ハードル
オーキデ王国
「うまくやったな、ディクセン!!」
そんな彼に、水を差すようにディクセンが冷静に――
「マイスター!! 司令部から通信が入っています!!」と伝える。
しかし、ハンはそのことに関して全く意に介さずに、厳しい顔つきで――
「分かった、回線を開け!!」とのみ、ディクセンに伝える。まだ十代とはいえ、流石は歴戦の名将。気は全く抜いていないようだ。
そして、参謀長であるリズが通信に出てくる。彼女の背景とそこから聞こえてくる走行音から、彼女が指揮車で移動中であることが分かる。
「緊急事態です、副司令官殿下!! 敵の騎兵軍団と狙撃軍団が動き出しました!!
戦線が
彼女は落ち着いて事態を伝えるものの、当の事態は
突破されたその先には、首都そのもの。そこが陥落すれば、敵である合同解放軍の勝利を意味してしまう。
「分かった、すぐに駆けつける!! ところで、“
この時のハンが言った『
ちなみにその隠語の由来は、チェスの『
また、王国側もこの件を了承してくれている。
「現在、“早逃げ”の最中です!!」
このリズの返答に、ハンの目元が若干緩む。正妻である稜威が首都に留まるのではないかと心配していたからだ。それが拒むことなく首都を離れてくれているのだから――助かるというもの。
ちなみにこの隠語の由来も、将棋の格言の『玉の早逃げ八手の得』からだそうな。
それと当の彼女は、すんなりとこの件を実行に移したものの、今頃の移動中の指揮車内で「つまんなーい!!」とぼやいているそうな。
夫の心、正妻知らずと言える。傍から見れば……。
「今、詳しいことを話せるか!?」
ハンは若干ゆるんだ目元を締めて、リズに報告を求めることにする。
するとリズが、顔に驚きの色を
「はっ!! 敵は王国軍の二個歩兵軍団の境界付近を集中縦深砲撃しました!!」と報告。
「縦深砲撃……!」
この報告に、驚きを隠せないハン。この時の『縦深』には、『前線から後方まで』ということを意味が込められている。つまり、点を突くようにではなく、線を切るように砲撃してきたということだ。
ソ連軍の戦闘教義を、こうも早く取り入れられるとは……。
ちなみに、この『縦深砲撃』という戦術を
話をリズの次の報告へ戻そう。
「その直後に砲撃で空いたところを、レスコー率いる騎兵軍団が両軍団の間を縫うように突破しています!! 先の二個軍団が善戦していますが、効果的な反撃が行えていません!!」
「その二個軍団で挟み撃ちできていないのか!?」
この時のハンが覚えたものは苛立ちではなく、焦りである。しかも、既に抱えて込んでいた懸念が現実に表れているのではないか、という予想の類である。
「それが、既にその手段を執っているのですが……。何しろ錬度が浅い動員軍団と、そうでない軍団が無理やり連携する話になりますから――」
「連携の不備を突かれたか……」
このリズの報告には思わず、ハンは舌打ちをしそうになる。別に先の両軍団に苛立っているわけではない。敵が味方の痛いところを突いていることに苛立っている。
先の『動員軍団』は王国国民の中から志願された者から編成されているので、軍団の士気は高い。しかし、急造の部隊であるが故に、錬度が不十分な点はどうしても否めない点があった。さらにそれを解決しようにも、時間があまりにも足りなかった。
彼らが
流石は『レスコー』!! 聞くところによると、
「既に王国側の騎兵軍団が向かっていますが――」
「実力は
このリズの報告に、ハンはどこか諦めかけるように呟く。
当然、ハンはこの事態を考慮して、以上の戦術を王国側に提案した。それは王国軍の騎兵軍団を突破された敵に対して、その正面や側面からでも思い切りをぶつけるという、
王国側は良案として採用してくれた。地形面から見ても、首都周辺は平野であるために、その戦術を最適に実行できるからだ。
しかし、敵であるレスコーの
無論撃退は簡単にできる。しかし、敵は先の事実を使って、自身らの大いに士気を高めるだろうから、それを
以上のことは、王国軍を実力を信頼していないのではなく、実力を信頼した上で最悪の事態を考慮した結果なのだから、どうかハンを許してほしい。
とはいえ、彼の焦りは『焦り』のまま変わっていない。敵はまだ突破の最中。完全に突破されたではない。この時の彼には、楽観ではない余裕がある。
「それと……動員軍団の士気に
「――!! 首都の方はどうなってる!?」
このリズの報告には、歴戦の名将といえども動揺を隠しきれないハン。それと同時にある不安に駆られる。
まだ首都には彼女のみならず、司令官である稜威らの脱出が済んでいない。とはいえ、彼女らはもうすぐ脱出できるので、特に心配する点はない。
すると、心配する点は王国側にある。
王国の現国王と現宰相は、それぞれの職名に恥じない有能な
しかし両者は人格者であるが故に、自らに『最後の首都脱出者となる!!』という義務を課しているため、必ずぎりぎりまで粘るつもりだろう。
万が一、両者が処刑される事態となれば、その時点で大霊国軍の敗北が確定する。
ハンは彼らに尊敬の念を抱いているが、いざとなると「それが命取りになるのではないか!?」という不安に駆られてしまうことを禁じ得なかった。
さまざまな事情を無視して悪く言えば、“ありがた迷惑”である。
「既に“奥の手”の段階に入っていますが、まだ準備が終わっていません……!!」
「国王陛下と宰相閣下はやはり――」
「『脱出するにしても、最後の脱出者になりたい!!』と少数の配下と共に残っています。一応脱出の準備を怠っていないことが幸いかと……」
「……」
リズの返答に、遂に沈黙に陥ってしまうハン。そして両者に対して、今すぐに『首都脱出』について上奏や進言をするかどうかという葛藤にも陥るが……。
――そもそも
これは彼が「司令部において、司令官は最後の脱出者!!」、「軍艦において、艦長は最後の脱出者!!」などという信条の持主であることと、それ故に両者の決断を本心から支持していることが拍車をかけためでもある。
それに義理があったとしても、国王陛下と宰相閣下はその義理さえ辞するだろう。何せ先の両者の決断は「首都から離れたくない」という感情論からくるものだから。
ちなみに先のリズの発言にあった『奥の手』についてだが、これは軍事機密なので、まだ記せない。この件については、是非ご容赦願いたい。
それと先のハンの信条は、「部下を置いて逃げた卑怯な指揮官」といった批判を受けたくないという“真の自己保身”からくるものでもある。この件についても、是非ご容赦願を。
――ところで、何で動員軍団の士気が下がってるんだろう?
話を整理し終えたハンに新たな疑問が浮かび上がる。
彼がそのことについて、リズに「ところで、何で動員軍団の士気が落ちているの?」と
「詳細が報告されていないので、私の推論を述べます。
一つ目は、敵の侵入を許してしまったことで、己の無力感に
二つ目は、無意識に敵に怯えている。何しろ、彼らは今回が初めての実戦です!! それに対する相手は、
「確かに……」
リズの話に、肯定の
これまでの戦いで、王国の北方軍団が壊滅状態に陥ってしまったため、王国側はそれによる兵力差の穴を埋めるために、動員軍団を急遽編成して前線に投入する他なかった。
無茶をせざるを得なかったとはいえ、それが過ぎた形となってしまったか……。
とはいえ、同軍団内で、これまで脱走者が一人も出なかった点については、評価に値するだろう。
「三つ目は、無意識に諦めている」
「……!!」
リズが核心を突いたことによって、ハンは思わず口を閉ざしてしまう。
まだ動員軍団の将兵らは諦めていないと思っているが、それぞれの無意識の領域に『諦め』と言う感情が運びり始めたのかもしれない。
一応は軍人であるため、「敵の侵入と突破を許したことによって、結局は処罰されてしまうのではないか?」という根幹があるのかもしれない。
無論、国王や宰相がそのようなことを行う人物であるはずがないのだが、両者の期待に応えられない己を不甲斐無いと思っているかもしれない。自分を許せない気持ちは分かるが、今だけでも許してもらわないと困る。
兎に角、前線の味方の士気が落ちていることには変わりない。
敵はそこを突いて、ますます調子に乗るだろう。今頃に前線崩壊されて首都に侵入されてしまうなど堪ったものではないし、何より敵が調子に乗るのは腹立たしい!!
ハンは口調を公的なものに直して――
「分かったリズ!! こうなった以上、『先の動員軍団には、少しでも敵を減らすことに努めさせる!!』という意見を主席軍事顧問のものとして、王国側に送ってくれ!!
それと、『先の意見を実行する場合は、国王陛下や宰相閣下からでも構わないから、御二人のどちらかの名で命令を発し願いたい!!』という伝言も忘れるな!!」とリズに命令する。
ハードルが高くて士気が下がっているなら、それを下げて指揮を維持してやればよい。
増して、国民からの支持が厚い御二方の命令ならやる気も回復するだろう。
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