パーソナル・ソードマン
@HiroOka1220
#01 現実と非現実と
01
まぶたをゆっくりと閉じながら、肺に空気を溜め込んだ。少し間をおいて、今度は鼻から徐々に吐き出していく。膨らんでいた肺がすっかり元の状態に戻る頃合いを見計らって目を開けると、直前まで見ていたはずの同じ景色が、まるで模様替えでもしたかのように新鮮なものとして映るのだから不思議だ。
これを『感覚が研ぎ澄まされた』とでもいうのだろうか。まるでレーサーが着るような特殊スーツに身を包んだ
「時間です」
すぐ後ろで、黒の背広を着た男が『その時』を告げる。
勇吾は軽く首を上下に動かして、その声が届いていることを相手に知らせた。それを見て一歩、二歩と近づいてきた男からヘルメットを受け取ると、それを胸の前で軽くかざすような仕草をして見せた。
「これからのたった5分で、俺の運命は決まっちゃうわけだよね?」
「そうなりますね、形式的には」
男がそう返してきたのを聞き取ってから、勇吾はヘルメットを下から包むように持っていた両手に、少しだけ力を込めた。
『形式的には』ね。他人事だと思って、適当なことを−−そう呟きながらしかめた顔は、ヘルメットを装着することで背広の男の目には映らない。もちろん、さっき吐いた恨み節も。
フルフェイスを装着し終えた勇吾は、その所作に自らの底意地の悪さを感じて思わず笑みを漏らした。当然ながら、それもカーボン製の防護冒に遮られて、他人には見えない。
ふと、自分の立っているステージの下に視線を送る。観衆の中には高価そうなカメラを構え、無数のフラッシュを焚いている者もいた。そういえば、心を整えてからはさっぱり聞き取れなくなっていたが、彼らは口々に何かを叫んでいるのだった。それは自分の名前だろうか、それともこれから対峙する相手のものか。とにかく、観客たちはいささか熱狂しすぎているようにも見える。
懐かしい光景だ−−かつての経験を思い出し、幾分か速くなった心臓の鼓動を落ち着かせようと、ヘルメットの中でもう一度深呼吸をする。コォォと、自分の呼吸音がくぐもって聞こえた。
「……行きますか!」
自分自身にそう言い聞かせ、球体にそっと手を伸ばした。すぐ目の前にある感圧式のボタンに触れると、そこを含めた側壁の一部を残して、球体はゆっくりと奥へ移動を始める。
割れた球の中から見えてきたのはまるでロッキングチェアのような、背もたれに角度のついた、これまたカーボン製の椅子だった。両方の肘掛けの先には手のひらサイズの半球が、その上にはバーハンドルが備え付けてある。高級な鉄板焼きレストランで使う鍋蓋に似ていた。実際、関係者はこの箇所を『鍋蓋』と呼んでいるらしい。
球体内の全貌が明らかになったところで、勇吾はその前に回り込んだ。背もたれに軽く左手をかけ、そこを支点にして体をくるりと回す。その遠心力を利用して椅子に座った。少し回る力が強すぎたのか、背中を軽く打ちつけるような格好になってしまった。
じわじわと広がった痛みにひとしきり耐えると、球体の側面裏側に設置されているスイッチに目をやる。それを押すと、警報ブザーの音と共に、自分の右側から球体の残りがゆっくりと迫ってくるのが見えた。ドームが再び閉じようとしているのだ。
ドームの内壁が、徐々に外の風景を遮断していく。代わりに見えるのは、灯りのない内壁の黒だった。これが閉所恐怖症の人間なら発狂しそうなものだが、その点、勇吾にはそういった類の症状はないのが幸いだ。
いよいよドームが光を遮った刹那、今度は中の照明が灯った。一瞬のことではあったが、光源が近いからか、その眩しさは会場を灯す照明の比ではなかった。言ってみれば、スポットライトをまともに浴びているような感覚に陥った。
そこから画面が一旦は暗転し、再度光が灯ると、そこには勇吾の見慣れた
両腕をパームレストに乗せ、その先にある『鍋蓋』の、ちょうどバーハンドルと半球との間に手を滑り込ませる。指の腹と手のひらがボウル型のコントローラに触れると、「ポン」という電子音が鳴って、それがアクティブになったことをプレーヤーに知らせた。
それ全体がゲーム機である球体の中で、勇吾は最後にもう一度、自身の呼吸を整えた。同じ頃、正面に数字の『10』が表示される。それもつかの間、数字は『9』、『8』と小さくなっていく。カウントダウンが始まったのだ。
6、5。−−目を閉じ、心の中で数字を消化していく。そのカウントは実際のそれと寸分違わない。
3、2。−−素早く目を見開き、肩に力を入れる。ここで自分の運命は決まるのだ、もう後戻りはできないと腹を決めた。
数字が遂に『0』となる。それが、彼らの人生が決まる『ゲーム』の始まりであった。
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