菅原道真~怨霊伝説とマルチな神様~(日本史・平安時代)
しかしこの方、語ろうとすれば山のようにエピソードが出てくる恐ろしい方でした(汗)
ちょっと長くなりますので項目分けして行きます。
【菅原家】
この
(※当時は一定の位まで昇進しないと特定の役職に就けない仕組み(
また、この祖父の関わった事業と言えば、日本人の名前の付け方が「○○麻呂」などの日本固有の名前から二文字のものや一文字の訓読み方式などに変更されたことですね。
他にも、律令の統一解釈である『
さて、そんな人物を祖父に持つ
879年に従五位下に叙爵した道真は
(※
【
その頃、朝廷では大事件が発生します。
887年、藤原北家の
その即位に際して、
「
結局888年6月、天皇は先の
事件の発端の陰には、
ただ、この事件により、
【
悲しいことに、この事件に関わった人物はいずれも道真の父、
【宇多天皇政権~醍醐天皇政権】
891年、
二年後には
翌年には他の藤原氏を押さえて
897年には道真が
基経の子の
ここで
しかし、藤原氏たちは朝廷の権力集中を嫌っていました。中級・下級貴族にも反
そして、899年に
【
901年。
この事件については
京の都を去ることになった道真ですが、去る時に歌を詠んでいます。
「
切ない心境がうかがえます。
その梅は、京の都から大宰府の道真の屋敷の庭へ飛んできたという逸話も残っていますね。(「飛梅伝説」)
道真は
左遷から二年後。903年に道真は亡くなります。享年は59歳でした。
【朝廷~相次ぐ不幸~】
お待たせしました。さあ、ここからが道真の怨霊伝説です。
道真の死後、朝廷では不幸が相次ぎます。
まず909年。政敵だった
913年には
更に干ばつ、疫病の流行など、悪いことが立て続けに起こります。
923年には
925年にはその息子で皇太孫となった
二人は
これを受けて
【
そして930年、朝廷内の
そして、事件を目撃した
朝廷は、
災害の記憶が風化するにつれ、
【TIPS】
天神様こと
・別号
・信仰
現在、
学業・豊穣
武運・武芸
慈悲
正直・至誠
儒教・禅・忠義
和魂漢才・和魂洋才
和歌・連歌
芸能
厄除・病除
火除・雷除
書道・筆
長寿
交通安全
縁結び・縁切り
商売
冤罪を晴らす
極楽往生
海難除け
怨敵調伏
戦勝祈願
王城・国家鎮護
鬼門・魔封じ
仏法守護
子供の守護神
凄いですね(汗)
様々な分野に通じているようですので、迷ったら北野天満宮に行ってみたらどうでしょうか。
【おまけ~その後の藤原氏~】
彼は、
35歳にして
記録上、
出世が早かったこともあり、
そのため、
【TIPS】
ちなみに、
長くなりました。
お付き合いありがとうございました。今回はこの辺で。
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