ⅳ
「柊、学食行かない?」
柊と同じく、この4月から大学院の修士課程で学びはじめた
「ああ、もう昼か」
理学部の共同実験研究室で、ほかの院生たちと一緒に実験に没頭していた柊は、壁に掛けられた時計を確認した。
「うん、いいよ」
大学時代から仲の良かった星奈と並んで、実験研究室を出る。
173cmもある星奈は181㎝の柊と並んでも引けを取らず、女性としては背が高い方だ。引けを取らないのは背だけではなく、頭脳の方もかなり優秀で女性がもともと少ない理学部の中でも一目置かれる存在だ。
肩より少し長めのストレートな黒髪を無造作にゴムで一つにまとめ、化粧っ気もなければ男っ気もない。さっぱりした裏表のない性格は友人としてつき合いやすく、かなり天然のところも一緒にいて飽きない。
「今日のAランチ何かな?」
学食のAランチは主に肉系のメニューで、星奈のお気に入りだ。因みにBランチは魚系、このほかに日替わりの丼物とスパゲッティ、カレー、ラーメン、うどん、そばがあり、売店では弁当やサンドイッチ、おにぎりやスナック菓子なども売っている。飲み物は自販機に一通り揃っている。
「やった、生姜焼きだ」
入口に表示されたメニューを、眼を輝かせて確認した星奈が嬉しそうに言った。
新学期がはじまったばかりで混み合っている学食で、星奈と向き合って柊は月見そばをすすっていた。
「そんなんで、足りんの?」
いつものように大サイズのご飯を生姜焼きと一緒においしそうにかき込みながら、星奈が訊く。
「うん。星奈こそあまり食うと、午後眠くな…」
そう言いかけた柊の言葉が、背後からの大声で遮られた。
「おぉ~、将来の日本を背負って立つ若者たち、俺も混ぜろよ」
振り返らなくてもわかる、アレンだ。案の定、本日の日替わりメニュー親子丼のトレイをテーブルに置くと、柊の隣りにアレンはどっかと腰を下ろした。
「やっぱ、卒業できなかったんだ、アレン」
早速、星奈が容赦ない言葉を浴びせかける。
もともと星奈や柊と同級生のアレンは、留年して現在は大学5年生ということになる。因みに彼は法学部で、理学部の柊と悪友になったきっかけは大学1年のときからともに通っていたボクシングジムだ。星奈と柊はたまたま同じクラスで、3人はなぜかウマが合い、学食で会えば一緒にランチをすることが多くなった。
「卒業できなかった訳じゃなくて、卒業しなかったんだ。俺のファンの後輩たちを落胆させないためにもね」
その言葉があながち嘘でない証拠に、学食にいた女子たちの視線がアレンに集まる。それも仕方のないことで、オーストラリアと日本のハーフらしい彫りの深い整った顔、ゆるいウェーブの金髪ロン毛、碧眼の絵に描いたようなイケメン。明るくてユーモアがあり、男女を問わず気さくにつき合う気のいいやつだ。
「ものは言いようね。あんたのファンはいいけど、こんなチャラチャラした息子に学費を出している親はさぞかし落胆してるんじゃないの?」
星奈は遠慮も容赦もない。
「そんなことはない、人生には回り道も必要だってこと、うちの親はちゃんとわかってるさ」
「無駄な回り道もあるけどね」
負けてはいない星奈に、アレンが面白そうに反論する。
「日本人は、本当に無駄が嫌いだよなぁ。その無駄が世紀の大発見につながることもあることを、そろそろ理解したほうがいい。星奈だって研究者の端くれだろ、余裕も遊びもないと発想が貧困になるぞ?それに人生は所詮、大いなる無駄使いさ。何世紀ものときを超えていまなお輝く一流の芸術家たちを見てみろよ、彼らの人生にいかに回り道や無駄が多かったかを」
熱弁をふるうアレンに、冷たい一瞥を投げて星奈は言う。
「さすが、一流の芸術家を父に持つ人の言うことは違うわね。でもアレン、あんたの場合はマジ、単なる無駄使いだったってことが何世紀も経たなくたってすぐにわかるわよ」
アレンの父親は、世界的オーケストラに所属するオーボエ奏者だ。母親は元チェロ奏者でふたりの出会いは同じオーケストラの団員としてだったらしい。もっとも現在は離婚しており、アレンは18歳になったのを機に日本国籍を取得し谷川姓となり、妹のエレンはオーストラリア国籍でゴズウェルを名乗っているのだそうだ。
「無駄使いというなら、星奈、お前のその無駄に大きい胸はいつになったら有効活用されるんだ?」
「なっ…」
ニヤニヤしながら本格的に揶揄(からか)いだしたアレンの言葉に、星奈は真っ赤になって反応する。
「なんなら、俺が有効活用してやろうか?」
「余計なお世話っ。このえろタイガー!」
タイガーと呼ばれる由縁である長めでふさふさの金髪をかき上げながら、アレンは少しも堪(こた)えた様子はない。
「あのな、星奈。えろいってのは、俺にとっては褒め言葉だから」
もうっと、星奈の怒りはますます大きくなる。
「柊、柊からもなんか言ってやってよっ」
「ぼ、僕?」
いきなり振られた柊は、当惑する。
「星奈、それこそ無駄だって。柊はいま、Missアバズレのことで頭がいっぱいだ」
お、おいアレン、いきなり何を言うんだ、と柊は焦った。
「Missアバズレって?」
星奈がきょとんとした顔になって訊く。
「さあ?Missアバズレが品行方正な柊にとってどういう存在か、俺も詳しくは知らないんだけどさ」
今度はアレンの標的が自分に移ったのを、柊は知った。
「お、幼なじみだよ、ただの。偶然会ったんだ、6年ぶりに」
「ただの幼なじみって雰囲気じゃなったぜ?しかもアバズレって言われるだけあって、妙に女としてオーラがある。特別に色っぽいってわけじゃないし、ボンキュッボンのボディでもないのに…」
「やめろよ、アレン」
灯里のことをそんな風に見られるのは、相手が悪友のアレンでも、いやどんな男だって柊には我慢ならない。
「へぇ、どんなオーラ?」
もっと訊きたそうにする星奈を、再びアレンが揶揄う。
「人のオーラはどうでもいいから、星奈。問題はお前だよ。もう少し女としての自覚がないと、一生処女のままだぞ?」
「しょ、処女って…バ、バカ、なに言うのよ、このえろタイガーっ!」
再び星奈が慌てながら、怒る。それを気にもせず、アレンがさらにとんでもないことをサラッとかました。
「せっかく、いいもの、じゃなかった素晴らしい素質を持ってるのにもったいない。パイズリとかしたら、凄い才能を発揮しそうな逸材だ、星奈は」
「パ、パイズリ?…て、何?」
あ~あ、星奈、そこ訊いちゃダメだ、と柊は思ったが遅かった。
思う壺だったアレンは、くくくと笑いを堪える。
「あのなぁ、星奈。パイズリくらい知らないと、一流の研究者になれないぞ。いまはネットの時代だ、検索すればすぐに出てくる」
「わ、わかった、調べてみる」
マジに答える星奈をにやりと見て、アレンが言った。
「じゃ、またな。俺、午後はバイトだ。生活費くらい自分でなんとかしないと」
「バイトだけじゃなくて、授業も真面目に出るのよ。今年こそ、ちゃんと卒業しなさいよ」
「OK!」
そう言って去っていくアレンに、星奈は手を振って見送った。
「あのさ、星奈」
「なに?」
「ネット検索は、実験研究室のコンピュータではしない方がいい」
「なんで?」
無邪気にそう訊く星奈は、本当にド天然だが可愛いと柊は思う。
「いや、調べればわかるから。だけど、マジで自宅に帰ってからにしたほうがいいよ」
「ふうん?…わかった」
まったくアレンは…。灯里のことだってこれ以上、揶揄いのネタを提供しないようにしなきゃ、と柊は肝に銘じた。
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