懊悩者

@ookazujp2007

第1話 概要を小説として執筆するという矛盾

 娘を持つ身としては、生まれた条件が人生の全てだと、口が裂けても云えまい。岐路はそれぞれだが、選択は自身に委ねられる。希望は枯渇した心を潤わす清涼剤となるものの、自ら放棄して道を降りる者も少なからずいるものだ。私は他人の私事に口を剪むほど愚かではない。ただ、彼女の見切りを英断と割り切れるほどに成熟してもいなかった。他人の疝気を頭痛に病むとは徒爾であるが、度を越えた差し出口は性分である。なにしろ数十年前のことなので、記憶は曖昧模糊したものであり、斟酌なく彼女を想起できるか些か心もとない。彼女の名前は倉越真理恵と云った。醜女とは結論が恣意的ではあるものの、数多の吹き出物と迫り出した頬骨は見るに忍びない。重ねて鶏肋の体躯と相俟って寸足らずの足は嘲笑の的である。そんな真理恵は恬淡な気質なのか、さほど拘泥した気勢もなく、悪罵は僥倖の兆しとばかり常に破顔していた。

 私たちは同室で学んだ。三年間、教室を違えたことはない。双方とも、若盛りに摩耗を与える翳りが昂揚を搾取することから、必然的に単独行動が多くなった。無論、周囲の者とは疎遠となり、孤独が絶対的価値を生んだ。教室を移動する際、生徒たちが談笑に花を咲かせているのとは対照的に、私は日々貝となって刻々と影を差した。隣接する机の距離が開くたび、乾いた空気が執拗に張り詰めるのだった。そうして入学から数日を過ごすうち、酷似した境遇の真理恵の存在に気が付いたのだが、彼女のいかにも粗悪な容貌に声をかけるのを躊躇われた。友と云う曙を凌駕する輝きに啓蒙しながらも、真理恵のような女に声を掛ければ私と云う人間が貶められ、これ以上ないと云った粗暴な扱いを受けないとも限らない。校内の噂にでもなれば、肩身の狭い私の居場所など、熱した鉄板の上の水同様に雲散霧消してしまうだろう。

 昼時の時間潰しは専ら図書室の本棚の隅に凭れ掛かり、読了できない哲学書やら専門書やらの頁を繰って済ませた。棚の本は端から五十音順に整列しており、一糸の乱れもなく屹立している。受付脇にあるシェフレラが観葉植物にしては儼乎に映ったため、私は窓から差し込む光が反映して、幾ばくか心穏やかにしてくれることを願った。係りの者であろう色白の女子生徒が、頬杖をついて不逞も露に嘆息している。云い換えればそれは、稀薄な生の代替行状だ。室内は閑散としており、私一人があの女子生徒のように嘆息したところで、なんら疚しいことはない。校庭を疾駆する快活な絶笑が此処まで届き、折々想起されるところでは、そう云った快活さが内奥にある相反した慷慨と結合した時分、私の盛時を煽った。面映ゆいが、私は癇癪持ちなのだ。一度だけ、此処で真理恵を見たことがある。書物と彼女の関係を云々しようとは思わないが、どこか異質な感慨を禁じ得なかった。と云うのも、あのような集団生活に不適格な者が決まって陥る空想癖は、此れが全てだと云わないまでも、雑多な書物を通読することから起因し、真理恵に限っては妄想の類を拠り所にするより現実を斜めから構えることで、シニックな結論に到達するのを好むように推測されたからだ。

 私は真理恵を注意深く観察した。彼女の陰湿な所作、指の一つ一つの軌跡、首に傾げ方、微笑の企みが、甚く私の嫌悪を誘った。そのわざとらしい喜劇は、贈呈品の包装紙のように無意味だった。

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