6th Attack

第三十話『Tell me why』

AD三二七五年七月二一日午前九時一八分


 どれだけ、己に対して怒ったのだろう。

 叢雲の廊下にあった壁に、破損の警報が鳴り響いたので駆けつけてみたら、ルナ・ホーヒュニングが泣きながら、EL製の壁がめり込むほど何度も拳で殴り続けていた。


 何があった。普段の自分なら、そう聞いただろう。

 だが、とてもではないが、聞ける雰囲気ではなかった。あの時のルナの表情には、今思い返せば、絶望の表情しかなかったことを、ロニキス・アンダーソンは思い出した。


 広大な艦長室がこういうときに鬱陶しく思えてくる。広すぎてかえって考えが分散されていくような、そんな気がするのだ。

 何度も壁を殴っていたところを偶然通ったアリス・アルフォンスが無理矢理止めた。その後、最終的には鎮静剤を打って強引に落ち着かせた。そうでもしなければ、恐らく、手の骨が砕け散るまで殴り続けていたかもしれない。それほどに、怒りが強かったように、今では思える。

 あの時、壁にはまるでクレーターのようにヒビが入り、そのクレーターのような殴った跡の中心には、血の跡が残っていた。今頃、整備班がそれを直している頃合いだろう。


 状況は切迫している。

 ラングリッサを攻略するはずの司令官であるはずだったイーギス・ダルク・アーレンがよりにもよってフェンリルの放った間諜で、挙げ句の果てに本物のイーギスとすり替わっていたという、自分達の諜報部も使っている手口にまんまと騙された。


 そのイーギスの旗下となっている艦隊そのものが同調していることを考えると、恐らくその旗下となっている連中も全員、フェンリルが用意した間諜集団であることは間違いない。

 そして、ラングリッサからの撤退と同時に、イーギスの追撃を行う、はずだった。


 突然、イーギスの艦隊である空中戦艦三隻が、アフリカの北端近郊で、忽然と姿を消したという情報が入ったのは、今から十分ほど前のことだった。聞いた瞬間にバカなと、思わず声を荒げたのを、よく覚えている。

 だが、撤退途上の全艦艇がそう告げたのだ。あれだけの質量やガタイを持っている空中戦艦三隻が、レーダーどころか全ての熱源反応から消えることなどあり得るのか。

 その検証が、恐らく軍内部では続いているのだろう。それもあってか、作戦の変更が本国から告げられ、ルーン・ブレイドはフィリム近辺での警戒任務から、ベクトーア全域の警戒任務に当たるように要件が変更された。遊撃隊として機能しろ、ということなのだろう。


 医者であるレイシェンロンが艦長執務室に来たのは、一度、状況を整理してため息を吐いた後だった。

 いつも、玲は不機嫌な顔をしているが、今日の顔は、とりわけ不機嫌に見えた。それに、自分もまた、同じような表情をしているのだろうと、なんとなく、ロニキスは思っていた。


「どうだ、彼女たちの様子は」

「最悪、というべきだろうな、艦長。レムは記憶喪失が確認された。恐らく、報告書にもあった、十二使徒の殺害が原因だろう。ルナは、それを護れなかったと、自分で自分を悔やんだ。結果が、あの壁だ。今はルナの方は落ち着いている」


 レミニセンス・c・ホーヒュニングは昨夜の戦闘で十二使徒のフィリポと戦ったが、そのフィリポの魂が、よりにもよって母親で、それを殺さざるを得なくなった。

 そういうことは、戦場ではよくあることだし、そこまで珍しい物でもない。アイオーンと戦うときは、己の思い出にある人間との対峙を強いられるときも多々ある。


 別に、ここまでならば珍しくない話だ。気になったのは、一瞬、狂ったような咆吼を上げ、更には乗機であったホーリーマザーの手持ち武器であるブレードライフルの刀身に立ち上っていた気炎が、黒の中に血のような赤が混じっていた、ということだ。

 最初のうちは、母親と対峙したことに対するショックが原因で、このようなことを行い、最終的に記憶喪失になったのかとも思った。だが、ロニキスの中で何かが引っかかった。

 ルナの中に眠るイドというアイオーンがまだ目覚める前に、ルナが散々やらかした、『暴走』に似ているのだ。


 記憶喪失は、あくまでも結果だ。過程に何があったのか、一度検討する必要がある用に感じる。

 もしくは、あの時報告書にもあったユルグというアイオーンは、最初からこれが目的だったのかもしれない。

 多感な時期だし、何よりレムは、明るさの裏に繊細さを抱えているのも、ロニキスはよく知っていた。

 それを相手が利用し、最初から記憶を喪失、或いは精神の崩壊を狙ったのだとすれば。だとすると、そのユルグというアイオーンの掌の上で、自分達は踊っているだけなのかもしれないと思うと、ロニキスの脳裏には不安がよぎったが、表情には出さないようにした。


 将は、下の者に不安を与えるわけにはいかないのだ。


「レムに関しては、あの記憶の状態を考えると、恐らく機体の操縦なんて無理だぞ」

「レムは編成から既に外した。機体もないからな。既に本国の軍医療施設に入れるように言ってある。それと、ルナの腕の方は、大丈夫なのか?」

「爪が割れたのと、拳が傷だらけであることを除けば、何も問題はない。むしろ、俺はレム以上に、ルナのメンタルケアが必要であるように思えるがな」

「一心同体、だったからな」


 レムとルナは、互いに護り護られる関係だった。それを出来なかったことを、恐らくルナは相当悔やんでいるのだろう。

 互いに、休養を与えるべきなのかもしれない。ルナの今の精神状況を考えると、作戦でミスをしかねない。ミスは、死にも繋がることを、散々戦線でロニキスは学んだ。


「頭が痛くなる問題ばかり来るな。今回のことといい、我々の戦力も滅茶苦茶だ。それに、なんとなくだが、私には今回の件が全て一本で繋がっているように、何となく思えるのだ、ドクター」

「ほぅ。俺に対して意見を聞くとは珍しいな」

「お前が、元々ジェイス・アルチェミスツではなく、ただの医者だったら、聞きはしなかっただろうさ」

「それは褒め言葉なのか、皮肉か、どっちだ」

「どちらもだ。己への皮肉でもある。私は、どうも今回のこの戦の目的が掴めないのだ。情けなくなるよ」

「あんたも、疲れが溜まってるんだな」


 玲が苦笑した後、煙草を取り出してふかした。

 たまには、吸うか。そう思って、玲から煙草を受け取り、吸う。

 紫煙が、ゆっくりと天井の昇っていく様を、ロニキスはただ、ぼうと眺めていた。


 後に『七日間戦争』と呼ばれることになるこの戦は、このような暗中模索の中から始まった。

 今回の語り部も、変わらずトラッシュ・リオン・ログナーが勤めさせていただく。

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