シュレディンガーの双子

生気ちまた

シュレディンガーの双子


     × × ×     


 学園相談部にはめったに相談者が来ない。

 単純に知名度が低いのもあるが、何より立地が悪すぎる。校舎裏の旧部室棟の2階なんて普通に過ごしていたら目に映ることすらない。仮に映ったとしても「廃屋」か「歴史的建造物」としか思われないだろう。


 だからこそ俺はこの地を部室に選んだ。

 放課後、自宅に帰らずにゆっくりと過ごせる場所として、あえて役に立たない部活を作ったのである。

 学園相談部なんて青臭い名前を付けたのは俺の迫真の演技に絆された顧問の押本先生だ。若くて情熱のある女教師はとてもチョロかった。「学校のみんなの相談に乗ってあげたいんです!」と涙ながらに訴えたら、すぐにも部活の認可を取りつけてくれた。


 おかげで俺は今日も悠々自適の放課後を楽しんでいる。

 右手には缶コーヒー、左手にはマンガ。

 相談者を飲み物でリラックスさせるために小さな冷蔵庫を持ち込んだのは正解だったな。冷たくてうまい。

 あとは相談者を元気づけるために楽しいゲームを持ち込めば完璧かもしれない。その前にテレビを持ってこないとな。


「雄二、やってる?」


 その台詞の後、ガチャリとドアノブが回される。

 本来なら相談者がやってきたらすぐにもマンガを片づける段取りなのだが、今回は相手が誰なのかわかるので慌てることはない。


「何の用だよ、祐介」


 鳥居祐介。俺の友人の一人である。

 クラスではあまり目立たないほうだが、よく見ると幼いながらも非常に整った顔つきをしているのが特徴だ。イケメンといってもいい。なのに人気者じゃないのはひとえに陰気だからだろう。女子からもモテていない。


 そんな祐介が俺の部活にやってきた。

 遊びに来たなら歓迎するが、相談となると面倒くさい。

 いや、実のところ相談を受けること自体はそんなにイヤじゃないんだ。お題目として始めた部活だが、話を聞いてやって「ありがとう」と言われるのは気分がいい。面白い話を聞かせてもらえることも多いし。

 その点こいつの場合は相談の内容が予想できるからなあ。


「今日は雄二に相談したいことがあってね」

「どうせあれだろ。お前の強烈なお姉さんの件」

「当たらずとも遠からずといったところかな……」


 祐介は笑みと不安の混じったような表情を浮かべると、机の対面に腰を据えた。

 仮にも相談室なので相談者が座るための椅子は常に用意してある。本当は木材でスタンドを作って5セントもらいたいところだが。


 祐介には双子の姉がいる。

 彼とは対照的に非常に目立つ奴で、男女どちらからも人気がある。学校のアイドルといっても過言ではない。

 ばっちりした目とお淑やかな口元、きりりと整えられた眉。

 小柄で背が低いのは鳥居家の血のようだが、スタイルは極めて良く、その肌が描き出す曲線は笑顔と同じくらいの威力を持つ。

 ありきたりな表現を用いるなら、とてつもない美少女なのである。

 それでいて男子にも女子にも分け隔てなく接する明るい性格の持ち主。加えて他人の悪意に無頓着ときている。これがモテないはずがないし人気者でないはずがない。


 地味な祐介とはほとんどが正反対だ。

 共通点は基本的な顔立ちと体格くらいか。あと苗字。


 ちなみに苗字といえば俺の名前は川口雄二である。近鉄で礒部の後を打ってそうだねとよく言われる。


 話を戻すとしよう。


「さっさとお前の悩みを話せよ。そんでもって楽になれ」


 席に座ってからずっと黙ったままの友人に、俺はあえてそっけなく促してみる。

 すると祐介は小さく頷いた。どうやら覚悟ができたらしい。別に姉の不満を話すくらいで覚悟なんかいらないだろうに。


「実は僕、病院から呼ばれているのを断ってるんだ」


 あれ。姉の話じゃなかった。

 というか病院ってまさか病気でも持ってるのか?

 おいおい。大変じゃないか。

 俺は慌てて冷蔵庫から缶のお茶を取り出す。この話は長くなりそうだ。もちろん祐介にもくれてやる。


「ありがとう。ところで雄二は一卵性双生児ってわかる?」

「ああ。たしかそっくりになる奴だろ。お前と姉や、ザ・ピーナッツみたいな」

「そうそう。こまどり姉妹みたいな。ああいう双子がそっくりになるのは持っているDNAが同じだからなんだ。同じ受精卵が2つに分かれて生まれるわけだから」

「そんな仕組みだったのか」

「つまり僕と姉さんは同じDNAを持つはずなんだよ」


 祐介は不安そうに目を伏せる。

 それのいったい何が問題なのか俺にはわからないが、ひょっとすると血がつながっているのがイヤなんだろうか。

 まさか姉に惚れちゃったとか。いや、ないな。

 だってあの姉はつい半年前まで――兄だったんだぞ。

 詳しいことは知らないが、おちんちんは付いていたけど遺伝子的には女性だったらしい。そのおちんちんも本当はおちんちんではなく、体内には女性の子宮が……ん。待てよ。遺伝子か。


 こまどり姉妹もザ・ピーナッツも一卵性双生児だからそっくりで、さらにはどちらも同じ性別という共通点がある。

 加えて、あの姉は「病院」で形成手術を受けて今の姿になったという話を聞いたことがあり、祐介もまた病院に呼ばれているらしい。


「つまり……お前も女子である可能性があるわけだ」


 俺はようやく祐介の不安の種を理解した。

 自分が本当は女子かもしれない。そりゃ不安にはなるだろうな。なんせ今まで男として生きてきたんだから。

 目の前で辛そうにしている地味な男子が女性かもしれないなんて、何やらアニメやマンガみたいな話だが、半年前に実例を見ているだけにリアリティは十分にある。

 こいつも姉のように花開くんだろうか。あいつの場合は元から人気者だったが。


「まあ、あくまで可能性であって、そうと決まったわけじゃないけど!」

「病院で検査を受けてこいよ」

「……」


 祐介は黙って首を振る。

 どうもこいつは病院で検査を受けることを怖がっているみたいだ。おそらく可能性を確実にしたくないから。

 しかし、いつまでも逃げるわけにはいくまい。祐介自身もそれはわかっているだろう。なんせ俺のところに相談に来たんだから。


「……それで雄二に相談なんだけど」

「なんだよ」

「しばらくここに住まわせてくれない?」


 否。こいつは全力で逃げる気だった。

 川口雄二が半年かけて悠々自適に仕上げた部室を召し上げて、自らを病院に送ろうとする者どもから隠れるつもりなのだ。

 思わず口からため息が出てきた。やべえ。この部屋には冷蔵庫も布団もあるから余裕で住めてしまうぞ。

 守衛のおっさんも旧部室棟には来ないし。いざとなればソファの後ろに隠れることもできる。理想的な隠れ家すぎる。


「ダメだ。ここは俺の天国だ」

「雄二を追い出すつもりはないからさ。お願い」


 そう言って手を合わせてくる祐介。

 その目には期待の色がある。


「やめろやめろ。何をやっても絶対に貸さないからな」

「一生のお願い!」

「そんなの子供の頃に何度も使ってるだろ! そもそも家出なんかしたらお前の親や姉が心配するぞ。ただでさえ病院から呼ばれてるのによ」


 土下座すら辞さない感じの友人に、俺は正論で対抗した。


 しかし祐介は諦めてくれない。

 むしろ「どうでもいいよ。姉さんとお母さんは妹ができるかもとかウキウキしてるし、お父さんはグラブとボールを持ち出して息子と最後のキャッチボールがしたいとか言い出すし!」と打ち返されてしまった。

 こいつの家では完全にそっちルートの扱いみたいだ。ちょっと可哀想だな。


 かといって、部室に住まわせる気にはならないが。

 自分のためのスペースを崩されたくないし、何よりバレた時の処分が怖いのである。家出した生徒を住まわせていたなんて……絶対に廃部させられてしまう。特に学校に利益をもたらす部活というわけでもないし。 


 祐介を諦めさせる方法。何かないか。

 ふと、視界に先ほどの缶のお茶が映った。口を付けられているがまだ中にはお茶が残っている。


「……祐介って、女かもしれないんだよな」

「え? あー……はい・いいえなら50%くらいの可能性で」

「つまり、そのお茶を飲んだら、間接キスでドキドキしちゃう可能性も50%あるわけだ」

「!?」


 はっきりと面食らった様子の祐介。当然だろう。なんせ半分とはいえ女の子扱いされてしまったんだから。

 決まった。このまま攻めまくって追い出してやる。

 俺は学園相談部を守らねばならない。チョロい押本先生とたまにやってくる相談者と、そして自分自身の幸せのために!


「ゆ、雄二。バカを言わないでよ」

「お前こそバカだろ。この部室に住むともなれば同棲みたいなもんだぞ? 日常の50%はドキドキのオンパレードと化す」

「僕は男だよ!」

「だったら病院に行ってたしかめてこいよ。でないとお互いにドキドキしちゃうだろ。半分くらい!」

「バ、バカ野郎!」


 祐介はドン引きした様子で自身の腕を抱いてみせる。

 威勢こそいいが顔面蒼白、俺に「そんな目で見るな気持ち悪い!」と叫ぶのが限界みたいだ。

 ならばより追い詰めてやろう。


「今までプールに行ったり海に出掛けたりしたのも半分はデートだったのかもしれねえな。しかも50%はトップレス」

「やめてよ! 思い出が壊れるだろ!」

「社会見学の帰りにハンバーガーを半分こしたのも懐かしいよな。半分だけに」

「うぐぐっ……!」

「家庭科でお前の作った卵焼きを食べたのって、あれ50%くらいは手作り料理……」

「それは男女関係なく手作りだよ! ああもう!」


 祐介は机を叩いて立ち上がる。

 そして涙ながらに「助けてくれてもいいじゃんか!」と訴えてきた。

 それ半分は武器だぞ、と言いかけてやめたのは、たしかに友人なら助けるのも道理だからだ。

 相談者なら言うに及ばず。


 だが、ここで祐介をかくまうことがはたして助けることにつながるんだろうか。

 いつまでもシュレディンガーの猫のごとく「検査を受けるまで男か女かわからない」という状態でいるのは祐介にとって良いことなのか。それで肉体が変化しないわけでもあるまいに。

 あえて突き放すのも友人の役目だと考えることもできる。


「……もういい。雄二には頼らない」


 俺の沈黙を祐介は拒絶だと理解したらしい。

 彼はそのままドアを開けて出ていってしまった。

 相談者が急にキレて出ていくのは今までにもあったが、今日ばかりは何とも後味が良くない。


「へーい。川口ィ。うちの可愛い弟に何をしちゃったんだーい?」


 さらに見たくない顔まで見るはめになり、俺は余計に気落ちした。

 まあ、さっきまで同じ顔をずっと見ていたわけだが。


「何の用だよ、鳥居」

「たまたま通りがかっただけさ」

「嘘つけ。たまたまこんなところに来る奴があるか」

「相変わらずそっけないな! なら部員の一人として部活に参加しに来たに変えるわ!」


 相手はケラケラと笑いながら、先ほどまで弟が座っていた席に細い腰を据える。

 鳥居洋子。祐介の元兄であり、姉であるその人だ。

 こいつとは半年前にあの件が起きるまではそれなりに仲が良かった。部活をでっち上げるために幽霊部員として名前を貸してもらうくらいには友達だった。

 もっともこいつ自身としては、俺なんて数ある友人の一人くらいの扱いだったみたいだが。


 半年前に手術を受けて完全な女性になり、今まで男ばかりだった取り巻きに女子が加わるようになってからは、自然と疎遠になった。

 俺は格好良くないので女子に好かれていないのである。俺としても女子って怖いし。故に輪に入りづらい。


「川口さあ、もしかしてオレの弟をいじめてる?」

「いじめてねえよ。友達だ」

「でも祐介、さっき廊下ですれ違った時にずっと呟いちゃってたよ? ふくしゅーしてやるーって。オレのことなんて気づきもせずに」


 鳥居は机に残されていたお茶の缶に手を伸ばすと、中身を一気に平らげた。

 間接キス。姉と弟なら気にならないか。


「もしかしてこれ、川口の?」

「お前の弟のだよ」

「だよねー!」


 彼女はおもむろに立ち上がると「んじゃ。気をつけてねえ」と部室を出ていった。

 姉弟共に嵐のように去っていきやがる。


 それにしても相変わらず惚れ惚れするほど美人だった。

 具体的な描写がはばかられるほどスタイルは良いし。半年前まで同じ教室で着替えてきたのが信じられん。

 顔を見たくないのもうっかりすると見とれてしまうから。


 あいつ、祐介もああなるんだろうか。

 俺は少しばかりの寂しさを感じつつ、読みかけのマンガに手を伸ばした。

 敵と戦うために怪物になった主人公が幼馴染と決別するシーンだった。

 かくまってやっても良かったかもしれないな……いや、俺の相談対応は正しかったはずだ。祐介のためにも。



     × × ×     



 半年後。

 あんなに騒いでおいて実は二卵性でした!

 なんてオチにはならず。


 祐介は2ヶ月の休学を経て、姉と同じく学校に戻ってきた。もちろんスカートで。

 地味だった雰囲気は女性になると清楚な印象に変わるようで、あいつもまた姉とは違う方向で人気を得るようになった。

 元々素材は良かったからな。これが俺ならこうはなるまい。


 かくして鳥居兄弟は学校が誇る美少女姉妹となり、俺は気の置けない友人を失ったのだった。

 代わりに得たのは迷惑な同居人。


「雄二、男って怖いね……」


 祐介……今は祐子だが、彼女はそう呟くと、なぜか身体をくっつけてくる。

 おかしい。行動と言動が一致してないぞ。


 その柔らかさに耐えきれず、俺がソファから立ち上がると、彼女は「50%ドキドキした?」とイタズラっぽく笑みを浮かべてきた。いつぞやの意趣返しのつもりらしい。


 50%。今回の半分は彼女の気持ちに由来する。

 すなわち俺を友人として好きなのか異性として好きなのか、はっきりせぬまま色気や駆け引きを仕掛けてくるのだ。

 素直に受けとれば「雄二ったら何を勘違いしてるのさ。気持ち悪いよ」となるが、勘違いさせられそうになるくらいの行動をこいつはとってくる。

 どうもよほどあの時のことを恨まれているらしい。


「男が怖いならくっつくなよ」

「雄二は別だよ」

「あーくそ! そういうのやめてくれ!」

「ふふふ」


 俺は祐介から目を逸らす。

 ちなみに男が怖いのは本当みたいで、曰くちやほやされている理由が自分の肉体であると気づいた時にものすごい嫌悪感を覚えたらしい。この部室に逃げてきているのもそのためだ。


 だったら、俺に近づくのやめてくれねえかな。

 半年経って気づいたが、どうも俺は女子が怖いのではなく、単純に免疫がないから苦手みたいだ。

 祐介の姉と疎遠になったのも根本的にはそこに理由がある。


「さあ雄二。僕に真意を訊ねてごらん。本当に好きなのか友達として好きなのか、確かめない限りはわからないよ?」


 彼女はニヤニヤと笑っていた。

 くそう。可愛い顔しやがって。制服も似合うようになりやがって。スタイルも未熟だが女子みたいになっちまいやがって。


 こうなったら俺も同じことをしてやる。

 何ヵ月もやられっぱなしでいられるものか。


「お前の気持ちは知らねえが、俺はお前が好きだぞ」

「えっ」

「ただ、友達として好きなのか、女子として好きなのかは自分でもわからねえけどな」

「……」


 こちらの返しに彼女は悔しそうな表情を見せる。

 俺としては最高の気分だ。


「どうだ。これでお互いに同条件。シュレディンガーの箱は二つになった。ははははは。ざまあみろ!」

「……雄二、一つ相談があるんだけど」

「なんだ?」

「その箱、お互いに開けない?」


 あ、やべえどうしよう。

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