妖怪大戦

伊勢志摩

第1話 百鬼夜行





 平安時代。月は出ているが新月である。


屋敷に忍び込む人影。闇は濃いが、人影は夜目がきくようだ。

それは狩衣、烏帽子姿の少年だった。主人公、安倍光明あべのこうめいだ。

もとは立派だったらしい狩衣は汚れ、かなりボロボロになっている。

狩衣に染め抜かれている五芒星の紋は、晴明桔梗印という魔除けの呪符だ。


小柄でまだ幼さの残っている顔だちをしていたが吊り眼がちの双眸が特徴的だ。

いわゆるキツネ眼である。


 腰には短いながらも太刀をさげている。金飾りの施された高価なものだ。

「うへへへ、たしかこの屋敷に、美人の娘がいるときいたが……」

 よこしまな期待によだれをたらしている。とことん楽しそうである。


「どの部屋かなー?光明くんが夜這いに来ましたよぉ」

そこへ耳をつんざくばかりの、恐怖にひきつった悲鳴がこだます。

「わっ!」

壁を蹴破って、屋敷から飛び出してきた黒影と鉢合わせする。


一条大路を疾駆する三本角の黒い大鬼。肩に姫君を担いでいた。さらにそれを追う光明。おそろしいほどの駿足ぶりだ。

「化け物め、ひとの楽しみを邪魔しやがって!」


黒鬼は追手に気づき、跳躍した。民家の屋根を音もなく踏み越える。

 異国風の衣装や装飾具をまとう黒鬼から、一本角の二匹の邪鬼が分身した。

光明もまた人間離れした跳躍力で追跡する。


 着地した光明を横手から襲う一匹の邪鬼。

「ちっ、邪鬼の待ちぶせか!」

 邪鬼の繰り出す素早い攻撃をことごとくかわす光明。

 右手で太刀を抜きはなつと、邪鬼は間合いをとって飛びさがった。

「時間かせぎをするつもりだな!」

 ぎりっと歯噛みし、左手で早九字を切った。

「臨兵闘者皆陣列在前!」




「ぐふふふ、もう追いつけまい」

 橋を渡りかける大鬼がほくそ笑み小さな邪鬼が続いた。

 そのとたん、衝撃とともに橋の周囲に突如としてあらわれる影、影、影。

 十二支を模した十二体の式神が黒面童子らを取り囲んでいた。

黒面「なにっ!?」


 布団をはねあげ、起き上がる男。安倍晴明だ。

「わしの式神が操られている?」

 外の気配をうかがう晴明。

「光明か!」


 虎の爪にかかる邪鬼。もちろん普通の虎ではない。刺の生えた鎧をまとっている。

「ちかごろ都を騒がすという、天竺渡りの黒鬼か」

 邪鬼の首を手に、橋の欄干に立つ安倍光明。

「いかにも。黒面童子という」

 逃げだす隙をうかがう黒面童子。

「一条戻橋下に、式神を封じている陰陽師のことは聞いていたが、こんな小僧とは驚いた」

「そりゃあオヤジの安倍晴明だ。おれの名は安倍光明」

 にやりと笑う光明の口許から、大きな犬歯がのぞいた。

「なるほど、有名な安倍晴明の式神か」

 間断なく式神の囲いにほころびをさがす。

「するとこれが晴明の邸宅か」

 すぐ横手に立派な屋敷がたっている。

「娘をはなせ、おれがさきに目をつけたんだ」

 邪鬼の首をほりだす。

「いまなら腕一本で勘弁してやるぞ」


「光明よ、この痴れ者め!」

 門をあけてとびだしてくる晴明。

「オヤジ!」


「光明、ほしくば受けとれっ!」

 娘を投げつけた。受け止めなければ死ぬかもしれない勢いでだ。

「ゲボッ!しまった!」

光明が倒れこんで抱きとめる隙に、黒面童子はその上を跳躍した。

「そなたがわらわの命の恩人か?んんー、お礼にこの唇を……」

 唇をつきだす娘。どうしようもない醜女だ。

「おえっ!」


「わしの式神を無断で使うなと、何べん言えば……」

 晴明が説教をはじめた。

「説教はあと!天馬を借りる!」

 さっさと娘を渡して、天馬に飛び乗る。

「あとは頼んだぜ!」

「こ、こらっ、光明!待たんか!」

 娘を横抱きにしたまま怒鳴る。

「困った暴れん坊だ……しかし、いちどに十二体もの式神を使役するとは、わが息子ながら末恐ろしい奴」

「うっふーん」

(うぷっ、ブスで有名な紫式部じゃないか)




 光明の駆る天馬は洛外に飛び出していた。

「黒面童子め、どこへ逃げる気だ」

 後ろ姿を追いかけながら光明はいぶかった。すぐに死屍累々たる荒野となる。

 浮かばれない魂が怨嗟の声をあげ乱舞している。


「おおお……その天馬は晴明の式神。おぬし……晴明の縁者か」

 ひときわ不気味で邪悪そうな、男の怨霊がならんで飛ぶ。

「息子だったらどうする?」

「とり殺す!」

 激しい憎悪と怒りの大首だけとなって突進してくる。


「怨霊退散!」

 太刀をふるうと剣風がカマイタチとなって顔を真っ二つにする。

「そのていどの験力で退散できるものか!」

 大首は腰から癒着したシャム双生児のような姿形となり、ゆらゆらと揺れている。


「きさま、ただの怨霊ではないな!」

「わが名は道魔法師!晴明との験比べに敗れ、殺された陰陽師だ!」

「なら、オヤジに祟れ!」

 懐から数十枚の呪符をとりだし、道魔法師の怨霊に投げつける。

 呪符は白鳥と化して道魔法師にたかり、鋭い嘴で体をついばむ。

「縁があったらまた会おう!」

「おのれ、逃げるかっ!」

「先約があるんでね!」

 道魔法師を尻目に駆け去る。




「すさまじい妖気だ……」

 天馬の手綱をひきしぼる。体験したことのない濃密な妖気が全天を覆っていた。

『集え、人外の化生どもよ!』

 突如として頭のなかに突き刺さる、圧倒的な声音。


『天魔の橋を渡り、常闇を越え、一千年の地獄へ来たれ!』

「だれだ、呼びかけるのは!」

 馬上で耳を押さえて叫ぶ。


『いまぞ終末の世!破滅の日!生きとし生ける者、すべてが息絶える時なり!』

「黙れ、やめろーっ!」

 耐えきれず落馬し、反響する声に悶絶した。


『光を排し、妖怪王国をうちたてるのだ!』


「ここで待ってろ」

 天馬を残し、姿勢を低くして草むらを疾走する。悪寒に光明は緊張していた。

「なにが始まろうとしているのだ」


 やがてザワザワと無数の気配が近づいてくる。下草に隠れるように伏せる光明。

「うっ!」

 垣間見た光景におもわず息を呑む。

 おびただしい数の妖怪、魑魅魍魎の類が群れをなしていたのだ。

(百鬼夜行なんてもんじゃないぞ)

 行列は蛇行しながらも、一方向に進んでいた。その中に黒面童子の姿を認める。

「人間だ!人間がこのちかくにいるぞ!」

 突然、黒面童子が警告する。


「どこだ、どこだ?」

「おお、かすかに人の臭いがするぞ」

妖怪たちが騒ぎはじめる。

「あそこだ。草かげからのぞいている!」

 大目玉の妖怪が光明を見つけた。


「あの黒鬼め、はめやがったな!」

 立場が逆転し、一目散に逃げだす光明。

 隊を乱して光明を追おうとする、黒面童子をはじめとする妖怪の群れ。

「列から離れてはなりません!」

 雌の白狐が、素早く黒面童子らの行く手をさえぎった。

「もうすぐ天魔橋がかかります!」

「やい女狐、人間をかばうつもりか!」

 黒面童子が先頭に立ってすごんだ。

「黒面童子とやら、妖怪王さまの召喚に応じぬつもりか?」

 狐火をまとった美女に変身する。妖しい瞳には殺気がみちている。

「もしそうならば、たとえ異国の鬼であろうと容赦しませんよ」

狐の眷属たちが、狐火や妖狐の形態で戦いにそなえている。

「うっ……わ、わかったよ」

 さすがの黒面童子もひるみ、しぶしぶ引き返した。


(クソいまいましい狐どもめ)

 憤懣やる方なしといった態度だ。

(やつらを利用するつもりが、百鬼夜行に参加するはめになるとは……)

「葛の葉さま、われらも……」

「ええ……」

 葛の葉と呼ばれた美女は、光明の逃げた方向に、名残惜しそうに頭をめぐらせる。




 月に向かって巨大な天魔橋がかかる。橋は新月の、影の部分に消えている。

「こ、こりゃ一体……?」

 恐れを知らない少年、光明の顔から血の気がひいていた。

「妖怪たちは、どこへ行こうとしているんだ」

数えきれない妖怪、魔物、鬼などがその橋を渡り、異空間に吸い込まれていく。

「オヤジに相談してみるか……」


天魔橋と呼ばれた橋は地面から薄れていき、妖怪とともに月の影へと消えていった。

月はやがて新月から月齢を重ね、太っていく。


 そして満月の夜が巡り来た。


 小高い山の頂上に、四角い台座がもうけられ、そこに座している光明。

 灯明を四方に配置し、筵に座っているのが安倍晴明。


「やせたな、オヤジ」

 瓜を食べている光明。汁がしたたるのも構わない無頓着さだ。

「あれから十五日間……天眼通の修法に、精根をかたむけておったからな」

 晴明の頬はこけ、目の下には隈ができていた。

「天眼通?未来予知はオヤジの、得意中の得意じゃなかったのか?」

「ふっ、一年先を占うぐらいなら造作もないが……」


「それにこれから、どんな儀式を手伝わせようというんだい?」

 光明は種を唾液とともに吐き出した。

「光明よ、おかげでわしは、一千年の地獄とやらを垣間見ることができたぞ」

 鬼気迫るものが晴明にはあった。

「おっ、百鬼夜行の謎が解けたのか?」

 台座から身を乗り出すようにして尋ねた。

「ああ、百鬼夜行の行く先は……一千年後の未来!末法の世じゃ!」

「一千年後の未来……」

「人間と妖怪があい争い、この世は地獄絵図と化す運命にあるのだ!」

 度肝をぬかれる光明。

「その戦いどっちが勝つんだ」

「すべては光明、おまえしだい!」

 晴明の双眸がカッとみひらかれた。

「うわっ!」

 台座から光の幕が吹き出した。

「天の御柱をのぼり、未来へいけ!そこで救世をおこなえ!」

 光の四角柱は満月に届いていた。


「やい、おろせー!末法も救世もおれには関係ねえぞーっ!」

柱の中をのぼっていく光明の姿。


「この国を襲うあらゆる魔を払うのが、われら陰陽師の役目ぞ!」

「クソオヤジ!つごうのいいこと言って、厄介払いをする気だな!」

さんざん悪態をついて小さくなっていく。


「これもさだめじゃ……くじけるなよ、光明!」

「呪ってやるー!」

陰陽師にあるまじきことを口走る光明だった。


「さて……不肖の息子のために、もうひと働きするか……」

 よろめくように立ち上がる晴明。その手に握られている人形が一体。

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