ⅶ
ストレッチで躰をほぐし終えた柊が、縄跳びを開始したところで、アレンがジムに入ってきた。
「おう」
と、互いにいつものように片手を上げて挨拶する。
トレーニングしやすいウェアに着替えてきたアレンが、柊のすぐ傍でストレッチをしはじめる。それが済むとアレンは、柊に声をかけた。
「ランニングマシーン、行かないか?」
「OK」
柊とアレンは、並んでランニングマシーンの上を走る。
「忙しいんじゃないのか?仕事」
そう訊ねた柊に、アレンは首を竦めて見せる。
「まぁ、なんだか知らないけど、次々入ってくるよ」
「大学、ちゃんと出席できるのか?星奈が心配してたぞ」
「あと1年あるから、大丈夫だろ」
「お前、まさか、今年も卒業しないつもり?」
アレンは笑って余裕を見せる。
「まあ、ここまできたらあと1年も2年も一緒だろ」
そんなアレンに、柊は以前から思っていた疑問をぶつける。
「それ、星奈のためか?」
アレンはちょっと驚いたように柊を見たが、すぐに苦笑して正面を向く。
「まさか。それだけで留年するほど、俺はロマンチストでも感傷的でもないさ」
「じゃあ、なんでだよ」
「卒業して、就職するってイメージがどうしてもわかなかったからかな。まあ、お前や星奈とまだ学生をしていたいというのもあったけど」
少し息が切れてきた柊は、ホルダーに差していたスポーツドリンクのペットボトルを取ると一口飲んだ。
「いまの仕事は、どうなんだ?」
「まだ、わからないけど続けてみてもいいかなとは思っている」
「そうか」
「取りあえず、お前らが卒業して、母親がもう少し良くなるまでは続けてみるよ」
やはりアレンは本人が言うほどドライじゃないな、と柊は思った。
「それより、お前の方はどうなんだ?」
今度は、アレンが水分補給しながら訊く。
「灯里は、何かに苦しんでる」
「苦しんでる?」
「うん」
アレンがしばし考えて、わからないなという風に頭を振る。
「お前はそれを救ってやりたいのか?」
今度は、柊がアレンを驚いたように見る番だった。
「他人が救えることなんて、タカが知れてる。それは、アレンが一番よくわかってるじゃないか」
「じゃあ、どうするつもりなんだ」
「アレンと同じだよ」
「俺と同じ?」
「ああ、とことんつき合う。ただ、傍にいる。僕にできることはそれくらいだ」
「口で言うほど、簡単じゃないぞ」
「わかってるよ」
それからしばらく、ふたりは無言でランニングを続けた。
ほどなくしてランニングマシーンを止めると、アレンは言った。
「お前、本気で好きなんだな。Miss幼なじみのこと」
✵ ✵ ✵
もし、灯里を救えるとしたら、それは時間だと柊は思う。
傷ついた分だけ、苦しんだ分だけ、その何倍かの時間を人は必要とする。
どんな慰めも、気晴らしも、気休めでしかなくて。結局、アレンの言う通り、人は自分自身で救われたいと願わない限り、その暗闇から踏み出すことはできないのだ。
だから周りの人間にできることは、その苦しみを共有しながら待つことだ。
愛しいもののために待つことしかできない、何もできないというのは、予想以上に苦しいものだと柊は知った。
でも、だからこそ。愛は時間だと、いまの柊は思うのだ。
✵ ✵ ✵
その頃、星奈は自宅の自室で、表紙を飾るアレンをまじまじと眺めていた。
少し長めのウェーブを描く金髪、同じように金色のまつ毛から覗く碧眼、彫りの深い整った顔は約5年もの間、見慣れてきた悪友のものだ。
シャリッと仕立ての良さそうな水色のシャツを着てモデル然とポーズを決めている以外は、特別驚くこともない。
なのに…。何かが違う。いや、違うのは自分の方だと星奈はやっと自覚した。
「なんだか、ドキドキしてんだけど。やだ、動悸がするってことは不整脈かな?そ、それとも心臓病の兆候?」
鏡を見ると、顔も心なしか赤い。
「うちの家系で心筋梗塞とかいたっけ?突然死とか、やだなぁ」
誰かが訊いていたら、「そんなわけないやろ!気にすんのそこかいっ」と突っ込むこと必須な呟きも、幸か不幸か独りのゆえに放置状態だ。
やがて星奈はもう一度、鏡に映った自分の顔をまじまじと確認する。
化粧っ気のない顔、髪は無造作に後ろで一つにゴムでまとめただけで、髪飾りをつけたことすらない。
「だって、勉強以外、あんまり興味なかったし」
でも、と星奈は思う。
化粧くらいしてみようかな。…て、化粧の仕方、知らないや。
院の連中は男ばかり。兄妹は兄ばかりで相談もできない。母に訊いたら、驚いて卒倒しそうだ。
「う~ん、どうしよう」
女性誌ではときどきメイク特集をしていることも、デパートなどの化粧品コーナーで体験メイクをしてもらえることも、星奈の辞書には、いや人生にはない知識なのだ。
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