13.bitter




 『車輪』。

 恐らくは人類史上に於いても指折りの発明であることを疑うものはいまい。

 起源は紀元前五千年紀の古代メソポタミアにまで遡ると言われ、以来車輪は常に人類と共にあった。

 その用途は運搬だけに留まらず、水車や歯車などにも応用され、人類文明の発展に多大な貢献をし──そして、それらは現代においてもなおあらゆる恩恵を齎している。

 そう。

 車輪は人類に欠かせぬ叡知の結晶であり。

 そして。

 太古の昔から現代に至ってもなお。

 延々と数えきれぬ数の命を轢き潰し続ける──である。






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 ──視界の全てが蒼褪めていた。

 本来は奇矯極まりない死色に染まっている筈の亜空間──泡沫の空オムニアの景色が、寒々しい蒼白に書き換えられている。


「────あん、た」


 赤い死神が、驚愕に目を見開いている。

 あたしはそれを見て──


「…………離せよ」


「…………は?」


 頭に浮かんだ言葉を、そのまんま吐き出した。


「──むすびを、離せよ」


 駆けた。

 【処女メイデン】との間に開いた距離、およそ十メートル──


「──無いのと一緒だね」


 その言葉が自分の耳に届くよりも先に、その距離を詰めた。


「…………え」


 【処女メイデン】の言葉は形になる前に消える。

 あたしが、手に持ったで凪ぎ払ったから。


「は、がぁあああぁぁあぁああああ!?」


 そのまま【処女メイデン】はカラオケ屋の壁をぶち破り、店の外へとぶっ飛んでゆく。

 赤色の死神が押さえつけていたむすびは──凪ぎ払いざまに、あたしが引き戻していた。


「──大丈夫? むすび


 片手で親友の身体を抱え──名残惜しくて、その綺麗な金髪を撫でてみたりする。

 ああ、そうだ。

 あたし、この綺麗な髪に、ずっと憧れてた。


「だ、大丈夫、だけど──みやこ、あんた…………」


 あたしの状態を憂慮しているような親友の表情を見て、あたしは感謝と謝意がないまぜになったような、何とも言えない気分になった──心配してくれるのは嬉しいし、心配させてしまうのは悲しいから。

 だけど。


「大丈夫、すぐに終わらせるから…………ああ、それと」


 あたしは。

 親友に、感謝と別離の言葉を手向けた。


「色々と、いっぱい、ありがとうね。──まじ愛してるよ、親友べすとふれんど!」


 グッと親指を立てて見せ。

 あたしは。


「まっ──て、亰。亰。みやこ。みやこ、みやこみやこみや──」


 親友に背を向けて、駆り出した。


「うん、そうだ──決着ケリ、つけなきゃね! 【処女メイデン】!!」


 吹き飛ばした【処女メイデン】を追って、空いた壁の風穴を飛び出し──

 …………このカラオケ屋はビルの四階にあったのである。

 熱帯夜の中天を、二人の死神が浮遊していた。


「ぐ、ぅ、が、あ"あ"あ"あ"ああああああぁぁぁぁッッ!!」


 腹部にあたしの痛烈な一撃を受けた【処女メイデン】は、口から冗談みたいな量の血反吐をぶちまけて──しかしそれでも戦意は薄れていない。鬼気迫る眼光であたしを射抜いている。


「舐め、んなやクソガキがあああぁぁあぁぁああ!!」


 何処からともなく手に取ったのは、鋼鉄の処女アイアン・メイデン──鎖のついたそれをまるでハンマー投げよろしくに【処女メイデン】はぶん回す!


「それはこっちの、台詞だっつの阿婆擦れぇぇぇぇ!!」


 圧倒的な速度と質量を持って遅い来る、血で赤く錆びたその鉄塊を、あたしは手の中のもので真っ向から打ち返した。


「んなっ──ふ、ぐぅぇえっ!?」


 さながらピッチャー強襲ヒットよろしくに真っ直ぐ打ち返された鉄塊はもろに【処女メイデン】へと命中──より大きな速度を持って襲いかかった自らの業を叩きつけられた【処女メイデン】はひとたまりもなく再び吹き飛び、カラオケ屋のあったビルから道路を跨いだ向こう側のオフィスビルへと叩き込まれた。


「おし、ツイてる……!」


 今は深夜。オフィスビルならみんな帰宅して、人はいないはずだ──残業地獄な社畜さんや真面目な警備員さんがいたりしなければ。

 ともあれあたしは飛ばされた【処女メイデン】を追って、孔の空いた壁面からオフィスビルへと侵入する。


「は、が。あが、か、かぁ、バぁッ…………」


 ボロ雑巾のようにオフィスの床に横たわる【処女メイデン】。

 あたしはそれの──


「──寝かせねぇっつの」


 ──胸ぐらを掴み上げ、無理矢理起こす。


「ここじゃちょっと狭いね。屋上うえにいこうか」


 そう言うとあたしはそのまま【処女メイデン】を壁面へと叩きつけ──


「ごはぁ!」


屋上うえへ、参りまーーーーす!!」


 左手で壁へ押さえつけた【処女メイデン】を巻き込み、あたしは壁面を真っ直ぐ垂直に!!



  ──



「ひっ、ぎゃあああああああああバぁああああぁぁあぁぁああッッ!?」


 すっとんきょうな絶叫を喚き立てながら【処女メイデン】は暴れるが、無駄な抵抗だった。逃れられはしない。


「終点、屋上でございまーーすっ!」


 最上階の天井をぶち破り、あたしと【処女メイデン】はオフィスビルの見晴らしのいい屋上へと到達する。


「は、はが、あぐ、がぁっ…………!」


 屋上の床へと打ちのめされた【処女メイデン】は、ズタボロになりながら、まだ意識を保っているようだった。


「うっわー…………ドン引き。なんでまだ原型保ってんのさ。てっきりとっくに挽肉ミンチになったもんだと思ったのに」


 舐めていたつもりはなかったが──これが死神グリム

 曲がりなりにも『神』と呼ばれるだけはあるということか。

 人間なぞ及びもつかない頑強さだった。

 どころか。

 まるで壊れたプラモデルのような、見てて不安になる体型を無理矢理起こし──【処女メイデン】は立ち上がろうとする。


「ばーーっ、はーーっ、はーーっ…………あり、えへん。ありえへん…………【死因デスペア】、どころか、【死業デスグラシア】まで…………いくらなんでも、早すぎる…………っ!」


 【処女メイデン】は譫言のように何かしらをブツブツと呟いていた。

 だが、わからない。だが、どうでもいい。

 あたしのやるべきことは、この女を──


「──だけだ」


 確固たる決意と共に、あたしはそう言い放った。

 それを聞いてか、忌々し気に【処女メイデン】は口を開いた。


「轢き潰す、か…………なるほど、なぁっ…………【】の【死因デスペア】に──型の【死業デスグラシア】かっ…………!!」


 あたしの右手の中──身の丈程の大きさである巨大な蒼褪めた車輪を睨み付け、【処女メイデン】はそう吐き捨てた。


「…………ですぺあ、と、ですぐ…………なんて?」


 生憎と意味が分からなかった。後者の単語に至ってはよく聞き取れなかった。


「…………【黙示録の駆り手ペイルライダー】っちゅうたんか…………くっそが、──神話級ミソロジークラス! やってられんわアホンダラ…………っ!!」


「いや、そう言われても意味わかんないし。……ええっとさぁ」


 あたしは。

 右手の車輪を構えて言う。


「もう轢いちゃっていい? あんたを生かしとく気はないし──あれ? 死神グリム同士だと殺せないんだっけ? …………まあいっか」


 ぐちゃぐちゃのドロドロな液体にしてやれば、もう死んでるも生きてるもないでしょ。多分。


「いやぁ──と思うで。自分なら」


 と、どこか投げ遣りな口調で【処女メイデン】は言った。


死神グリムは死の具現化アレゴリーやからな──死者は死者を滅ぼせん。死者を葬れるのは生者の特権や。だから死神グリム同士の争いは不毛なんやが──自分はまだ完全な死者やない。──【死に損ないデスペラード】やからな」


「…………?」


 また、なんだかよくわからない単語が出てきた。

 なんだ、嫌がらせかこんにゃろう。


「はぁーあ。わかりやすくゆーたったらなぁ、あの金髪の可愛子ちゃんが生きて、あんたを認識し続ける限り──あんたは人間、都雅とが みやこのまんまでいられるっちゅーこっちゃ」


 ため息混じりに【処女メイデン】が言った。

 その。

 言葉は。


「……………………!」


 ああ。

 この感情を、なんという言葉にしようか。


むすび…………」


 ありがとう。

 ありがとうありがとうありがとうありがとう。

 大好き。

 大好き大好き大好き大好き。

 そんな、小学生並の感情が、あたしの心に乱舞した。


「はーあー。うれっしそうな顔してもて…………お腹いっぱいですー。勘弁してくださいー」


 そんな風な愚痴を溢しながら、よっこらしょと【処女メイデン】は重い腰を上げた。


「【醜母グリムヒルド】の姐さんの言い付けは悪いけど無視や。こんな厄ネタ、ほっとけるかっちゅーの。ウチには死神グリムを殺せんが…………死神グリムに成りきれとらん【死に損ないデスペラード】相手なら話は別や。覚悟せぇ」


 そう言って赤き死神は、自らの業に呼び掛ける。


「──【死啜公女エルジェーベト】」


 怖れるがいい、その名こそは悪名高き『血の伯爵夫人Erzsébet』。

 数多のうら若き処女おとめの血と死を貪り啜った──死神の名に相応しき悪女だ。


「最後の勝負──ってワケね。上等だけど…………その鈍器兼拷問器具じゃあ、もうあたしを捕まえられないよ」


 振り回して使うにしても罠として使うにしても、あまりに鈍重極まりない。

 ──駆り手ライダーと化した今のあたしは、それらの全てを置き去りに疾駆出来る。


「確かに、そやろなぁ──ちなみに、ウチの【死因デスペア】は【失血死】で、相手の血ぃを搾り出してやれるワケやけども──さて質問、その搾り取った血ぃは、一体何処へ行ってしもたんでしょうかぁ?」


 パチリ、と【処女メイデン】が指を鳴らす。

 すると──


 ズ、ズ、ズ、ズ、ズ、ズ、ズ、ズ、ズ──


 ──何処からともなく湧き出した夥しい量の血液。それが次々と形を成し、屋上の床から無数の鋼鉄の処女アイアン・メイデンが姿を現し始めた。


「下手な鉄砲数撃ちゃ──ってワケ? 単細胞だねー」


「いやぁ、そうでもないんちゃうか? あんたの成長速度には確かに面食らってもうたけども──それでも経験値ばっかりはどうにもならんはずや。…………あの車輪の速度。なるほど凄まじいもんやったけれども──あの速さ、何処まで出来る? 運転免許持っとんのかぁ? ──小学生でも知ってるで?」


 ふてぶてしい笑みを浮かべ、【処女メイデン】な言い放った。

 その笑みに──あたしは真正面から応えてみせる。


「確かに、急ブレーキは危ないね。かといってこの数、下手にぬるいスピードで走れば囲まれてバックリいかれておしまいだ──なら、答えは一つっきゃないでしょ」


 ──ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃり。

 不気味な音をたて、蒼褪めた車輪が廻り始める。


「ブレーキはかけない──超スピードで全部躱しきって、あんたを轢き潰してみせるよ」


「──やってみろ。あんたみたいなこの世の理不尽道理を──現実絶望をわかっとらん小娘にゃあ、先達として叩き込んだらなあかんからなぁ──死神グリムの、宿命孤独ってもんを」


 交わす言葉はそれで最後。

 もうこの先にはただ──死、あるのみ。


「【エル啜公女ジェーベト】ォォォォオオッ!!」


「【黙示録のペイル──駆り手ライダー】ぁぁぁぁああッッッ!!」


 ──駆ける、駆ける、駆ける。

 群れ成す鋼鉄はがねの虐殺器を躱し続けながら。

 鋼鉄の処女アイアン・メイデン達はただ鎮座しているだけではない──鉄扉を開き、あたし目掛けて勢いよく押し迫ってくる。

 それを──避ける、退ける、躱す。

 一輪の蒼褪めた大車輪を駆り、赤き死神目掛けてはしり抜ける。


(七つ、八つ、九つ──これで、十!)


 ジャックナイフターンを決めて十個目の鉄塊を躱し抜け──【処女メイデン】との距離はもう目と鼻の先だ。


「【処女メイデン】んんんーーー!!」


 そして、ついに最後の鋼鉄の処女アイアン・メイデンを躱し──そのまま【処女メイデン】を轢き潰す──


(あ、れ。なにあの、手の──)


 さっき、見た気が──


「──ここや」


 瞬時にその鎖を手繰り寄せ、【処女メイデン】は自らの正面に鋼鉄の処女アイアン・メイデンを設置した。

 あたしの進行方向真正面に、死の処女おとめがその鉄扉りょうてを広げて待っている。


(やば、もう曲がれ、な──)


 曲がれないし──止まれない。

 車は急に──止まれない。


「これで、終いやああああぁぁぁぁッ!!」





「終わって、たまるかああああああぁぁぁぁ!!」


 吼えた。

 跳んだ。

 鋼鉄の処女アイアン・メイデンの抱擁を飛び越え、赤き死神の元へと。


「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 死は飛び越えた。

 さあ。

 駆け抜けろ、そして掴み取れ──生を!


理不尽道理? 現実絶望? 宿命孤独? ──知ったこっちゃないっての!! あたしは負けない! あたしは死なない! 戦って戦って戦って戦い抜いて! 生きて生きて生きて──生き抜いてやる!! 死だの絶望だの孤独だの、そんなに泥沼の中で溺れたいなら──」


 血と汚濁に満ちた赤き貴婦人へ。

 蒼き駆り手が、その生き様在り方を餞としよう。




「──テメエ独りで、おおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!」




 ──その一輪は稲妻の如く。

 蒼褪めた一閃が、赤き死神を蹂躙した。






〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇






「──クソッ」


 綱潟つながた 氷雁ひかりは思わずそう吐き捨てた。

 目前にて解き放たれた──絶望を見て。


「──隊長ってのは辛いもんだな。尻尾を巻いて逃げることも出来ない」


 嘲るような言葉を吐きながら、しかし白き死神の表情は凍るような無表情だった。

 が、今やその表情は半分だけしか窺い知れない──その顔の右半分は奇妙な仮面に覆われていたからだ。

 白髪白衣の【刈り手リーパー】だったが、その白い姿に相反するように顔に纏ったその仮面は黒い。あらゆる光を呑み込んでしまいそうな漆黒の仮面は、縦半分に割れた髑髏しゃれこうべカタチをしていた。

 さらには死神グリムの、そして【刈り手リーパー】の象徴である死鎌デスサイズはその手から失われており、空になったその両腕は物々しく胸の前で組まれている。

 では、その失われた死鎌デスサイズは何処へいったのか? ──それは【刈り手リーパー】の背後に佇む巨影を見れば一目瞭然なのだった。

 【刈り手リーパー】の倍ほどの体長を持つ人型のそのの姿は、【刈り手リーパー】同様に純白に染まっている。神聖ささえ感じそうな白きローブを纏っているが、裾から下には亡霊さながらに下半身が存在しない。その袖からはローブ同様に潔白な色をした人の手骨が覗いていた。

 その手骨にこそ巨大な死鎌デスサイズが握られているのだった──豪奢な雰囲気のローブを纏う影であったものの、その手にとった白き死鎌デスサイズは一切飾り気のない、無骨極まりない代物であり、そこから感じられるのはただ『刈り取り』のみに重きを置いた偏執的な拘りのみだった。

 そんな、まさしく【死神Grim Reaper】然とした様相のその影だったが、異様な部分が一つだけある。

 死鎌デスサイズを握るその手骨からは骨骸の身体を連想させるが、頭部があるべきフードを被ったその中には髑髏しゃれこうべが佇むワケでもなく、ただ、その純白のローブはそれを引き立てる為だけにあるかのように、黒く暗い深淵めいた闇だけが現実に空いた孔のようにポッカリと鎮座していた。

 その闇は、もしやこの世総てを呑み干してしまうのではないかとさえ思ってしまいかねないほどに。

 底知れない、恐ろしい暗黒だった。


「さて、灰祓アルバ相手にを使ったのはいつ以来だったか──自慢していいぞ。頭尾須ずびすのヤツを相手にした時もこれは使ってねぇ」


「…………そりゃ光栄だな。泣きたくなるよ、まったく」


 皮肉も諧謔もない、心底からの言葉だった。

 嗟嘆の声を飲み込み、ただ綱潟つながたは熱帯夜に浮かぶ月を仰ぐ。

 死ぬには良い夜だ──などと思えるほどに刹那的な人間ではないし、また、人生に疲れているワケでもなかった。やり残したことは思い返せば数えきれない。両親を残して先立つ不孝を考えるとやりきれないし、部下を守りきれなかった自分には業腹だ。ありふれた正義感で死神グリムなんていう馬鹿げた相手を敵に回す事にした過去の選択を悔やみたくなる気持ちさえ、なくはない。

 ああしていたら、こうしていれば。

 たらればの話は一度しだすとまったくもってキリがなかった。

 ああ、だけれど。

 それだけの悔いを抱けるというのは。

 それだけ希望に満ちた生を送れた証ではないだろうか。


麟武りんぶ──最大駆動」


 遠隔操作を可能にすることで中、近距離どちらにおいても多彩な攻撃を実現した円月輪チャクラム型乙式生装リヴァース麟武りんぶ

 だが今、綱潟はその遠隔操作に費やす動力の全てを回転のみに注ぎ込んでいた。その回転は目に見えて凄まじく、なにより綱潟の目にはあらゆるものを斬り伏せようとする気迫が迸っていた。


「乾坤一擲──か? その意気は嫌いじゃないが、俺に近距離クロスレンジでの戦いを挑むのは流石に無謀としか言えないな」


 冷淡な視線と冷徹な口調で、にべもなく【刈り手リーパー】は言い放つ。

 そんな相手を見て苦笑を浮かべながら、それでも綱潟つながたの目は死なないままだった。


「お前相手に堅実な戦いを挑める程ご立派じゃねぇよ。この俺の全身全霊をぶつけてそれで終いさ。簡単単純、実に明瞭だろ?」


「いいや──堅実な闘争は挑めなくとも堅実な逃走は図れた筈だ。お前が殿になった所で稼げる時間は誤差レベルだよ。真っ当に戦いを挑む以上はな。お前らの最善策は『残る三人でバラバラの方向に全力逃走』だったんだ。もしそうしていれば──三人中二人は確実に死ぬが、残る一人はそう少なくない確率で生き延びれたろうに」


 呆れるでもなく。哀れむでもなく。

 ただただ淡々と事実だけを【刈り手リーパー】は述べる。

 それを聞いた綱潟は少しだけ目を細め──そしてまた少しだけ頬を緩めた。


「たとえそれが事実だとしても、それでも俺は──これ以外の選択が出来そうにねぇよ。我ながら馬鹿馬鹿しいけどな。これが俺の──だから」


 綱潟つながた 氷雁ひかりは、一片の悔いなくそう言った。

 だが。

 目前の死神は。

 その決意を。覚悟を。信念を。

 何とも思わない──思えない。

 彼が思った事は、ただ一つだけ。


「…………それはなんかじゃないな。それはこの世界中のどこにでもある、酷く些細でありふれた凡庸な──」


 終始無感動に。終始無慈悲に。

 時雨峰しうみね せいはそう吐き捨てるのだった。




「──だ」




「──おおおおおおおおおおおッッッ!!」


 吼える。駆ける。

 全てを忘れ、総てを捧げ。

 綱潟つながた 氷雁ひかりはただただ【刈り手リーパー】へと全霊を叩き込む為に駆け出した。

 それを受けて。

 せいの背後に佇む無貌の刈り手が──ゆっくりとその白き死鎌デスサイズを構えた。


「──餞別だ。この一閃を手向けに散れ」


 その呟きは、果たして彼に届いたのだろうか。


「【刈り手リーパー】ああぁぁぁぁッ!!」


悲嘆の日なるかな Lacrimosa dies illa,

 人土より蘇りてqua resurget ex favilla

 犯せし罪を審るべければjudicandus homo reus:


 ──その歌は紛う事なき葬送曲レクイエム

 神の子が紡ぎし弔いの調しらべを、今宵に白き死神が哀れな人の子に手向けよう。


嗚呼天主よ之を赦し給え Huic ergo parce Deus.

 慈悲深き聖なる主よpie Jesu Domine,

 彼等に安楽を与え給えDona eis requiem.

 主、そして信仰に厚き王よAdonai Melef Neman.


 純白の葬刃が振るわれる。

 それに慈悲は無く、故に悲痛も無い。

 かくして、第三隊ヴィブルナム隊長綱潟つながた 氷雁ひかりは、自らの全身全霊を込めた一撃諸共に──完全に両断された。

 その一撃の名は──




「──【涙葬送Lacrimosa】」



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