七  恋は軽忽

今日は梨緒とおそろいのペンケースを買いに行った。

前のには、油絵具をべったりとつけられてしまったから。

手触りが良くて可愛いボーダーのペンケース。

色違いじゃなくておそろいなのって、なんかくすぐったい。


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 昨日から降っていた雪が見事に積もったらしく、朝起きると外は雪景色だった。

そんなに降ってたっけ、とぼんやりした頭で記憶を掘り起こしていると、昨日の服を鈴に返す約束をしていたのを思い出した。

 先週雪道を自転車で走行して派手にすっ転んだので今日は電車で行こうと思い、携帯を取り出して鈴の家までの所要時間を調べた。


 昨日のデートは夕方までで、佐藤さんは慌ただしく帰って行った。家で母親が佐藤さんの誕生日パーティーを開くと言ってどうにも譲らないらしく、うまいこと説得して夕方までという約束を取り付けて出てきたそうで、そこで初めて昨日が佐藤さんの誕生日だったことを知った。付き合っているのに意外と知らないことばかりだ、と二人で笑って、びっくりサンダーパフェをつつきあった。

 驚いたのは佐藤さんが服装に興味を示してくれたところで、まじまじと私のことを見るものだから、

「何ですか、何か変ですか? 友達に選んでもらったんですけど」

と照れ隠しにたたみかけるような口調で言うと、

「いや、いいんじゃない? たまに履いたらいいと思うよ、スカート」

と、口調については軽く流し、素直に褒めてくれて赤面する思いだった。


 今日はメイクをする必要がないので、日焼け止めを薄く塗って色つきのリップクリームを塗った。鈴曰く私はオレンジの方が似合うということなので、これを使いきったら探してみようと考えている。

 ただ、メイクに関しては佐藤さんから色好い反応が得られなかったので、要検討というところだろう。


 鈴の家は最寄駅から歩いて約二十分の場所にあり、そこを歩くだけでファーつきのブーツは雪だるまになっていて、こういうとき鈴は何を履いていただろうか、鈴は靴に雪だるまを作るようなことはなかった。

 雪だるまが溶けてブーツに染み込み冷たくなり、一歩踏み出すたびにぐちゃぐちゃという音が耳に届く。今日は新聞紙を突っ込んでおかないとな、と考えながら、私はインターホンを押した。


 一昨日同様両親は仕事中で、鈴が迎え入れてくれた。鈴は私のブーツがぐしょぐしょなことに気づいて、新聞紙を丸めて突っ込み、ストーブの前に持って行ってくれた。


 部屋に入ると紅茶の香りが漂っていて、前回出してくれたのと同じものがちょうどいい具合に淹れられていた。服のお礼として買ってきたクッキーを渡すと、鈴は綺麗なお皿に何枚か入れて持ってきた。そして、好奇心に満ちた顔で、どうだった、デート、と聞くと、テーブルを挟んで向かい側に座った。

「ああ、パフェならばっちり完食した」

「うわ、さすが紗友里」

「口ほどにもなかったよー」

 鈴はわけのわからない生き物でも見るような目で私を見ている。

「まあでも鈴には無理かな?」

「当たり前でしょ! で、他には?」

 パフェだけじゃないでしょ、と言うので、何があったか思い出そうとしてみたけれど、プラネタリウムで二人とも爆睡した、というくらいしか話せることがなくて、プラネタリウムも行ったよ一応、とそれっぽく返事をしておいた。

「プラネタリウムかー、いいなー」

「で、鈴はどうだったの、昨日」

 当然聞いてほしいもんだと思って聞くと、鈴の顔がこわばった。そして言葉を選ぶように右に左に視線を泳がせ、

「不発、でした」

と、か細い声で呟いた。

「え、何、渡してないの」

 鈴はちらりと私を見ると、小さくこくりと頷いた。

「あんなに意気込んでたのになんで?」

 えっと、と前置くように言って、言葉を切りながら、躊躇いがちに話し始めた。

「呼び出したんだけど、全然返事来なくて、LINEも既読つかなくってさ、マフラーは渡せたんだけどね、でもお母さんの前だったからフィナンシェは無理で」

 そう言って鈴は勉強机に視線をやるので私もつられて見てみると、綺麗にラッピングされたお菓子が置いてあった。渡すつもりだったらしいその包みには淡いピンクのリボンが綺麗に結ばれている。

「まあ、誕生日でも何でもないのに渡すのもなんだし、諦めよっかなって感じ?」

 はあ、と鈴はため息をつく。

 告白なんて、誕生日というイベントがあろうがなかろうが、プレゼントを渡そうが渡すまいができるというのに、鈴の頭からは完全にそこが抜け落ちているらしかった。

「別に渡さなくても誕生日じゃなくてもいいじゃん、告っちゃえば?」

 鈴は目から鱗、という顔をして私を見て、それから、

「え、そんなことできるわけないじゃん、何言ってんの、できるわけないじゃん!」

と狼狽えた。

「片思い、辛いんでしょ? 脱するんでしょ?」

と聞くと、

「それはそうだけど」

と煮え切らない返事をするので、

「この前の決意はどうした決意は」

と言って紅茶を啜った。

「紗友里なら言えるんだろうけどさ、あたしは無理だよ」

「なんでよ、意気込んでたじゃん、そうやってぼやぼやしてると鮪さん彼女作っちゃうかもよ?」

「鮪さんじゃなくてユウ!」

 こんなときでもきっちり反応してくれる。

 鮪さんのこと、本当に好きなんだ。

「考えてもみなよ、一個上だからあと少しで就活と卒論じゃん。忙しくて構ってもらえなくなるかもよ? 就職したら就職したで出会いもあるし。っていうか一日くらい遅れてもなんともないでしょ、本当に好きな人からだったらさ」

 少し私のこれからと重なった。

 佐藤さんとだって、就活と卒論で会いづらくなる日が今後増えていくかもしれない。

 段々と会えなくなってしまう前に、鈴も思いを伝えておくべきだ。心が通じ合っていれば、お互い繋ぎとめておくことはできる。

「うまくいきそうなんでしょ?」

と聞くと、

「うん、まあ」

と呟いて頷いた。

しかしそれでも躊躇っているので、

「じゃあ手伝ってあげようか」

と言って、私は鈴の携帯に手を伸ばした。

 え、ちょっと待って、と言って阻止しようとする鈴を軽く受け流しながら、鈴の学籍番号下四桁を入力し、ロックを解除。

 LINEを開き、ユウと登録されている人を探す。

 見つけたその瞬間、鈴が隙をついて奪い返した。

「ちょっと、返してよ!」

 まったくもう、と言って画面を見て、鈴は固まった。鈴の携帯からは間抜けな発信音が流れていた。発信してしまったことに気づいてしまった次の瞬間ぷつりと発信音が切れて、男の人の声が聞こえてきた。

 鈴は慌てて携帯を耳に当てると、深呼吸をして、何事もなかったかのように会話を始めた。


 ユウさんらしき人のアイコンには見覚えがあった。テニスボールを咥えた犬の画像。ネットで有名な画像なので、他に登録している人はたくさんいるだろうし、まさかそんなことはないと信じたい。

 でも、もしそうだとしたら、私は相当酷いことをしてしまったのでは?

 ユウさんの特徴を思い出してみる。黒髪、猫っ毛の天然パーマ、身長は170センチないくらい、冬はワインレッドっぽい色のダウンを着ていて、変なTシャツやパーカーが好きで、母親を疎んじていて、誕生日は昨日。そして、名前。佐藤さんの名前は優。佐藤優。普通すぎるくらい普通の名前で、同じ人だなんて考えたことなかった。鮪なんて佐藤さんは名乗ったことがない。響きは同じだけど、本名を教えないなんて、まさか、そんなことないでしょ?

 合致しすぎて恐ろしくて、どうしようどうしようと空回りする思考をまとめようとしていると、鈴は電話が終わったらしく、ちょっと会ってくると言って、興奮状態でバタバタと仕度を始めた。

「ごめん、行ってくる!」

 鈴は包みを手に頬を紅潮させて部屋を出ていった。私は止めることなどできるはずもなく、縋る思いで窓の外を見た。

 外は厚い雲から雪が降り続き、モノトーンの景色が広がっていて、息苦しさを感じずにはいられなかった。

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