涼宮ハルヒコの溜息(キョン子シリーズPart2)

佐久間不安定

第一章

(1)「今すぐ、予約を取り消して下さい」

 

 私は猛烈に怒っていた。その鼻息の荒さは、ナウマン像ぐらいは吹き飛ばす勢いであっただろうし、のしのしと踏みしめるその足取りは、地響きを立てもおかしくないほどの力強さに満ちていた。

 いつもならば、どんな不機嫌なときでも眉間にしわを寄せるだけの私が、こうあからさまに激怒を主張しているのはなぜか。それは、今もなお視聴覚室で上映されている、私たちの自主制作映画のせいである。まさか、あんな形で自分が出演しているとは思いもしなかった。私は憤怒の叫び声をあげたあと、人々の制止をふりきり、光あふれる廊下に舞いもどったのである。

 そんな私の殺伐とした感情と相反するかのように、我が北高の廊下は極彩色と活気にあふれていた。ティッシュのバラや色紙のアーチ。どの教室にも飾りつけがされていて、生徒たちが熱心に声をかけている。廊下には様々な流行歌が交錯し、不思議なリズムを奏でている。

 そう、今日は我が北高の文化祭なのである。

 授業とテストに覆われた平凡な日常を吹き飛ばすかのように、校舎は騒然としていた。その華やかさの中で、私ひとりが怒りに打ちふるえているのだ。

「お、キョン子ちゃんじゃないか」

 そんな私に親しげな口調でかけられる声。私はギョロリと彼のほうを見る。その視線は、彼の声色をたちまち一変させるだけの効果があったらしい。それでも、彼は私に話しかけることをためらうような人ではない。

「どうしたんだよ。いま、一人なの?」

「そうですけど」

 声をかけてきた彼の外見は、私の怒りをやわらげてくれた。天井まで届きそうなコック帽に、マジックで描いたナマズひげ。この人は一流シェフを気取っているみたいだが、どちらかというと、子供に指さされそうな格好だった。ねえママ、あそこに変な人がいるよ、というふうに。

「君たちの映画って、まだ上映中だろ?」

「そうですけど」

 取りつく島のない私の返答に、彼は困惑の表情をしてみせる。

「せっかくみんなで一緒に作った映画なのに、それを見ないなんて、友情に反すると思うぜ」

 そうそう、この人は友情とか純愛とかそういう古典的なものを愛する人なのだ。それを好ましいと常日頃は感じていたものだが、あいにく今はそんな優しさはお断りなのであった。

「あんなもの、見る価値ないです」

「おいおいキョン子ちゃん、みんなが必死になって作ったものを否定するなんて」

「それより、つるやさんは、どうして見に来なかったんですか?」

「オレはクラスの担当があったからね。それに、もうDVD予約しているし」

「取り消してください」

「え?」

「だから、今すぐ、予約を取り消してください」

 ふざけたことに、絶賛上映中の私たちの自主制作映画『純愛ファイターみつる』は、DVDでも販売する予定なのである。そして、それこそが、あの四人を映画制作に夢中にさせた最大の理由なのだ。

「まったく、自分の演技が恥ずかしいからといって、そこまで反発しなくてもいいじゃないか」

「いや、恥ずかしい以前の問題だと思います、あれは」

 その映画では、このつるやさんだってゲスト出演しているが、私があんな形で登場しているなんて知らないのだろう。

「しょうがないなあ。おごってやるから、オレのクラスのケーキ、食べてみろよ」

「食べ物で釣ろうとしないでくださいよ」

「マジでおいしいからさ。このつるやパティシエが保証するぜ」

 その笑顔と、ラクガキしたヒゲを見て、ひそかに私のお腹は音を鳴らした。そういえば、映画上映の準備や何やらで、朝から何も食べていなかったことに気づく。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「ハーブティーもついてるからさ。ゆっくり食べて、気持ちを落ち着かせなよ」

 ふうむ、意外と気のきいたところがあるじゃないか、と私はつるやさんを見直した。さすがは、あの朝比奈みつる先輩の友人である。

 いや、みつる先輩だって、今では悪の枢軸のひとりだ。結局、私の味方は誰もいなかったのだ。

 教室に入り、パンケーキとシナモンティーを受け取って、窓際の席に座る。まわりを見わたすと、ひとりぼっちの客は私だけだった。だが、そのことに臆する私ではない。この北高に入学して半年というもの、変人の烙印を押されることにはもう慣れた。涼宮ハルヒコという男子のせいで。

 どうしてこんな高校生活になってしまったのだろうか。あいつに出会って、SOS団なるヘンテコな部に入って、それからいろんなことに巻きこまれて……。でも、他人に同情してもらえるような悲惨なエピソードは思い浮かばなかった。第三者視点だと、楽しそうな毎日じゃないかと、うらやましがられそうである。私は深い溜息をつく。

 窓の外を見ると、いろいろな声を交わしている人たちが見える。そのなかには、中学生らしき子たちもいる。我が北高はそれなりの進学校であり、この付近ではブランド力があるのである。だから、北高の文化祭はこの地域の高校では一番の盛り上がりを見せるのだ。

 しかし、私は北高に憧れる中学生たちに言ってやりたかった。高校生活をなめるんじゃない。とんでもないヤツと出会って、非常識な連中と付き合う羽目になることもあるのだと。そう、いつの間にやら映画制作なんてものに巻きこまれてしまったこの私のように。

 

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