罪の烙印

宵霧春

第1話 プロローグその1

 その日は、例年と同じで特に変わったことのない日になるはずだった。

 

 いつもは殺風景なコンクリートだけの景色だが、クリスマス・イヴということもあって、夜遅くであるにもかかわらず、老若男女あらゆる人々が外でにぎやかに騒いでいた。

 日本は、様々な文化・宗教を取り入れて、自分たちが受け入れやすい形に解釈・融和している珍しい国である。クリスマスは、イエス=キリストの生誕を祝う祭りであることから、キリスト教関連の祝祭であることに違いはないのであるが、日本人にとっては、そんなものはどうでもいいといった感じである。そもそも、クリスマスは静かに過ごすのが基本であり、馬鹿騒ぎするようなものではない。海外の宗教改革者がこの光景を目の当たりにしたならば、「キリスト教が神聖さを失っている……」と嘆くことであろう。日本人にとって、宗教関連の日はただの祝日にすぎないのだ。

 「なんかそれって、神様に対して失礼ってもんじゃないですかね?」

 にぎやかな声が聞こえてくる繁華街から、少し離れた場所にある建物の中で、

 俺、雨切仁は独り言を言う。

 いや、実際には俺は、後ろで黙々と作業を続ける一人の老人に話しかけたのだが、聞いてくれなかったため、結果として独り言のようになってしまったのである。

 「ねえ、どう思いますかー、師匠」

 今度は老人……師匠マキラ=ベラスケスのところへと近づいて、大きな声で問いかけた。そして、ようやくこちらを振り向くと、うんざりとした声で答えた。

 「それは、去年も言ってたような気がするが」

 「あれ? そうでしたっけ?」

 「お前はまだ若造のくせに、物覚えの悪い奴だな」

 「1年前のことなんて覚えてませんよ。そんなどうでもいいことを覚えている師匠がおかしいんですって」

 「どうでもいいことだと自分で分かっているのなら、何故儂に質問をするのだ……?」

 「いいじゃないですかー、暇なんですし」

 ぷくーっと頬を膨らませ、露骨に「不愉快です」アピールをする俺に少しばかり呆れた後。師匠は再び作業に没頭する。

 師匠の目の前には、直径20メートルほどの、巨大な魔法陣が描かれている。その魔法陣には、さまざまな文様、触媒があり、師匠はそれをじっと見据えると、震えた手で適切な量の触媒を手にし、魔法陣の外円の一部にそっと置く。彼はこの作業を、もう5年近くも続けている。無限にも等しい量の魔法陣作成パターンから、一つずつ選んで試行錯誤を繰り返している。今回の魔法陣は、師匠曰く、約286万番目のパターンらしい。これだけ多くの実験をこなしているのだが、俺はもちろんだが、師匠自身も、今回の魔法陣の成功を期待していない。

 魔法陣の作成が終わったのだろうか。師匠はやつれた左腕を前に差しだし、目を閉じる。

 「宣告。

  我、万象を創造した神の奇跡、その全貌を明らかにせんとす。

  献上。

  俗世の汚れた品々は、今、神への手向けとして神秘性を帯びる。

  収縮。

  遙か彼方と謳われた神の国は、その距離を失い、今や我らの側に。

  ……開帳、魔鏡世界!」

 魔法陣が、師匠の言葉に呼応して紅く煌めく。やがて光が視界を紅く染め上げる。

 だが、そこで反応は最高潮を迎えたらしく、段々と光は弱まっていき、最後には虚しく消えていった。

 「……今回は、眩しすぎる花火でしたね」

 俺はそんな冗談を言うが、師匠はそんなことに構ってやるつもりはなかったらしく、ため息をつきながら、先ほど使って残り滓となってしまった触媒を拾い上げ、処分した。


 “こんなことを続けて、いったい何がしたいのですか?”


 いつごろだろうか、俺はそんな質問を師匠に問いかけたことがあった。すると、師匠は一束の紙を掴み取り、こちらへと投げつけてきた。

 そこには、『魔境世界顕現の魔法陣を作製せよ』という題名と、簡単な説明書きが記してあった。赤い判子で『極秘』と捺されていたので、その指令書が重要であることは一目瞭然であった。

 「儂は、もう年だ。昔はその才能の素晴らしさで、ちやほやされていた時期もあった。だが、今ではその名前さえも忘却の波へと呑みこまれてしまった。唯一と言っても過言ではなかった、お前への魔術の手ほどきも、既に終わった。お前が儂のように、優れた才能を持っていたせいで、儂の仕事は予想外に早く終わってしまったのだ。儂には、もう何もない。儂の人生において与えられた天命とやらは、もう果たしてしまった。

 だから、儂は最期の仕事として、これを快諾したのだ。無理、無茶、無謀。そんなことは分かっておる。だが、死ぬまで儂は暇なのでね。老人の暇つぶしにしては、少し地味な気もするが、まあ儂には丁度いい遊戯なのかもしれんな」

 師匠は自嘲的に、そんなことを言った。魔術の腕としては、師匠も口を出せないほどに成長してはいたのだが、彼の気持ちを汲み取ってあげられるほど、自分の心は成熟しきってはいなかった。

 そんなことを思いだし、過去の自分に恥じながらも……俺は震える右腕を、同じく震える左手で押さえながら、再度師匠に話しかけた。

 「悪い、師匠」

 突然、俺は師匠に向かって頭を下げた。いきなりの謝罪に驚いたのか、先ほどよりも早くこちらを振り向くと、そのまま顔をまっすぐと、俺の方へと向けた。少しばかりの沈黙があった後、俺が続きを話すのを待っているのだと気づいた俺は、顔を上げて、師匠と対峙した。

 「俺が師匠から魔法陣作製の件を聞いたとき、どうすればいいのか分からずに、無言で師匠の元を去ってしまった。許してくれ」

 そう言って、俺はもう一度頭を下げる。師匠はほんの少しだけ目を見開くと、重々しい口調で話す。

 「何だ、それは。それならば、今のお前は正解とやらでも見つけたのか?」

 「いいや。全てのことにおいて、正しい解なんてものは無いだろう」

 「ああ、その通りだ。あの時無言で去ったからこそ、今のお前がいる」

 「けれど。もし自分があの頃に戻れたならば、何をしたいのか。その明確な答えならある。そして、その答えを実行する勇気だってある」

 俺はそう答え、まっすぐと師匠を見つめる。彼はしばらく口を閉ざしていたが、やがて、その口元に笑みを浮かべた。

 「は……そうか。お前みたいな、適当に人生を生きてそうな若造にも、それだけの覚悟があるのだな。少しばかり、みくびっていたようだ」

 その声は、とても愉快そうで……だからこそ、俺は唇を噛みしめた。 

 「ほれ」

 師匠は、俺に一枚の茶封筒を渡した。俺はそれをしっかりと受け取ると、師匠に促され、中身を見る。そして、はっと息が止まる。

 「師匠……やっぱり……」

 「ああ。今の儂にとっては、お前の解答は満点の解答だ。

 さあ、答えは出た。お前に、最後の課題を与えよう」

 にこやかに笑いながら、師匠は俺にその内容を口にした。

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