六 恋は幸福
この高校で親友ができるなんて思ってなかった。
一緒にいれば何でもできるような、無敵になったような感じ。
でも実際無敵なんかじゃない。相変わらずいじめられている。
そうは言っても一緒にいるだけで救われる。日記も久し振り。
楽しかったことを書く日記にしてもいいかもしれない。
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まったく、この歳になって家族と誕生日パーティーだなんて、母は何を考えているんだか。まあ何も考えていない、というのが限りなく正解に近いとは思うんだけど。
もしくは家族との時間を大切にするお国柄なのかもしれない。そうだとしたら、日本は絶対、母には向いていないと思う。
パーティーの時間には必ず帰るからと母を説得し、待ち合わせ場所に走った。ちらちらと降る雪が時折目に入ったが、気にせず足を動かした。
デートの前だというのに走ったのは、久々に本名を連呼されていらつき、それを紛らわせるためだった。
鮪って何だよ鮪って。魚かよ。
苗字が鈴木じゃなくてよかった。苗字も名前も魚じゃ救われなさすぎる。
着いた頃には待ち合わせ時間を少し過ぎていた。
しかしまだ彼女は来ていなかった。
女の仕度は男が想定する以上に手間がかかる、と聞いたことがあったが、俺の彼女はまるで化粧気がないばかりか飾り気もないので、もう来ているものだと思っていた。家でスマブラでもやろうかと誘うと二十分前には来てしまう彼女だ。連絡が来てすぐに準備したが時間が余って落ち着かなかった、とそのときは言っていた。
そんな彼女が俺より遅いなんて、寝坊以外考えられない。
しょうがないな、と呟いて、俺は自販機でコーンポタージュを買った。
あたたかいポタージュをすすり、ベンチに座る。幼い頃から育ったこの街は、幾分か寂れてきた気がしないでもないが、本質的にはちっとも変わっていない。オレンジの電車、駅前広場の噴水、ママチャリでごったがえす駐輪場、過保護な母親。ただ一つ変わったと思えるのは、幼馴染の様子くらいだろうか。
幼馴染の鈴は、高校受験で失敗し、「浪人して親に心配かけたくないから」と言って、名前さえ書けば入れると称されるような、レベルの低い高校に入学した。
それ以外何も理由を言わなかったが、きっと自信を無くしてしまったのだろう。俺が知る限り、鈴にとって初めての挫折だった。
その高校は、進学率はほとんどゼロで、停学になる生徒が毎年いるくらい治安が悪いと巷で噂されていた。そんな高校に真面目な鈴が馴染めるはずもなく、入学後程なくしていじめられ始めたと聞いている。
鈴からはそんなこと一言も聞いたことはなかった。
しかしいじめられている、という噂は有名だった。
中学時代学年トップレベルで頭の良かった真面目な女子が、なぜか県内有数のバカ高に入学し、馴染めずにいじめられた、そんな噂だった。
学年トップレベルが県内トップレベルになったり女子が男子になったりと伝わってきた噂に差異はあったが、確実に鈴のことだと確信していた。
しかしたまに駅で見かける鈴はそんなことおくびにも出さず、つとめて明るく振る舞っていて、だったら気づかないふりをしてやろうと、俺自身も明るく振る舞うようにしていた。
会うたび会うたび傷ができていないかそれとなく確認しては安堵し、だったら代わりに何をされているのかと不安になった。
昔から変わらない笑顔の裏にどんな深い深い闇が隠されていて、どんな思いで自分の中に押し込めて耐えているのだろうと考えた。
その鈴が今は楽しそうに学校の話をするので、俺は安心している。
進学に力を入れていなかった学校だったせいか、鈴は難関大を選ばずに地元の大学に進み、キャンパスライフを人並みに謳歌している。
正直もったいないと思うが、本人曰くレベルの低い高校に通っているうちに学力が落ちたそうで、自分の中では折り合いがついているらしいので、俺が色々考えても仕方がない。
その辺で昔の同級生に会って何か言われたりしないだろうか、と考えたこともあるが、低めのポニーテールに眼鏡をかけた化粧気のない「真面目な高校生」の鈴しか見ていなければ、気づかないのかもしれない。
そのために鈴はあれこれ着飾っているのかもしれないが、俺はいじめを知らなかったことになっているのでそんなことは聞けるわけがなかった。
幼馴染のことに思いを馳せていると、視界の斜め前に長身の女性が入り込んだ。
くすんだ緑色のコート、ヒールの無いまるっこい靴、デニム地のリュック。身長は悲しいかな、俺よりも数センチ高い。
見るからにそれは待ち続けていた彼女で、待ち合わせ中に他の女のことを考えてしまったなんて知ったら怒るだろうか、という考えが頭をよぎった。
こっちこっち、と軽く手を振ると俺に気づいたようで、見慣れない靴で滑りそうになりながらぱたぱたと走ってきた。時計を見ると、待ち合わせの時刻から三十分程度経過していた。
「すみません、お待たせしました」
「おう、テストお疲れ」
「ありがとうございます」
一か月前に付き合い始めた一つ年下の彼女は、未だに俺に対して敬語で接している。そろそろ先輩と後輩の距離感を見つめ直してもいいかもしれない。
「珍しくやたらと遅かったじゃん、寝坊?」
といつものように茶化して聞くと、口を尖らせて
「違いますよ」
と彼女は反論した。
「友達に昨日メイク教えてもらったんですけど難しくて」
恥ずかしそうにそう言う彼女の顔をよく見ると、確かに目元がきらきら輝き、頬はほんのりとオレンジに、唇もてらてらと太陽の光を反射していた。
「普段やらないからうまくいかなくて、何回かやり直してたらこんな時間になっちゃって」
すっぴんの姿しか知らないので、まるでオカメインコのような印象を受ける。やりすぎ感はあるものの、不慣れながら頑張ってくれたんだと思うと胸がこそばゆい思いがする。
肩をすくめ、
「ごめんなさい」
とばつが悪そうに言う彼女に、
「そんなことしなくてもそのままで充分なんだけど」
と言ってあくまで自然に手を取った。
そして彼女がその手を握り返したのを感じ、そのまま大きいパフェを出す近所のカフェに向かった。
「紗友里さあ、あれほんとに食えんの?」
「はい!」
任せてください、と胸を張る彼女、もとい紗友里に、
「色気より食い気だな」
と言うと、
「何ですか、だめですか、佐藤さんも知ってたでしょそれくらい」
というムキになった反論を左側からびしびしと受けてしまい、まあそうなんだよな、と顔が思わず綻びにやけるのを感じながら、見られる前に半歩先を歩いた。
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