第21話 事件

 朝日が昇る少し前の白んだ空。夏を本格的に迎えた季節。それでもまだ、朝は肌寒く、軽めのかけ布団に包まるようにその体を包む赤毛の少女。寝乱れぬ艶やかな髪、長いまつげを持つ瞼はさながら花開く前の蕾のようだ。見るものをうっとりさせるような寝顔は布団から顔半分だけを出して静かな寝息を立てていた。


 遠くで扉が閉じる音。階段をリズムよく駆け下りていく音が耳に届く。同居人がトレーニングへと向かっていったようだ。


 早朝、彼女の起床の合図はいつからか、早朝に扉が立てる音に変わっていた。ゆっくりと開く瞼。覗くルビー色の瞳はまだぼんやりと部屋の景色を映し出す。ゆっくりと体を起こし両手を上へと伸ばして背伸びをする。洗面を済ませ、自室の鏡台に向かって座り、髪を梳く。髪は軽くアップでまとめあげ、ポニーテールにした。


 トレーニングウェアをクローゼットから数着取り出す。どれにしようかと少し考えたあと、白を基調に、ピンク色で縁取ったトップスを選ぶ。その下にはライトグレーの長袖のラッシュガード。さらにその下に着るのはスポーツブラ。トレーニング用に開発された機能的なもので、過度な『揺れ』を防ぎ、なおかつ『締め付け過ぎない』という優れもの。女性の間では爆発的な人気があるが、常用したい人が多くいる。だが、あまりにも『色気がない』のため、普段使いには向いていない。テラスとしては常用していたいのが本音であるのも、豊満な胸の膨らみゆえである。 


 軽く羽織るためのショッキングピンクのウインドブレイカーを重ねるようにした。伸縮性の高い黒のロングタイツに、黒のショートパンツを重ね着して、キャップをかぶる。

 

 朝の修練をするにも女子はファッションに気を配らなければならない。


 ――気になる異性がいる場合は特にそうだ。


 ここ破龍学園倭国所属は全寮制。男女の寮は別れてはいるが、異性の目が常に光っている。とりわけ、カーマイン皇国の皇女であるテラスは訳あって、学園初の留年生との余儀無くされているが、そこには特別な理由があるからだった。


 テラスは全身鏡で、本日のコーディネートにおかしなところがないか確認した後、テラスは納得が言ったのか鏡に映る自分を見てうなづいた。


「よしっ! ――きゃあっ!」


 刹那、部屋が赤く染まる。空気を切り裂き、耳をつんざくような爆発音がなり響く。轟々と燃え盛る炎が空を赤く染め、一筋の軌跡を描いていた。窓ガラスはガタガタと音を鳴らし、その音の振動と爆風の強さを物語っていた。


 テラスは頭を保護するように両腕で抱え、床にしゃがみ込んでいた。残響がだんだんと鳴り止むと、テラスは窓へと向かい、外を見上げるが、やがてその爆発は残滓もなく消えていく。


「い、一体何が?」


 騒がしくも新しい一日が始まりを迎えた。

 


***



『本日早朝、破龍学園敷地内上空にて大きな爆発が起こりました。爆発による被害はなく、学園は学園生の魔力操作の誤りにより誤爆したものによるものと説明しており――』


 テレビに流れるのは、今朝方確認された大規模な爆発のニュース。幸いにも被害者もなく、大きな事故も発生することはなかった。だが近隣住民の方々には、朝の心地よいまどろみの時間を大爆発という目覚ましによって奪い去ってしまったのは言うまでもない。


 テラスとイーダの二人は、テラス達が住まう寮のダイニングで朝食を食べながら、テレビから流れるニュースを見ていた。食卓テーブルの上には、ご飯、豆腐とわかめの味噌汁、ほうれん草のおひたしに、焼いた小魚。4人分がしっかりと準備されているが、2人分の席はまだ不在のままだった。


 テラスとイーダは、半袖の制服に袖を通していた。シンプルなブラウスに、悩ましげに押し上げられた黄色のリボン。二人は中々立派なものを持っているようで、タックインしたブラウスが、豊かな膨らみの美しい丸みを際立てさせていた。テレビを見ながら、イーダはたくあんをボリボリと齧り、テラスへと言った。


「すごい音でしたよ、テラス様」

「ええ、ですけど、あんな大規模な魔法を使える人なんてこの学園にいましたっけ……」

「……え?」

「……え?」


 イーダは何を言っているのかわからないという表情を浮かべ、テラスは口に運んだ箸を口に咥えたまま首を傾げた。そして二人の間に沈黙が訪れた。イーダが「あれ?」と、話が噛み合わないことに疑問に思い、テラスへと尋ねた。


「……テラス様じゃないのですか?」

「わ、私ではありません!」


 テラスは勢いよく抗議するものの、イーダは疑いの目を向けていた。


「え~。テラス様がストレスを発散したのかと思いましたよ」

「ち、違います! 敷地内での魔法の使用は、闘技場(アリーナ)以外では学則で禁止されているのですよ。わざわざ破ることなんて私はしません」

「しかし、テラス様が主に使われる魔法のエレメントタイプは『炎』。しかもあれほどの規模の魔力を一度に放出できるのはテラス様以外にはいないと思うのですが…………」


 ガチャリとリビングの扉が開く。そこには白襦袢を着崩した白雷の姿。髪の毛は跳ねまわり、目は開いていない。目をこすりながら大きなあくびをしていた。


「おはようございます。白ちゃん。」

「…………おはよう」

「——ハァ……何度言えばわかるのだ。洗面を済ませてから来たらどうなのだ?」

「…………うむ」


 ペタペタと床に張り付くような音を立てて、白雷は洗面所へと向かっていく。リビングのドアは開けっ放しであり、イーダが舌打ちをして扉を閉めようとした時だった。


 白雷のものとは違う足音が階段を駆け下りてくる。その足音が段々大きくなるにつれ、テラスの顔は綻びだし、視線をリビングの外へと向ける。彼と食事の場を——自分の作った料理を——食べてもらいたいという思いは、いつか諦め掛けていたが、やっと機会が来た――

 

「――誠せん……」


 ――はずだった。


 テラスは誠へと声を掛けようとした。だが、誠は颯爽と階段を駆け下りて、玄関を抜けていった。どうも朝食のみならず、テラスの作った食事を食べる機会は誠にはないようだ。


 その理由をテラスは知ってはいる。朝は早くからトレーニング。夜は、遅くまでトレーニングと義妹さんの見舞いへと向かっていた。今までは仕方がないとは思っていた。彼の抱える負の思いが、テラスへと向けられていたのだから。


 だが、“あの日”を境に、距離が近づき、誠がテラスの料理を拒否する理由もなくなった。だからなおのこと食べてもらえないのは、テラスとしては残念でならなかった。


「ハァ……チャンスだと思ったんですけど」


 デートだと期待したが、誠の義妹の見舞い以来、朝食を食べてもらう機会は幾度とあった。だが、誠はテラスの手料理を食べる機会を、運悪くも呼び出しや顕現した《勇者の力》の経過確認という理由が多々ありそういう場を逃していた。そう言った事情を把握してはいるものの、テラスの中にはちょっとした不満が溜まりつつもあった。


「まったく……一言言っておいたのですがね……」

「え? どういうことですか?」


 ぼそりと呟くイーダの言葉が気になりテラスは尋ねた。だが、イーダはテラスの方にも原因があるなと思いうなづき、テラスへと発破をかける。


「いえ、何もありません……そもそも、テラス様。なぜ一緒に食べようと一言言わないのですか? 学園でも、どこでも声をかけるチャンスはあるはずだと思うのですが?」


 最近やたらと協力的になったイーダは、テラスに誠へのアタックするようにいうが――


「……だ、だって、恥ずかしいじゃないですか……」


 ――と、本人はいつも顔を赤らめて否定する。


 その姿がとてもいじらしく、イーダの加虐心を煽っていた。


「そんなことばかり言っていると、誰かに横取りされてしまいますよ? 魔力が使えない役立たずであったとしても、一ノ瀬は異性から人気があるようですから?」

「ほ、本当ですか?」 

「本当も何も、先日美しい黒髪の方と廊下で楽しそうに会話していましたけど……。そういえば、一ノ瀬の義妹、澪さんと同じ黒髪でしたし、とても大人びた感じがしましたね。もしかしたら一ノ瀬誠はああいうタイプに弱いかもしれませんね~。」


 テラスの頭の中で、誠と黒髪美人と顔に書かれた人との乳繰り合う姿が再生されてしまう。テラスはその映像を振り払うようにして、顔を左右にブンブン振り、否定した。


「……っ! で、でも、誠先輩がその方のことをどう思ってるかわからない……はず、です……」


 テラスの言葉は尻すぼみとなっていく。あからさまに落ち込むテラスを見かね、イーダは大きなため息をつき口を開いた。


「――はぁ。テラス様、安心してください。私もできる限り協力しますから。ね?」

「イーダ……って、私は誠先輩のことお慕いしているわけでは……」

「はいはい、それはもう聞き飽きました。いい加減素直になったらどうなんですか、全く」

「……というか、イーダはなんで最近誠先輩のことを……」


 やたらとイーダ反対していたイーダの態度に疑問があったのか、テラスはその真意を確かめようとしたが……


「誠なら急用があると言っていたぞ」


 テラスの言葉を遮り、白雷がダイニングへと入室する。洗面し、シャキッとした顔からは威厳さえも感じさせるが、跳ねた髪の毛が台無しにしていた。白雷はいそいそと食卓テーブルの椅子へと腰けた。テラスは隣に腰掛けた白雷へと尋ねた。


「何かあったんですか?」

「……へ、変態博士が、なんとか……と言っていたな」


 白雷はなぜか身震いして、両腕で体を抱きしめる。何かを振り払うかのように首を左右に振る。


「「変態博士?」」


 聞き慣れない言葉にテラスとイーダは首をかしげる。


「とにかく朝餉だ。テラス、よそってくれ」

「おいガキ! なぜテラス様に給仕させている! 無礼だぞ!」

「ふん。支えるべき主人に朝餉を作らせる従者がどこにいる!」

「あ、あはははは……」


 テラスは困った顔を浮かべながら白雷の食事をよそう。賑やかな朝食になったなと思いつつも、一つの空席がテラスにため息をつかせた。なぜ、食べる機会がないのか? と。


 だが、必ずチャンスはある。テラスはそう、意気込むのだが――


「うっ……。この焼き魚、塩辛い!」


 白雷のダメ出しにテラスはがっくりと肩を落とした。



***


 

 急激な気温の上昇は、その場に佇むだけでも汗がポタリポタリと滴る。そんな季節を迎えた倭国。

 

 誠たちのクラスはすっかり衣替えを済ませ、皆も半袖の制服へと袖通していた。教室は冷暖房を完備しており、快適な温度で受講することできる。


 そんな中、誠は半袖に長袖のアンダーシャツ姿である。それは伸縮性、通気性のある機能性の高いものを着用していた。その理由は、身体中にある勇者の紋章を隠すため。その紋章は腕にまで広がっており、一部関係者以外には見られることがないようにした為であった。


 ただでさえ暑い季節なのに、誠の奇妙な装いを誰も指摘することはなかった。それは早朝の爆音の話題で持ちきりであったためである。


 龍族の活動が激化し、要塞近辺での目撃は後を絶たない。ましてやここ倭国は他国を守る最前線。海龍王の出現後、ティブロンをはじめとした龍族の眷族の活動が活発化し、海岸線の防衛は、いつも戦闘による煙が立ち上っていた。今日も上級生の出動要請があり、いつ龍族の強襲が起きてもおかしくはない、そんな緊張状態が続いていた。


 クラスの生徒たちは口々に噂を述べている。今朝のニュースをタブレット端末で見せ合い、龍族が飛んできたのではないか? と恐れをなす者。バカな学生が魔力を暴発させたなどと笑い合う者たちもいた。


 そんな中誠は一人、肩身の狭い思いをしていた。


 外界演習中、姿を消していた彼は、あの雷鳴の主ではないかと噂されていた。だが、その噂はすぐに消え、誠は疑惑の目から解放され、日常を取り戻していたはずであった。しかし。今朝方の爆発事件によって再びその疑いがかけられるようになった。

 

 その根拠もあやふやではあった。誠からは常に莫大な魔力が感じられる。あまりにも弱いものが近づけば、『魔力酔い』を引き起こし、昏倒してしまう者もいるほどだった。魔力操作に長けたものであれば、自分の魔力を制御し、その存在を隠すこともできる。だが彼にはその魔力を隠すに必要な制御方法も十分に扱うこともできなかった。

 

 リヴァイアサン強襲後に実施された魔法行使の実力審査の時も、皆が淡々と最低基準を軽く超えて合格していく中、誠だけ表情が青ざめ、審査をパスすることはなかった。次回補習という結果に終わり、彼はがっくりと肩を落としていた。


 そんな彼を見て、いつの間にかまた、誠とクラスメイトの間に変な距離が出来上がっていた。


『いや、まさか……。先輩に限ってそれはないんじゃない?』

『わかんないよ。外界演習の噂、まだ無くなってないらしいじゃん』

『いやいや。この前の審査の時、散々だったじゃん。ありえないって。』

『うん、それは私も同感』

『でも~誠先輩の魔力ってすごいよ?』

『可能性は否定できないな~』


 今朝の爆発の話題が飛び交う中、ガラリと教室の扉を勢い良く開かれる。そこに姿を現したのは、鴉羽のような漆黒の髪を艶やかに光を反射させ、きりりとした切れ長の瞳した一人の女性が現れる。薄紅色の唇。透き通った白い肌はむきたてのゆで卵のようだった。控えめに膨らんだ胸元だが、制服をブレザーを押し上げ、その存在を誇張している。美しく曲線を描くその腰の先にある丸みは、大きいがしっかりと引き締まり、スカートから覗く足は、素肌をほのかに透かした黒のタイツで覆われていた。


 誰もがその姿を見誤ることはない。この破龍学園倭国所属の学生の長、西園寺寧々である。


『キャー! 生徒会長~~~』

『うわ~、いつも見ても綺麗……』

『むっちゃ色気あるよな~』

『おい! 俺今、目が合ったぞ!」


 教室の方々から女子たちの黄色い歓声が上がり、男子は生徒会長の気を引こうと、手を振る者もいた。朝のホームルームを迎える前だというのに、騒がしくなった教室へテラスとイーダ入室し、その異様の盛り上がりように不思議そうに首をかしげた。


「……おはようございます。どうしたんですか?」


 テラスが不思議がって、一人のクラスメイトへと尋ねた。


『あ、テラスさん、おはよう! あのね、生徒会長の西園寺寧々さんが教室に来てるの。テラスさん知らない?』

「――あ、もしかして、入学式とのきに……」


 テラスは教室の扉の前で腕を組み、凛とした姿で立つ黒髪の美少女を見て言った。入学式の時、在校生代表挨拶の時に見た姿をテラスは思い出した。


『そうそう、その人! 生徒会長であると同時に、我が倭国が誇る天才児、《白雪姫(ブランカ)》とはあの人のことよ! 破龍士の名門、西園寺家きっての天才なんだから』


 テラスにもその家名に聞き覚えがあった。『倭国に西園寺あり』と言わしめるほど、他の国にその破龍士しての名が知れ渡っている。

 

 葬った龍族は数知れず、勇者一族と肩を並べて最前線に立ち、今の平安を築いたと言っても過言ではなかった。そんな名門に、類稀なる才能を持った女性破龍士こそ西園寺寧々であった。


 テラスがクラスメイトの説明にうなづいていると、イーダがテラスに擦り寄り、その耳元で呟いた。


「テラス様、あの方ですよ。今朝話した黒髪の女性の……」

「あの人が……」


 確かにイーダの証言の通り、美しい黒髪が目を引く。整った顔立ち、その立ち居振る舞いからは品性が感じられ、倭国美人という言葉はこの女性のためにあるのだろう、そうテラスは思った。


 しかし、こうして生徒会長が特定のクラスへと出向くことは珍しいことであったため、テラスたちのクラスメイトは口々に疑問の言葉を漏らした。


『でも、滅多なことで、生徒会長がうちのクラスに来るなんてことあるの?』

『う~ん、誰か何かやらかしたとか?』

『まさか、朝の爆音が関係してるんじゃないの?』

 

 寧々は教室を一度見渡す。クラス中の視線を浴びる中、一人の生徒が目に留まる。唯一誠だけが、寧々を見ることもなく、窓の外をずっと眺めていた。寧々は一直線に誠の元へと向かっていく。近づく寧々の足音に気づき、そちらへ顔を向けると、寧々の切れ長の鋭い目は誠を見下ろしていた。


「一ノ瀬くん? ちょっといいかしら」

「……あ、さ、西園寺さん、どうしたの?」


 誠は突然の彼女の訪問に、歯切れが悪そうに応対する。寧々はフッと微笑み、言った。


「ふふっ……。私にちょっと付き合ってくれないかしら?」

「……へ?」


 それはあまりにも唐突すぎるもの。誠をはじめ、クラスにいる生徒全員がその言葉の意味を理解するのに十分な時間を要した。長すぎる静寂の後、クラスには驚嘆の声が響き渡る。


『『『『『ええ~~~~?』』』』』


『うそうそ~! 生徒会長が誠先輩に告白ぅ~~?』

『やっぱりそれってー、やっぱりだよね?』

『誠先輩、顔はすごく女子ウケ抜群だから、当然っちゃ、当然か。』

『誠先輩。二股、ダメ、絶対。』


 クラスメイトが騒いでいる中、テラス顔を真っ赤に染めて、寧々の『付き合う』発言に過剰に反応していた。


「つ、つつつ付き合う~~?」

「……テラス様、だから言ったではないですか、ぼやぼやしていては横取りされてしまいますよって?」

「よ、横取りだなんて……私は誠先輩のこと、なんとも……思って、いませんから……」


 テラスはイーダの指摘に顔を染め、俯いてしまった。否定はするものの、誠がどう返事をするのか気になるのか、チラチラと伺っている。飛んだツンデレもあったものだと、イーダは大きく溜息を吐いた。


 唐突なことに誠も動揺を隠せないでいた。


「ど、どういうこと?」

「あんなことしといて、覚えてないなんて言わせないわ。あなたのこと全部もう分かってるんだから。だから、あなたには拒否権はないの。」


 妙に体をくねらせながら、自分の腕で自らの体を這わせるようにして抱きしめる。寧々は誠へと詰め寄り、視線の高さを合わせて誠のネクタイを引っ張り、二人の顔が急接近し、鼻と鼻の頭が触れ合うような距離に至った時だった


「……だ、だめぇ~~~~!」


 教室中に広がる制止の声。その声の主人は、艶やかな赤い髪と区別がつかないほど顔を真っ赤に染めていた。彼女の表す感情は、その声の大きさとともに、めいいっぱい握りしめられた小さな両手と、目尻に溜まった雫が物語っていた。その体はプルプルと震えていた。


 あまりの大きな声に、教室にいるすべての生徒が、テラスの方へと振り向く。生徒会長の寧々の姿を一目見ようと溢れた野次馬たちも、驚き口を閉ざしてしまった。


 訪れる静寂。


 テラスの足は誠と寧々のいる方へと歩を進めていた。そして、テラスは二人の間に割って入ると、誠を庇うようにして両手を広げて口を開く。


「い、いけません! ……教室の中で、そ、そんなこと……」

「……? そんなことって?」

「そ、それは……その……みんなの前で、く、くくく、くち、口づけ……だなんて」


 テラスの言葉は終わりに近づくにつれて、ごにょごにょと小さくなっていくが、寧々はその言葉を聞き逃すことはなかった。そして、不敵な笑みを浮かべ、自らの唇の前で人差し指を立て、寧々はテラスをからかうように言った。


「あらやだ、口づけだなんて。私はただ一ノ瀬くんと話したいだけなんだけど? 案外、異国の王女様もエッチなのね?」

「え、ええええ……」


 テラスは寧々の言葉にさらに顔を真っ赤に染め、その頭からは湯気がたちのぼり始め、『ボンッ』という音とともに、ついには限界を迎えてしまった。

 その姿を見てクスクスと上品に笑う寧々は、誠の手を取って引っ張り、立ち上がらせて——


「ほら、一ノ瀬くん。みんなが見てるわ、早く行きましょう?」

「ちょ、ちょっと!」


 ——教室の外へと連れ出してしまったのだった。

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