第22話 ささやかな戦果

「あっ、目が覚めた?」

 ちょうど朔間緑子が覗き込んでいるときに、篠原美香が目を開けた。緑子の声は明るく響き渡った。

 緑子が上機嫌なのは、胸元に抱いたぬいぐるみが原因である。今回の報酬とは無関係に、水族館からもらったのだ。


「美香ちゃんのもあるよ。ほら」


 おそろいのペンギンを渡され、篠原美香はとりあえず受け取った。首を巡らす。水族館の中であることを確認したようだ。


「あれは?」


 篠原の言う『あれ』が、巨大イソギンチャクとなった男であることはすぐに解った。何より、珍しく表情を表した篠原の顔つきが雄弁だった。


「やっつけたじゃない。美香ちゃんのお手柄だよ」


 握手しようと、緑子は手を差し伸べる。篠原は、茫然と緑子の手を見つめていた。

篠原に嘘は通じない。それを知ってなお、緑子は篠原の手をつかみ、強引に握手に持ち込んだ。


「……私は何もしていない」


 気を失っていた間の、篠原自身の記憶を探ることはできないかもしれない。もちろん根拠はない。それでも、緑子は盛大に首を振った。


「ううん。そんなことないよ。美香ちゃんを食べて、食中りで死んだんだよ、あれ」

「……私がまずいみたいじゃない」

「あれ? あっ、ほんとだ。じゃ、どうしようか?」


 篠原美香が、少しだけ顔をほころばせた。それに気づかず、緑子が慌てる。追い打ちをかけるように、左手の機械から声が漏れ出た。


『だから、あいつに任せるのは無理だって言ったじゃねえか』

『仕方ねぇだろう。あいつしか、篠原がまともに口利かないんだしよ』

『まあまあ。もう少し様子見たほうがよくなくって』


 遠くから様子をうかがっているはずの仲間たちだ。篠原の視線が緑子の左手に伸びる。


「……聞こえてるよ」

「あっ……切るの忘れてた」


 緑子が自分の機械を止めると、同時に篠原の機械が音声を中継し始めた。緑子はとっさに篠原の腕を取った。腕を間違え、左腕を取り直した。時計型機械のスイッチを切った。


「これって、恰好悪いよね。今度、デザイン変えてもらおう」


 誤魔化すことをあきらめた緑子は、ため息まじりに腕時計型機械を持ち上げた。


「……うん……皆は?」

「ああ、あっちから覗いて……ううん、みんなトイレ」

「おい、それじゃあ篠原じゃなくてもわかるだろうが」


 飯塚が、ついに我慢しきれなかったようだ。お土産物屋のカウンターから飛び出てきた。


「もういいだろう。篠原、調子はどうだ?」

「……平気みたい」


 篠原が、緑子の背に隠れながら答えた。


「ちっ」


 まるで飯塚を恐れるような態度に、飯塚が舌うちする。緑子が指さした。


「恐いんだよ。だって、京子ちゃん、口、口」


 血が滴っていた。


「ああ。拭いていなかったな。やっぱり、魚は刺身だよな」

「あれ、もとは人間だよぉ」

「気にするな」


 歩み寄り、飯塚が緑子の肩を叩いた。豪快に笑いながら。


「台無しじゃねぇか」


 早房も顔を出した。波野も重なるように顔を出す。


「本当。もう少し我慢なさったらいいのに。ねっ、朔間さん?」


 二人とも近づいてきた。緑子と篠原を、3人の仲間が取り囲んだ。


「……そうでもないみたい。ねっ、美香ちゃん?」


 緑子の言葉に、3人が怪訝な顔をした。朔間の背中で、篠原が震えていた。我慢しきれず、ついに吹き出した。黄色い髪を揺らし、篠原美香が笑い転げた。

 4人が顔を見交わし、一緒になって笑い出した。誰もいない真っ暗な水族館で、少女達の笑い声がいつまでも木霊していた。


 救急車が、遅ればせながら駆けつける。担架を先導してきた中谷警部補は、笑い転げる少女たちの豹変を目撃することになる。

 きちんとした装備を指示しなかったことに腹を立てていた5人に、同時に蹴飛ばされた。中谷は自らが先導してきた担架に、自らが運ばれることになったのである。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る