小高い海浜公園からは遥かな対岸の岬までが見渡せ、一面に広がる緑の芝生には、穏やかな秋の陽が注いでいる。

「ね、アレン。砂浜まで降りてみよう」

 星奈が両手を上にあげて大きく伸びをすると、金髪の髪を風になびかせている恋人にそう言った。

「OK」

 アレンはそう言うと、星奈に手を差し出した。

「え…」

 戸惑う星奈の手を強引に握ると、アレンは砂浜へと続く途を軽快に降りはじめた。

「柊、先行くぞ」

「ああ」

 背の高い、足の長いふたりは、映画のワンシーンのように絵になる。

「僕らも、降りてみる?」

 柊はひっそりと後ろに佇んでいる由紀子を振り向いた。

「はい」

 柊は由紀子を気遣いながら、ゆっくりと砂浜へ続く途を辿った。

 

 先に砂浜に着いていたアレンと星奈は、無邪気に押し寄せる波と戯れたり、賑やかに追いかけっこをしている。

 それを眼で追いながら、柊は由紀子と並んで波打ち際を歩いた。

「わたし…」

 秋風に消されそうな声で、由紀子が言った。

「ん?」

「初めてなんです」

 なにが?と柊は由紀子の横顔を覗く。

「こんな風に、男の人と海に来たの」

「そうなの?」

「はい」

 ふと立ち止まった由紀子が、小さな貝殻を拾う。

「私、ずっと女子高だったから。男の人とおつきあいしたこともなくて、だから…」

 確かに奥手そうに見える由紀子の言葉を、遠くから星奈が呼ぶ声が遮った。

「柊~っ、仁科さぁ~ん」

 それにこたえるように柊は手を振ると、由紀子に言った。

「行こっか」


 

 今度は女子同士で話しつつ歩きはじめた背中を見ながら、柊はアレンに訊いた。

「ふたりで来ればよかったじゃないか。僕たちみたいなおまけなんて、いらないだろ」

 それを訊いたアレンが立ち止まって、柊をまじまじと見る。

「なんだよ?」

「お前、訊いてないの?」

「なにを?」

「彼女の方から、お前と海に行きたいって星奈に言ったみたいだぞ」

 え…。柊が訊いた話と違う。

「それは星奈の照れ隠しだろ。お弁当持って海へデートに行くのが夢だったって、恋する乙女のような顔で言ってたぞ」

「ほんとか?」

 アレンが嬉しそうに訊く。まったく、と柊は思う。この星奈にして、このアレンありだ。いつからこいつらは、周りなんか一切気にしないラブラブのカップルになったんだ。

「Miss幼なじみとは、その後どうなんだ?」

 相変わらず直球のアレンに、柊はなんと答えていいかわからない。いや、いまの自分たちの状況が柊自身にもわからないのだ。僕はまだ…でも灯里は…。

「あのひどく奥手なお嬢さんに、星奈のやつ、お前とMiss幼なじみがそれこそ幼なじみだって教えたみたいだぞ」

「え」

「いいのか?」

 いいも悪いも、事実だからしょうがない。ただ、灯里の立場が悪くなりさえしなければ、柊はそれでいいのだ。

「事実、だしな」

「もし、奥手なお嬢さんがお前のことを好きだったとしたら、どうする?」

「ないだろ、それ」

 アレンは呆れたように、柊を見た。

「Miss幼なじみとお前がつき合ってるって、あのにそれとなくわからせようか?」

「いや…」

「?」

 僕と灯里は、いまつき合っているんだろうか。いや、そもそもつき合っていたのだろうか。そう考えて、柊は頭を振った。

 違う、灯里と僕は…。そうだな、マリオネットとそれに魅せられた哀れな道化だ。

「つき合っては、いない、んだ」

「お前、それ…」

 アレンの表情がめずらしくマジになる。

「だけど、僕には灯里しかいない。これまでも、これからも」

「柊、お前…」

 アレンが唸るように言った言葉は、急に高くなった波の音が地平線へと運んで行った。



 ✵ ✵ ✵


「うわぁ~、凄~い!」

 昼になって、由紀子がつくってきてくれたお弁当を広げると、星奈がまず感嘆の声を上げた。つられるように覗いたアレンと柊も、思わず「おぉ」と驚いたほどだ。

 大きめの黒塗りの3段重は、1段目がミルフィーユカツレツ、白身魚とポテトのチーズ焼、根菜とつみれの煮物、2段目がだし巻き卵、野菜の春巻き、海老とアスパラのガーリック炒め、温野菜サラダ、3段目がひと口稲荷と太巻きだった。そしてジャーポットには、温かなチキンブイヨンスープ。

「こ、これ、全部つくったの?」

 思わず、柊はそう訊いてしまった。

「あ、あの、ちょっと手伝ってもらったりして…」

「お母さんに?凄い、お母さんもお料理上手なんだね」

 星奈が元気にそう言って、由紀子はそれを修正することができなくなった。

 本当は、和洋2人のシェフに手伝ってもらったのだけど…なるべく家庭料理らしいメニューにしたいと懇願して。

「何時に起きてつくったの?手伝ってもらうにしたって、これだけつくるのは相当早起きしたんじゃない?」

 料理の心得があるアレンも、そう訊かずにはいられなかったようだ。

「い、いえ…。あの…食べてみてください」

 由紀子が控え目にそう言いうのを合図に、星奈が豪快に言った。

「うわぁ~い!早速、い・た・だ・き・ま・す!」

 アレンと柊も「いただきます」とお皿と箸を手にしたが…。

 驚いたことに由紀子がつくったお弁当は、見た目はいつもよりイベント性がある家庭料理、母親が運動会などにつくる愛情弁当といった感じなのに、口にすると玄人はだしの味だった。

 アレンと星奈もそれを感じたのか、頬張りながら眼を合わせている。

「おいしい…なんだかお店の味みたいだね」

 そう柊が呟くと、不自然なほど慌てた由紀子が言った。

「そうですか?でも、でも、これ家庭料理で…家庭料理なんです!」

「う、うん。でも味が凄く洗練されてるから」

 そう重ねて言うと、今度は由紀子が明らかに落胆した様子を見せる。不思議に思ったアレンが、助け舟を出した。

「誤解しちゃったのかな?柊は褒めたんだよ、キミが凄く料理上手だって」

「ほんとですか?」

 そう訊ねる由紀子の顔がなんだか切羽詰まった感じがして、柊は怪訝に思いながらもつけ加えた。

「そうだよ、とくにこの野菜の春巻きなんか、凄く好みの味」

「それ、先輩に…同じ課の北川さんに教えてもらったんです…」

 由紀子が小さな声で言って、俯いた。

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