散り菊
「じゃあ、またね」
長い沈黙の後、彼女はそれだけ言って僕に背を向けた。白いスカートがふわりと翻る。
ああ、と声にならない吐息がもれた。
彼女は振り返らない。二人で一緒に登った石畳の階段を、とつとつ、とつとつと彼女は降りていく。
それすらもやがて見えなくなって、ああ、と今度は確かに声が漏れていた。情けないくらいに震えたその声に、僕はまたああと絞り出すように喉を震わせる。
彼女がいないとだめなのは、本当は僕の方だったのに。
それは痛いほどにわかっていて、けれどもそれはもう、どうしようもないことだったから。
彼女はそれに気づいていただろうか。気づいて、いただろうな。
それでも僕は、前に進まなければならないと、そう思ったから。
死んだ人間が前に進むってどういうことだよって、自分につっこみをいれたくなりながら。
だからこそ僕は彼女の幸せを祈ることにした。それが一番なのだと、何度も何度も自分に言い聞かせて。
まぶたを下ろす。
彼女と過ごした温かい日々がまぶたの裏いっぱいに広がって、鼻がつーんと痛くなった。
それでも僕は、記憶の中の彼女の笑顔を思い出すたびに、これからも彼女が笑顔でいられる未来を想像して、胸にじんわりと広がる温もりを感じていた。
僕は今まで、彼女の笑顔に救われてきた。たくさんの笑顔をもらってきた。
だからこそ、これからは。
どうか彼女が、彼女に笑顔を与えてくれる人と出逢えますように……。
その祈りをさいごに。
僕の意識はゆらゆらと、心許なくて、だけれどもどこか懐かしくてあたたかいところへ、ゆっくりと溶けだしていった――。
“さよならも言えない僕のかわりに、
またね、と言って君は僕に背を向けた。”
Fin.
またね、と言って君は僕に背を向けた 真白なつき @mashiro_natsuki
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