ⅷ
小高い海浜公園からは遥かな対岸の岬までが見渡せ、一面に広がる緑の芝生には、穏やかな秋の陽が注いでいる。
「ね、アレン。砂浜まで降りてみよう」
星奈が両手を上にあげて大きく伸びをすると、金髪の髪を風になびかせている恋人にそう言った。
「OK」
アレンはそう言うと、星奈に手を差し出した。
「え…」
戸惑う星奈の手を強引に握ると、アレンは砂浜へと続く途を軽快に降りはじめた。
「柊、先行くぞ」
「ああ」
背の高い、足の長いふたりは、映画のワンシーンのように絵になる。
「僕らも、降りてみる?」
柊はひっそりと後ろに佇んでいる由紀子を振り向いた。
「はい」
柊は由紀子を気遣いながら、ゆっくりと砂浜へ続く途を辿った。
先に砂浜に着いていたアレンと星奈は、無邪気に押し寄せる波と戯れたり、賑やかに追いかけっこをしている。
それを眼で追いながら、柊は由紀子と並んで波打ち際を歩いた。
「わたし…」
秋風に消されそうな声で、由紀子が言った。
「ん?」
「初めてなんです」
なにが?と柊は由紀子の横顔を覗く。
「こんな風に、男の人と海に来たの」
「そうなの?」
「はい」
ふと立ち止まった由紀子が、小さな貝殻を拾う。
「私、ずっと女子高だったから。男の人とおつきあいしたこともなくて、だから…」
確かに奥手そうに見える由紀子の言葉を、遠くから星奈が呼ぶ声が遮った。
「柊~っ、仁科さぁ~ん」
それにこたえるように柊は手を振ると、由紀子に言った。
「行こっか」
今度は女子同士で話しつつ歩きはじめた背中を見ながら、柊はアレンに訊いた。
「ふたりで来ればよかったじゃないか。僕たちみたいなおまけなんて、いらないだろ」
それを訊いたアレンが立ち止まって、柊をまじまじと見る。
「なんだよ?」
「お前、訊いてないの?」
「なにを?」
「彼女の方から、お前と海に行きたいって星奈に言ったみたいだぞ」
え…。柊が訊いた話と違う。
「それは星奈の照れ隠しだろ。お弁当持って海へデートに行くのが夢だったって、恋する乙女のような顔で言ってたぞ」
「ほんとか?」
アレンが嬉しそうに訊く。まったく、と柊は思う。この星奈にして、このアレンありだ。いつからこいつらは、周りなんか一切気にしないラブラブのカップルになったんだ。
「Miss幼なじみとは、その後どうなんだ?」
相変わらず直球のアレンに、柊はなんと答えていいかわからない。いや、いまの自分たちの状況が柊自身にもわからないのだ。僕はまだ…でも灯里は…。
「あのひどく奥手なお嬢さんに、星奈のやつ、お前とMiss幼なじみがそれこそ幼なじみだって教えたみたいだぞ」
「え」
「いいのか?」
いいも悪いも、事実だからしょうがない。ただ、灯里の立場が悪くなりさえしなければ、柊はそれでいいのだ。
「事実、だしな」
「もし、奥手なお嬢さんがお前のことを好きだったとしたら、どうする?」
「ないだろ、それ」
アレンは呆れたように、柊を見た。
「Miss幼なじみとお前がつき合ってるって、あの
「いや…」
「?」
僕と灯里は、いまつき合っているんだろうか。いや、そもそもつき合っていたのだろうか。そう考えて、柊は頭を振った。
違う、灯里と僕は…。そうだな、マリオネットとそれに魅せられた哀れな道化だ。
「つき合っては、いない、んだ」
「お前、それ…」
アレンの表情がめずらしくマジになる。
「だけど、僕には灯里しかいない。これまでも、これからも」
「柊、お前…」
アレンが唸るように言った言葉は、急に高くなった波の音が地平線へと運んで行った。
✵ ✵ ✵
「うわぁ~、凄~い!」
昼になって、由紀子がつくってきてくれたお弁当を広げると、星奈がまず感嘆の声を上げた。つられるように覗いたアレンと柊も、思わず「おぉ」と驚いたほどだ。
大きめの黒塗りの3段重は、1段目がミルフィーユカツレツ、白身魚とポテトのチーズ焼、根菜とつみれの煮物、2段目がだし巻き卵、野菜の春巻き、海老とアスパラのガーリック炒め、温野菜サラダ、3段目がひと口稲荷と太巻きだった。そしてジャーポットには、温かなチキンブイヨンスープ。
「こ、これ、全部つくったの?」
思わず、柊はそう訊いてしまった。
「あ、あの、ちょっと手伝ってもらったりして…」
「お母さんに?凄い、お母さんもお料理上手なんだね」
星奈が元気にそう言って、由紀子はそれを修正することができなくなった。
本当は、和洋2人のシェフに手伝ってもらったのだけど…なるべく家庭料理らしいメニューにしたいと懇願して。
「何時に起きてつくったの?手伝ってもらうにしたって、これだけつくるのは相当早起きしたんじゃない?」
料理の心得があるアレンも、そう訊かずにはいられなかったようだ。
「い、いえ…。あの…食べてみてください」
由紀子が控え目にそう言いうのを合図に、星奈が豪快に言った。
「うわぁ~い!早速、い・た・だ・き・ま・す!」
アレンと柊も「いただきます」とお皿と箸を手にしたが…。
驚いたことに由紀子がつくったお弁当は、見た目はいつもよりイベント性がある家庭料理、母親が運動会などにつくる愛情弁当といった感じなのに、口にすると玄人はだしの味だった。
アレンと星奈もそれを感じたのか、頬張りながら眼を合わせている。
「おいしい…なんだかお店の味みたいだね」
そう柊が呟くと、不自然なほど慌てた由紀子が言った。
「そうですか?でも、でも、これ家庭料理で…家庭料理なんです!」
「う、うん。でも味が凄く洗練されてるから」
そう重ねて言うと、今度は由紀子が明らかに落胆した様子を見せる。不思議に思ったアレンが、助け舟を出した。
「誤解しちゃったのかな?柊は褒めたんだよ、キミが凄く料理上手だって」
「ほんとですか?」
そう訊ねる由紀子の顔がなんだか切羽詰まった感じがして、柊は怪訝に思いながらもつけ加えた。
「そうだよ、とくにこの野菜の春巻きなんか、凄く好みの味」
「それ、先輩に…同じ課の北川さんに教えてもらったんです…」
由紀子が小さな声で言って、俯いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます