ストレッチで躰をほぐし終えた柊が、縄跳びを開始したところで、アレンがジムに入ってきた。

「おう」

 と、互いにいつものように片手を上げて挨拶する。

 トレーニングしやすいウェアに着替えてきたアレンが、柊のすぐ傍でストレッチをしはじめる。それが済むとアレンは、柊に声をかけた。

「ランニングマシーン、行かないか?」

「OK」

 柊とアレンは、並んでランニングマシーンの上を走る。

「忙しいんじゃないのか?仕事」

 そう訊ねた柊に、アレンは首を竦めて見せる。

「まぁ、なんだか知らないけど、次々入ってくるよ」

「大学、ちゃんと出席できるのか?星奈が心配してたぞ」

「あと1年あるから、大丈夫だろ」

「お前、まさか、今年も卒業しないつもり?」

 アレンは笑って余裕を見せる。

「まあ、ここまできたらあと1年も2年も一緒だろ」


 そんなアレンに、柊は以前から思っていた疑問をぶつける。

「それ、星奈のためか?」

 アレンはちょっと驚いたように柊を見たが、すぐに苦笑して正面を向く。

「まさか。それだけで留年するほど、俺はロマンチストでも感傷的でもないさ」

「じゃあ、なんでだよ」

「卒業して、就職するってイメージがどうしてもわかなかったからかな。まあ、お前や星奈とまだ学生をしていたいというのもあったけど」

 少し息が切れてきた柊は、ホルダーに差していたスポーツドリンクのペットボトルを取ると一口飲んだ。

「いまの仕事は、どうなんだ?」

「まだ、わからないけど続けてみてもいいかなとは思っている」

「そうか」

「取りあえず、お前らが卒業して、母親がもう少し良くなるまでは続けてみるよ」

 やはりアレンは本人が言うほどドライじゃないな、と柊は思った。


「それより、お前の方はどうなんだ?」

 今度は、アレンが水分補給しながら訊く。

「灯里は、何かに苦しんでる」

「苦しんでる?」

「うん」

 アレンがしばし考えて、わからないなという風に頭を振る。

「お前はそれを救ってやりたいのか?」

 今度は、柊がアレンを驚いたように見る番だった。

「他人が救えることなんて、タカが知れてる。それは、アレンが一番よくわかってるじゃないか」

「じゃあ、どうするつもりなんだ」

「アレンと同じだよ」

「俺と同じ?」

「ああ、とことんつき合う。ただ、傍にいる。僕にできることはそれくらいだ」

「口で言うほど、簡単じゃないぞ」

「わかってるよ」 

 それからしばらく、ふたりは無言でランニングを続けた。

 ほどなくしてランニングマシーンを止めると、アレンは言った。

「お前、本気で好きなんだな。Miss幼なじみのこと」

 


 ✵ ✵ ✵


 もし、灯里を救えるとしたら、それは時間だと柊は思う。

 傷ついた分だけ、苦しんだ分だけ、その何倍かの時間を人は必要とする。

 どんな慰めも、気晴らしも、気休めでしかなくて。結局、アレンの言う通り、人は自分自身で救われたいと願わない限り、その暗闇から踏み出すことはできないのだ。

 だから周りの人間にできることは、その苦しみを共有しながら待つことだ。

 愛しいもののために待つことしかできない、何もできないというのは、予想以上に苦しいものだと柊は知った。

 でも、だからこそ。愛は時間だと、いまの柊は思うのだ。



 ✵ ✵ ✵


 その頃、星奈は自宅の自室で、表紙を飾るアレンをまじまじと眺めていた。

 少し長めのウェーブを描く金髪、同じように金色のまつ毛から覗く碧眼、彫りの深い整った顔は約5年もの間、見慣れてきた悪友のものだ。

 シャリッと仕立ての良さそうな水色のシャツを着てモデル然とポーズを決めている以外は、特別驚くこともない。

 

 なのに…。何かが違う。いや、違うのは自分の方だと星奈はやっと自覚した。

「なんだか、ドキドキしてんだけど。やだ、動悸がするってことは不整脈かな?そ、それとも心臓病の兆候?」

 鏡を見ると、顔も心なしか赤い。

「うちの家系で心筋梗塞とかいたっけ?突然死とか、やだなぁ」

 誰かが訊いていたら、「そんなわけないやろ!気にすんのそこかいっ」と突っ込むこと必須な呟きも、幸か不幸か独りのゆえに放置状態だ。

 

 やがて星奈はもう一度、鏡に映った自分の顔をまじまじと確認する。

 化粧っ気のない顔、髪は無造作に後ろで一つにゴムでまとめただけで、髪飾りをつけたことすらない。

「だって、勉強以外、あんまり興味なかったし」

 でも、と星奈は思う。

 化粧くらいしてみようかな。…て、化粧の仕方、知らないや。

 院の連中は男ばかり。兄妹は兄ばかりで相談もできない。母に訊いたら、驚いて卒倒しそうだ。

「う~ん、どうしよう」

 女性誌ではときどきメイク特集をしていることも、デパートなどの化粧品コーナーで体験メイクをしてもらえることも、星奈の辞書には、いや人生にはない知識なのだ。

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