第二十九話『心を持つ者達』(5)-2

 急に、アイオーンが活発になり始めた。

 フィリポは、確かに消えかけていた。それで全て済むかと思った。


 ところが、邪気が何か来た後、急に全てのアイオーンに、明確な殺意が芽生えたのを、ルナははっきりと感じた。

 先程まで表示されていたガーディアンシステムなる文字は、既にない。


 あのシステムが発動したおかげか、アイオーンの数は当初の半数以下に減った。まさか、僅か二、三分でアイオーンを百体以上屠るとは夢にも思わなかった。

 だが、そのシステムが、何故今このレムが死ぬかも分からない状況に限って発動しないのか、ルナには分からなかった。


 心に、凄まじい焦りの感情が芽生えている。

 レムを、自分が殺すのか。

 そんな不安に駆られた直後、エドの旗下の一機が、大声を上げた。


『ルナ! あれを見ろ!』


 そう言われて、上空を見た。

 ホーリーマザーが、片手に握っていたブレードライフルで、フィリポの首をメッタ刺ししていた。少しずつ、首の金色の羽毛が剥がれ落ち始めている。

 それで、捕まれていたクチバシから解放されるや否や、フィリポの頭を残っていた足で蹴り飛ばした。

 ホーリーマザーの足ももげたが、同時にフィリポにも相当のダメージが入ったのか、今までに聞いたこともないような甲高い音を出した。


 すると今度は、フィリポの口の中にブレードライフルを突っ込み、何発も撃ち貫く。フィリポの顔が、無残に焼けただれていく。

 そのまま、ブレードモードに変えたのか、一気にブレードを使って、頭を縦に真っ二つにした。


「レ……ム……?」


 あれは、レムの戦い方ではない。

 戦いの中で、狂気が、別の方向から発動したような、そんな気がする。『キレた』などという、生やさしいものではなかった。

 通信を繋ごうとしても繋げない。先程フィリポが胴体を思いっきり砕こうとしたおかげで、通信ユニットが完全にいかれたようだ。


 絶叫にも似た、レムの声が、突然響き渡った。

 レムの声ではない。邪気に支配された、そんな印象がある。セラフィムの気も、まるで感じられない。

 フィリポを殺すまで、恐らくこれは止まらない。


 折れた足で、また蹴り飛ばす。攻撃の猶予は、全く与えようとしない。

 フィリポの羽ばたく力が、弱くなっていく。


 一度、ホーリーマザーが距離を取った。

 ブレードを展開し、気炎を上らせる。

 気炎の色は、闇と同じ、黒。その中に、僅かに血のような赤が混じっている。あれは、墜ちた者だけが、出すことの出来る色だった。


『レム! しっかりしろ! 俺と同じ所まで墜ちるな! レム!』


 ブラッドが、叫んだ。

 だが、恐らく、聞こえていない。

 そして、そのまま、ホーリーマザーは、黒い刃を持って、フィリポのコアを、一撃で貫き、そのまま袈裟斬りにした。


 フィリポが、ゆっくりと灰になって消えていく。周囲のアイオーンも消えた。

 同時に、ホーリーマザーもまた、刀身の気が消え、四肢で唯一残っていた右腕がダラリと下に垂れた。

 そのまま、機体が真っ逆さまに落ちていく。


 一気に、フットペダルを押した。あのままだと、本当にレムは死ぬ。

 腕を伸ばす。

 空破の腕が、ホーリーマザーを掴み、そのまま抱きかかえた。


 コクピットを見る。どうやら、無事らしい。気を失っているだけのように、ルナには見えた。羽も消えている。それには、ホッと胸をなで下ろした。


『ルナ、撤退するぞ。それも、急ぎでだ』


 竜三は、こういう時、恐ろしいほど冷静だった。


「分かっている、分かってるわよ……」


 声が、掠れた。

 だが、泣く訳にはいかないのだ。負傷者を回収して、そのまま一気に進んだ。

 雨が、降り出した。空もまた、泣いていると、ルナは思った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 夢なのか、現実なのか。今いる空間はどちらなのか、レムにはよく分からなかった。

 ただ、真っ暗な空間に一人で立っている。


 前にも、これを経験した。

 確か、セラフィムが初めて発動したときだ。


 少し、歩いた。前も、こうやってセラフィムが出たのだ。多分、また何か出るだろう。

 すると、誰かが倒れていた。

 駆け寄る。

 何か、嫌な予感がした。

 母親だった。


「お母さん!」


 しかし、改めて見たとき、愕然とした。

 全身に、傷があった。

 何故だ。何故、こんな状態になっている。


 そういえば、自分の記憶もあやふやだった。

 何かが弾けたところまでは、覚えている。

 それ以降は、何があったのか。


『お前が、殺したのだ』


 後ろから、声がした。振り向くと、そこには、先程までいた、アイオーンがいる。

 確か、ユルグとか言ったか。


『お前が、母を殺したのだ。なぶり殺しに近い形でな』

「なぶり……殺し……?」


 聞いてはダメだと、本能が告げた。

 だが、何故か、耳を塞いでも、声が響く。

 苦痛にも似た、母の声が聞こえてくる。


『お前は、頭を集中的に狙った。明らかになぶり殺しだ。お前は、そういう存在なのだ。我らと変わらぬ、立派な化け物だ』


 違う。違う。違う。

 自分は、人間だ。人間であると、誓ったのだ。それが、姉との約束だった。


『人間だと? 笑わせる。お前の手を見てみろ』


 思わず、手を見た。

 血だらけの、手だった。


『それがお前という存在だ。己が浴びた血にすら気付かない、ただの化け物だ』


 殺した。殺した。自分が、母を、皆を、殺した。

 違う、違う、違う。


 何故か、それが言葉に出来ない。

 ユルグの存在は、いつの間にか消えている。


「あ……あ……」


 震えていた。

 自分が、殺したのだ。


 何かが、壊れていく。ヒビが、入っていく。

 壊したくない物が、壊れていく。


 怖いとだけ、思った。

 それ以外、何も分からなかった。

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