焦り
オーキデ共和国 某所 合同解放軍機甲軍団所属移動指揮車
一方、件の機甲軍団は目的地に向かって順調に進撃していた。
ところが、同軍団の軍団長であり、合同解放軍の政治委員も兼ねているベルナルト・グルカロフ(Bernard Gurkalov)大将の顔は険しいままだ。
――本来なら味方の増援部隊を待って、包囲して攻勢に打って出るところだが……。攻勢を指揮する奴が、あの時代遅れの砲兵馬鹿(グルカロフ個人のクリーク評)では、こっちが逆に包囲される危険がある……。
彼はクリークが攻勢を指揮できるとは思えないし、思いたくもなかった。
――ならば、多少強引でも “俺”が指揮を執なければならない……!
これがグルカロフが、独断的に同軍直轄の航空師団や爆撃隊に出撃命令を下した理由である。
また、増援部隊の首脳部が「同志クリークの指揮下に入りたくない!!」と秘密裏に泣きついてきたこともある。
おまけに、ソ連の同志首相兼最高司令官であるアレクサンドロフスキー元帥から「できるだけで構わないから、同志クリークのことを頼む……!!」と、お願いされたことも理由の一つ。
無下にしては、外聞が悪いと思って、「努力はしてみましょう!」と答えたみた。だが、今ではその返答をしてしまったことを半ば後悔している。
――そもそも、なぜあの馬鹿が戦場にいるんだ……!?
この疑問に対する答えは、すぐに自答できた。
――どうせ箔付けの為か……。そういえば、『箔付け』といったら、あの坊主も同じような
グルカロフが思考にふけっている最中――
「同志軍団長!!」と、声をかけられた。
「どうした!?」
応えたグルカロフの目と鼻の先には、ヴォイツェフ・ベヴジュク(Wojciech Bewziuk)准将がいた。
合同解放軍政治委員付の連絡将校だ。彼は自軍であるソ連軍からパ連軍へ――すなわち、クリークからグルカロフへの連絡を担っている。そのためにグルカロフの指揮車に同乗させてもらっている。
「い、いえ……。同志政治委員のお顔が優れていませんでしたので……」
――どうやら、懸念を抱かせてしまったか……。と感じたグルカロフは平静を顔に表すことにする。
「あ、ああ……。現地(オーキデ)の二個軍団のことが気になってな……。しばらく時間が経っておるのに、全く動いておらん……」
グルカロフの視線が複数の内の一つのディスプレイに移った。その画面には、今も微動だにしていない二つの軍隊符号がある。一つは現地の騎兵軍団と、もう一つは狙撃兵(歩兵)軍団を表している。
「確かに、両軍団は航空師団の攻撃が始まっているというのに、全く動こうとする気配さえありません。何をしているのやら……」
苛立ちと焦りが滲み出ているベヴジュク。
味方の航空師団の指揮官は、ヴァシーリー・スターリン。偉大なるソビエト連邦の最高指導者にして大統領――同志ヨシフ・スターリンの息子である。
彼は陽気な性格で将兵からの人気があるものの、指揮官としての経験どころか、才能も欠けていた。そのため、ソ連の将軍らに留まらず、宗主国のパ連や同盟諸国の将軍らのほぼ全員が「こいつが
おまけに、当のヴァシーリー本人さえも「俺が真面な将軍になれるはずがない」と意欲を抱いていなかった。
そんな奴が何で航空師団の師団長に就いているのかといえば、“父のご威光の賜物”の一言で片づけられてしまう。
しかしながら、ソ連の将軍ら(一部を除く)は「ヴァシーリーの身に何かあれば――粛清される!!」という恐怖を抱いているのだ。
彼らは「一応は同志大統領の息子なのだから、冷遇してはこっちにそれが跳ね返ってくる!!」と本気で思い込んでいるからだ。
今の合同解放軍に属しているソ連の将軍らは、ヴァシーリーの杜撰な戦闘指揮を執って、戦史に低評価が遺されてしまうことを、非常に恐れている。
今のところ、彼が師団長を務めている航空師団の参謀長には、パイロット出身のユーリイ・ガガーリンが就いている。このことで、かろうじて彼らが卒倒してしまわない程度までに不安は和らいでいるのだが、限界はある。
また、彼の醜聞が広まれば、パ連からのいやがらせ(支配又は干渉)が強くなってしまい、同盟諸国から笑い者にもされてしまう……。
そうなれば、運よく“粛清”は免れても、過酷な環境へ左遷されてしまうことは容易に想像できる。また万が一、彼が戦死したとなれば……。
ベヴジュクが焦ってしまうことも無理はない……。
――わざわざあの坊主のお守りをする必要はないのだがな……。
そんな彼の心理を見抜いたグルカロフは、ベヴジュクを含めたソ連の全将兵らに対する哀れみを禁じ得なかった。
さらにグルカロフは、ベヴジュクの心配を“杞憂” と断じたいところであった。
だが、その杞憂がソ連の将軍らの士気を上げている側面があったため、一旦は保留にすることにした。
それに、子供に慌てふためく大人を見るのは――意外と楽しい。
――あの砲兵馬鹿まで焦らせては困るからな……。それに、二個軍団をあの坊主の身代わりにするという腹の内も気に喰わん……。
結局、グルカロフは焦っているベヴジュクを落ち着かせようと試みる。
「今までの無理な進撃が祟ったのかもしれん……」
先ずグルカロフが落ち着いた声で、現時点での二個軍団の動向に対する見解を述べてみることを試した。
その直後に――
「しかし、補給作業は終わっているはずです!!なのに、彼らは攻勢をかけない!!これは両軍団の怠慢ですぞ!!」と、ベヴジュクは苛立ちと焦りを一気に爆発させるように応えたではないか!!
最早、“怒り”や“不満”にまで昇華してしまっていた。これには、グルカロフは内心でたじろいでしまう。
「お、落ち着いてください。同志……」
ここで、グルカロフの副官を務めているヴァジリー・ホチネンコ(Vasilii Khochinenko)大佐がたじろぎながらもベヴジュクを宥めようとするも――
「落ち着けるか!!」と、一蹴されてしまった。
簡単に落ち着けるはずがなかった。何せ、自分の首がかかっている(物理的な意味においても)。無理もないことだ。
確かに騎兵軍団と狙撃(歩兵)軍団は無理な進撃が祟ったため、進撃を一旦休止させて、補給を受けていた。しかしそれも、一時間前に済んだ話で、今も両軍団は制止状態を保っているのだ。
この制止しているおかげで、両軍団は航空師団との連携を欠いてしまっていた。攻勢をかける絶好の
攻勢をかければ、王国軍をかき乱すことができる。反対に失敗しても、我ら機甲軍団の絶好の囮になりえる。
――確かに、なぜ攻撃しない……!? おかげで、王国軍に戦力を再編する貴重な時間を、どれだけ与えていることか……。
グルカロフは自身の疑問と不満を抱えたまま、ベヴジュクを――今度は宥めることに努めることにする。
「同志兵士諸君らの休息が十分でないのだろう……。既に、疲労もピークに達している頃だ。休ませざるを得ないのだろう……」
確かに、狙撃と王国軍との内戦が始まってから一か月弱もの間、日単位では全く休んでいない。それ故に、最近の攻勢に陰り見えるてしまっているようになっていることは、当然であった。
「はぁ……」
同意をため息交じりに示したベヴジュク。まだ納得しきっていない彼に――
「そう気を落とすことはあるまい……。現地の騎兵軍団の同志レスコーは歴戦の闘将だから、長くは同志達を休ませんさ!
それに同じく狙撃軍団の同志エーヌも知将。この状況が好機であることを察してくれるはず。一、二時間経てば攻勢をかけてくれるだろう!その頃には、我々の攻撃態勢も整っている。
もう既に『首都は墜ちた』と言っても過言ではなかろう!」と、グルカロフは続けた。
これに加えて、ホチネンコが――
「同志グルカロフの仰るとおりです、同志ベヴジュク!!焦ることはないのです!!むしろ、順調に事が進んでいる方が、可笑しいというものです!」と援護してくれる。
二人に宥められたベヴジュクはようやく落ち着きを取り戻して――
「確かに私は焦っていたようだ……。それに完璧な作戦は稀ですからな……。先程はお恥ずかしいところをお見せしてしまった……」と、頭を掻いた。
これを見て、一旦は安堵するグルカロフとホチネンコ。しかし、ホチネンコの方にも不安が無いわけではなかった。
――それにしても、同志両軍団長らの仲は悪い……。次の攻勢の時だけでも、上手く連携してくれれば良いのだが……。
この時の彼の認識には誤りがあった。彼らは仲が悪いのではない。“非常”に仲が悪いのだ!!だから、彼らが連携してくれるどうかではなく、彼らが仲違いをしないかどうかを心配すべきなのだ。
尤も、彼らは開戦以降、競い合う部分は見せても、
グルカロフの方も、薄々気づいていたものの、「大した問題にはならないだろう」と楽観視していた。
それもレスコーとエーヌが顔を合わせる機会が無かったためだ。
しかし今は、両者が指揮する軍団はそれぞれの隣に位置し合っている。そして、作戦を協議するために、両者は顔を合わせなければならない……。
さらにその場には、両者を指揮してくれる者が一人もいない。
彼らを勝手に指揮できる立場にあるクリークは彼らの遥か後方。自慢の砲兵軍団が装備している砲のほとんどが馬に牽引されてくるので、到着までにはどうしても時間を要してしまうのだ。
作戦を主導しているグルカロフに至っては、秘匿行動を執っているため論外。何らかの命令を発信すれば、必然的に電波を傍受されてしまう。レーザー通信や伝書鳩の手段もあるが――やはり控えたほうが無難だ。
今もなお、祈ることしかできないホチネンコ 。
だが、その祈りは――既に無残に砕かれていたのであった……。
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