スペクタリウム-ネクロフォビアオンライン-
赤月 あん
第1話 ▶︎クエスト:悲しき現実
いてぇ。
後頭部がずきずきする。
ついでに右側の首筋がちくちくする。
指先で痛みのする首筋をなぞると、ぷっくりとした水泡が出来ていた。
虫にでも噛まれたんだろうな。
何せそう思うのは俺は気が付いた時、見たこともない大草原に寝転がっていたからだ。
「どこだよ!!ここぉおおお?!でも超絶っ景ぇええーー!!」
誰もいない見晴らしの良い草原で叫んでみる。
不思議なことに声が山彦となって返ってきた。
高い山でもないのに。
絶景ぇー絶景ぇーーー……ェー
反響した声が小さくなっていき、消え去った後に頬をなぞる優しいそよ風が吹き抜けた。
とにかく、状況を整理しなければ。
「えーと、確か……俺は半年ぶりに外に出て、隣町にある銀行とコンビニまでお菓子を買いに言ってたはず」
虫に刺されたと思われる首筋が痛痒く、ぽりぽりと指で掻きながら呟く。
それまで頭でぼんやりと考えていたことを口にしたことで、霞がかっていた思考も次第にクリアなものとなっていった……ような気がした。
「くっそ田舎だから銀行といいコンビニといい一々遠いんだよなー。って思い出すのはそこじゃない!!ええっと、コンビニ行った後はーー何してたっけえぇぇ。んんんん……」
肛門から何かを捻り出そうとする時に近い唸り声を上げる。
普段ゲームぐらいでしか働かさなくなってしまった、くそったれな自分の脳みそは中々思うようには動いてくれない。
自分がこの知らない草原に来る前までの出来事が上手く思い出せずに、イライラしてくる。
思えばこの短気で短絡的な性格も他人とのコミュニケーションを苦手とする一つの要因だと思う。
すぐに癇癪を起こし、嫌なことがあれば投げ出し、長続きしない。情緒不安定で気分の高揚と落ち込みが激しい。
物に当たる、何かあればすぐに人のせいにする。問題の解決を後回しにする。
今もこうして、自分の置かれた状況が分からずイライラが増して来ているのが自分でも嫌な位にはっきりと分かった。
「あー、早く部屋に戻ってネトゲの続きやらねぇと。今日の14:00からイベントあんだよなぁ。レジェンド防具作るのにSランク素材が必要なんだよ」
こんな風に。
今置かれている問題から逸れて逃げるように、2年間はまっているネトゲの事を考えてしまうのであった。
ーーネクロフォビアオンライン。
通称"ネクロ"
運営自体は10年以上続いているという結構息の長いオンラインゲーム。
他のMMORPGと基本システムは同じで、モンスターを狩ってレベルを上げたり、アイテムを集めて武器や防具を作ったり。
違うところといえば、アバターは自分の分身では無く、一つの人格のあるプレイアブルキャラクターと言ったところか。
ゲーム開始時に数回、ランダムでガチャが引ける。
そのキャラクターをプレイヤーはマスターとして育てて行くのだ。
一定以上の親密度に達すると、本物の人間のようにチャットで喋りかけて来てくれる。
独自AIシステム搭載だとか、公式ページの説明書きにはあった気がする。
つまり、プレイヤーという存在がネクロの中ではキャラクター達に認知されているという一風変わったシステムと世界観が備わっている。
それがもう凄い。
脳みその足りない自分では小学生並みの"凄い"だとか"やばい"くらいの感想しか言えないのだが、本当に凄いのだ。
最初は他愛ない挨拶くらいだった自分のプレイアブルキャラクターが、可愛がれば可愛がるほどチャットでの会話が自然なものとなっていく。
画面の向こうに本物の人間がいるのでは無いか、と思えるくらいに自然な会話なのだ。
"ネクロ"なんて死を連想させるかのような恐ろしい名前が付いている割に、ゲームの世界観はファンタジーでデ◯ズニーのお城みたいなファンシーな城塞から、エルフや妖精が住んでそうな神秘的な森エリアーーと、一体何がネクロなんだと突っ込みたくなるMMORPGであった。
そして更に、ネクロが他のMMORPGと一線を画す所は、一般公開されていないMMORPGであることだ。
よくまとめサイトなんかで、くどいくらいにネトゲのPR広告が出て宣伝に力を入れているのに対して、
ネクロはその手の広告や宣伝活動は一切無い。
Q.じゃあ、どうやってユーザーはこのMMORPGに辿り着くの?
A.それは、とある人間の元にどこからともなくやってくる"ログインID"と"パスワード"、そして"URL"が記された手紙が届くのだ。
このインターネットが普及した時代に電子メールでもなく、手紙である。
言うなればネクロフォビアオンラインというのは、
【完全招待制MMORPG】ーーーだ!
知名度を求めない、アンダーグラウンドなネットゲームである。
そしてこの俺、豹賀 一縷(ひょうが いちる)が社会人から脱却して腐れニートになったきっかけのネトゲである。
「あぁ、いかんいかん。また現実逃避初めてたわ……。嫌なことあるとすぐにゲームの事考えて逃げ出す癖、なんとかしねぇとなあ」
掻きむしっていた首筋から、少し生暖かい物が流れているのを指先が感じた。
見ると血が少し垂れていた。
まずい、いくら痛痒くてもこれ以上掻いてたら雑菌入るかもしれないし、これ以上虫刺されには集中しないようにしよう。
そう思い指の腹に付いた自分の血を拭うように揉み消していると、ふとコンビニ帰りの情景が強くフラッシュバックを起こした。
「そうだ、思い出してきた!コンビニのロソーンでお菓子買って課金用の金を30万ほど振り込んだあとだ!いきなり目の前が真っ暗になって……」
なぜ急に思い出したのかは分からないが、間違いは無いはずだ。
コンビニ袋を引っさげて、陽気に鼻歌を歌いながら、苦手な人並みを避けて。
数十メートルも歩かないうちに、俺は突然気を失ったのだ。
そして気付いたら、この草原に大の字で寝転がっていた。
でも、やっぱりなんで自分がこんなところに急に辿り着いていたのかまではわからない。
やっぱ自分の脳みそ溶けてますわ。ほんとスミマセン。
「あ、そういや出掛ける時にスマホ入れてたわ!」
ズボンのポケットを探ると確かに長方形の硬い感触があってほっとした。
しかし、取り出してみて愕然とした。
「げ。電波ねーし」
無駄な行動だと分かりつつも、本体を揺らしてみたりするもののやはり電波を示すアイコンは圏外表示のままであった。
時間を見てみると2019年8月25日11時23分とあった。
「確かコンビニ行ったのが8時頃だったから……俺3時間以上気を失ってたってことになんのか?」
今まで軽く気を失うことは何度かあったにせよ、数時間にも及ぶ失神は多分これが初めてだ。
こんなに長く気を失う症状なんて1度も経験したことが無かった分、自分の置かれた状況に愕然とした。
「やべー。やべーよ……。夢遊病か?宇宙人に拉致られたか?それとも俺、とうとう死んだのか?」
頭を抱え込み草原に蹲る。
いやでも、ド腐れニートだし、既に死んでるも同然だしーー……なんて考えるもやはり困惑は拭えない。
「と、とりあえず、充電は98%あるけどこれ以上減らすのも勿体ないからセーフモード、セーフモード……と」
気を紛らわすように、小さく震える手先で設定画面を開いてバックグラウンドで動いているアプリやメールの自動受信を全てオフにしていった。
そこで、ある一つのアプリに目が止まった。
「な、なんだこのアプリ……。入れた覚えねぇぞ!!」
そこには【NECRO】とタイトルが入った、アプリがインストールされていたのだった。
自分で保存したブックマークでも、メモ帳でもない。
真っ黒な背景に逆十字の紋章。
いつもログイン時に目にするネクロフォビアオンラインのロゴマークである。
恐る恐るアプリアイコンをタップしてみる。
ブン、と起動音を立てて画面が真っ黒になった。
Necrophobia
病的な程、死を恐れる事。
文字がタイプされ、気味の悪い演出と共に消えていった。
顔を顰めていると、さっきまでの恐怖を誘う起動画面からうってかわってファンシーな画面に切り替わった。
蝶が舞い、薔薇が飛び散り、明るいサウンドが鳴り響く。
あぁ。いつものネクロだ。
妙な安心感と共に、画面が再び切り替わるのを待った。
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マスター:イチ
パートナーキャラクター:ハイドランジア(レアリティ:E)
ジョブ:双剣の魔術師
Lv:10(MAX)
プレイ時間:8500時間以上
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次いで画面に浮かび上がったのは、ネクロでの自分とパートナーキャラクターのプロフィール情報だ。
イチというのは、ゲームに登録した時の俺の名前である。
本名の一縷(いちる)を端折った、安易な名前だ。
ハイドランジアというのは、俺の引き当てたキャラクター。所謂、自キャラというやつだ。
ネクロでは複数の職業(ジョブ)を組み合わせることが出来て、その数は数百パターンにも及ぶ。
例えば基本ジョブは剣士、魔術師、治療術師、ハンター。
クエストをクリアすることで、派生ジョブや上級ジョブの聖騎士、ナイト、大剣士、ハイプリースト、エレメンターなどなど、いろんなジョブが現れるとのことだ。
俺はオーソドックスな剣士でハイドラを育て初めていたが、ある日クエストをクリアしたことで双剣士のジョブを解放できた。その後浮気性もちょっぴり出てきてか、魔法の使える魔術師にもはまり、最終的には双剣士と魔術師を組み合わせた新ジョブ、双剣の魔術師というジョブに落ち着いた。
近いカテゴリーで言うなれば、魔法剣士辺りに類似していると思う。
「ハイドラの情報ももっと詳しく見れんのかな」
ハイドラ、とは俺が自キャラを……彼女を呼ぶ時の略称でありニックネームだ。
キャラクター情報をタップしてみると、ハイドラのステータスがより詳しく現れた。
攻撃力に魔力、敏捷性といったパラメーターを視覚化したグラフに
現在の状態異常。
装備状況ーーナドナド。
昨日まで俺がプレイしていたステータスと全く同じだ。
ハイドラのレアリティはEで、最もレア度は低い。
最高位のSSクラスからS、A、B、C、D、Eと下がってくるから、ありふれたコモンキャラクターと言える上に、ステータスも上限レベルも低い。
だが、俺の愛キャラだ。
ーーピロン!
なぜこんなアプリがインストールされているのかも分からずに、ただ画面を弄っていると突然スマホ上部から通知を知らせる音がなって驚いた。
「な、なんで電波ねぇのに通知が入るんだ?!」
通知はこのアプリからだった。
通知を知らせる赤丸に白抜きのビックリマークをタップすると、クエストという画面に切り替わった。
【クエスト名:悲しき現実】
・マスターはパートナーと制限時間内に遭遇しなければならない。
・制限時間30分
・報酬 解毒剤×1、黄泉石×1、1500ダール
未達成ペナルティ……クエストが達成できなかった場合、ゲームオーバーとなる。
ゲーム内では見慣れたクエスト画面に報奨内容。
ダールと言うのはネクロの中で使える架空通貨である。
「ますますゲームっぽくなってきたけど……俺、ゲームの中に入り込んじまったのか?それともそっくりな異世界に来ちまったのか?」
日本とは思えない大草原。
所々に生えている見たこともない木々からは、ヘンテコな青い果実まで実っているし。
よく見ると遠くの方にはモンスターらしき黒い小さな影が蠢いている。
「つか、クエストにあるマスターってのは俺のことで、パートナーキャラクターってのはハイドラの事だよな?ここがゲームの世界ならマジで逢えるのか?!ひゃっほーい!!」
もしかしたら夢かもしれないし。
現実離れしたこんな世界でハイドラと出逢える可能性があるなら、迷わず突き進めだ。
俺は特に疑うことも無く素直にクエスト受注のボタンを押した。
クエスト開始を知らせるカウントダウンが3、2、1ーーと始まり、0になった瞬間スタートが切られた。
直後にスマホの画面にそれまで無かった、マップらしきものが表示された。
赤と青の光がゆっくりと点滅している。
青が自分でクエスト対象が赤色に点滅する。
距離が近くなるほど点滅速度が早くなる仕組みなのもゲームシステムと同じだった為、理解までは容易かった。
「結構近いな」
残り時間29分56秒。
俺はスマホを片手に地図を確認しながら草原を一直線に、赤いシグナルへと走っていった。
この時、まだ俺は迫り来る体の異変には気づいていなかった。
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