第5話 ほたるさんの夜
とん、とん、とん、とん、と小気味よい音が響く。
君谷ほたるが野菜を刻む音だ。えらく手際がいい。
夕食を買い忘れたと優也が言い出したところ、
「大丈夫、私が作るわ」
と彼女が言い出したのだった。何気ない仕草で髪を束ねると、彼女は台所にあったエプロンをセーラー服の上から身につけた。サマになっていた。
そんな彼女の後ろ姿を見ながら、優也はひどく動揺していた。怪奇現象が起きたと思ったら、変人で有名なクラスメイトが家におしかけて来た上、お泊りをすることになった。
そしてその彼女が今、手料理を作っている。
何があった人生。バグったか。
とまあ動揺するなという方が酷であろう。
(しかも……エプロン姿が結構可愛い、気がする……)
普段見ないクラスメイトのエプロン姿。
それに加えて学校では見せないポニーテールというのがさらに破壊力を増していた。
(すごい変人なのは分かっているのに……昨日までほとんど話したこともないのに……まさかこれほど意識することになるとは……)
あまりのちょろさに自分に呆れてしまう優也であった。今だって別に見るつもりもないのだが、ふとした拍子に彼女の後ろ姿に目線が吸い寄せられる。
真っ白いポニーテールが、包丁に合わせてリズミカルに揺れていた。
すると突然、
「あ、そうだ」
ふわり振り返った彼女と、ばっちり目が合った。
「ひゃ、な、なにですか」
「何か嫌いな食べ物はあるかしら?」
「な、無いです。なんでも食べます」
「そう、良かった」
安心した様子で、彼女はまた料理へと戻る。じっと見ていて変に思われたのではないかと心配したが、気づかれていないようであった。それに関しては良かった。良かったのだが。
(今の『そう、良かった』の言い方も、なんだか可愛いかったような……)
明らかに末期症状だった。
「いかん、何を考えてるんだ自分。ちょろすぎるぞ……」
「あら、なんか言ったかしら?」
「あ、いえ、別に……」
山岸優也、苦悩の時間であった。
やがて二十分の後、座卓の上では出来たての料理が並びほかほかと湯気を上げていた。
彼女は笑顔で説明する。
「牛細切れの冷凍があったからチンジャオロース風野菜炒め。それとサラダと味噌汁。さあめしあがれ」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「ご飯は? これぐらいで良い?」
「もちろんです。ありがとうございます」
「なんか変ね。どうしたの」
「いや。ありがた過ぎて涙がでそうで」
「別に涙するほど立派な料理は作ってないのだけれど……」
そんなことを言いながら、二人は夕食を食べ始める。
優也はおそるおそる肉野菜炒めを口に入れる。
美味しい。すさまじく美味しい。
変哲のないチンジャオロースだが、まず肉の旨みと野菜の風味が絶妙にマッチしている。そしてその後から醤油味が豊かに広がる。思わずゴハンが進む。これは本当に我が家の冷蔵庫から作った料理なのか。こんな美味い料理がいままで食卓に出た記憶がない。
「く……教室では変人ぶってるくせに……」
「ん、なんて言ったの?」
「いや、なんでもないです……」
変人キャラ定番の激マズ料理だったなら、まだ冷静になれたかもしれないのに。
出てきたのは一点の文句もつけようなく見事な家庭料理。
不本意ながら、胃袋を掴まれるという言葉の意味を実感する。
「……すごく、おいしいです」
「なぜそんなに悔しそうに言うの……?」
彼女はし不思議そうな顔をしたが、大らかな性格なのか深く追求はしなかった。代わりに今晩のことを相談し始める。
「えっとお風呂も借りて良いかしら。順番は優也くんが先に入ってもらえれば良いから」
「うん」
「私がお風呂入ってる間は気をつけてね。何か起こるとしたら入浴中が定番だから」
「うん」
「あと今晩私が使えるお布団は余っているかしら」
「うん」
「山岸君の部屋は、私の分も布団を敷くスペースある?」
「うん」
「そう。なら申し分ないわね。それからあとは例の声の」
「ええええええええええっ!!!!」
緊張のため耳に入ってなかった優也は、一拍遅れて驚愕の悲鳴をあげた。
「どうしたの山岸君。例の声が聞こえたかしら?」
「いや、き、聞こえてないけどっ、そ、そそそそんなことより、君谷さん僕の部屋に布団を敷くつもりなの!?」
「え、嫌?」
「いや、いやいや。嫌ではないけどさ」
「どっちなの?」
「嫌ではない方です!」
「ならせっかく泊まるのだから同じ部屋で寝ましょう。睡眠不足なんでしょう。きっとほかの人がそばにいた方が安心して眠れるわ。声が聞こえた時も迅速に動けるし」
「いや、それはっ、でも」
優也としてもさすがにその一線は譲れなかった。この変人クラスメイト何を言い出すか。近頃の若者はこれだから恐ろしい。
「でもさすがに、年頃の男女が同じ部屋で寝るのは風紀上問題でしょ!?」
「え……」
彼女は驚いた様子で目をパチクリした。
「え、あ、うん。そうね」
残ったご飯を一口モゴモゴと咀嚼しながら、彼女は少し考え込み。
「えっと……なんでだっけ?」
首をかしげた。
「分かってないし!!」
おもわずツッコミ返す優也に、けれど彼女はあっけらかんとして応じた。
「あのぅ、ひょっとしてもし異性って建前で気を使ってくれてるのなら、別にいいわよ。だってこの外見でこの性格だもの。男の人に相手にされないことを、私もちゃんと自覚してるわ」
「え、いや……そんなこともないでしょ……」
「本当よ。ほら髪の毛だってこれだもの」
そう言って彼女は、真っ白いポニーテールをぱさぱさと振って見せた。
「みんな私をそういう目で見ないのよね。異性扱いじゃないというか。山岸君も正直言って全然でしょう? だから別に心配はしてないわ」
どうやら彼女は、心から本当にそう思っているようだった。
そんな彼女の言い分に対して、優也は逆にだんだんと腹が立ってくる。
「そんなこと、ないよ……」
「え……」
「僕はちゃんと異性として……意識してるよ……」
言わなければ角が立たないのにと自分でも思いつつ、バカ正直に言ってしまう優也。だが優也のその本心の言葉に対し、彼女は感嘆の声をもらした。
「ふえーー」
喜ぶでもなく、嫌がるでもなく、彼女は純粋に感心したような視線を向ける。まるで珍しい動物でも見たときのような反応だ。この「ふえー」は「ふえー、こんなビルばっかの都会にもタヌキが出るんだ」と同じニュアンスの「ふえー」である。
彼女はしみじみと呟いた。
「いるところにはいるのねー。物好きというかなんと言うか。山岸君ってもっと普通の人だと思っていたけど、少し……だいぶ変人なのね」
「いや、ちょっと待って! それ君谷さんにだけは言われたくないんだけど!」
「いえ、かなりの変た……いえ、珍しい嗜好だと思うけど」
「いま変態って言おうとしたの!?」
本気で驚いている彼女を見て、優也はだんだんと心配になってくる。このクラスメイト、自分が異性に相手されないと本気で思い込んでいる。こんなに無防備で大丈夫なのか。ひょっとしてこんな調子で他の男子の家にも泊まっているのではないかと思い、なんだか胸がざわつく。
これは訂正しておかねばと、優也は決意する。
「君谷さんは見た目全然変じゃないよ。むしろ、あの、客観的にみて……かわい……よ」
だが気恥ずかしくて、もごもごと消え入りそうな声になってしまう。
「え、ごめんなさい。最後のところ良く聞こえなかったわ、もう一度」
「だからその、普通に、かわいいって……」
「ん、聞こえない聞こえない」
「かわいいと思うよって!」
「へーーーーえ!」
彼女は大げさに感嘆の声を挙げた。普段通りのポーカーフェイスのようで、実は目の奥がウズウズ笑っている。すごく楽しそうだ。
「……君谷さん、本当は聞こえてた?」
「ええ。一回目からちゃんと聞こえてたわ」
「いじわる……」
「くすすす」
とても上機嫌。そして彼女は少し意地の悪い口調で言った。
「もし違っていたら失礼だけれど」
「なに?」
「山岸君が先ほどからやけに様子がおかしいのは、なにかしら。もしかしてその『かわいい』とか? おっしゃる? クラスメイトが急に泊まることになったので、緊張してしまったのかしら」
「そ、そりゃ、まあ、そうだけど」
「ひゅーーーーー」
すごくすごく楽しそうだった。口の端がいまにも持ち上がりそうになっている。
赤面して黙り込む優也を眺めていたが、やがてポムと手のひらを合わせて、
「ごちそうさま。いろんな意味でごちそうさま。いい夕餉の時間でした。どうもありがとう、山岸君」
と礼を言った。
「いま私は最高に機嫌がいいから、後片付けもしといてあげるわね。先にお風呂使ってくださいな」
そのままさっさと食器を片付け始めようとしてしまう。
「ちょ、ちょっと待って。結局一番重要な話はどうなったの?」
「とおっしゃいますと」
「だからその、今晩の布団をどこに引くか問題」
「え? でも、だからと言って山岸君はえっちなことしないでしょ?」
「え……う……うん……」
若干言葉に詰まった優也を見て、彼女は目を見開いた。
「ええっ、嘘っ! わ、私にいやらしいことするのっ? 私に!?」
若干変な驚き方だった。
「いやっ、しないよっ! 絶対しないって誓えるよ」
「ええ、そうよね。ビックリしたわ」
そして彼女はまるで疑いもしない様子で言った。
「じゃあ、全然問題ないわね。一緒に寝ましょう」
その一点の曇りもない笑みを前に、もはや抵抗は不可能だった。
● ●
「どうもお邪魔するわ」
彼女はそう断ると、優也の部屋へと入ってきた。風呂上がりで、まだほかほか湯気を立てている。白い長髪に巻いていたタオルを取ると、ふわりと花のような匂いが広がった。
優也の部屋である十畳の和室には、すでに二つの布団が敷かれていた。というか優也が敷かされた。どうにも先ほどから彼女の言いなりな優也であった。
「お待たせしました、山岸君」
「別に待ってはいないけど」
「くすすす、またそんな意地悪言って」
優也の必死の抵抗であるイヤミを軽く一蹴すると、彼女は自分の布団へと腰を下ろした。
そしてポムポムと枕を叩くと、実に機嫌良さそうにつぶやく。
「寝心地良さそうな布団ね」
そんな彼女は今、パジャマ姿であった。高級そうな黒の布地に、不思議なドクロの模様――ネコ耳ドクロとでもいうべき変なドクロなのだが――の散りばめられたパジャマだった。どういう趣味だ。そんなパジャマを着て安心して熟睡できるのか。
「というかなんでパジャマを持ってるの?」
「あら、これ? 仕事柄お泊りセットは常に携帯しているの」
「仕事柄……?」
思い出してみれば、確かに夜の仕事をしているという噂を優也も聞いたはずだった。だがしかし、本当の夜の仕事ならばパジャマは必要ないだろう。
すると彼女は少し考えた後で、こう答えた。
「えっと。依頼のあった家やお部屋に行って、そこでお泊りするとお金が貰える仕事」
「なにその仕事? そんな仕事があるの? 大丈夫なのその仕事?」
想像してしまうのは添い寝屋とかなんとかリフレとか、そこはかとなく条例に違反してそうな業務にしか聞こえない。
「大丈夫。私が作った仕事なの。『泊まり屋』と私は言ってるわ」
「作った?」
意味がわからない話だった。
「えっとそれ、どこからお金出るの?」
「え? それはもちろん泊まってほしいっていう依頼主からだけど」
「……?」
「……?」
お互い不思議そうに首をかしげる。かみ合わない会話だった。
ただ優也はそれで一つだけ納得した。
「だから君谷さんはウチに泊まるハードル低かったんだね」
「まあ、仕事柄だいぶ外泊に慣れてるわね」
その答えに優也は若干の落胆する。落胆を覚える自分にさらに自己嫌悪するスパイラル。
だがそんな優也の心の機微に気付くことなく、彼女はVサインを作って言った。
「だから安心して寝て大丈夫よ、山岸君。今晩はプロの泊まり屋の私がいるんだから」
「え、うん……」
プロの泊まり屋、というフレーズ自体が意味不明で安心材料にはなっていなかったが。
それでも、まあ、この自信満々なクラスメイトが側にいるのはありがたいことであった。
「じゃあ、声が聞こえてくる前にさっさと寝ましょう」
年頃の女性と初めて同じ部屋で、という事実に妙な感慨を抱く間も無く、彼女はさっさと電気の紐を引いて明かりを落としてしまう。そしてもぞもぞと自分の布団に潜り込むと、
「もし夜中に声が聞こえたりしたら、どんな真夜中でも私を起こしてくれて良いから」
「あ、うん、ありがとう」
「私に聞こえるかどうかが結構ヒントになるしね」
「う、うん」
「ちなみに、一応言っておくと……」
「なに?」
「今後の展開としての大穴は『私が夜中ふと目を覚ますと、山岸くんが自分で「出シテヨ出シテヨ」と叫んでました』ってパターンがあるわ」
「ちょ、なにそれ、怖っわ」
想像しただけで、氷水をかけられた気分になった。
「とはいえ、たぶん違うとは思うけど」
「なら言わないでよっ、こんな寝る前に」
「くすすすす、まあ、一応言っておかないとね。大丈夫? 怖くて眠れなくなった?」
「いや……いや、別に、そこまでじゃない、けどさ……」
とりあえず部屋の気温は三度ぐらい下がった。
「もし怖いなら、手をつないだまま寝るオプションもあるけど」
「なんのサービスさっ! っていうか、やっぱり君谷さんって添い寝系の仕事を!?」
「くすすす。まさか、冗談よ。おやすみなさい」
「え、あ、うん……おやすみなさい……」
優也の気分を紛らわせるために冗談を言ってくれたのだろうが。逆に彼女が添い寝系の仕事をする想像をかき立てられ、余計眠りにくくなってしまった。
本当はどういう仕事なのか気になる。
真実を知るべきか、知らぬべきか。
「あ、あのさ……君谷さん」
十秒ほど迷った末に問いただそうとした優也は、驚愕の事実に直面する。
すー、すー。
隣から返ってきたのは、規則正しい呼吸音。まさしく寝息であった。
「えっ……まさか、もう寝たの……」
優也は忘れていた。
君谷ほたるが授業開始とともに速やかに眠りに落ちる、超絶技巧の持ち主であったことを。
(太っと! 神経太っと!!)
ろくに友人でもないクラスメイトの、しかも異性の部屋に泊まってこの安眠。さすがと言うべきか、恐るべき極太の神経であった。おもわず優也も自嘲めいた笑いを漏らす。
「ははっ……なんか一人で意識してたのが笑えてくるな……」
クラスメイトが急に泊まると言って、ドキドキして、意識して、緊張して、変な妄想して。こうしてぐっすり眠る彼女を見ると、なんだか馬鹿らしくなってしまった。
「僕も寝るか……」
なんだかほっとした気分になると、連日の疲れからくる眠気がじわじわ忍び寄ってきた。
ありがたい、と優也は思う。散々からかわれたりしたが、結局彼女が横で安眠していることにより、自分はリラックスできている。
彼女の変人ぶりが、この家にあった雰囲気をすっかり上書きしてくれたおかげだった。
それに、
「ふと目を覚ますと、僕が自分で叫んでたパターンか……」
気味の悪い可能性だ。
そしてその可能性を否定するためには、誰かがそばで寝なければならない。
「もしかしてその嫌な役目を、君谷さんは引き受けてくれたのかな?」
問いかけに、すー、すー、と彼女は寝息しか返さない。だが少なくとも彼女が類まれな親切心でこの部屋に泊まってくれたことを、優也だってもうよく理解できていた。
「変人で有名だけど、たぶん凄い人なんだろうな、君谷さんって」
そんな人が今晩は横に居てくれることに感謝をして。
優也はゆっくりと、深い海に沈んでいくように……眠りに……。
…………。
……。
ころん、と横で彼女が寝返りしたのを感じた。
甘い香りがさらに濃密になる。
「えっ――」
目を開けてそちらを見ると、まるでキスをねだるような距離に彼女の顔があった。
カーテンの隙間からさす月光が、その顔を照らしていた。
澄んだ銀色の髪と、意外にも淑やかな寝顔。
そして薄ピンク色の唇からは、しっとりとした寝息が漏れている。
(あれ……なんか……やばい……?)
危機を感じた優也は、慌ててその寝顔から目をそらす。
だが反らしたその先では、布団をはだけた胸が吐息に合わせてゆっくり上下していた。
一番上のボタンはかけられておらず、パジャマの襟元がほんの少し開いている。
なにがどれぐらいだった、などという下世話な描写は省くが。
彼女がかなり着痩せするタイプであることが判明した。
若干十四歳の中学生であることを考慮すれば、それはほぼ百点満点だった。
優也は慌てて身を引いた。急激に緊張がぶり返してくる。
いつの間にかドキドキと胸が鳴っていた。
(あれ……今晩、俺って……)
この可愛らしい吐息のすぐそばで、
ともすれば彼女の髪先が首筋をくすぐるような距離で、 少女の放つ甘い芳香に包まれて寝なければならない。
それが拷問にも等しい所業であることに、彼はようやく気づいたのだった。
結論から言おう。
山岸優也はその晩も寝られなかった。
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