伍日目③
「ほら、座れ」
「??」
「座れ!拭いてやるから!!」
無理矢理座らせると、後ろから頭を拭く。
最初は俺の動きにびっくりして警戒していた体も、俺が単に頭を拭くだけだとわかると、ふっと力を抜いたのが見えた。
ごしごしと拭いていると、段々と冷静になっていくのと同時に今自分がいる場所を猛烈に再認識し始める。
(…や…やっちまった……)
悲しい兄の性がここに発揮された。しかも、発揮されなくてもいい場所で。
『大護って根っからのお兄ちゃん…いやオカンだよなー』
警護官学校時代に同室だった蕨に幾度となくからかわれた言葉が蘇る。
(仕方ねーだろ…兄ちゃんなんだから)
兄弟でも1番上、従兄弟の中でも兄弟の中でも上はいなかった。だから自然と年下従兄弟の面倒を見る癖はしっかりついてしまって、それは小学校時代でもいかんなく発揮された。
母さんがなかなか帰ってこない仕事環境がさらにそれに拍車をかけて、いつの間にかついたあだ名が『オカン』。
ありがたくもなんともないものだったが、ついに全ての学校を卒業するまでそのあだ名が返上されることはなく、社会人になっても後輩にやたらと懐かれるわ、たまに行く少年野球チームではすっかりオカンポジションが定着化している。
(マズイ…マズイ…)
散々意気込んで、自分で注意喚起までして、それなのに今俺は何をしているんだろう。
「……」
目の前には唯一これは絶対危ないヤツだと言われていた『DOLL』と呼ばれている男が無言でソファーに座っている。
辛うじて自分で体は拭いたようで、さすがにそこまでしなくてもよさそうだが、すでに頭をこうやって拭いている時点でアウト以外の結末が見えてこない。
(……)
かと言って今手を離すのもおかしな話だ。悶々とそんなことを考えているくせに、習慣として見についた仕草は慣れたもので、迷いなく頭の水気を吸い取っていく。
「…はは」
「……?」
俺が笑ったわけじゃないから目の前の男の声だとは思うが、それは思ったよりもずっと幼い印象を受けるものだった。
「気持ちー……」
「!」
目を細めてゆったりとソファーに体を預ける仕草は俺がいつも弟の風呂上りに見ている光景にそっくりで、もっともっととせがむような視線が下から投げつけられて思わず身じろぐ。
「あれ?おしまい?」
不服そうな口調で見上げてくるのはどう見たって弟の顔じゃない。
だけどふとした瞬間に『大護兄、もういいの?』なんて聞こえてきそうで、動揺しきってしまった顔を誤魔化すようにタオルを広げて相手から顔を隠すようにすれば、目に飛び込んできたのは真っ白の生地に不釣り合いな程鮮明な真っ赤な色。
「お、前!まさか怪我してんのか!?」
そう言えばさっき拭き取ったのは間違いなく血だった。
嗅いだことのある匂いと手触りを確認したから間違いない。
そこで頭を拭くよりもきちんと相手の傷の具合を確かめようとしなかったのは、ちらりと見えた全身のどこにも怪我らしきものが見当たらず、出来たての出血痕が確認出来なかったからだ。
少なくともあれだけの量の出血があるとしたらある程度大きな傷が出来ているはずだと安心していたが、逆にあれほどの例えば返り血を浴びていたとしたら、見えないところに傷を作っていたとしてもおかしくはない。
特に髪の毛で誤魔化せる頭部なんていい例だ。
「けが?」
しかし俺の新しい動揺を余所に、張本人は至って平然な顔をしている。思わず見てみろと言わんばかりに真っ赤に染まったタオルを見せつければ、首を傾げてこう続ける。
「オレじゃねぇよ?相手のじゃない?」
「なっ」
「仮面途中で落としちゃって、服の袖やらフードやらあちこち血だらけにしちゃったからなぁ」
新しい洋服頼まないと着るモノないや、なんて軽い言葉を最後にソファーからぱたぱたと影が離れていく。
どこかで誰かと話している声は聞こえているのに、内容は全く頭に入ってこない。
(相手の返り血?)
だとしたら、この出血量だ。間違いなく、相手は瀕死か、下手したら死んでいる。
一瞬タオルで頭を拭いてやったときの緩んだ表情で置き去りにしていたが、すでに頭の中でここは危険だと警鐘を鳴らされていたではないか。
それなのに、どうして俺は一瞬でもこいつはもしかしたら大丈夫なヤツかもしれないなんて思おうとしたんだ?
さっきの子も、大丈夫だなんて思おうとしたんだ?
「あ、おまえ」
「!?」
バスルームがある部屋とは反対方向へ消えていた男がひょっこり顔を覗かせる。
顔立ちはどう見ても俺と同世代か、もしかしたら少しだけ年下。真っ黒な短髪に真っ赤なメガネが不思議と似合う、いたずら好きな好奇心に溢れている瞳が真っ直ぐに俺を射抜いている。
だが不思議なことに、あれだけ物騒な証拠を撒き散らしておきながら、やっぱりこいつもあの子と同じように、俺に対する敵意や殺意の類は感じられない。
(それに目…)
あの子は何も映さないビー玉。そしてこいつはまるで邪気がない、子供の様な目だ。
「これ」
「……これ……って」
男がどこからともなく引っ張り出してきた黒いTシャツを着ながら持ってきた手元には、シャツと同じく真っ黒いカード型のもの。
俺がここに来るまで2回使った真紅のカードとは形状が似ていたが、色が決定的に違う。
次に何をしてくるのかと警戒しながら挙動を伺っていると、今度はカードを俺の指にぎゅっと押し当てる。
反射的に手を引きぬいた後には、真っ黒いカードには俺の指紋が白く残されていて、それを確かめるようにじろじろ見ていたかと思うと、男の瞳がまた子供の様に光る。
「おおー!おおー!きれいに取れた」
喜ぶ姿は子供そのもので、かえってそのギャップが気味が悪い。相手から変な感情を感じることが出来ないのは、一体何を示しているんだ?
「な、何やってんだよ!?」
わからなくて語尾を強めれば、口をすぼめながら頬を膨らませる。いかにも子供がしそうな仕草と、俺より鍛えられた体、場所とやられたことのアンバランスさに、眉間に思いっきり皺が寄る。
「何で怒んだよー…これで次から“直通”でこれるってのに」
「はぁ?」
(直通って…)
「まさか…入り口がまた別にあるのか?」
「そりゃねー。いちいち正門まで行くの、めんどいもん」
複雑に入り組んだ構造をしているし、出入り口を1か所に固めて脱出を防ぐと言う考えは間違っていない。
しかし、万が一不慮の事態が起こった場合、ただでさえ危ないこの檻の中で生き延びることが出来る道が1つしかないというのも不安が付きまとう。
となれば、一般的には出入り口を1つに集約させておいて、実際は限られたものだけが他の道を把握しているという可能性だって考えられる。
(だが)
「いいのか…?」
「ん?」
俺はどう考えても一般的に考えられる扱い以上の扱いを受ける必要性がないはずだ。
それなのにこの男は何を考えているのか、俺に檻の関係者に接触せずに自分達と会えと言ってきている。
(意図は何だ)
今回は最初から意図がよくわからないままだ。オセロの白と黒のように、ころころと見方が変わる。危ないと感じた先からひっくり返され、警戒するなと言われた先から物騒なものがちらつく。
「うん」
にかっといたずらっ子のように笑った男の笑顔は果たしてどちらなのか、俺はまだ盤上に広がる白と黒のマスを把握出来ずにいた。
「KINGがいいって」
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