歴史小話
結葉 天樹
日本史分野
参勤交代~気遣いと低予算の旅路~(日本史・江戸時代)
「下にー、下にー」
「ははー(土下座)」
こんなイメージがされる大名行列。
しかし割と間違ったイメージなのですこれ。
まず、この「下に、下に」という言葉。
これは
【お金がかかりすぎるのは何のため?】
そもそも参勤交代は大名の役職である
しかし、費用がかさむため、大名が財政破綻しないよう各藩に大名行列の制限を幕府が出していました。この辺は「幕府が大名たちにお金を使わせる」と言った話とは食い違うのではないでしょうか。では、なぜ財政破綻したり商人から多額の借金をするほどに大名行列を派手にしてしまったのでしょう?
実は大名行列は民衆に見せつける意味も持っており、民衆も豪華な大名行列を見るのは一つの娯楽であったため、各藩は見栄や威厳を示すため、制限を超えることも多かったようです。
財政が豊かではない大名も大きな
家臣たちも参勤交代のかなり前から宿場を予約し、行程表を作り、参勤交代の企画をしていたようです。今で言ったら社員旅行の実行委員会みたいなものでしょうか。どこも、できるだけ時間とお金を使わないようにしている各藩の苦労が見えます。
では、実際にどれだけお金がかかったのか一例を挙げましょう。
『
大体20日くらいかけて江戸に向かっています。
諸品購入費(修理費込み)……387両
運賃(川渡賃・船代)……137両
宿泊費(昼食・休憩代込み)……97両
総額……1957両
※両未満は四捨五入しています
1両あたりが現在の価値換算で10万円前後ですので、江戸に向かうだけで約2億円ほどが参勤交代に使われています。ここに、江戸滞在における諸経費(人件費や
お金がかかり過ぎた例の一つとして、地方の小大名の中には帰りの費用が無くなったので徒歩でお国入りした大名もいたとのことです。
また、参勤交代では人の領地を通るため、
【文化の全国普及】
参勤交代では大名とその
昔はそんなに全国を行き来することが無かったので、文化は主要都市のみ発達していましたが、江戸時代は往来が多かったこともあり、江戸や
江戸時代からは文化が大衆的なものが多くなっているのも、この影響は大きかったからだと考えられるでしょう。
ついでに、江戸に武士が全国から集まったため、人口の半分が武士だったなんて話もあります。そのため
【無礼? いいえ、行列より最優先事項です】
最後に、大名行列を横切るのは
それは「
子どもが生まれると言う一刻を争う事態なのに大名行列が通り過ぎるまで待たされていたら大変ですからね。
ちなみに産婆でない人物が横切ったり行列の中に飛び込んだらどうなるか……「生麦事件」あたりが代表例ですね、これは。
容赦なく斬られます。
ちなみに生麦事件直前に島津の行列に遭遇したアメリカ人商人がいるのですが、すぐに下馬し、馬を道端に寄せて行列を乱さないように道を譲り、脱帽して行列に礼を示したことで薩摩藩士側も外国人が行列に対して敬意を示していると了解したとされています。この辺は外国人で文化が違ってもしっかりと敬意を示していると通じればOKだということでしょうね。割と柔軟であることがうかがえます。
なお生麦事件が起きた際、この人物は「彼らは傲慢にふるまった。自らまねいた災難である」と礼を失したイギリス人たちに非があると述べていたそうです。
今回はこの辺で。
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