ⅷ
お盆が開けて、夏休みも残り少なくなった8月の後半、灯里は代理で誘われた旅行で浜松に来ていた。
メンツは男性が学生課の近藤と中田、教務課の高橋、女性が学生課の須藤と教務課の灯里だ。
高橋の運転する車に須藤と灯里が乗り、近藤と中田はもう一台で、東京を朝早めに出たおかげで昼前には浜名湖に到着した。
昼は須藤お薦めのうなぎ専門店があるというので、揃ってその店の2階座敷に落ち着いた。
近藤と中田、須藤が同期の29歳、高橋は2つ上の31歳だということを、灯里はこの旅行で初めて知った。デキ婚とご主人の転勤のために寿退社した島津も含め、毎年のように夏休みには揃って旅行するようになってもう4年だと言う。
「なんでこんなに続いたと思う?」
と須藤がお茶をすすりながら茶目っ気たっぷりの表情で、灯里に訊く。
「さぁ…」
本当にわからない灯里に、高橋が言う。
「全員が独身で、このメンバーの中で恋愛関係が成立する気配もなかったからさ」
「え…」
なんとリアクションしていいか戸惑う灯里に、須藤がさばさばした様子で言う。
「まぁね、私も島津さんも男っぽいタイプだし、男性陣はみんな真面目なタイプでしょ?サークル活動みたいな旅行で、ちっとも色っぽい雰囲気にならないのよ」
「だけど、あの島津さんがデキ婚するとは思わなかったよ」
眼鏡をかけ、いかにも実務的な雰囲気が漂う近藤がそう言うと、大人しそうで痩せ型の中田も頷く。
「そうそう、去年の夏の旅行のときだって、つき合ってる人の話なんか出なかったしな」
「あの旅行の後すぐに、大学の先輩だった人と再会したんだって」
とショートカットで元気いっぱいの須藤が、得意そうに情報を漏らす。
「なんだか、僕らの旅行もこれが最後になるかもしれないなぁ」
と中田が言うと、筋肉質で背の高い高橋が笑った。
「何言ってるんだ。せっかく北川さんという、新メンバーが加わってくれたというのに」
「でも、北川さんはモテそうだから。彼氏とか、いるんでしょ?」
率直な須藤の問いに、灯里がまごつく。柊との関係は、間違っても知られてはならない気がした。
「須藤さん、いきなりそんな身元調査みたいなこと。ごめんね、北川さん」
そう庇ってくれる高橋に、須藤がけろりとした表情で返す。
「あら。みんな気になってるかなって思って、訊いたげたのに」
「みんなって…」
そう言う高橋が近藤と中田を見て、3人がなんだか微妙な表情になるので、灯里は参加したことを早くも後悔していた。
「北川さんは、僕たちなんか。ねえ?」
と言う中田に、須藤が「えぇぇ~っ」と大げさに驚いて見せる。
「止めようよ、北川さん困ってるし。これから参加してくれなくなったら、困るし」
そう近藤は言ったが、灯里は次はどうやって断ろうかと考えはじめる始末だ。
須藤お薦めのうなぎ専門店のうな重は確かにおいしく、ふっくらとした身と甘辛のたれが絶妙だった。それぞれ大満足で食べ終えると、ホテルのチェックインの15時まではまだちょっと間があるので、浜名湖周辺を軽く観光しようという話になった。
「弁天島の海浜公園に行きましょうよ」
「ああ、あの赤鳥居で有名な?」
「夕陽の名所らしいから、いい写真が撮れそうじゃない?」
「でも、夕陽が沈むのはまだだいぶ先だな」
須藤と高橋がそんな会話をしている。高橋は写真が趣味らしく、この旅行でも本格的な一眼レフのデジカメを持参してきていた。
車を海浜公園のパーキングに入れ、ヤシの木が並ぶ遊歩道を歩く。波は比較的穏やかで、かの大きな赤鳥居がシンボルらしく威風堂々とそびえ立ち、遠くに浜名大橋が見渡せる。
「うわぁ~、壮観な眺め~!暑いけど、気持ちいい~」
須藤が大きく伸びをしながら、開放的な空間での自由を満喫するようにそう言った。
さっそく高橋がカメラを構えていて、須藤がそれに近づくと言った。
「そうだ。せっかくだからこの絶景を背景に、美女2人を撮ってよ。いつも高橋さんて、風景ばっかりじゃない?」
そう須藤に言われて、高橋が構えたカメラを外してこちらを見た。
「風景ばかりって…旅行のときはみんなも撮ってるじゃないか。でも、美女2人はぜひ撮らせてもらいたいね」
「やった。ほら、北川さん、こっち」
須藤にそう言われて仕方なく隣に並んだけれど、灯里は写真を撮られるのが実は苦手だ。
「あ、あの、皆さんも一緒に」
「やぁね、まずは美女二人のショット。全員で撮るのはその次よ」
灯里の腕を取って満面の笑みを浮かべた須藤と、ぎこちない笑顔をつくって灯里は写真に納まった。
全員での写真も撮り終えて、またカメラを片手に歩く高橋の後ろ姿を見ながら、本当に写真が好きなのだなと灯里は思った。その高橋と並んで、須藤がファインダーの先の風景を肉眼で見ている。ここに来る車の中でなんとなく気づいていたのだが、須藤は高橋のことが好きなのだと思う。それがいまは確信に変わっていて、何が恋愛関係が成立する気配がないだ、と灯里は苦笑した。
そしてそんなふたりの邪魔をしないように、いまは近藤や中田と並んで少し後ろを歩いている。
「ほら、あそこに見えるのが今切口と言うんだよ」
と近藤が遠州灘と浜名湖を繋ぐ狭い場所を指した。
「湖なのに、海と繋がっているんですね」
そんな湖を見たのは初めての灯里がちょっと感動しながら言うと、中田も続ける。
「汽水湖と言ってね、海水と淡水が混ざり合っている湖で、ほかにも北海道のサロマ湖とか島根県の宍道湖とかがそうだね」
「詳しいんですね」
「いやぁ、旅行と旅先の情報をいろいろ調べるのが趣味なだけさ」
「中田は、こう見えても日本だけでなく海外もいろいろ旅してるんだよ」
そう言う近藤に中田が、頭を掻く。
「趣味がそれくらいでね。だからといって高橋さんみたいに本格的に写真を撮るわけでもなく、いつも小型のデジカメ」
「近藤さんの趣味は?」
そう訊く灯里に、近藤が照れくさそうに目を細めた。
「僕の趣味は、温泉巡りとスケッチ」
そう言うと近藤は、ウエストポーチから小さなスケッチブックと鉛筆を出して見せた。
「ふたりとも地味な趣味でしょ?」
「そんなことないです」
灯里はそう言って、近藤にスケッチを見せてもらえるかと訊ねた。
近藤が渡してくれたスケッチブックには、鉛筆で繊細な風景画が描かれていて、情緒豊かなそれは意外なほど上手だった。
「素敵です」
素直にそう褒める灯里に近藤は嬉しそうで、それを見る中田も親しげに微笑んでいる。
意外に楽しい旅行になりそうだ、と灯里は思った。
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