第三十一話『Chain reaction』(2)

AD三二七五年七月二一日午前一一時一一分


 こういうとき、男は弱いと、心底感じる。

 死んではいない。それは分かっている。

 だが、何も記憶がない。そう、通信で言われた。診断書も、セットで付いてきた。

 軍人として、いや、親として、こうなる前に、何か出来なかったのか。ガーフィ・k・ホーヒュニングは、そのことで朝から頭を抱えていた。


 会議に出る前、レムと、既に死別した妻であるリーアと撮った写真が、何もしていないのに倒れたとき、何か不吉な物を感じた。

 ザックス・ハートリーはあまり気にしない方がいいと、苦笑するように言っていたが、しかし、現実はこうだった。


 こうなることは、多少覚悟していた。軍人なのだ、死んでいないだけマシだと思う。いや、そう思わない限り、死んでいった他の将兵に、まったく申し訳が立たない。

 あくまでも、自分は海軍の最高司令官なのだ。今、本国が未曾有の危機に陥っている。その状況をどうにか打破しなければ、更に多くの人間の心が傷つく。

 それでは、何人もの今のレムを作り出してしまう。

 それだけは、絶対に避けなければならない。


 公私混同だとも、人は言うだろう。

 だが、家庭すらも護れずして、何が軍人だと、一度自分に活を入れた。


 一方で自分自身に、ガーフィは怒りを感じてもいた。親として何もやれなかったこと、何より、いざレムに会った時、自分はなんと言えばいいのか。死んだリーアに、なんて謝ればいいのか。

 それを、悩んでいる自分もいた。


「准将、ハインツ卿がお呼びです。そろそろ対策会議を開きたいと」


 秘書の一言で、ハッと我に返った。


「そうか。今、何時だ?」

「一一時一三分です。お疲れのようでしたが」

「まぁな。だが、軍のことと私事は、分けるつもりだ」


 自分に言い聞かせているのか、それとも、秘書に言っているのか、よく分からなくなってきた。

 一度ため息を吐いた後、執務室を出た。

 外を見ると、少し雨が降っている。その雨音が、ガーフィには少し、鬱陶しく思えた。


「ハインツ卿は、何処におられる?」

「第三会議室と言っておりました。ザックス大尉も、通信で会議に参加されるそうです」


 そうかとだけ言って、少し足早に、国防総省の地下にある第三会議室に、足を踏み入れた。

 会議室には、複数のモニターの明かりと、オペレーターの声が支配していた。会議室の真ん中に水平に置かれた大型のデジタルディスプレイには、ベクトーアとフェンリルの国境近辺の、事細かな地図が映し出されている。


 入った瞬間に、一斉に自分に敬礼が向けられる。自分もまた、敬礼で返した。

 ウィリアム・ハインツ陸軍総司令が、最奥に構えていた。自分より十個上だが、何かと自分を気にかけてくれていたので、信用はしている。


「おう、遅かったな」


 少し白髪の交じった金色の髭を指でなぞりながら、ハインツが言った。いつものクセ、のようなものだった。


「色々とありましてね」

「レムちゃんのことは、こちらの方にも入っている。だが、酷かもしれんが、今は私事で動く場合ではないぞ」

「そのことは、重々承知しています。俺は、曲がりなりにも海軍の総司令官ですから」


 先程から、自分に言い聞かせ続けていることを、あっさりと言い当てる。その小気味よさが、ガーフィは好きだった。


「ならばいい。しかし、あの空中戦艦三隻が消えたというのは、やはり気がかりだな」

「あれだけの図体ですからね。いくら空中戦艦にKLやELを用いているとはいえ、空中戦艦には召還システムは付いていない。だからこそ、急に消えたというのは、引っかかる」

「ジャミングはクラッキングの可能性は?」

『それについては、こちらで探っています』


 前面のモニターに、ザックスの顔が一面に映し出された。

 ザックスを今回の防衛計画の総責任者にすると言い出したのは、ハインツだった。

 実績があるのだ。それも、ルーン・ブレイドを率いていた、軍の中では桁外れの実績だ。それが買われた結果だった。


 今でこそ、ルーン・ブレイド配属よりも前に、軍課に入って最初に配属された教導隊に戻っていたが、また、こうして戦場に戻った。

 実際、手腕は二年前に隊長職を退いてから、まったく衰えていなかった。防衛部隊の編成状況も送られてきたが、完璧に近い。

 いいところにハインツは目を付けたと、ガーフィは単純に感心していた。


「ザックス大尉、君の予測では、どうだ?」

『あくまで俺の意見ですが、某かのサイバー攻撃、それもまったく気付かない手段でやられた可能性は否定出来ません。シャドウナイツのロック・コールハートは相当のハッカーでもありますし、彼の直属でそういったことを動かせる部隊がいても、不思議ではないかと』


 あのロックは、電子戦闘を得意とすることで有名だし、つい一月ほど前も、エルルで華狼の艦隊がロックによるジャミングで撤退した。

 当時は、ただ単に十二使徒の一人であるマタイが出てきたからそれをベクトーアに押しつける形にし、疲弊したところをフェンリルが叩こうと考えたのかと思っていた。


 しかし、ルーン・ブレイドからの報告や、間諜からも、ロックがつい昨日、アフリカで行われた華狼との戦闘にも出現したと言う事で、考えが改まった。

 こいつは何か意図的な目的を持っており、更には十二使徒に何か関係している。


 だいたい、この千年間まったく現れなかった十二使徒が今になって出現しただけならまだしも、その現場に両方ともロックの影があり、しかも華狼のプロトタイプエイジスをイーグ諸共アイオーンにして強奪、更にはワープみたいな技術まで使って戦場から消えたというのだ。

 ここまで人間では不可能なことをやられると、疑わない方がどうかしている。


 それに、これだけの能力を有しているならば、実力第一主義のフェンリルにおいて、何故シャドウナイツの一隊員程度に収まっているのか疑問が残る。

 表向きに知られている電子戦の達人というのは、あくまでもダミーで実際にはまったく知れ渡っていないような任務を裏方としてやっていると考えるのが自然だ。

 そのためにシャドウナイツも、あえて一隊員程度で収まっているのだとすれば、つじつまが合う。


 だが、その任務は、なんだ。ガーフィなりに考えるが、答えは全く出てこない。

 ただ、悪い予感だけはする。今回の戦がフェンリルの策略による物だったとしても、何か、それだけではないような気がするのだ。


 もっとも、それは表沙汰にはしたくない。上の人間が余計な考えを巡らせると、下が混乱するのはかつて最前線で戦っていた自分がよく知っている。

 いつだって被害を受けるのは現場、つまり、自分からすれば下の階級の人間なのだ。


 それに、あくまでもこれは推測に過ぎない。推測に過ぎないことは、そう口に出していいものではないというのも、よく知っている。

 もっとも、調査はさせておくべきであろう。それもまた、上の人間の勤めだ。


「ザックス、ロックのことはこっちで調べておく。ところで、空挺部隊の出撃準備は何処まで出来てる?」

『粗方終わりました。予定通り、本日一八時に一斉に襲撃を開始します』

「ご苦労。それ以外に変わったことは?」

『今の所、何も』

「分かった。最終的な編成作業を急がせてくれ」

『了解です』


 ザックスからの通信が切れ、正面のモニターが一瞬黒くなった後に、そのモニターがCGで出来た周辺の地図を映し出す。

 一八時に、国境沿いにある妙な会社であるロキに、空挺部隊を用いて一斉に襲撃を実施する。

 もっとも、恐らくこれは前哨戦に過ぎないだろうと、ガーフィは考えていた。恐らく、先は長い。

 そのことはハインツも承知しているのだろう。そのことと地図を元に、更にいくつか細かい話をした後で、一度ハインツと別れた。


 自室に戻ると、秘書が『本来の顔』を出していた。秘書と言うが、その経歴も、戸籍も、全てダミーだ。フォースというコードネームを与えて、表向きは自分の秘書、市中では情報屋、更に裏では内部向けの間諜を勤めてもらっている。


「そろそろ動く時と俺は判断しましたが、早計でしたかな?」


 黒いサングラスを掛けながら、フォースが言った。

 市中に出るときは、いつもこのサングラスを掛ける。気に入ったことと、市販品でそう高級でもないため目立たないからだと、前に聞いたことがあった。


「いや、ちょうどいいタイミングだ。お前が前にルナに渡した内偵文書、あれに載っている連中は今どうしている?」

「イーギス以外は、全員拘束済みです。その気になれば、その他に数名、怪しいのをしょっ引くことは可能ですが」


 不敵に、フォースとなった秘書が笑った。

 フォースという『仮面』を付けると、この男は一気に表情が変わる。


 間諜とは、得てしてそういう物らしい。周囲にまったく記憶させないようにする、目立たないようにする。そして死なないこと、逃走経路は常に確保すること、気配を消す術を完璧にすることなど、様々な術を身につける必要がある。

 それが徹底されていない限り、間諜は務まらないと、いつの頃かフォースは言っていた。


「まぁ、暫くそいつらは泳がせろ。代わりにフォース、一つ頼みがある」

「俺に頼み、ですか? 准将にしては、珍しいですね」

「半分私事で、半分は公的な役割だ。本土に着いた後、一度ルーン・ブレイドが帰還するが、その際にレムが本土の病院に運ばれることになっている。それの護衛と、いざというときのための通信網の確保を頼みたい」


 レムを護るというのもあるが、同時に、レムは後天性コンダクターでもある。千年で十例しかない特殊なケースで、なおかつアイオーンを体に宿しているのだ。

 フェンリルは特にアイオーンに関してやたら執着していることから考えても、内部に侵入してレムを拉致するくらい、平然とやるだろう。


 それに、一度レムは捕まっている身だ。再度捕まえるために、本土に特殊部隊や、フォースのような間諜を侵入させても不思議ではない。


「了解しました。では、準備に掛かりますので、これにて」


 それだけフォースが言って、ふっと、気配が消えた。

 いつも、あの男はこうして姿を消す。まるで最初からいなかったかのように、いつの間にか気配を消している。


 外を見た。

 雨がまだ降っていることに、ガーフィは気付いた。

 この雨が、自分に運気をもたらしてくれる雨であればいい物なのだが。

 柄にもなく、そんなことを思った。

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