「お姉ちゃん」

 リツが料亭を取り仕切っている時間を見計らって、繭里が離れに遊びに来た。

 灯里にとって繭里は、母は違えど可愛い妹で、心を許せる唯一の肉親だった。厳しいリツにも、甘えられない父にも感じたことのない、温かな安らぎを感じるかけがえのない存在なのだ。

 繭里は少し甘えん坊で、女の子らしく、無邪気で裏表のない性格をしている。そして灯里を心から姉と慕ってくれている。

「あのね、プリンをつくったの」

 繭里はお菓子づくりが趣味で、学校の調理部だけでは飽き足らず、休みの日はしょっちゅうお菓子をつくっている。母親の万祐子と同じく上手で、それをときどき持って遊びに来るのだ。

「繭里、部屋へ行ってて。紅茶淹れて、持って行くから」

「うん、わかった」

 繭里はリツにとっても可愛い孫のはずだが、灯里に対するのとは態度が違う。灯里には厳しい愛情を持って、繭里には関心の薄い優しさを持って接する。それが灯里と繭里の両方を傷つけていることに、リツは気づいていない。だから咎められるわけでもないのに、なんとなくリツの目を盗むような雰囲気になってしまうのだ。


 ティーポットに紅茶を入れて、2人分のカップ&ソーサーとプリン用のスプーンを持って、灯里は繭里の待つ部屋へ行った。繭里用には、小さな容器に入ったフレッシュミルクと細長い紙筒入りのシュガーを2つずつ。

「お姉ちゃん、今日は繭里、お砂糖いらない」

「なんで?」

「プリンが甘いから」

 プリンより甘いケーキのときだって、お砂糖は2つ入れる繭里なのに、めずらしいなと灯里は思う。でも気にしないようにして、灯里は繭里が渡してくれたプリンをひと口スプーンですくった。

「おいしい」

 繭里の顔が、ぱっと明るくなる。

「ほんと?」

 繭里もプリンを食べて、紅茶を飲む。

「う~ん、やっぱりお砂糖、1つだけ入れる」

 灯里は笑って、繭里に砂糖を渡してやった。

「お姉ちゃんは、どうして太らないのかなぁ?」

 繭里がそう羨ましそうに言って、プリンを食べる。

「新体操してるから?それともダイエットしてるから?」

 レオタード姿に鏡は正直だから、食べ過ぎには注意しているが、特別ダイエットをしている訳ではない。しいて言えば、繭里よりは太りにくい体質だと思う。

 繭里は母の万祐子に似て、骨が細い。だからそれほど贅肉がついているわけではないのに、やわらかで女らしい体型に見えるのだ。

「食べ過ぎないようにはしてるけど、たぶん体型が男っぽいんだよ。胸もないし。あたしはむしろ、繭里の胸が羨ましいよ」

「胸はこのままで、躰はお姉ちゃんみたいに細くならないかなぁ」

「胸はそのままでって、贅沢だよ」

 繭里の無邪気な願望に、灯里は笑う。

「それに繭里は女の子らしくて、可愛いよ。あたしの方が羨ましいよ」

 でも…そうかなぁ…と繭里は立ち上がると姿見の前へ行って、ウエストを捻ったり、横向きで体のラインを確認したりしている。めずらしく、プリンは半分食べただけだ。

 その姿がいつになく真剣な気がして、灯里は訊ねた。

「どうしたの?いつもは、でもやっぱり甘いものの誘惑には勝てないって言うくせに」


 そんな灯里の前に戻ってきた繭里が訊く。

「お姉ちゃんは、勝哉さんが好き?」

 え…。 灯里は絶句した。

「許婚になるくらい、好き?」

 許婚になったのは好きという感情とは無関係だと、灯里は言いたかった。

「どうして?」

「うん…なんとなく」

 もしかして、と灯里は思った。繭里は勝哉さんを…。だけど、そんな衝撃的な事実、簡単には確認できない。

「好き、なんて気持ち、あたし、わからないの」

 灯里はそう言った。本当は嘘だ、柊を想う気持ちはまさに「好き」以外の何物でもない。

「そう、なの?」

 不思議そうに、繭里が首を傾げる。

「繭里はね、いるの。好きなひと」

 誰?と訊こうとした声が、声にならなかった。

「でもね、片思いなの」

 繭里はそう続ける。

「片思いは、せつないよね」

 柊に言ったのと同じ言葉を、繭里は繰り返した。

「片思いって、わかってるの?」

 灯里は、つい探るように訊いてしまう。その答えを訊くのが、怖いくせに。

「うん、たぶん」

 繭里はそう言って、再びプリンを食べはじめる。

「でもね、告白しようと思ってる。もしも、N女學館に受かったら」

 頑張ってというべきなのだろうか。もし繭里の好きな相手が勝哉だとしたら、灯里の「頑張って」は皮肉にしか聞こえないだろう。

「ダメもとでね」

 そう言って、繭里は可愛らしくペロ、と舌を出した。


「繭里。お祖母様には内緒だけど、あたし、東京の大学に行こうと思ってるの」

「東京?」

「うん、それも4年制」

 繭里はちょっと驚いたような表情をした。それはリツに逆らう行為であり、そんなことを灯里がするのは想像できないのだろう。

「お姉ちゃん、本気?」

「うん。あたしにもあたしの、意思と未来があるから」

「そっか」

 繭里は、その言葉に何かを感じ取ったようだ。

「お姉ちゃん、頑張ろ。あたしたち」


 ふたりの決意は、2年後のそれぞれの運命を、奇しくも暗示しているようだった。

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