「ソウ




       「メツ


















 真っ暗な空間に居た。

 少なくとも弖岸てぎし むすびはそのように認識したのだった。

 目前には──『はすみ』と名乗っていた女性が浮かんでいる。ように見える。


「貴女は──なんなの? はすみさん」

 

なんでもない・・・・・・ものですよ。読んで字の如く。はすみという名さえ使い勝手の良い仮名義に過ぎません。この女性の容姿さえ──先日取り込んだ死神グリムのものです」


「…………そういうこと」


 【処女メイデン】の反応に得心がいったむすびであったものの、それでもこの空間に対する理解はまだまだ追い付かなかった。


「『きさらぎ駅』──それさえこの物語せかいの一要素に過ぎないってことだよね」


「ええ。あなた達人類は、目に見えないものを想い過ぎる──その癖感じようとはしない。出来ない」


「想いはするが、感じはしない…………」


「そう。そんなあやふやな架空モノが積載されて生まれたのがこの境界。私はそこに生じた体のいい司会進行役ガイドラインですよ」


「…………理解は、出来るけど」


「納得はしていない顔ですよ」


 そういってはすみは静かにむすびの眼前へと手を翳した。


「この空間は電脳深層界域に沈殿した数多の無意識の坩堝。故に安定を求めて独立した意識に飢えています。貴女のような強い自己意識を持つ人などは特に──」


 そうしてはすみが、むすびに触れ──




 ──た瞬間に、バチィと稲妻が走ったような音を立ててはすみが弾き飛ばされた。




「………………何を?」


 炭化した右手を眺めながら、無感情に呟くはすみ。

 が、むすびはそれを気にも留めず。

 自らが纏った、黒いモッズコートを眺めていた。


「守って、くれた?」


 何の理屈も根拠もなく、結はそう感じたのだった。

 そして突如、むすびの背後、顔のすぐ側を通って伸びた手がはすみの頭部をむんずと掴んだ。

 その腕は。

 むすびが纏っているのと同じ・・・・・・・・・・黒いモッズコートを着て・・・・・・・・・・・──


「貴女は──」


 何か言おうとしたはすみは、しかし二の句は告げれずに。


 ブ ジ ュ リ 。


 と。その腕に、顔を握り潰された・・・・・・のであった。






「────何むすびにちょっかい出してんだコラ」




 その声を聞いたむすびは、咄嗟に叫ぶ。




「ミヤ────」




















「──むすびちゃん! 大丈夫!?」


「あ…………煙瀧えんだき、先、輩?」


 深い霧に包まれた場所で、ワタシは目が覚めた。

 …………何か、とても恐ろしいような、暖かいような、何とも言えない夢を見ていた気がする。


「…………大丈夫みたいだな。ったく、一時はどうなることかと思った」


唐珠からたま先輩。あの後は一体──」


「何が起こったのか、なんて正確にはわかんないさ。が、むすびちゃんがあのバケモンを空中で真っ二つにして、だけど捕まっちゃった──かと思ったらすぐ全身が消滅してむすびちゃんだけ落ちてきたんだ。受け止めたけどね」


「その直後に周りの景色が霞に包まれ始めて…………今の状況です。それで──なんですか、アレは」


「? アレって?」


「──【冥月みょうげつ】です。いつの間に使えるようになっていたんです? 未だ貴女には早すぎると頭尾須ずびす隊長はおっしゃっていた筈ですが」


「あ、いや、さっき始めてです。使ったのは。出来るかなーと思ってやってみたら…………出来ました」


「………………」


「………………」


 二人の先輩が、何とも言えぬ顔を見合わせていた。

 何か、やな雰囲気?

 いや、けど、もう一回同じことやれって言われたら全然自信ないし…………

 困って辺りを見回しても、何も視界には捕えられない。

 けど、少し離れた場所に。

 真っ赤な、人影が。


「【処女メイデン】…………」


「起きたんか。そりゃ結構」


 背を向けたままに、振り向きもせず真っ赤な死神はそう言った。

 ワタシは立ち上がってその背に歩み寄る。


「【処女メイデン】、あんたは敵だし、絶対許さないけど…………けど、けど今回は──」




 ──ガィィィィン!!!!




「………………っ!」


 正しく、目と鼻の先。

 鋼鉄の処女アイアン・メイデンがけたたましい金属音を鳴らして閉ざされた。

 はあああぁ、と溜め息を吐き振り返らぬまま【処女メイデン】が言う。


「まさかとは思ったけど、お花畑な脳ミソしてんなぁ。その辺頭尾須ずびすからは教育されてへんのか?」


「…………」


「互いの利用価値が無くなったら、もうその瞬間潰すべき敵──とかいちいち言わせんなや。甘ったるて胸焼けするわ」


 ──ま、この状況やとまだドンパチするには不確定要素が多すぎるか。

 その呟きを最後に、【処女メイデン】は霧の向こうへと歩いていく。


「──ほな。ばい、なら」


 その赤衣の背姿はすぐに白霞にまみれ、やがて──見えなくなる。

 その姿だけじゃなく。

 ワタシ達の視界もまた霞がかり──意識さえ──






○◌○◌○◌○◌○◌○◌○◌○◌

◌○◌○◌○◌○◌○◌○◌○◌○





 夕焼けに赤く染まる景色の中。

 寂れた無人駅──しかしそこは紛れもない現実。

 真っ赤な死神は佇んでいた。


「…………は。ったく調子狂う──【駆り手ライダー】とは別ベクトルでかなわんな。もう会いたくないもんや」


 歩きながらに、【処女メイデン】は懐を探り──やがて皹割れたスマートフォンを取り出す。

 それはあの敷衍境界内の、神社境内の中心に配置されていたもの。

 戦いの最中に、それを彼女は密かに回収していたのだった。


「はぁ。これをぶっ壊したんは【無理心中フォーリンラヴ】の仕業やろうけど…………結果どこまでも裏目に出とるあたり、ホンマ筋金入りやなアイツ。──ま、末席とはいえ同僚の忘れ形見やから拾っといたったけど」


 おそらくは、あの空間の中核を為していた機器。

 あんな人為的じんいてきな領域が自然発生してなるものか。


「しかし、仕掛人がいるとしても、相当な偏在理論の精通者じゃなけりゃ出来る芸当やないぞ…………一体どこのどいつ──」


 そう【処女メイデン】が言った瞬間、そのスマフォの画面が点滅し、そこには。




──【GRIM NOTE】。




 との文字が、表示されていた。


「──ハッ」


 冷笑一つを洩らし。

 バキャ、とそのスマフォを粉砕した後。


「クソが」


 【処女メイデン】は何処へともなく歩き出したのであった。






●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎

◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●






「敷衍境界、ね。まあそれなりに興味深い話ではあった」


「それなりかよ。結構大変だったんだぜ?」


「それなりだよ。再現性は十中八九無い現象だからね。人為的かつ作為的なものは感じたけど…………多分それらは後付けだ。おそらくは死神グリム達の顕在化によって活性化した泡沫の空オムニアに生まれた認知の余剰領域につけこんで生成したってとこじゃないかな」


「わーい意味わかんねー」


 【死神災害対策局アルバトロス】東北支局、第五隊サイプレス作戦室にて。

 共に第五隊サイプレス隊員──唐珠からたま 深玄みくろ公橋きみはし 辰人たつとが話し合っていた。


「発想は中々見るところがあると思う。深玄みくろなら遭遇した都市伝説フォークロア達の共通点、気付いたんじゃない?」


「…………やっぱ偶然じゃなかったのか、アレ」


 コクリ、と公橋きみはしは頷き、室内の端末を操作し始める。


「『きさらぎ駅』に始まり──女性へと憑依するという『ヤマノケ山ノ怪』、そして蛇の下半身と三対の腕を持つ女怪『姦姦蛇螺かんかんだら』。これらの共通点はただ一つ」


「──全てネットweb発祥の都市伝説フォークロア、だろ?」


「ご名答」


「ご名答、じゃないだろ。ネット発祥だからなんだってんだよ」


「──インターネットと泡沫の空オムニアの相似性に関するレポートに目を通しては」


「無い」


「だろうね」


 溜め息を吐きながら公橋は端末を操作し、そのレポートを大型ディスプレイへと表示させた。


「SNSやってればわかるだろう──電子の海にはね、あらゆる人間のあらゆる感情がぶちまけられてる。喜怒哀楽愛憎、なんでもござれさ。無論人類の総体的無意識により構築される泡沫の空オムニアとは同じものとは決して言えないけど──近しいものと仮定する事ぐらいは出来る。そしてそのインターネットを利用して偏在事象の疑似再現、或いは偏在事象への干渉を行えないかという研究があったのさ」


「その研究結果を今回の黒幕が流用したって? 笑えないぞそりゃ──レポート残ってるってことは【死神災害対策局アルバトロス】、或いは【鳳凰機関】から出た研究だろ? それを抜き出されたとなると、下手すると内部犯っつー事に…………」


「流石にそれはないと思う。確かに【鳳凰機関】に属する一族が提唱したものだけれど、外部からでも引き抜くのは不可能じゃない。以前ゴタゴタがあって、この一連の研究結果を排出した家は事実上没落してるから」


「…………どこの家系だ」


「ん…………」


 公橋きみはしは一瞬逡巡したかに見えたが、すぐにその口を開き、語った。

 その一族の名を。






時雨峰しうみね家」






▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽

△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△






「ふぁー…………疲れた」


 うんざりする程の量の戦訓レポートを書き上げ、テーブルに倒れ伏す。

 ワタシこと弖岸てぎし むすびは、先日遭遇した奇々怪々極まる現象についての報告に追われていた。

 当然だとは思う。まるで経験のない異常な状況下に陥り、死神グリムとも遭遇し…………とにかく筆舌に尽くしがたい奇矯な体験だった。詳しく説明しろと言いたくなる気持ちはもっともだ。

 ワタシも同じ気持ちだからとても良くわかる。なんだったんだよホントにあれ。

 ワタシにわかった事と言えば、『なんだかよくわからない』ということがわかったぐらいである。


「ふう…………一息いれよ」


 場所は大手チェーンドーナツ店。

 かつて親友とよく通った店──いや、実際に通ったのは当然東京の店なので、あくまで系列店ではあるが。

 それでも、息抜きにはこの店を選んでしまう。

 もっとも、メインのドーナツは食べないのだけれども。

 もし食べるなら、いつか、また、あの子と一緒に──


 そんな事を考えていた頃である。


 ドサリ、と。


 ワタシの目前に、誰かが座った。

 え?

 との呟きは、何とか呑み込んだが。

 店内は空いてはいないが混んでもいない。

 座る席には困らない筈だけれど…………


「………………」


 そこにいたのは、奇抜なファッションをしたワタシと同じ年頃の少女だった。

 眼前の少女は、大量のドーナツとコーラを載せたトレイをテーブルに下ろす。

 そしてそのドーナツの中の一つを手に取り、こちらに向けた。


「食べる?」


「…………え、いや…………」


「食べなよ」


「え…………いやその…………遠慮、しときます」


「なんで?」


 『なんで』はこっちの台詞だ完全に。

 何なんだこの子。

 どういうリアクションすればいいんだ。


「なんで、食べないの? ドーナツ」


「あー、えー、その、一緒に食べたい人がいまして」


「………………ふぅん、そして、それは、わたしじゃない、と」


「えっと、まあ、はい。初対面ですし」


「………………………………」


 それきりその子は黙り込んでしまった。

 どころか、碌に身動ぎすらしようとしない。

 停止、している。


「…………? ………………………………えー、では、そろそろ自分は…………」


 ゆっくりとトレイと荷物を持って席を立つ。

 そうしてる間も、その少女はまるで動じないまま、静かにそこに佇んでいる。


「えー、それじゃ……………」


 ワタシはそのまま、そそくさとその場を去る。

 ちょっと変わった人、だったん、だよね? うん。

 店外に出て、振り返ろう──とするも、何か嫌な予感がする気がして、そのままワタシは帰路につく。

 そしてその日は、特に何もなかった。

 平穏な一日だった。


 だから寝て起きたその次の日には、その奇妙な少女の事など忘れていた。

 思い出すことも、二度と無かった。

























 金髪をポニーテールに纏めた少女──弖岸てぎし むすび──が、ドーナツ店を後にする。


「………………」


 さっきまでその少女と向かい合っていたもう一人の少女。

 パントマイムを思わせる程にピタリと静止して動こうともしない。

 彼女は随分と個性的な格好をしていた。

 毒々しい紫苑色の髪をサイドテールに纏め、翡翠色の不吉に感じさせる瞳孔。右目には医療用眼帯を装着し、左右の耳からは不揃いな形をしたピアスをぶら下げている。

 彼女が人間でない事を知るのは──店内には誰にもいない。


「────────あひゃ」


 突如として。

 その少女は笑い出す。


「あひゃ──ひゃ! あひゃひゃひゃひゃ! あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!」


 笑う笑う笑う。

 嗤う嗤う嗤う。


 楽しそうに、愉しそうに。

 可笑しそうに、犯しそうに。


 その少女は。

 誰にも届かない声で。




 ずっとずぅっと、ワラっていた。











 ──【如月きさらぎうたえ】、終幕。



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