田沼意次~悪人と云われた稀代の政治家~(日本史・江戸時代)

 賄賂、癒着……政治家の不正はいつの世も存在していますが、日本史では「賄賂と言えば」という人が一名存在しています。


 田沼意次たぬまおきつぐ(1719~1788)です。


 賄賂政治の諸悪の根源みたいなイメージがやや定着している気がしますが……

 実はこの方、最近は評価されています。

 寧ろかなり優秀な政治家だったと言える人物と言えます。

 今回はそんな、田沼意次と言う方を取り上げます。


【そもそも田沼家って?】

 田沼家は紀州徳川家に仕えた旗本です。

 部屋住み(家督を相続できない次男以下が独立前に親や兄弟に世話になっている状態)時代の徳川吉宗の側近に父が登用され、吉宗が将軍になると幕臣となります。

 まだ若い意次は第九代将軍となる徳川家重とくがわいえしげの小姓として抜擢されました。この段階ではまだ家督を相続してもわずか600石の旗本でした。


 1745年、家重の将軍就任に伴い、江戸城の本丸へ。

 小姓のポジションは、お仕えする人の手足となって動ける部下として教育されますのでこの場合、家重の最も信頼のおける部下の一人となっています。


 当然そうなれば出世コース。

 御側御用取次おそばごようとりつぎの立場から1758年には1万石の大名に上り詰めます。

 この年には郡上一揆ぐじょういっきが発生しており、幕府関係者が関与したとして吟味、裁判を行うにあたって信頼のおける人物に任せる必要があったことから意次が抜擢されました。

 そしてこの時に幕臣の有力者が改易されたことと、解決に大きく関わったことで田沼意次は出世して行くことになるのです。


 また、この郡上一揆は窮乏する藩財政の立て直しのため年貢の徴収法を改めようとしたことから始まったため、米によって経済を動かしていく重農主義じゅうのうしゅぎの問題点が露見し、貨幣経済を推し進めていくべきとの論調が幕府重臣の中でも主要な意見を占めるようになっていきました。

 これは、八代将軍吉宗が推し進めた経済政策(享保の改革)のツケが噴出した結果とも言えます。

 名君として知られる吉宗ですが、彼の質素倹約は課税対象である農民にも強制し、税を搾り取ろうとするものであるため、家重の代で一揆の増発として問題が表面化したのです。(事実、享保以降は一揆が激増している)


【田沼時代】

 さて、出世街道に乗った意次ですが、10代将軍家治の代になってもそれは続きます。

 1772年には5万7千石まで加増されます。

 600石からここまで昇進して老中まで務めた初の人物となったのです。

 この頃から幕府は財政赤字を食い止めるべく、重商主義じゅうしょうしゅぎ政策をとります。


 肥料の購入など、当時は農民も貨幣が必要な時代になっていたので、ここに目を付けたのです。

 米が経済の中心であれば相場の変動で国の経済も安定しません。

 意次は貨幣経済を普及させて問題を解決できないかと考えたのです。

 つまり農民への重税ではなく、民衆を富ませて財政を立て直そうとしたのです。


 この辺りは教科書でも取り上げられているところですね。

 印旛沼いんばぬまの干拓による新田開発。

 株仲間かぶなかまの奨励と運上金・冥加金みょうがきんを税として徴収。

 専売制せんばいせいの実施、鉱山の開発や蝦夷地の開発計画。

 俵物たわらものによる貿易。


 ちなみに俵物たわらものとは、干しアワビやいりこ(煎ったナマコ)、フカヒレなど中華料理の高級食材にあたるものをたわらに詰めて輸出したことから名づけられました。

 中国(清)の需要が高いものなので、この輸出で貨幣鋳造の為の金銀の輸入をはかったのです。


 さて、貨幣経済を推し進めるにあたって、もう一つしなくてはならないことがありました。

 実はこの時代、江戸と大坂では使っている貨幣が『』だったのです。


「小判じゃないの?」と思うかもしれません。

 ですが、金貨(小判)は江戸を中心とした東日本で流通していたもの。

 対して大坂は対外貿易を行う関係上、銀での支払いがメインとなっていました。

 つまり、が存在していたわけです。

(今風に言えば国内で円とドルが流通している状態でしょうか……)


 これでは毎回往来の度に両替の必要が出てしまいます。貨幣経済を推し進めるのにこれではいけません。

 そのため、田沼意次は南鐐二朱銀なんりょうにしゅぎんの鋳造を行い、「銀貨何枚で金貨と同じ価値になる」と言う仕組みを作り、金を中心とする貨幣制度への一本化を試みたのです。

 結果、商人中心の経済(重商主義)を取ったため資本主義化が進み、収入の不安定な年貢米より、安定した収入により景気も上向きました。

(幕府備蓄金は徳川綱吉以降最大を記録)


【相次ぐ不幸と被せられた全ての罪】

 しかし、全てが上手くいったわけではありません。

 資本主義化の進展により、金銭中心の生活形態へ移行。その結果役人の間で賄賂が横行してしまいます。ここが賄賂政治と言われた所以ゆえんでしょうね

 経済政策の失敗については老中が責任を取ります。

 反田沼派は世の中の荒れた状況を田沼のせいにするので、後世では全て不正の責任を被ることになったのでしょう。


 とは言え、賄賂自体は昔からありましたし、意次自身は賄賂を断っているなんて記録も残っているので田沼意次の悪人イメージは後世の人たちに作られた部分もかなりあるみたいですね。

 実際、田沼が藩主を勤めていた相良藩さがらはんは産業の奨励を行い、年貢率は低かったので民衆には喜ばれたと言う話です。


 さて、他の政策についても見てみましょう。

 印旛沼いんばぬまの干拓は途中で洪水が発生して頓挫とんざ

 都市部では幕府の保護の下で町人が利益を上げる一方で、農村では利益が薄いために農民が田畑を放棄して都市部に流入。農村が荒廃してしまいます。

 そこに明和めいわの大火、浅間山の噴火などの天災に加え、天明の飢饉まで加わって農村は深刻な食糧難に陥ります。

 これにより米価も高騰。

 各藩はこれを借金返済の好機ととらえ、年貢の取り立てを厳しくします。


 そうなれば生活苦から打ちこわし、一揆が多発。

 世の中が荒れて来れば政治を行っている者へ不満が募ります。

 江戸の商人を重視する政策の為、贈収賄疑惑なども立ったようです。


 他にもロシアとの交易、平賀源内ひらがげんないとの親交、蘭学の保護など外国に対する目も向けていましたが保守的な幕臣からの反発を招くことになります。

 平賀源内ひらがげんないに至っては殺人事件を起こして投獄。関係を否定しなくてはならなくなりました。


 そして1784年。嫡男で若年寄の田沼意知たぬまおきともが江戸城内で佐野政言さのまさことに殺害されると言う事件が発生します。

 この時、殺した佐野政言さのまさことの方が「世直し大明神」と民衆から称賛された所からも田沼政治に対する批判が高まっていたことが伺えます。

 この件については、オランダ商館の長も「意知おきともの死は幕府内の権力争いから始まった物であり、井の中の蛙ぞろいの幕府首脳の中、田沼意知たぬまおきともただ一人が日本の将来を考えていた。彼の死によって開国の道は、今や完全に閉ざされた」と書き残しています。

 ……権力闘争に巻き込まれて殺されたと考えるのが自然かもしれませんね。


 1786年には最大の後ろ盾であった10代将軍家治いえはるが死去。

 それに伴い反田沼派によって意次おきつぐも失脚し、度重なる減転封を受け財産も没収。城も壊されてしまいます。

 何とか孫が家督を継ぎ、大名として家を残すことは許されましたが、意次おきつぐもまもなく死去。子供たちも早世して息子の意知おきともの血筋も途絶えてしまいます。

 権勢を誇った方にしては、あまりに悲しい末路です。


 没後には松平定信まつだいらさだのぶによって私財を没収されましたが「塵ひとつ出ない」と言われるほど財産がなかったと言われています。

 賄賂を受け取っているのならもう少し財産があってもいいですよね?


 失脚後は反田沼派が実権を握るため、意次おきつぐの経済政策は否定され、元の重農主義に回帰します。

 ちなみにこの時、天明の飢饉から見事な手腕で白河藩しらかわはんを守ったのが藩主の松平定信まつだいらさだのぶです。

 彼はこの後、荒れた世の中を改めるために厳しい経済政策『寛政かんせいの改革』を行う事になります。

 しかし、その経済政策は失敗。

 田沼時代の資産も食いつぶす結果となり、民衆からの評判も最悪。

「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋ひしき」という皮肉交じりの狂歌きょうかも歌われたほど、良くも悪くも田沼時代を懐かしむ人も現れたのは悲しい所です。


 理想と計算で定められた政治は息苦しい者です。

 やはり人間の感情の要素をしっかりと生かした政治の方が人々は生きやすいのでしょうね。



【金回りがいいということは……?】

 最後に、田沼時代の良かった点を。

 蘭学を保護したこともあり、この時代には学問の発達が著しい進歩を迎えています。

 大槻玄沢おおつきげんたくが蘭学塾を開設。

 杉田玄白すぎたげんぱく前野良沢まえのりょうたくによってオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』が翻訳され、『解体新書かいたいしんしょ』が出版されています。


 民間の金回りが良いと言う事は文化が発達します。

 決して、悪い事ばかりじゃなかったと言う事ですね。


 それでは、今回はこの辺で。

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