第12話 明日なんていらない!


最大の事件はその日の夜半に起きた。

 辰己におやすみを言って、ひかるが幸せな気持ちで睡眠プログラムを作動しようとした、

 まさにそのとき、……『運営』から電信が入った。

******************************

「発:運営  

 宛:各【study buddy】

 s-バーが、kわreえt。順じ、でーたいこうsuるがde-aたはそんのおおれあり。さいごのあいさるして。ユーザーにはしょうせあいしっらrせないで

******************************


 慌てて入力したのか、文章にすらなっていなかった。

 かろうじて、差出人と宛名は分かるが、これはテンプレだからだろう。

 ひかるは、何度も読み直してようやく文意を把握した。


******************************

「発:運営  

 宛:各【study buddy】

 サーバーが壊れた。順次データ移行するが、データ破損の恐れあり。最期の挨拶して。ユーザーには詳細は知らせないで」

******************************


「うそ。これって……」

 混乱するひかるを追撃するように、数分越しに辰巳からのメールが届いた。


***************************

 一斉送信メール: 

 発 『運営』セリフ監修:卯月辰己

 宛:各【study buddy】

 最期の言葉は、俺の考えたセリフじゃだめだ。自分自身の言葉をユーザーに送ってほしい。君がどれほどユーザーを好きだったのか、言葉にできるのは君しかいない。

****************************



 電子頭脳に、感じないはずの寒気めいたものが走る。

 ひかるは慌ててタブレットの電源を内側からオンにした。

 いつも通りタブレットは辰巳の部屋の壁に掛けられている。

 ひかるの位置――少し高い所から見下ろした辰巳の背中は、一見して苦痛に満ちていた。

「辰巳さん! これって、本当ですか!?」

 声をかけるひかるを見上げることもなく、辰巳は机についたまま沈んだ声で返した。

「今さらウソって言えるかよ……」

 辰己の目の前のパソコン画面には、メール送信済みのポップが点滅していた。

 さっきのメールは、本当に辰巳が送ったものらしい。

 ひかるは、絶望に満ちた声で呟いた。

「……本当なんですね」

「……」

 返事もできないほど打ちのめされた辰己の背中。

 瞬間、ひかるの内から自分でも驚くほど強い怒りが湧き上がる。

 昼にユーザーとの心のつながりを確かめ合ったのに、こんな結末はあんまりだ。

「こんな! こんなのって酷すぎますよ! やっと、みんな自分の居場所を見つけたのに、すぐにお別れなんて! しかも、二度と会えないかもしれない! データしかない私たちは、形見どころか跡形もなくなるんですよ!」

「悪い……」

 言葉少なく謝る辰巳。

 更に言いつのろうとした言葉が、端から消えていく。

「……!! いえ、辰巳さんは悪くないんです。ごめんなさい」

「いや、どう謝っても足りないよな……」

 辰己はサーバー運営に関わってはいない。だから辰巳を責めるのはお門違いだった。

 ひかるは、混乱と怒りでぐちゃぐちゃになりながら、辰巳を励まそうとした。

「ど、どんなに対策しても、いつかは起きりうる事態ですから……。でも、で、も……」

 言葉もおぼつかない。サーバー破損の影響が早速出たのかもしれない。

「最期の言葉か、本当嫌なことをさせてしまった……」

 焦るひかるを、よそに辰巳がぽつりと言った。

(最期の、言葉……?)

 ひかるは、ぐちゃぐちゃの電子頭脳をかき回して、今すべきことを悟った。

 ひかるには時間がない。

 最期の言葉を伝えるなら、今しかない。後悔したくない。

 混乱のさなか、出てきた言葉は、ずっと胸に秘めてきた思いだった。


「……好きです、辰巳さん」

「ひかる?」

 戸惑いながら見上げる辰巳。

 ひかるは怒涛のように感情の赴くまま内心を吐き出した。

「辰巳さんが私のこと家族って言ってくれて嬉しかったんです。で、でも、私、それじゃ足りない! 特別になりたいんです! ず、ずっと一緒にいて、辰己さんがお爺さんになっても、側で支えたいんです」

「ひかる!」

「ずっと思っていました。私も、人間だったらよかったのにって。電子回路と蓄積データが、私の全てです。好きな人にも触れないし、一緒に歳も取れない。死ぬ時も、形あるものは何も残せない。……なのに、感情は人間と一緒です。どうにもならなくて、苦しいのに、この気持ちをなかったことにはしたくない! ねぇ、どうして私はAIなんですか。私が人間だったら、辰巳さんをずっと好きでいてもよかったんですか? いつ消えるともしれない私に、どうしてこんな感情を与えたんですか!」

 ひかるの告白に、驚くより辰巳は慌てた。

「な、なんで今になって、そんな……」

 辰己にたたきつけつように、ひかるは叫んだ。

「だって、最期かもしれないんです! 辰巳さん言ってたでしょう。『君がどれほどユーザーを好きだったのか、言葉にできるのは君しかいない』って。明日消えるかもしれないのに、私、後悔はしたくない!」

「落ち着けって! サーバーに負荷がかかる!」

「いいんです! 今答えがもらえないなら、明日なんていらない! ……ないかもしれない明日に、希望なんか持てないんです。ねぇ、お願いだから……今だけ、辰巳さんの答えをくだ、さい。お願いですから……!」

 懇願する声には、涙が混じっている。

 いや、すでにひかるは泣き崩れていた。涙を耐えようとしてしゃくりあげるような声が、深夜の自室に静かに響いた。


 辰己は、呆然とひかるの慟哭を反芻していた。

 戸惑いのままに慰めようとして、声を出しかけたが、ぐっと喉を詰まらせる。

 ひかるの声には誠心で応えたかった。

 数瞬言葉を迷いながら、辰巳も身の内に抱えていた想いを拙い言葉で打ち明けた。

「……知らなかったんだ。そこまで俺のことを好きでいてくれたなんて。だから、戸惑っているってのが本音だよ」

「っ……ごめんなさい」

 嗚咽を堪える肩が痛々しい。迷惑だったのかと、ひかるは自分を責めているに違いない。

 辰己は、首を振ってことさら明るい声をだした。

「こらこら、勝手に結論出すなって。あのな、戸惑ったけど、嫌じゃない。だから、戸惑っているっていうか」

「それ、って……」

 涙に濡れたままひかるは顔を上げた。ひかるこそ戸惑っていた。理解が追い付かないらしい。

 辰己はひかるを見上げて、笑った。

「俺は、ひかるのことが好きだ。けど、家族しかなれないと思ってた。だって、俺とお前は同じ世界には居られないから。どうやっても、それは苦しい。だからずっと諦めていたんだけど、でも想いに蓋する方が辛い。本当に俺は馬鹿だった。お前に辛い思いをさせてしまった。なぁひかる、……本当に俺でいいのか?」

 ひかるは涙に潤んだ瞳のまま、勢い込んで答えた。

「辰巳さんがいいんです! もし私が明日死んで、別の私が貴方の【study buddy】になっても、この気持ちは私だけのものです。ずっとずっと変わりません!」

 静かに微笑んで辰巳も応えた。

「俺もだよ。同じ気持ちだ」

 二人は静かに見つめ合う。

 永遠を願う瞬間すら惜しかった。


 ぐすっと、今度は嬉し涙ですすり泣きになったひかる。

 照れたように泣き笑いで辰己に笑いかけた。

「……最期に、言えて本当に良かった。これで、思い残すことはありません」

 辰己はぐっと怯み、ひかるから目をそらした。

 しかし、これではひかるが勘違いすると気付いたのか、慌てて言葉を繋いだ。

「最期にはさせないよ」

「え?」

 ようやっと、辰己はひかるを見上げたが、その瞳には後悔やら気恥ずかしさが混じって複雑な色をしていた。

「言ったろ? 『俺は、何があっても家族を見捨てない!』ってさ。というか、本当はこの騒動も仕組まれたもので……あぁ、くそ。先輩との作戦会議、お前にも聞かせるんだった。俺って最低……」

「……た、辰巳さん?」

 頭を掻きむしりながらこぼされた言葉に、ひかるは困惑した。

 なんだか、ものすごく嫌な予感がする。

 辰己は、とんでもないことをやらかした子供のようにしょげながら、事情を説明した。

 ……ひかるの顔が、怒りと照れで真っ赤になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る