日々の終わり。

 出席番号17番 都筑桐花

 出席番号29番 和賀唯

  

 ◆◆◆


 どうしていいかわからなかった。収拾の付け方を知らなかった。

 今まで、家に帰ることを躊躇して遅くなってしまったことは何度もあったけれど。夜遅くに飛び出してしまったことは一度もなかった。

 お母さんは私を探しているだろうか。ああ、そんな迷惑をかけたら後でどんなことになるか、想像もしたくない。

 でも、あの人がわざわざ自分の足で私を探すようなことがあるとは思えない。きっと使用人が何人か、慌てているくらいで、我関せずとお茶でも飲んでいるに違いない。

 そういう人だ。そういう母だ。

 私を叱ることはあっても褒めることはない。私を責めることはあっても、心配することなんてありはしない。

 考えているだけで、気持ちが重く重く沈んでいくのがわかる。

 ああ、いっそこのまま秋虫にでもなってしまいたい。虫だってこんなに綺麗に泣けるのに、私は何の役にも立たない。

 何の才能もない。

 気づけば、熱い涙が頬を伝っていた。


「女の子がこんな夜中に……危ないよ。」


 私は、はっとして辺りを見回す。いつの間にか、和賀唯が穏やかな笑みを浮かべて、私の前に立っていた。


「お家、帰らないの?」

「…………。」

「帰りたくないのか。それとも、帰れないのかな。」


 和賀さんは、ゆっくりと私の隣に腰掛けた。彼女のとても落ち着いた雰囲気に、少しだけ気分が楽になるのを感じた。


「この公園、沼に河童が出るんだから、夜に一人できたら危ないよ。」

「……河童?」

「そう、河童。」


 冗談、なんだろうか……。和賀さんは穏やかな笑顔をたたえたまま、月を見上げていた。

 どう反応していいか、私には少し高度すぎてわからないでいると、和賀さんはくすっと笑った。


「もしかして真に受けた? 大丈夫、冗談だから。」

「ああ……やっぱり冗談だったんですね……?」

「厳密には、河童は黄昏時に出るから今は大丈夫。」

「へ……?」


 和賀さんは愉快そうに笑っている。学校ではいつも、どこか遠くを見ているような独特の雰囲気で近づきがたい人なのだけれど、普段はこんなふうに変なことをいう人みたいだ。

 意外な発見。明日、愛羽ちゃんに教えてあげよう。


「うん、もう大丈夫みたいだね。」

「……あれ。」


 私の目から溢れていた涙は、いつの間にか止まっていた。潤んで見えていた和賀さんの穏やかな表情が、月の光に浮かび上がってはっきりと見えた。


「何があったかは知らないし、きっと私がどうにかしてあげられることじゃないと

 思うけど、せっかく会ったし。少しでも気が紛れればいいなって思ってね。」

「じゃあ、河童は……?」

「それは、都筑さんの想像にお任せします。」

「え……。」


 どうしよう。私は嘘が下手だから、愛羽ちゃんに和賀さんの話をするとき、きっと河童の話をしてしまう。そしたら愛羽ちゃんは目を輝かせて調査を始めるだろう……。

 やっぱり、今夜の話をするのはやめたほうがいいかもしれない。


「……都筑さん、いい顔になったね。」

「え……そう、ですか?」

「何か、好きなことを考えてるときの顔、かな。」

「え!? ……え、と……。」


 うまく答えられなかった。和賀さんは同い年なのに、どうしてこんなに落ち着いていて、何もかも見透かすようなことを言うのだろう。まるで大人と話している気分だった。少し憧れてしまう。

 こんなふうにいられたら、お母さんに叱られて消えてしまいたくなったり、ましてや耐えられなくなって家を飛び出したりしなくて済むんだろう。

 私は、何もかも未熟すぎる。


「ほら、嫌なことは考えない。またしょんぼりしてるよ?」

「あ……す、すみません。」

「私になんて謝らなくていいんだよ。何に対しても謝らなくていい。」


 和賀さんはそう言って、また月を見上げた。


「多分、誰も悪くないんだよ。だから、私も都筑さんも、悪くない。」


 不思議な言葉だった。でも、とても自然で、なんだか耳障りがよくて、気持ちがすっと静かになる響きだった。

 私もつられて、月を見上げる。秋の月は、どうしてこうもきれいに見えるんだろう。


「あの……世界の終わりって、来ると思いますか?」

「うん。来ると思う。」


 即答だった。自分がした質問を忘れるほど、するりと当然のように返ってきた回答。

 明日晴れますかね、うんきっと、そんな会話をしていたんだと思ってしまうほど、鮮やかに軽やかに、和賀さんは世界が終わるといい切った。


「だって、私たちの高校生活は終わるでしょう?」


 ぽかんとする私に、和賀さんはとびきりの笑顔を向けてくる。


「泣いても笑っても、私たちの青春は終わる。

 だからなるべくなら、笑っていてほしい。」


 ゆっくりと和賀さんはベンチから立ち上がると、じゃあ、早く帰るんだよ、と言い残して去っていく。

 止まっていた虫の声が、私を包む。一気に時間が動き出したような感覚。

 私は、残された高校生活に思いを馳せる。世界の終わりがくるのかどうか、私にはわからないけれど。

 この日々が終わりを告げることだけは、イメージできた。

 なるべく笑っていよう。少しでも好きな時間を作ろう。少しでも、好きになれる自分になろう。

 やっぱり明日、今夜のことを愛羽ちゃんに話そう。

 私はベンチから立ち上がる。

 明日を無事に迎えるために、私は家に帰らなくては、いけないから。

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