不気味の谷のほたるさん
白木レン
第1話 プロローグ
『幽霊は半透明なら無視して構わないわ』
彼女はそう言った。
ちょっとついていけない内容だったので、優也はスマホに問い返した。
「ごめん。なんか良く聞こえなかった」
『幽霊は半透明ならスルーして大丈夫よ』
やっぱりそう言った。
ゲームの攻略法などではない。
山岸優也があと1時間生き延びるための大切なアドバイス……のはずであった。
化け物に対抗する方法を教える。
彼女がそう言ったときは期待したのだが、やはりこの変人のクラスメイトに期待するのは無理があった。
だが他に頼れる人はない。
今もどこかに、この家のどこかに化け物はいるのだ。
それはもう、すぐ近くに来ているかもしれない。
藁にもすがる思いで、優也は問い返す。
「本当にっ!? 本当に半透明なら無視しちゃって大丈夫なのっ?」
必死の問いかけに対して、彼女の声は落ち着いていた。
『山岸君。君は少し真面目すぎるのが玉にキズね』
「真面目とかの問題かなあ!」
『冷静に考えてみて。半透明なのよ。光にすら半分スルーされてる幽霊を、私たちが全スルーしていけない道理があるの?』
「…………」
言い返したかったが、切り口が意外すぎて上手い反論が浮かばなかった。
歯がゆい。
その代わり、優也は別の切実な疑問を口にした。
「じゃあ、半透明じゃない幽霊がでたらどうすればいいのさ」
『とりあえず殴ってみるのは大事ね』
「え、それでどうにかなるのっ!?」
『まあ、大抵は効かないけど』
「効かないんじゃんっ!」
『でもそれは失敗じゃない。逆に考えるの。それは殴っても効かないという事実を確認することに、成功したのよ』
「そういうビジネスマンの心得みたいの、今は求めてないよ!」
『あ、そういえば今のうちに武器を入手しといたほうがいいわね』
「武器?」
急に現実味があることを言われ、優也は我に返る。
確かに。これから何が起きるかわからないが、武器はきっと重要である。
だが武器と言われても何が良いのか。
「……塩とか、お守りとか?」
『あら、初々しい発想ね』
「え、ダメかな?」
『塩で退治するのも構わないけど、伯方の塩でも20kgぐらい要るわ。千秋楽の力士ぐらいバンバンかけないと効果ないけど、そんなに塩ある?』
「……無いです。というか、なぜ20kgなんて具体的な数字が出てくるの?」
相変わらず得体の知れないクラスメイトだった。
『くすす。私、こう見えても経験豊富なの』
「どんな経験なんだか……でも、じゃあ、何を武器にすればいいかな」
『え……別にバールでもバットでも、山岸君が殴りたいものでいいと思うわ』
「微妙に人間性を試すようなことを言ってくるね。でもそれなら――」
そう答えかけて突然、優也は口をつぐんだ。
聞こえたのだ。
あの声がどこからか聞こえてくる。
ガラスをひっかくように甲高い声。
“出ラレタ”
“出ラレタァ”
“フヒヒヒ”
“ヤッタ、ヤッタ”
“出ラレタゾ!”
聞けば聞くほど、ゾワゾワと生理的嫌悪感をかきたてられる。
男の声でも、女の声でもない。
人の声ですらない。
明らかに条理を逸した、この世あらざるモノの声。
どこからか広い家の中を響き渡る。
『どうしたの、山岸くん』
「また、声が聞こえた……。やっぱり、まだ居る。この家に」
『そう。貴方を食い物にする方を選んだのね……』
「食い物……」
『大丈夫よ。こっちはもう国道に出たから、そうね、五十分ぐらいでそちらに着くわ』
「五十分か……」
あと五十分。考えるだけで優也は絶望的な気分になる。
彼女が来るまで無事に過ごせる気がしない。
『事態がさらに悪化する前に、貴方も今のうち少し動いた方がいいわね』
「うん……」
『大丈夫よ。私がこのままサポートのアドバイスを送るから』
「ありがとう……」
優也は硬い声で、なんとか感謝の言葉を絞り出す。
緊張のあまり喉がカラカラになっていた。
その様子を察して、彼女は柔らかい声で言った。
『ダメよ、呑まれては。悪い意味で真面目すぎるわ、山岸君』
「でも」
『聞いて。わざわざ向こうの世界観に合わせてやる道理なんて一つもないのよ。君はホラー小説の主人公ではないし。この私も付いてる。もっと傲慢でいいわ』
「うん……わかった、大丈夫」
そんな彼の強がりを聞いて、彼女はさらに言う。
『くすす。なんなら妖怪の一匹や二匹、私の到着前に退治してくれても結構よ』
彼女がそう言って、スマホ越しに楽しげに笑うのが聞こえた。
『彼女』こと君谷ほたる。
到着まであと47分。
山岸優也は生き延びなくてはならない。
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