第二十六話『戦に身を馳せる者達』(4)
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AD三二七五年七月二一日午前一時二七分
ただ、風が吹いている。
乾いた風。それに、何処か、オイルが混じっているような、においがする。
それと、血。血が、夜風に混じっている。
大地の砂を、一つ握る。脆く崩れ落ちた。
人の絆も、こんな風に脆いのだなと、ファルコは何処か冷めた目で大地を眺めていた。
村正は、この大地を刃のように駆け抜けたのだ。切り刻まれたスコーピオンの残骸が、そこかしこに散らばっている。
魚鱗に展開していたスコーピオンを四一機、真一文字に切り裂いたのだ。
刃。そう言わずしてなんと言えばいいのか、ファルコには分からない。
刃として生きること。村正は常にそれを望んでいたし、生き様としてこれは本望だったかもしれない。
しかし、自分の心は、まるでこの大地のように渇ききっている。
仕えていた主がいなくなったのだ。何処か、絶望にも似た想いが、心の中で獣のように暴れ狂っている。
自分は、村正のことを尊敬していたのだ。年は確かに、村正の方が一回りも下だった。だが、戦士として、男として、心底尊敬していた。
裏切り者と、恐らくフェンリルは見るだろう。一瞬で、この砂のように信頼は脆く瓦解する。実力主義のフェンリルならば、なおさらだ。
だが、村正はただ単純に、己の道を貫き通したのだ。
切り落とされた紫電の腕を探しているが、なかなか見つからない。
既に愛機である蒼機兵用のスコーピオンの活動時間も、少し厳しくなってきている。
だが、そのような理由で帰るというのは、あまりに従者としては粗末に思えた。第一、自分は何もしていないのだ。ただ、村正の後を付いていくので手一杯だった。
情けない従者だが、従者としてやるべきことはやらなければならない。それが義務という物だ。
ヘリの音が聞こえたのは、そんな時だった。サーチライトで周りを照らしながら、自分の周囲を旋回し始めた。
自分に、サーチライトが当たった。思わず、眼を細める。
見つかったか。そう思ったが、別にこの程度は想定の範囲内だ。
ヘリが、近くの荒野に止まり、一人の女が降りてきた。マリーナ・ゴドウェイだった。
十字架を担いだ修道女、見た目だけはそう見える。
しかし、自分はこの女がシャドウナイツの中でもかなりえげつない人間であることも知っている。
「あら。村正殿の従者の方、でしたね? 何故にこんな所に?」
「もう従者ではありません。現に、主人は死んだのですから」
そう、もう村正はいないのだ。
何故、自分の方が先に死ななかったのだ。何故だと、この数時間の間に、何度自分に問い詰めただろう。
「では、特に名前は必要ありませんね。神の御心に、村正殿は残念ながら背いてしまわれたのですから。正直、残念に思います」
苦笑するように、マリーナが笑った。珍しい表情をすると、ファルコは少し意外に感じた。
「それに、私の周囲からも一人、神の意志に背いた人間がいました。正直、そちらも残念に思いますよ」
ソフィア・ビナイムのことを言っているのだろう。しかし、不思議とマリーナの表情は哀しげに見える。
「神の意志に背いた罰は、死を持って償わせる。それが私の根本にあります。ですから」
マリーナが、担いでいた身の丈もある十字架に手を掛け、あたかも剣のようにそれを抜いた。
いや、本当に剣だった。身の丈もある巨大な剣。ただ、普通の剣と違うのは、その刀身から、青白い気炎が上っていると言うことだ。
人間大サイズのオーラブレード。十字架を常に担いでいるのはその冷却バイパスを強引に体の中に仕込んだからだ。つまり、十字架を離さないのではなく、離せない。
しかしイーグである。要するに、自分のような一般人とは全く別次元の人間だということだ。
「残念ながら、村正殿の従者であったあなたもまた、罰せられるべきです。全ての異教徒は、殺す。それだけですので」
自分に剣先が向けられた。死に時、という奴なのだろうか。ぼんやりと、ファルコは考える。
まだスコーピオンは残っている。だがもし、自分が死んだとしたら跡形もなく爆破するように仕向けられているため、それについては問題にしていない。
ただ、せめてこの名を、ファルコという村正のくれた名を、もう少し生かしたかったと思うだけだ。
「異教徒、ですか。では、あなたの考えにそぐわない人間は、全て異教徒なのですか?」
「いえ。異教徒とは、私の考えではなく、神の御心に背いた者が該当します。あなたはそこに片足を突っ込んでいるのですよ」
ですが、と言った直後、何かが自分の横を通り過ぎた。
直後、頬から僅かに血が出た。
ちらと、横を見ると、スローイングダガーが落ちていた。直後、それが巻き取られ、マリーナの十時剣の柄に収まった。
「まだ、戻れますよ? 戻らないようでしたら、次は当てます。そう、神が思し召しですから」
独善的な考えだと思うが、実際にこの女はそうやって生きてきたのだ。今更、変えようと思っても変えられる物ではない。
脚を踏ん張る。
「私は、冗談が苦手です。神とか、そういうのも信じておりません。神にすがるより、私は、己の心を信じたい。ただ、それだけです」
マリーナが、がくりと肩の力を落としたのが分かった。
失望したと、目が言っている。
「そうですか」
再装填したスローイングダガーを、自分に向けた。
村正なら、こういうときどうしただろう。そんなことばかりを、考える。
射出された音が、聞こえた気がした。
自分には、イーグのようにそれを振り払うだけの動体視力はない。
所詮、人間に出来ることなどこんな物なのだ。
風が、吹いた。両頬を、風が通り抜けたのだ。
死の風、という印象はない。第一、体をスローイングダガーが貫いていない。
否、それどころか、スローイングダガーは自分の目の前で粉々に砕け散っている。
何が起こったのだ。思わず、後ろを振り向く。
いつの間にか、自分の背中に一人の老人がいる。確か、犬神竜一郎と言ったか。
手に大小の刀を抜いた状態で握っている。
まさか、今のスローイングダガーを居合いで叩ききったのか。
「犬神一刀流改式、鎌鼬二龍じゃ。見たか、若造」
呵々と、嗄れた声で竜一郎が笑う。
犬神一刀流の話は、以前聞いたことがある。屋内での戦闘を想定した護るための剣。気を体の内側から刀身に宿すことにより、通常とは桁外れの抜刀速度と破壊力を生み出す流派。更にイーグとなることで、衝撃波すら起こせるほどの居合いを可能とする、最速の攻撃でもある。
竜一郎が昔、その流派を代々受け継いでいる犬神一門の当主であることも、ファルコは調べていた。
しかし、『一刀流』だというのに、手に握られているのは大小の刀。
「一刀流を強引に二刀流にするには、まだ力が必要じゃな」
そう言って刀を納めると、マリーナの方へと竜一郎は歩を進める。
この男は、片手のみで居合い斬りをし、あろうことかあれだけの衝撃波を出せるのか。
イーグだから出来るのか。それとも本人の鍛錬なのか。
恐らく両方だろう。だからこそ、あの老人は、声が嗄れ、髪も髭も全て真っ白になったのだ。
「竜一郎殿、どういうおつもりですか。何故、処断を止めるのです」
「処断? ワシには、おぬしの八つ当たりに見えたぞ」
「八つ当たり、ですか」
「そうじゃな。おぬしは神の意志と言ったがのぅ」
場の空気が、重くなった。いや、動かなくなった。
竜一郎の威圧が、そうさせている。汗も、まったく出ない。時が止まったのかと、一瞬錯覚してしまった自分がいたことに、正直驚きを禁じ得なかった。
マリーナの方は、足を大地に踏ん張らせている。だが、オーラブレードから発生している気が、徐々に小さくなってきているのが、目に見えて分かった。
「例えそれが神の意志であろうと、引き金を引き、そして殺す最終決定をするのはおぬしじゃ。神の意志など詭弁にすぎぬ」
「神はいないと?」
「それはどうだか分からぬのぅ。だが、神を見た者も、この世に一人もおらぬ」
直後に、ふっと威圧感が消えた。
汗が、どっと出てきた。時が一気に動き出した、そんな気さえする。
この老人は、この体にどれ程の研鑽を積んだのか。積んだ代償がこの嗄れた声と白髪だとすれば、この老人は何故に己の力をここまで強くする必要があるのか、聞きたくなってきた。ただ、聞いても分かるかどうかまでは、正直自分にもよく分からない。
村正だったらこういうとき、ためらいなく聞くのだろう。
マリーナが一つため息を吐いた後、剣先に上っていたオーラを消し、また背中にそれを担いだ。十字架を担いだ、いつもの見慣れた姿に戻る。
一瞬、それが罪を背負っているかのように、ファルコには見えた。だが、果たしてマリーナは、何処のラインまでが罪なのか、分かっているのだろうかというのも、脳裏をよぎる。
「例え見た者がいなくとも、神の御心は私の中では絶対です。それだけは、お忘れ無きよう」
「わかっておるわい。宗教の自由にまで、ワシは組み入ろうとも思わぬよ。ただ、お主自身の心構えを、もう少し磨くべきだというだけじゃ」
「では、その言葉は心に刻んでおきましょう。偶然、その従者殿がおられたため立ち寄ったにも関わらず、いい話を聞かせていただきました」
にこりと、マリーナが笑った。影のある笑みだった。こういう笑い方をするのかと、正直驚いている自分がいた。
直後、竜一郎の方にばかり向いてたマリーナの視線が、自分に向けられた。しかし、眼に敵意はない。そういった意識は、例えマリーナの両目が義眼であっても、何故か分かる。不思議なものだ。
「従者の方も、申し訳ありませんでしたね。そういえば、なんとお呼びすればすればよろしいでしょうか?」
「ファルコ。生前、主はそう名付けてくださいました」
「では、ファルコさん。いずれまたお会いしましょう。その時までに罪を償うことを、私は祈っております」
それで踵を返し、マリーナはヘリへと消えていった。
ヘリが、空の彼方へと去り、そのまま夜の空と融合するまで、そう大した時間は掛からなかった。
「で、ファルコとか申したのぅ、おぬし」
竜一郎が、いつの間にか隣にいた。空に向いていた眼を、咄嗟に戻す。
「おぬし、何故にこんな残骸だらけの荒野に来た」
「主の乗っていた紫電の右腕、いや、それの欠片でも持ち帰ろうと考えましてな」
「レヴィナスの、か。まぁ、それは回収班も必死になって探すであろうのぅ」
「そうなる前に、探し当てたいのです。幸いにして、今は軍も幹部会も事態の収拾に躍起になってますから、今しか機会はありません」
「して、おぬしはそれをどうするつもりなのじゃ?」
「主の墓前に捧げようと思います。フェンリルに持ち帰っても、ろくでもないことに利用されるのがいいオチです。そんなことは、主人とて望まないでしょう。ですから、私は探し当てたいのですよ、竜一郎殿」
「それで、この膨大な残骸の中から探し当てるというのか」
「ある程度の位置予測と、反応は分かりますから」
「しかし冗談か? これの中から探すなど」
「いえ、私は、冗談は言えません。そういう、性格ですから」
冗談を言えない堅物。そうハイドラから苦笑されたのは、何年前だったか。
そこで村正に出会ったのだ。自分より一回りは若かったが、学ぶべき事はたくさんあった。
そういった主人がいたことは、幸福なのだろう。
竜一郎が、呆れた表情をしていた。だが、自分は冗談が言えないのだ。口べただと、言ってもいい。
「そういうのならば、仕方がないのぅ」
そう言って竜一郎は、懐から、小さな鉱石を出し、ファルコに渡した。
思わず、目を見開いた自分がいた事に気づいたのは、少ししてからだ。
確かに、その鉱石は一センチ四方程度の大きさしかない。
しかし、七色に輝いている。
間違いなく、レヴィナスだ。
「竜一郎殿、これは?!」
「おぬし、まさかワシが本当に修行などでこんな辺鄙な所に来たと思っていたのか? ワシの真の目的はそれじゃよ。紫電の腕は、村正が死んだ瞬間に構成していた精神力が途切れ、そのまま縮小していったから、その程度の大きさの物のみじゃった。探すのは骨がいったがのぅ。しかし、何様に小さくとも、それもまた、力なのでな」
「力、ですか」
「そうじゃ。人を滅ぼしもするし、守りもする、そんな力の塊じゃ。おぬし、これを受け取るからには、それ相応の覚悟をもたねばならぬぞ」
つばを、一度飲み込む。
そうだ。重くないわけがない。村正の、泣き主人の愛機の腕なのだ。
数多の大地を駆け抜けた、刃。それを受け継ぐことは、確かに重い。
だが、進むべきなのだ。否、そうでもしなければ、村正が笑うだろう。
ぎゅっと、レヴィナスを握った。
「竜一郎殿、この件は、必ずや借りをお返し致します」
「借り、か。そうじゃな。ならばこのレヴィナス、おぬしに文字通り貸してやるわ。見事に使いこなし、ワシを楽しませてみろ」
「言われずとも」
頭を下げて、踵を返し竜一郎の元を去る。竜一郎の気配もまた、消えていくのが背中にひしひしと感じられた。
愛機のスコーピオンを見上げた。
「我が愛機よ。お前は、私と共に、重荷を背負え。私が、前に進むためにも」
コクピットを開け、シートに座り込んでから、また、拳に握られたレヴィナスを見る。
存在が重いと、深く感じられた。
機体を起動させる。ゆっくりと、機体が宙を浮き、あの街へと戻る。
ハイドラがどういう反応をするのだろう。いまいち計りかねている、自分がいた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
窓の景色が、一向に変わらない。
延々と、アフリカという大地はそういうものだ。そういうものだと分かっているのに、何故か、その中からソフィアを見つけようとしている。
そんな自分がいることに、正直マリーナは驚いていた。
ソフィアの友人を装って監視する役目が、自分の本来のあるべき姿だった。
他国から拉致して、人体実験を繰り広げた末に、人格を上書きして誕生した歪な人間。正直、軽蔑していたと言っても良かった。
信仰心の欠片すら持ち合わせなかったのだ。余計に腹が立った。
だが、何故か付き合ううちに、不思議なほどに心が穏やかになった。
監視の任務などほっぽり出して、何処かに消えようかとすら、思ったこともあった。
だというのに、ソフィアは消えた。裏切り者には死を。幹部会はそう告げたのだ。
そう、裏切ったのだ。だからこそ、消すべきだ。
だというのに、何故自分はこうも憂鬱な気分を抱えているのだろう。
担いでいた十字架を、ぎゅっと握る。それで神が何か語ってくれる。
殺せと、神は言うのだ。
しかし、自分に殺すことが出来るのだろうか。
何故か、迷いばかりが生まれていく。
「己を鍛えろ、か」
竜一郎の言った言葉を、口で反芻していた自分に、正直驚いた。
自分にはまだ覚悟が足りていないのだ。
殺すという覚悟。
いや、殺すのではない。神の元に、安らかな地に送ってやるに過ぎない行為だ。
いつもやっていること。神に背いた人間は、殺す。そして、神が断罪を下す。
それが正しいのだ。正しいことではないか。
神が、間違ったことをするはずがない。言うはずもない。
神が絶対なのだ。
しかし、何故当たり前のことを、こうも必死に言い聞かせているのだろうと、マリーナは今更疑問に思っている自分に酷く恥じた。
まぁいい。迷いなど、任務に当たればすぐに消える。
そう思って、また窓を見た。
延々と、夜の荒野が一面に広がっている。
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