(11)「はぁ?」
家に帰り、うるさい弟をおしのけて、部屋に入り、服を着替える。時間は八時前だった。
長門家の食卓は、いつもとちがう雰囲気に、ついつい緊張してしまって、何をしゃべったのかは覚えていない。怖れていた長門くんアタックもなかったし、長門ペアレンツは金持ちとは思えない良い人たちだった。どうやら、私の取り越し苦労だったらしい。
さて、宿題をしようか、風呂に入ろうかと迷っていたとき、携帯電話が光っていることに気づいた。私は出かけるときに、それを持っていくのを忘れたのだ。
開けてみると「着信あり、メールあり」との表示。まず、メールを確認してみると、イツキからで、
「ゴメン、団長に話しちゃった。てへ」
そして、かわいらしい顔文字がずらりと並ぶ。それで謝っているつもりなのか。
今度は、着信記録を見てみる。すると、びっしりと並んだ「涼宮ハルヒコ」の名前。私が長門家で晩餐していたときに、彼はひたすら私に電話をかけてきたようなのだ。
いったい、これが何を意図しているのか。まさかなあ、と思いながら、両手で頬杖をつく。すぐさま、携帯電話が鳴った。何も考えず、それを取る。
「もしもし、キョン子か?」
やたらと早口な涼宮ハルヒコの声。
「そうだけど」
「今、どこだ?」
「家にいる」
「帰ったのか」
「そう」
そんな短いやり取りのあと、彼はこう言い放った。
「今から、おまえの家に行くから、待ってろ」
「今から?」
もう外は真っ暗だ。いったい、こいつは何を言っているのだ。
「ちょっと待ってよ」
「待ってろよ」
ほぼ同時に正反対の声が交わされ、電話が切れた。問答無用とは、まさにこのことだ。
いちおう、着替えなければなるまい。こう言いだしたときの彼が制御不能なのは、これまでの経験で十二分なほど知っている。でも、いったい何をするつもりなのだろう。
私が着替え終わると、携帯が震える。確認してみると、メールでただ一言「着いた」
窓を開けると、自転車に乗った涼宮ハルヒコが手を振っている。元気なヤツだ。そもそも、なんで私の家を知っているのか。どうやら、私に逃れるすべはないようだ。
私は今から行くから、とジェスチャーで合図して、窓を閉める。
そろりとドアを開け、階段を下りる。こんな夜中に外出するとなると、親にいろいろ問いつめられることはまちがいない。忍び足で廊下を歩いていると、弟がバッチリ待ちかまえていた。
どこ行くの? と無邪気にたずねようとする弟の口をすばやくおさえる。ジタバタもがく弟をなんとかおさえながら、耳元でささやく。
「秘密にしといたら、今度、アイスおごってやるから」
「そんなんじゃ、らめぇ!」
私の手に唾を飛ばしながら弟は言う。この期に及んで、交渉しようとしているようだ。
「じゃあ、あんたの好きな漫画買ってやるから」
それにうなずく弟。痛い出費だが仕方ない。
こうして、私は家を出る。夜遊びに縁のない私にとって、こんな門限破りは片手の指で足りるほどしか経験していない。
「よっ」
それでも、さわやかにほほ笑む涼宮ハルヒコ。こういうことが、どれぐらい私に迷惑をかけているか、彼は考えてくれているのだろうか。
「まあ、乗れよ」
彼は荷台を指さす。二人乗りで行くらしい。正直、二人乗りは嫌いだが、自転車を取りに行って物音を立てると、家族に気づかれるおそれがある。仕方なく、私は荷台にまたがる。
「そう乗るのか?」
彼の疑問に私は首をかしげる。
「いや、女の子って、横乗りに座るもんじゃないかって」
「なんで?」
私だって、二人乗りについては、多少の知識がある。横向きに座るのは、バランスは取れないし、視界も悪い。良いことなんて何もないのだ。
「いや、いい」
そして、彼はこぎはじめる。私はとりあえず彼の肩をつかむ。
「いったい、どこに行くつもり?」
「学校」
まさか、二人乗りで、あの坂道をのぼるというのか、こいつは。
なぜ、今でなければならないのか。なぜ、学校なのか。いろいろ疑問はつきないが、そんな答えを用意するほど親切な涼宮ハルヒコではない。きっと、行けばわかるのだろう。深く考えるのはやめることにした。
二人乗りとはいえ、体力には定評がある彼のこと、自転車のスピードは勢いを増し、風を切り裂くように進む。私は景色を見るゆとりもなく、彼の腹に手をまわしてしがみつく。彼の背中は、ちょっとゴツゴツしていているが、頼りがいはあった。
私を乗せた涼宮ハルヒコ号は、ついに学校前の坂道にたどり着く。たちまち、スピードはがくんと落ちる。彼は私の両腕をふりきろうとするかのように懸命にこぐが、さすがの彼を持ってしても、坂道を上りきるのは無理なようだった。
私はあきらめて、すたっと降りた。彼はバランスをくずしそうになりながらも、よろめくぎりぎりで持ち直して停まった。
「おい、降りるなら、降りるって言えよ」
「いいじゃん。どうせ、無理っぽかったんだし」
そして、私たちは歩きだす。
「ねえ、夜の学校に行って、なにをするつもりなの?」
「いや、べつに」
「防空壕のことは?」
「そのことはもういいんだ」
「で、今、学校に行かなくちゃいけない理由があるの?」
「なんていうか、そこしか思いつかなくて」
「なんの?」
「はじまりの場所」
彼は妙に詩的な表現をする。
「なあ、キョン子、長門の家に行って、何やったんだ?」
「私が?」
「ああ」
「べつに」
「べつにってことはねえだろ?」
彼の口調が激しくなる。私はだんだんいらだってきていた。
「そんなの、あんたに関係ないじゃん」
「ある」
彼は断言する。そして、一息を入れたあと、衝撃的発言をした。
「なぜなら、俺はおまえのことが好きだからだ!」
夜十時近くの学校に至る坂道の途中、自転車を押したまま、涼宮ハルヒコは高らかにそう言い放った。
私は答えた。
「はぁ?」
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