第29話 明日へ


 遠く連なる山脈に、空高く舞う鳥達。


風にその身を揺らし、甘い香りを運ぶ草花。


夜空に散らした星たちは、人々を誘う様にその指標を示してくれる。






この美しい古の都に、わたしは生まれた――














――――


『どうして、皆には見えないの?』


腰までの長い髪を揺らし、少女は父に尋ねた。




――どうして、精霊かのじょが見えないの?――


今もこうして側にいるのに。

今もこうして、優しい風を吹かせているのに。




『お前は特別だからだよ。普通は、見えないものなんだ』


父はそう言って、彼女のその“透明な体”をすり抜けて行った。

隣で優しく微笑んでいる、風の精霊。彼女は、この少女にしか見えていなかった。少女が話しかけると、彼女は時たま頷いたり、首を振ったりしてその意思を示してくれた。だが、言葉を話すことは一度としてなかった。


『もし私にも見えていなかったら、あなたは消えちゃうのかな?』


その言葉に、彼女はゆっくりと首を振った。

少女はそれを見ると、嬉しそうに笑った。


『じゃあこれからもずっと一緒だね!』


少女は彼女に抱き付いた。

というより、その空間を抱きしめた。何故なら彼女には、実体がなかったからだ。それでも彼女は、嬉し気に風を吹かせるのだった。


少女はこの優しい風に身を委ね、いつまでもこうしていたいと願った。






だがそれは、叶わぬ願いであった。







 少女が異変に気付いたのは、炎揺らめく大地を前にした時だった。

いつも人々で賑わうこの場所が、いまはただの炎の大地へとその姿を変えている。それと同時に、あちこちで上がる悲鳴。村人を追いかけまわすように、軍服を来た人間たちが走っている。少女はその日、何故か彼女に家からは出るなと言われた気がしていた。なのでおとなしく家にいたのだが、何やら外が騒がしく思えたのでこうして外に出てきたのだ。そうして目にしたこの大地で、いま、彼らが次々と命を落としていくのを、少女は見つめていた。



――どうして皆倒れているの?――


彼女に問いかけても、答えは返ってこない。





――父様はどこ!? お願い、この火を消して!――



心の底から叫んでも、彼女が答えてくれることはなかった。

まるでここにはいないかのように、ただひっそりとしていた。やがて火の手がこちらに近づいてきたその時、よく知る声が自分の名を呼んだ。

そちらを見ると、こちらへ駆け寄って来る父の姿。宙に向かい叫んでいた自分を見て、驚いたような顔をしている。


『お前は、精霊と話が出来るのか?』


少女はそれに答えたが、今はそれどころではなかった。


どうして彼女は来てくれないのか、


どうして、どうして――

そんな気持ちでいっぱいだった。





やがてひとつの弾丸が父の体を貫いた時、少女の瞳から光が消えた。



ゆっくりと倒れていくその体が、まるで壊れたおもちゃのようで。

壊れてしまったら、もう元には戻らないから。




壊れてしまったら、もう――




倒れた父の体にしがみつき、声が枯れる程泣いた。そうしてしばらくして、現れた赤い髪の男。少女は咄嗟に手を伸ばし、助けを求めた。優しく包んでくれたその男の腕の中で、遠くなっていく父の体を見つめながら少女は悟った。





彼女はもう、自分に会いに来てくれないのだと――


このウィンディアの地に、風の精霊はもういないのだと――








そうして、焼かれゆくこの大地から、少女は姿を消した。







――――




 ゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは桃色の……



「あっ! ミアさん起きましたよ!」


久々に聞く友人の声に、だんだんと意識がはっきりしてくる。アルコールの匂いから、ここは病院であると認識できた。重い体を起こすと、ミアの周りを囲む様に彼らがいた。皆それぞれ体中に包帯やらを巻いていて、痛々しい姿だった。


「みんな……私のせいで、本当に」

「湿っぽいのはやめてくれよ」


ごめんなさい、とミアが言葉を発する前に、誰かが言った。声の方を見ると、懐かしい赤い髪の男がいた。あの燃え盛る炎の地で、自分を助け出してくれた、


「アギレス……」


彼はそっぽを向いて頬をぽりぽりと掻いている。その隣ではエリカが、腰に手を置いて微笑んでいた。


「さ、皆揃ったことだし。まずはこれからのことを説明しなきゃね?」


その声色が明るいものであることからして、事態は良い方向へ向かっていることが伺えた。ミアの隣では、同じようにその身をベッドから起こしているセバス、アランの二人。彼らも真剣な瞳で、話しの続きを待っている。


「知っての通り。奴がいなくなった今、あなた達を消そうとする人間はもういない」

エリカがそう言い、扉の方へと目を向ける。すると、軍の人間と思われる一人の男が現れた。


男は切れ長の目を更に細め、抑揚のない声で言った。

「皆さん、この度は大変……」

「挨拶はいいからさっさと言え」


そう口を挟んだのは他でもない。ミカエルである。

だが男はミカエルの威圧的な態度にも怯むことなく、続きを話し始めた。


「ええ、この事件で……彼らの企みが公になりました。そして街の住民への対応に追われていることもありまして、我々だけでは事態の収拾が追いつかず……」



勿体ぶったその言い方に、アギレスはこめかみに青筋を浮かべた。



カイルの死後、公になった「ウィンディア虐殺事件」。それを知った都市の人間達は、あまりにも酷いと政府機関へその責任を求めるデモ活動に乗り出していた。


「ミアさん、そしてウィンディアの方々に、深くお詫び申し上げます。そして、せめてもの償いとして、我々から住居、その他必要なものをご用意させていただきます。そして少しばかりではありますが……」


懐から取り出した電子計算機に指を滑らせ、提示してきた数字。それは桁違いの額で、あのミカエルでさえ呆然としている。


「少しばかりではありますが、これで償わせて頂きたいのです」


男はそう言って、深々と頭を下げた。

金で解決するような話ではない。だが、生きて行くのにそれは必要であったし、形として気持ちを受け取るということに、反対する者はなかった。だが同時に、嬉しそうな顔をした者も、なかった。


誰も口を開くことが出来ずにいると、それを了承の意と取ったのか、男はすぐさま部屋を出て行った。それは逃げるようにも見えたが、彼らは何も言わなかった。



「まあ、今後のことはいいさ」


しばしの沈黙の後、口を開いたのはアギレスだった。

あれから、カイルを撃ったセバスはしばし放心状態であったが、ミアに頬を叩かれてからは気持ちが吹っ切れたようで、全てを受け入れるつもりでいた。だが軍の者がセバスに裁きを下すことはなかった。カイルが彼らにしたことを考えると、それも当然だろうと受け取られたのだ。それだけでなく、セバスは言うまでもなくSSE功労者である。そんな人間を、誰が裁けるというのか。


「でも、あなたがあの“精霊の子”だとは、思いもしなかったな」

未だ納得できずにいるセバスの肩に手を置き、ミアに声をかける男がいた。

ジョンである。

彼はミカエルを見、そして再びミアを見つめる。


「これでやっと謎が解けたよ、ミア王女。カイルが何故、そこまであなたを消そうとしていたのか」


対するミアは、複雑な表情をしている。

自分が精霊の子、と言われてもそこまで脅威になるとは思えなかったからだ。それを皆に話すと、セバスが口を開いた。


「いや、あなたは脅威だ」

その瞳は真剣そのもので、ミアはごくりと唾を吞む。



「SSEを使った実験に過ぎなかったが、照明が破裂したあの事件。あれでカイルは気付いたんだろう。あなたがいれば、やがて自分達の邪魔になる、と」


兵器を作ろうとしている自分達の前に、精霊を操ることができる人物が現れたら……。あの“石”を操れる者がいたら……。そしてそれは、SSEに何らかの支障をもたらす。

先の事件でそれがはっきりと証明された。



「でも、私はただ唄っただけだし……」

「それでもあの“風”はどう説明する?」


カイルを襲った……いや、自分達に襲い掛かってきた“謎の風”。あれはおそらく、精霊の一種なのではないか、アギレスはそう考えていた。それは他の者も同じの様で、皆一斉に頷いている。


「確かに人のような、何かの形を成していましたね」

珍しく丁寧な言葉遣いで、ノアが言った。


「あれはミアの言葉を理解し、そして自らもその言葉を話した」


エリカに向っていったあの風は、ミアの制止の言葉によってその攻撃を止めた。彼女がいなければきっと、あの場で皆殺されていたかもしれないのだ。


「あれが……風の精霊なのかな」

記憶とは全く異なるその姿を思い出し、ミアは納得できずにいた。だが自分を守ってくれる存在だということはわかっている。危害を加えることがないとわかっている。それでも何故か、違和感を隠し切れないでいた。




「きっと、風の精霊にも思う所があるのさ」

そう言うのはミカエルだ。彼はゆっくりとミアの頭を撫で、その目を細めている。思う所がある、という言葉の意味をしばし考えるミアだったが、久しぶりに感じる兄の温もりに、思考を止めた。



こうして今、仲間と一緒にいられる。

それが何よりも嬉しいから。これから何が起こっても、もうあの時の無力な自分ではないから。


近くに、隣に、“寄り添ってくれる人がいる”――。

それだけで、前へ進めるような気がしていた。





「復讐は何も生まない」


誰かがぽつりそう言った一言が、いつまでも部屋に反響していた。








◆◇



 そうして幾日が過ぎ、ミア達が退院する日が訪れた。


「ミアさん、アギレスさんはもう玄関にいらっしゃいますわ」

「うん、準備できたら行くから。先行ってて」


アビーが返事をして部屋を出ると、ミアはベッドの上にある荷物を鞄に詰めこむ。


あれから、アギレスやセバス達は先に退院し、部屋に残っていたのはアランとミアの二人だった。互いに挨拶は交わすものの、部屋の空きと共にアランは別室へ移動になったため、ゆっくりと会話することがなかったのだ。だが今こうして、アランはミアの片づけを手伝いに来てくれていた。



「俺、お前に謝らなきゃいけないことがある」

しばし無言で片づけをしていた二人だったが、アランが唐突に口を開いた。


「自分の父親があんな事してたなんて思わなくて……でもやっぱり俺は、」


下を向いたままのアランだったが、意を決して顔を上げ、続きを言おうとした。


その時、








不意に触れた唇。


それはほんの少し触れていたかと思うと、すぐに離れた。そして赤い顔のミアが、目の前ではにかんだのを見て、今起こったことをやっと理解した。


「あ、あ、あ……」

壊れたロボットの様にそれしか言えないアランを見て、ミアは遂に吹き出した。


「あはは! アラン君、顔真っ赤!」

尚も笑い続けるミアもまた、その顔を赤くしていた。アランはやがて穏やかな笑みを浮かべると、彼女に向き直った。


「親父がしたことは許されない。だけど、俺は」

ミアは笑うのをやめ、アランの顔を見る。その瞳に映る自分が、何だか少し小さく見えた。




「俺はそれでも側にいたい」






側にいたい――


側にいて、守ってやりたい――




アランの気持ちを受け取ったのか、ミアは再びはにかんだように笑った。






「いいよ、いさせてあげる」




ビクタ―がしたことも、カイルがしたことも、全て全て吞み込んで。

争うより、憎むより、何よりも



悲しみも辛さも全部受け止めて、前を向いて生きていきたいから。

大好きな人たちと、一緒に――。



辛いのは自分だけではない。

復讐に燃えていたあのミカエルは、今はもうただ穏やかに過ごせればいい、と幾分か丸みを帯びた雰囲気で皆に言っていた。






彼も、すべてを許したわけではない。

未だ残る怒りを、心に宿しながら、

 




それでもミアに笑いかけるのだった。









「大切なのは、これから――」







ベッドの上、微笑み合う二人の間を、温かな風が吹いた。










それは二人を包みこむように






ずっとずっと吹いていた――












       風の王国~消えた王の一族~


            <完>























































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