第12話 悪意の果て
朔間緑子は、女子更衣室で飯塚京子のたくましい肩に顔をうずめて泣いた。
「だからさぁ、もう泣くなよ。お前、直接関係ないんだからさぁ」
「だって、だって……」
大騒ぎをしたあげく、4人は柔道場を追い出された。当事者のはずの飯塚は緑子の肩を困り果てたように叩いていた。
飯塚と緑子を取り巻き、波野と早房は、気まずそうにあさっての方角を向いている。
「京子ちゃんの純粋な気持ちをもてあそぶようなこと、華麗ちゃんと波野さんがするなんて……」
「なあ、お前が一番決め付けていると思うんだが」
「……えっ? 違うの?」
緑子が上向いた。飯塚の視線と、微妙な角度で絡み合った。飯塚は、本当に困った顔をしていた。赤く染めた頭を、ぽりぽりと掻いていた。
「……あのなぁ、朔間。お前、オレとあの男を、どうしてもくっつけたいのか?」
「えっ? 別に、そんなこと思っていないよ。だけど京子ちゃんが……」
「なら、ちょっと放っておいてくれ。頼むから」
飯塚は緑子の頭をごりごりと撫でた。かきむしった、というほうが近いかもしれない。
「まっ、飯塚さんが彼氏を作るのは、まだ早いってことですわね」
波野が黒ぶちの眼鏡を押し上げながら、結論付けるように言った。言われっぱなしではいないのが飯塚である。あるいは、全員がそうなのだが。
「はんっ。おめぇはどうなんだよ。お高くとまりやがって」
牙を剥く。まさにそんな表情で飯塚は問うた。
「わたくしは、作らないだけですわ。わたくしに見合う殿方が、なかなかいらっしゃらなくて」
「けっ」
「第一、わたくし達には任務がありますもの」
波野の言い振りに、早房が口を曲げた。
「なんだよ、居ちゃ悪りぃのかよ」
飯塚の視線が、明らかに規定違反のスカートを穿いた早房を貫いた。
「そうかい。お前はいるのか」
「きっと、指が何本か無い方ですわね」
さらりと付け加えた波野の言葉に、早房は眉を吊り上げた。飯塚と違って、むき出す牙は持っていない。
「……あのなぁ、波野。いい加減にしねぇと……」
黙っていては悪いような気がして、緑子もそろりと手を上げた。
「あの……私も、居るけど……」
口論になろうとしていた場が、一瞬で静まり返った。3人の視線が、いっせいに緑子に集まる。
「……えっ? ……えっ?」
周囲の反応に、お下げ髪の少女は困惑した。早房と波野が視線を合わせ、実に楽しそうに緑子に視線を戻した。
緑子に泣きつかれて困っていたはずの飯塚は、逆に緑子を強く抱き寄せた。その耳元で囁いた。
「でっ? どこまで行ったんだ?」
「えっ? なんで?」
飯塚の突然の問いに、緑子は戸惑った。波野と早房に助けを求めようとしたが、淡い期待はあえなく裏切られた。
「どこの、どういうお方?」
「まさか、金もらってんじゃねぇだろうな」
「違うよ。そんなことしてないよ……ど、どうしたの? 突然」
3人ともが、身を乗り出していたからだ。まるで緑子に迫ろうとでもいうような勢いである。
「もったいぶるなよ」
飯塚が、肩を盛大に叩いた。
「言えよ。どこまでやったんだよ」
さらに追い討ちをかける。あまりにも突っ込んだ質問に、緑子は再び救いを求めて2人を見るが、2人とも顔で語っていた。
言え。
「えーっ、だってぇ……」
更衣室の、ドアが叩かれる。
「あっ、誰か来た」
「取り込み中だ!」
飯塚が10代の女性とは思えない声で一喝する。それにも関わらず、ドアが開いた。飯塚と早房の舌打ちが重なった。隙間を空けて止まり、顔が覗いた。黄色い前髪が揺れた。
「あっ! 美香ちゃん!」
ケダモノの力を無理やり与えられた5人目の少女、篠原美香だった。
救われたように立ち上がり、緑子が駆け寄る。
「練習に来たの?」
首が横に振られる。怪訝な顔をする緑子の背後に、波野が立っていた。
「ちょうどよかったですわね。外で聞いてらしたでしょ? 篠原さんなら、聞くまでもなくわかりますわよね」
緑子の肩をぽむと叩き、波野の指がお下げ髪の頭を指差した。肩の持ち主が絶望する。篠原が口を開きかけた。
「絶交するよ」
閉まった。緑子は脅迫しておきながら、嬉しくなって篠原の手を握り締めた。篠原がなんとなく嬉しそうな顔をした。
「そうだぜ、やっぱり、自分の口で話さなきゃな」
実に楽しげに、飯塚が歩み寄ってくる。
「さぁ、喋っちまえよ。楽になるぜ」
すっかり犯人扱いである。篠原の口が、再び開いた。
「……仕事だって、言ってた。いつものおじさんが、呼んで来てくれって」
緑子が、心底胸を撫で下ろした。
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